夕方うす暗くてよく見えないこと。
たんに「夕暮れ」に「間」を入れてかっこよくしたことばなのかと思っていたけれども、ちょっとちがうよう。
「まぐれ」は「目暗れ」という意味なのだそうだ。つまり「夕」+「目暗れ」。
いまは「目暗れ」を「紛れ」と書く。「まぐれあたり。偶然」の意味で使っているけど、「まぎれ」という意味の方がふるい。夕方になって暗闇の中にまぎれこんでしまう、という感じだろうか。「たそがれ」の、暗くて誰なんだかわからなくなる時刻、というのと似ている。
電気の発明によって、ぼくたちは暗闇を失った。もちろん電灯以前も、ロウソクや油を使った照明はあったけれども、電灯の明るさとは比べものにならない。夜になってうす暗くてよく見えない、なんていう経験もほとんどない。部屋の照明を消しても、窓から街灯の明かりが入ってくるし、さまざまな電気器具の電源ランプがオレンジやグリーンに光っている。
暗闇は妄想をかきたてる。平安時代の人びとは「もののけ」におびえた。もののけはぼくたちの心の中から生まれる。暗闇を失ったぼくたちは、妄想する力が弱くなった。
このブログが本にまとまりました!
たんに「夕暮れ」に「間」を入れてかっこよくしたことばなのかと思っていたけれども、ちょっとちがうよう。
「まぐれ」は「目暗れ」という意味なのだそうだ。つまり「夕」+「目暗れ」。
いまは「目暗れ」を「紛れ」と書く。「まぐれあたり。偶然」の意味で使っているけど、「まぎれ」という意味の方がふるい。夕方になって暗闇の中にまぎれこんでしまう、という感じだろうか。「たそがれ」の、暗くて誰なんだかわからなくなる時刻、というのと似ている。
電気の発明によって、ぼくたちは暗闇を失った。もちろん電灯以前も、ロウソクや油を使った照明はあったけれども、電灯の明るさとは比べものにならない。夜になってうす暗くてよく見えない、なんていう経験もほとんどない。部屋の照明を消しても、窓から街灯の明かりが入ってくるし、さまざまな電気器具の電源ランプがオレンジやグリーンに光っている。
暗闇は妄想をかきたてる。平安時代の人びとは「もののけ」におびえた。もののけはぼくたちの心の中から生まれる。暗闇を失ったぼくたちは、妄想する力が弱くなった。
