朝早く鳴く鶏をののしっていう語。後に、鶏の雅語と意識される。
「くだかけ」ともいうそうだ。
雅語というのは、雅言と同じで、「正しくよいことば。洗練された言語」。
ののしっていう語、悪口・罵倒語が、時を経るにつれて雅語に変わったというのが不思議だ。逆のパターンならいくらでもありそうだけれども。
たとえば「おふくろ」なんていうのは、もともとは尊敬語だった。「袋」に「御」がついている。
もっとも、『大辞泉』では「ニワトリの古名」とあるだけだし、『大辞林』でも「ニワトリの異名。くたかけ鳥」とあって、ののしっていう言葉とは書かれていない。
『岩波古語辞典』を見ると、「朽鶏」と書くそうで、「くた」は「朽(クチ)」「腐(クタ)」とルーツは同じ。つまり、現代のぼくたちが「この腐れ○○め!」とののしるのと同じだ。現代語訳するなら「朝早くからコケコッコ、コケコッコと鳴きやがって。この腐れニワトリめが!」という感じ。
千年もすると、「くそっ!」とか「バカ野郎」も、正しくよいことばになっているかも。
「くだかけ」ともいうそうだ。
雅語というのは、雅言と同じで、「正しくよいことば。洗練された言語」。
ののしっていう語、悪口・罵倒語が、時を経るにつれて雅語に変わったというのが不思議だ。逆のパターンならいくらでもありそうだけれども。
たとえば「おふくろ」なんていうのは、もともとは尊敬語だった。「袋」に「御」がついている。
もっとも、『大辞泉』では「ニワトリの古名」とあるだけだし、『大辞林』でも「ニワトリの異名。くたかけ鳥」とあって、ののしっていう言葉とは書かれていない。
『岩波古語辞典』を見ると、「朽鶏」と書くそうで、「くた」は「朽(クチ)」「腐(クタ)」とルーツは同じ。つまり、現代のぼくたちが「この腐れ○○め!」とののしるのと同じだ。現代語訳するなら「朝早くからコケコッコ、コケコッコと鳴きやがって。この腐れニワトリめが!」という感じ。
千年もすると、「くそっ!」とか「バカ野郎」も、正しくよいことばになっているかも。