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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

よか【余花】

2013年04月30日 | や行
春におくれて咲く花。特に初夏に咲くおそ咲きの桜。


 人間にもずいぶんとませた子と、逆にあきれるほどおくての子がいるように、植物にも早く咲くのと遅く咲くのとがある。同じ品種なのに不思議なことだ。べつに彼らは個性的であろうとしているわけではないだろうに。

 いまの若者たちを見ていてちょっと気の毒だなと思うのは、常に「個性的であれ」というプレッシャーを受けていること。「ナンバーワンよりオンリーワン」といわれ、「じぶんらしく」といわれ。

 そのくせ世の中の同調圧力はすさまじく、少しでもはみ出るとバッシングをあびせられる。若者たちは、個性的であると同時に周囲に同調せよという矛盾した命令の中でもがき苦しむ。とくに就職活動の場面では、企業が求めているのが個性なのか協調性なのかと悩む。

 若者たちよ、個性なんて捨てなさい。そもそも個性は伸ばそうと思って伸ばせるものではないのだから。そんなことを意識しないで生きていたら、否応なく滲み出てきてしまうものが個性だ。遅咲きの花は自分で遅く咲こうと思ったわけではなく、たまたま諸条件によってそうなっただけだ。


ゆきけむり【雪煙】

2013年04月29日 | や行
雪が強い風などのために舞い上がって煙のように見えるもの。

 小学生のころ、集団下校したことが何度かあった。吹雪などで児童がひとりで下校するのが危険なとき、地域ごとにグループをつくって帰るのである。授業は早めに打ち切りとなり、帰り支度をした児童が体育館に集まる。学校を出ると、低学年の子どもを5年生と6年生が囲むようにしてゆっくりと進む。まるで映画『八甲田山』である。遭難するんじゃないかと怖かったけれども、楽しくもあった。

 吹雪と雪煙はちょっとちがう。吹雪は空から雪が降ってくる。雪煙は地表の雪が舞い上がる。 

 東京や京都でも雪は降るけれども、雪煙になることはない。雪が湿っているので、地面に落ちてしまうと、少しぐらい風が強くても舞い上がることはない。

 気温の低い北海道でも、雪煙になることはめったにない。雪煙になるためには、気温がかなり低いことと、風が強いことの二つの条件が必要だ。風が強ければ体感温度は寒暖計が指す数字よりもうんと低くなる。マフラーを巻いて帽子をかぶり、アノラック(パーカ)のフードをかぶっても、顔面が凍りつきそうに寒い。

ゆきげ【雪気】

2013年04月28日 | や行
雪になりそうなけはい。ゆきもよい。


「今日はなんだか雪気だねえ」なんて使うのだろうか。

 じゃあ、雨になりそうなけはいは雨気か。そこで「雨気(あまけ)」を探すと、ちゃんと載っている。「雨が降りそうな空模様。雨もよい」とのこと。「雨気」は「うき」とも読み、意味は同じだ。

「気」は「けはい」の「け」だ。

「実体を手にとることはできないが、その存在が感じられるもの」と『広辞苑』では説明している。なるほど、うまいことを言う。見えないし、手に触れることはできないけれども、確かにあると感じることはある。一歩間違えるとオカルトになるけれども。

「気」を「き」と読むと「天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられるもの」という意味だ。「風雨・寒暑などの自然現象」であり、「万物が生ずる根元」でもある。「気」は古来なんとなく抱いている世界観、宇宙観みたいなものの象徴だ。

 空を見上げて、空気を肌で感じて、風の匂いを嗅いで、「今日は雪になりそう」と思う。それは五感を総動員して宇宙と交信しているのだ。

ゆきあかり【雪明り】

2013年04月27日 | や行
積もった雪の反射であたりが薄明るく見えること。

 母が他界したのは1月24日だった。ぼくが郷里である北海道、旭川空港に到着したのは日が暮れてからだった。父の実家である寺にタクシーで向かうあいだ、窓から外を見ていた。

 空港のある郊外は田んぼや畑が広がり、人家もまばらだ。街灯と街灯の間隔も、都会に比べるとかなり広い。

 ところが世界は明るかった。すべては雪でおおわれ、真っ白になっている。街灯は少なくても、雪が反射するので、ちっとも暗くない。道路と道路でないところの境目も見えず、やがて方向感覚も上下感覚も曖昧になり、幻想的な気分になった。

 遠くに見えるスキー場はひときわ明るく、まるでライトアップされているようだ。

 あれを「雪明り」と呼ぶことを、『広辞苑』で見つけて、久しぶりに思い出した。

 雪国の冬の夜は暗くない。

 北極や南極に近い地方では、真夏に白夜がある。日が沈まなかったり、沈んでも薄明るい。それらの地方はたいてい冬になると雪が降る。夏は白夜で、冬は雪明り。北欧の夜は年中明るいのだろうか。

ゆうにじひゃくにちのひでり【夕虹百日の旱】

2013年04月26日 | や行
夕虹の立つのは晴天の続く前兆であるという意。


 夕焼けがきれいだと明日は晴れ、とは聞いていたけれども、虹もそうだったのか。

 どんなメカニズムか、ちょっと考えてみよう。

 虹というのは大気中の水滴に日光があたって光が分散することで見えるものだ。空中に浮遊する水滴がプリズムの役割を果たす。「虹」の項を見ると「雨あがりなどに、太陽と反対側の空中に見える7色の円弧状の帯」とある。つまり太陽を背にした状態で見える。

 夕虹というのだから夕方の虹。太陽は西にある。西を背にして見えるのは東の空。夕虹が立つのは東の空だ。

 虹が出ているとき、東の空中には水滴がたくさん浮遊している。雨が降っているか、上がったばかりだろう。一方、西の空は乾いている。

 雨を降らせる低気圧は、西から東へと移動していく。天気は西から東へと変わる。西の空が晴れていれば、明日はきっと晴れると予想していい。いくらなんでも100日も晴天が続くとは思えないけれども、2、3日は晴れるだろう。観天望気はけっこう科学的なのだ。