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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

きぎしのひたづかい【雉の頓使】

2012年11月11日 | か行
行ったっきりで戻って来ない使者。一説に、使者をひとりだけ、従者もつけずに遣わすのを忌んでいうことば。


『広辞苑』のこの項目には由来が書かれている。「天つ神の名を受けて天降ったまま8年たっても復命しなかった天稚彦のところに、事情を問いに遣わされた雉が、天稚彦に射殺されたという記紀神話による」そうだ。

 天稚彦は天照大神の命で出雲に派遣されたけれども、大国主神の娘と結婚して、出雲を征討するどころか居着いてしまった。それを雉の名鳴女に詰問されて逆ギレ、名鳴女を殺してしまった。天稚彦は高皇産霊尊に殺された。

 いろんな解釈ができそうな神話だ。

 ミイラ取りがミイラになる、とちょっと似ている。

 会社に勤めていたころ、ときどきこういうことがあった。隣の課に依頼した物がなかなか届かない。催促に行った者が帰ってこない。どうしたんだ?と内線電話をすると(まだ携帯電話がなかった)、「人手が足りないからと、手伝わされちゃって……」なんていっている。「ばかやろう。とっとと帰ってこい!」と課長はカンカン。

「きぎし」は「雉」の古いいい方。雉は「雉の隠れ」や「雉も鳴かずば打たれまい」にも登場する。

きおんげんりつ【気温減率】

2012年11月10日 | か行
高度と共に気温の変化する割合。対流圏では高度が100メートル増すごとにほぼセ氏0・6度の割合で気温が下がる。


 高いところでは気温が低いことは知っていたけれども、そうか、気温減率というのか。

 海抜1000メートルで、海抜0メートルより6度低い。軽井沢町のホームページを見ると、役場のあるところは海抜934メートルだという。気温減率だけで、東京よりも5~6度低いことになる。別荘がたくさん集まっているあたりはさらに高いから、もっと涼しいだろう。

 清里は1274メートル(JR清里駅)で、蓼科が1300メートルぐらい(蓼科東急リゾート)。

 海抜0メートルと比べて、標高2000メートルの山で12度、3000メートルだと18度も低い。加えて風や湿度で体感気温はもっと下がる。Tシャツと短パンで夏山に登るのがいかに危険か。真夏のそれほど険しくない山でも疲労凍死することがあるのもなるほど。

 気温減率を甘く見てはいけない。

 登山だけじゃなでなく、ドライブでもそうだ。普通のタイヤで大丈夫だと思っていたら、路面が凍結していたり。文字通りの「ヒヤッ」だけど、笑いごとではない。

かんろ【寒露】

2012年11月09日 | か行
(1)二十四節気の一つ。太陽の黄経が195度の時で、9月の節。太陽暦の10月8日頃に当たる。
(2)晩秋から初冬の間の露。



 1年を24等分したのが二十四節気。春夏秋冬はそれぞれ6つに分けられる。各期間の境目に名前がつけられている。たとえば秋は早い順に「立秋」「処暑」「白露」「秋分」「寒露」「霜降」。「立秋」と「秋分」は知っている。「処暑」も、使うことはないけど、聞いたことはある。でも「白露」「寒露」「霜降」はどうか。

 同じ月でも、1日と30日ではずいぶん気候が違う。かといって、二十四節気をさらに3つに分けた七十二候はちょっと細かすぎる。二十四節気ぐらいがちょうどいい。

 手紙は時候のあいさつから始めるのが定型だ。このとき二十四節気をさりげなく入れるとかっこいい。若いころは「定型なんていやだ」と思っていたが、大人になって定型がいかに便利かを痛感する。

 いつでも使えるよう、二十四節気を覚えておきたいと思うけれども、太陽暦での日付は年によって変わるのでいちいち調べなければならない。二十四節気や七十二候がわかるiPhoneのカレンダー・アプリはないかと探したが見つからない。誰かつくってほしい。
 

かんてんぼうき【観天望気】

2012年11月08日 | か行
空の状況を観察して、天気を予測すること。雲形、雲の動き、風、太陽や月の見え方などから経験的に予想する。


 昔は「ひまわり」も「アメダス」もなかったし、気象庁だってなかった。じゃあ、昔の人は天気予報をしなかったかというとそんなことはない。農業でも漁業でも、自然相手の仕事では、明日の天気がどうなるかを知ることは命に直結する。たとえば霜に対して何の警戒もしなかったら、せっかく実った農作物が全滅してしまうかもしれない。シケを予想できなかったら、船が沈没してしまうかもしれない。昔の人は目の前にある手がかりだけで天気予報をしていた。

 観天望気の多くは、天気に関することわざとして伝えられている。ぼくでも知っているのは、夕焼けが出たら明日は晴れ。月に暈がかかったら雨。西の空が明るければ、これから天気は良くなる。西の空が暗ければ、これから雨になる。遠くの電車の音が聞えれば雨。

 手のひらを上に向けて天気予報をする友だちがいた。空気の重さを手で量って、軽ければ晴れ、重ければ雨だという。当人は「気圧を測っている」と主張していたけれども、気圧ってそういうものだろうか。彼の天気予報の的中度はどのくらいだったのか、記憶にない。

かんか【寒花】

2012年11月07日 | か行
冬咲く花。比喩的に、雪。


 雪にもいろいろあるけれど、大粒の雪は花にたとえたくなる。粉雪は文字通り粉のような雪だから、花にたとえるのは無理がある。

 舞台などで雪を再現するのは難しい。雪は水が結晶しているわけだから、それなりの重さがあるのだけれども、その質感を雪以外のもので出すのは不可能だろう。もっとも、観客のほうでも事情はわかっているから、細かく切った紙であっても、「これは雪だと思い込もう」と納得して見ている。

 北国育ちのぼくは、冬は雪に閉じこめられて、花など咲かないものだと思い込んでいた。冬の花で知っていたのは、せいぜい椿ぐらい。雪の降らない地方の冬は、花も緑もない砂漠のような風景だろうと想像していた。上京する18歳までは。

 ところが冬に咲く花もたくさんある。パンジー、プリムラ、シクラメン。福寿草もそうだ。積雪の有無で文化は違う。日本列島の細長さを感じる。

 クリスマスに欠かせないポインセチアも、と言いたいところだけど、あれは花ではなく苞葉、つぼみを包んでいた葉が赤くなって、それをぼくたちは見ている。