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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

けいしょう【鶏唱】

2013年05月20日 | か行
鶏が夜明けに時を告げること。


 落語では、「一夜明けて」というところを、よく「カラスがカーと鳴いて夜が明けて」という。「ニワトリがコケコッコーと鳴いて夜が明けて」とはいわない。まあ、こういうシーンはたいてい吉原など廓の噺での場面転換なので、ニワトリではイメージに合わないのだろうけれども。

「鶏晨(けいしん)」という言葉もある。「鶏の鳴く朝。夜明け。あかつき」の意味。ニワトリを朝の象徴として使っているのだ。

『日本大百科全書』などを読むと、ニワトリを夜明けや太陽と結びつける考え方は、昔から世界中であったことがわかる。古代メソポタミアやエジプトでは、夜明けを告げる勇気ある鳥として、神様への供物とした。ゾロアスター教は暗黒の悪魔を払うものとした。屋根に風見鶏をつけるのも、ニワトリが悪魔を払う太陽の象徴とされたから。

 日本でも縄文時代からニワトリがいた。『古事記』で天岩戸から天照大神を呼びだす常世長鳴鳥はニワトリ。

 絵画でニワトリといえば伊藤若冲。あの絵をじっと見ていると、ニワトリはかわいいというよりも怖い。

げいおん【鯨音】

2013年05月19日 | か行
梵鐘を鳴らした音。


 どうしてクジラ?

 そう思って、あれこれ検索してみたが、いろんな説がある。

 まず、お寺の鐘はクジラのように大きい、ということから、という説。これはわかりやすい。そういえば宗派によっては木魚を叩く。木魚は文字通り魚の形をしている。小さいのが魚だから、大きいのはクジラなのだろうか。

 梵鐘を吊るす部分を龍頭という。龍の頭をかたどっている。梵鐘を暴れるクジラに見立て、それをおさえるものとして龍がいるのだという(神戸製鋼アルミ鋼事業部門販売網機関誌ウェブマガジンより)。

 ところが、龍頭の龍は、ほんとうは龍ではなく蒲牢という架空の動物なのだ、という話もある(龍も架空の動物だが)。蒲牢はクジラを恐れ、鳴き声が梵鐘の音に似ているそうだ。そこでクジラをかたどった撞木で梵鐘をつくとよく鳴るというのである(神戸・三宮、東福寺のサイトより)。

 さらに調べると、蒲牢は龍の子だという。梵鐘を鳴らす音はクジラの声なのか、龍の声なのか、はたまた龍の子の声なのか。謎はどんどん深まっていく。
 

くわいれ【鍬入れ】

2013年05月18日 | か行
農家で正月の吉日に、吉方(えほう)に当たる畑に初めて鍬を入れ、餅または米を供えて祝うこと。田打正月。鍬初め。

 家を建てるとき、鍬入れの儀式をする。もちろん『広辞苑』にも、2番目の意味として載っている。ぼくはこちらしか知らなかった。

 家を建てるときの鍬入れ式は、地元の神社の神主さんにお払いをしてもらう。工事する敷地の一角に砂を盛り、施主や工事関係者が鍬を入れるまねごとをする。工事の安全と無事を祈る。家を建てるときだけでなく、土木工事全般に行なう。

 農業の儀式としての鍬入れは、『広辞苑』を読んではじめて知った。しかし、読むと謎が深まる。

 たとえば米どころといわれる新潟。正月の吉日は、かなりの雪の深さだろう。どうやって鍬を入れるのか。地面が出てくるまで雪を掘るのか、それとも雪に鍬を入れるのか。それじゃあ、鍬入れじゃなくて雪かき……。北海道だったら、雪の下の地面は固く凍結していて、鍬じゃなくてツルハシじゃないと無理だと思う。

 吉方も、どうやって知るのか。最近は恵方巻きが普及したので、セブンイレブンはじめコンビニに行けば今年の恵方を教えてくれるけれども。考えると、鍬入れは意外と難しい。

くれのはる【暮の春】

2013年05月17日 | か行
春の終りの頃。晩春。暮春。


「春の暮」ではなく「暮の春」というところがおもしろい。どうしてなんだろう。

 大野晋『古典基礎語辞典』の「くる」の項を読んでみる。漢字にすると「暮る・眩る」。「クルは(日が沈んで)暗くなるが原義。昼が終わり夜になる、一日が終わる意味から、ある区切られた時間(季節・年・人生など)が終わる、終わりに向かって経過する意味になる」と書かれている。

 ところが「暮れ」にはもっと深いニュアンスもある。暗くなるという意味から、「涙で見えなくなる」「心理的に真っ暗になる」「正常な判断ができなくなる」という意味にも使われる。

 ダイヤモンドに目がくらむのも(お宮さん)、日が暮れるのも、ルーツは同じなのだ。

 暮の春というと、行く春を惜しむ気持ちが伝わってくる。花が次々と咲いて、ぽかぽかとした陽気の季節も終わる。春が終われば初夏。じめじめとした梅雨もあるし、梅雨が明ければ今度は盛夏。酷暑のシーズンが待っている。

 季節はまた巡ってくるけれども、人生の春は二度とやって来ない。そんな気持ちも感じられる言葉だ。

くちなわ【蛇】

2013年05月16日 | か行
ヘビの異名。

 朽縄、つまり腐った縄に似ていることから、という。

「蛇(へび)」の項を読むと、「ヘミの転」とある。古名はくちなわのほか、ながむし、かがちというのもある。「不吉なもの、執念深いものとして嫌われるが、神やその使いとするところも多い」という。

 東京のわが家の近くにある奥沢神社は、藁でつくった巨大な蛇が鳥居にかかっている。クリクリとした大きな目玉がついていて愛らしい。これは江戸時代に疫病が流行ったとき、藁で蛇をつくって村内を巡幸させるようにと、八幡大神がお告げしたことに由来する。毎年9月に氏子が大蛇をつくり社殿に安置し、前年につくった大蛇を鳥居にかける。丸1年風雨にさらされた大蛇は、たしかに朽ちた縄のようでもある。

 野山を歩いていて、怖いのはマムシだ。用心して歩いていると、草が揺れただけで「マムシかも?」とドキドキする。古いロープの切れ端などが落ちていれば、心臓が止まるかと思う。

 そういえば、郊外に移転した大学が都心に回帰する現象がつづいている。理由のひとつは「郊外ではマムシが怖くてテニスもできないから」という噂だが、ほんとうか?