あかつきの雲
『広辞苑』を読んでいて痛感するのは、日本語は耳で聞いただけではわからない言葉が多いこと。漢字を思い浮かべてようやくわかるのだが、同音異義語も多いから、どの漢字をあてるべきかは文脈で判断しなければならない。視覚的言語なのだと思う。昔からこうだったのか、それとも近代(明治)からなのか。あるいは、一般庶民は使わない特
殊な言葉なのか。
「暁」は訓読すれば「あかつき」。「あかつき」の項を読むと「夜を三つに分けた第3番目。宵、夜中に続く。現在では、やや明るくなってからをさすが、古くは、暗いうち、夜が明けようとする時。よあけ。あけがた」とある。
「暁月」は「夜明けに残る月」だから、「暁日」は明け方の太陽かと思いきや「あけがた。あかつき」だそうだ。「暁」の一字で十分なのに、「日」つけ足したところがおもしろい。明け方の太陽は「暁光」のほうが近い。『広辞苑』は「あけがたの光」と説明する。「暁光」とおなじ「ぎょうこう」という読みでも、「暁行」と書けば「あけがた
に行くこと」。「暁更」は「夜明け方、まだ暗い頃。あかつき」だそうだ。どれも日常会話ではつかいそうにない言葉だ。
『広辞苑』を読んでいて痛感するのは、日本語は耳で聞いただけではわからない言葉が多いこと。漢字を思い浮かべてようやくわかるのだが、同音異義語も多いから、どの漢字をあてるべきかは文脈で判断しなければならない。視覚的言語なのだと思う。昔からこうだったのか、それとも近代(明治)からなのか。あるいは、一般庶民は使わない特
殊な言葉なのか。
「暁」は訓読すれば「あかつき」。「あかつき」の項を読むと「夜を三つに分けた第3番目。宵、夜中に続く。現在では、やや明るくなってからをさすが、古くは、暗いうち、夜が明けようとする時。よあけ。あけがた」とある。
「暁月」は「夜明けに残る月」だから、「暁日」は明け方の太陽かと思いきや「あけがた。あかつき」だそうだ。「暁」の一字で十分なのに、「日」つけ足したところがおもしろい。明け方の太陽は「暁光」のほうが近い。『広辞苑』は「あけがたの光」と説明する。「暁光」とおなじ「ぎょうこう」という読みでも、「暁行」と書けば「あけがた
に行くこと」。「暁更」は「夜明け方、まだ暗い頃。あかつき」だそうだ。どれも日常会話ではつかいそうにない言葉だ。