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永江朗のオハヨー!日本語 ~広辞苑の中の花鳥風月

短期集中web連載! 手だれの文章家・永江朗が広辞苑を読んで見つけた自然を表す言葉の数々をエッセイに綴ります。

にしざかな【螺肴・西肴】

2013年03月23日 | な行
蓬莱のこと。初春の祝儀にもちいる。一説に、ニシはタニシあるいはニシン。

「蓬莱」の項を見ると、正月の飾りのことらしい。三方の上に白米を盛って、さらに山海のものをいろいろと飾る。飾ったのは、たとえば熨斗鮑(のしあわび)、伊勢海老、勝栗、昆布、野老(ところ)、馬尾藻(ほんだわら)、串柿、裏白(うらじろ)、譲葉(ゆずりは)、橙、橘などとある。野老も、馬尾藻も、裏白も、譲葉もわからないので、それぞれの項目を読んでみる。野老というのはヤマノイモ科の蔓性多年草だそうだ。イラストも載っている。馬尾藻は「海産の褐藻」だそうだ。「古来、新年の飾物、食用、肥料として用い、また焼いて加里を採る」とも書いてある。裏白はシダ。譲葉は常緑の木で、「新しい葉が成長してから古い葉が譲って落ちるので、この名がある」のだそうだ。

『広辞苑』の「譲葉」のページを読んでいて「おや?」と思った。ぼくの家の庭にある木、これは譲葉ではないか? ネットで画像を探すと、まさしくこれ。何という木だろうと思っていたのだけれども、これで疑問が解決した。その葉の落ちかたから、世代交代、子孫繁栄、家名永続のシンボルらしい。おめでたい木だったのですね。

なみのかよいじ【波の通い路】

2013年03月22日 | な行
波の上を通うみち。ふなじ。

 味のある言葉だ。航路ということだろうか。船が通ったあと、しばらくは波のあいだにその軌跡が残っている。まるで海の表面に線を引いたようになる。海水は不定形なものなのに、跡が残るというのが不思議だ。

『広辞苑』には、「波の」ではじまるきれいな言葉がたくさん載っている。

「波の綾」は「波でつくられる水面の文様」のこと。さざ波が綾織物のように見えることから、こういう。

 同じく波紋でも、「波の皺」といういい方がある。しかもこちらは「年老いて皮膚にできる皺」の意味もあるから要注意だ。たとえばひそかに加齢を気にしている人と海辺でデートしていて、「波の皺がきれいですね」なんていうと、「私って、そんなに皺が目立つかしら」とショックを与えたりして。

「波の標(なみのしめ)」は「波を、張り渡した標にたとえていう語」とある。「標(しめ)」はしめなわや、土地の境界を示すために杭を打って縄を張ったもの。白い波頭はしめなわに見えなくもない。

「波の鼓」は波の音。

なつうたうものはふゆなく【夏歌うものは冬泣く】

2013年03月21日 | な行
暑い夏、働かずに歌い暮すものは、冬になって飢えと寒さとに泣く。

 まるで「アリとキリギリス」みたいな諺だ。それとも、イソップ物語の「アリとキリギリス」をヒントに、この諺ができたのだろうか。

 ぼくは自分のことを、毎日コツコツやるアリ型人間だと思っていた。しかし学生のころはいつも遊んでばかりいて、試験の直前になって泣きそうになりながら一夜漬けしていた。ライターになった今も、締切が来てから原稿の準備を泣きながらしている。どうやらぼくはキリギリス型だったらしい。

 でも、冬に泣くことになるから、夏のうちにせっせと働け、というのは正しいとも思えない。だって、冬が来る前に世界が滅びるかもしれないし、自分ひとりが死んでしまうかもしれないではないか。だったら、夏のうちに歌えるだけ歌い、冬のことは冬になってから考えればいい。暑いのに無理して働いて過労死してはつまらない。

 それに、昆虫の専門家によると、アリは全員が一所懸命はたらいているわけではないそうだ。アリにもサボっているヤツがいて、でもアリの集団全体にとっては働かないアリにも存在理由があるのだそうだ。

なくねこはねずみをとらぬ【鳴く猫は鼠を捕らぬ】

2013年03月20日 | な行
よくしゃべる者はかえって実行しないことのたとえ。

「巧言令色鮮仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」みたいなものか。とかくおしゃべりな者は軽蔑される。

 しょっちゅう同僚に「こんな会社、辞めてやる」とか、「オレ、会社を辞めようと思っているんだけど」なんていう会社員ほど、なかなか辞めないものだ。何度も「辞めてやる」を聞かされてうんざりした後輩が「そうですか。じゃあ、来週、送別会を開きます」と、すぐさま会場を手配して社内に告知し、当人が辞めざるを得ない状況に追い込んだ、という話もきいたことがある。

「辞めてやる」と口癖のようにいう人は、誰かに引き止めてもらいたいのだし、引き止められることで自分の存在価値を確認しているのだろう。つまり自分に自信がないのだ。自信を持っている人はいちいち騒ぐことなく、とっとと辞めてしまう。

 ただ、「鳴く猫は鼠を捕らぬ」は、違う意味にも解釈できる。猫が鳴くことによって、鼠は隠れてしまう。だから鳴く猫は鼠を捕ろうにも捕れないのだ。鳴く猫に悪気はなく、たんに正直なだけ。警戒心がなく正直な人の愚かなふるまいを、誰が非難できよう。

なきちらす【鳴き散らす】

2013年03月19日 | な行
鳥が鳴いて、その羽風で花などを散らす。

 泣きわめいて、身の回りにあるものを蹴散らすことかと思ったらそうではない。よく見ると「泣き散らす」ではなく「鳴き散らす」なのである。

 鳴いただけで、花が散るほどの羽風を生じるなんて、どんなに大きくて強い鳥なんだ。おまえは怪鳥ギャオスか、などと突っ込みたくなるが、たぶんそういうことではないのだろう。鳥が木に集まってさえずっているとき、ちょうど花びらもはらはらと落ちて、まるで羽風で散っているようだ、と思ったのだろう。そうじゃなきゃ詩にならない。

 鳥の鳴き声を聴いて、かわいいとか風流だと思う人もいれば、騒音だと思う人もいる。また集まってくる鳥も数羽ならいいけれども、数百、数千となると、うるさくも感じるだろう。

 ツグミが集まって鳴き声がうるさく、糞もたくさん落ちて困るので、街路樹の枝をぜんぶ切ってしまった街がある。枝のない街路樹は、電線のない電信柱が等間隔で並んでいるようで、怪奇SFにでも出てくるような不気味な風景になっている。鳥が集まるのは迷惑だから、集まらないように木を切ってしまえ、という思考の単純さにちょっと笑える。