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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

ゆうしたかぜ【夕下風】

2013年04月25日 | や行
夕方、地面をはうようにして吹いて来る風。

 地面をはうようにして、というところがちょっとホラー映画みたいで怖いが、悪いイメージのものではないようだ。

 用例として山家集(西行の歌集)から「夏山の夕下風の涼しさに」が紹介されている。『広辞苑』に載っているのは上の句だけだが、下の句は「楢の木蔭のたたまうきかな」と続く。意味は、夏山にいると夕下風が吹いてきて、ナラの木の陰から立ち去りがたいんだよね、という感じか。

 これ、わかります。山登りに夢中だったころ、小休止して木の根元なんかに腰かけていると、じつに気持ちのいい風が吹いてくることがある。ほんとうは日が暮れる前に山小屋やキャンプ地まで行かないと困ったことになるんだけど、「動きたくない。このままずっとここにいたい」という気分。

 猫を見ていると、彼らはもっとも快適な場所を見つけるのがうまい。夏の場合は、風の通り道を上手に見つけて寝ている。ほんのわずかな空気の動きや気温の違いが、彼らにはよくわかるようだ。年中裸で暮しているからか。もしかしたら全身を覆う毛が、風向きや気温の変化をキャッチするのかもしれない。人間も全裸で暮せば、猫のように空気に敏感になれる?

 

やらずのあめ【遣らずの雨】

2013年04月24日 | や行
人を帰さないためであるかのように降ってくる雨。

「遣らず」にはあまりいいニュアンスがない。

「遣らずぶった手繰り」といえば「与えることをせず、人からとりあげるだけであること」。日本の税制か?

「遣らずもがな」は「やらなければよかったこと。与えなくてもよいこと」。後悔先に立たず。
「遣らせ」は「事前に打ち合わせて自然な振舞いらしく行なわせること。また、その行為」。最近では「ヤラセ」と書く。遣らせと演出の境界線は難しい。

 でも、「遣らずの雨」はちょっといい言葉。

 帰ろうとするタイミングで雨が降ってくることがある。「降ってきたね。やむまで、もうちょっといたら?」なんていわれて長居してしまう。

 これが男女だと、色っぽい感じになったりして。妻問婚の時代なら、男を帰したくないという思いが伝わって雨を降らせたと解釈するのかもしれない。男のほうも、雨を口実に居続けたりして。

 ここで「いや、傘を持ってますから」と、鞄から折り畳み傘を出すのは無粋だ。

やえあめ【八重雨】

2013年04月23日 | や行
降りしきる雨

 八重山諸島に降る雨、ではなくて降りしきる雨。

「八重」は「八つ重なっていること。数多く重なっていること。また、そのもの」という意味だが、便利な強調語である。

「八重霞」は「幾重にもたちこめる霞」だし、「八重霧」は「幾重にも立つ霧」。うーん、霞と霧の違いがよくわからない……と思って「霧」の項を見ると「古くは春秋ともに霞とも霧ともいったが、平安時代以降、春立つのを霞、秋立つのを霧と呼び分ける」とあるではないか。つまり、八重霞は春で、八重霧は秋だったのですね!

「八重雲」と「八重棚雲」というのもある。「八重雲」は「幾重にも重なっている雲」。じゃあ、「八重棚雲」は? というと、「幾重にも重なってたなびく雲」。そう、たなびいているところが違う。

 重なっているのとはちょっと違うけれども、「八重の潮風」は「はるかな潮路を吹いてくる風」のこと。ロマンチックではあるが、「この風は近くから吹いてくる風。あの風ははるかな潮路を吹いてくる風」と、区別がつくものだろうか。それとも、はるかかなたからの匂いがする?