日本のこと、日本人のこと

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一ファンが垣間見た         12代目市川團十郎の素顔

2013-02-27 14:38:29 | 観る、聴く楽しみ

= 六代目市川新之助の頃 =
三之助時代
 12代目市川團十郎の舞台を随分観てきたが、真剣勝負の意気込みを感じさせる姿を見る度にいつも思い出す舞台がある。
 市川新之介の頃、現七代目菊五郎の菊之助、現松緑の父親で早世した尾上辰之助、新之助が三之助と呼ばれ当時の若い女性ファンの人気を集めていた。その三之助が尾上梅幸の「娘道成寺」の所化で舞台の袖で梅幸の花子の踊りを見ている場面で、菊之助と辰之助がなにやら内緒話をしている様子。名うての酒豪の二人だけに、跳ねてからどこか行こうかなどとと相談している風にも見えるその横で、新之介だけが大きな目を見開いて食い入るように梅幸の踊りを見つめているではないか。

二十歳そこそこで市川宗家の重責を
  本当なら、梅幸の踊りを見ていなければならないのは息子菊之助であるはずだがとも思ったが、その数年前、父11代目團十郎が亡くなり、弱冠二十歳そこそこで市川宗家の重荷を一身に背負うことになった新之助としては“修行あるのみ”の心境なのだろうと思わず胸が一杯になったことを思い出す。あの時の真剣な眼差しは、團十郎になってからも変わらぬままであった。
 

= 團十郎の芸談を聴く会 =
舞台での失敗の話
  市川團十郎の芸談を聴く会があり、参加した。舞台と同じ真面目な話しぶりで復活狂言の苦労話などもあって、客席からの質問を受けた。さっと手を挙げた女性が「舞台での失敗の経験は?それはどんな?」の質問に團十郎がどんな反応を示すか、笑いと共に参加者の目が一斉に集中した。

 ざわめきが治まったところで、やおら團十郎が「勧進帳の弁慶の時でしたが、山伏問答に入って富樫の“仏徒の姿にありながら、額に戴く兜巾はいかに”に“即ち、…”と受けるべきところで、瞬間頭が真っ白になり、何も出てこない。」「仕方なく、黙っていると、やむを得ず富樫が“重ねてお尋ね申す。仏徒の姿にありながら…”と畳みかけてくるが、頭はが真白になったまま、ただ富樫の顔を睨んでいるより仕様がない。正に弁慶の立ち往生でした。

勧進帳だけに
 更に繰り替えしている内に、様子を察した番卒が、小さな声で、“スナワチ、トキンスズカケハ…”と囁いてくれたので、やっと戻ることができました。いやぁ、あの時のことを思い出すと今でも冷や汗が…」
  新作ものや初演のものならいざ知らず、成田屋の十八番中の十八番「勧進帳」の話だけに、会場は一瞬唖然としましたが、その後は爆笑また爆笑。グレイのスーツにタブカラーのワイシャツ、紺のネクタイの小さく結んで小粋に仕立てた團十郎は目玉を丸くしたまま頭をなぜながらウンウンと頷ていました。
  最近、「慣れた道ほど事故が起こりやすい」との警視庁発のニュースを耳にし、“そうだったんだぁ”と成田屋さんの立ち往生の話を思い出しました。

= 京都南座の弁慶 =
顔見世にで5年連続「勧進帳」 
 京都の娘さんたちが、これを観るために毎月貯金をすると聞く京都年末恒例の南座の顔見世は10月の名古屋の御園座、11月の東京の歌舞伎座とは異なる一段と華やいだ気分があり、出演する役者を紹介するマネキ看板が劇場正面に掲げられるだけのことが「顔見世のマネキが上がる」とニュースになるくらいである。東西の名優が揃い、劇場の独特の雰囲気もあって、歌舞伎鑑賞の一年の総仕上げに相応しい舞台である。
  その顔見世で「勧進帳」が続き、先斗町のスナックのママ達までが「マタカの関やのうて、マタカマタカの関や!」と口さがない。公演記録によると昭和60年團十郎、61年吉右衛門、」62年富十郎、63年孝夫、平成元年團十郎と5年連続の勧進帳である。定番の人気番組と言え、年に一度の折角の顔見世、少しは違う演しものをと嘆くのももっともである。

芝居が跳ねて先斗町
  平成元年、5年ぶりで顔見世で見せた勧進帳の弁慶はなかなか立派で、難のあった声も段々に耳慣れてきて、楽しい芝居であった。芝居がはねて、劇場前の信号を北に渡り、そこを左に。四条大橋を渡って、先斗町に入る。その狭さが丁度良い先斗町の通りを芝居の余韻を楽しみながら3条に向かって歩いていると、足早に追い越して行く人がいる。後ろ姿ながら頭の形が何となくそう思われたので、「成田屋さんだっ」とつい声が出てしまった。その声が耳に入ったのか、振り向いた顔はまさしく12代目市川團十郎、「立派な弁慶でしたなぁ。ごちそうさん」と思わず口に。大きな目玉の優しい笑顔を見せながら、軽く会釈をされて、誰が待つのかいそいそと行ってしまわれた。

数々の苦難を肥やしに大きく           12代目のご冥福を
   團十郎を襲名して5年経ったあの頃が、今思えば、12代目が一番幸せな時であったかも知れない。それからまもなく、バブルが弾けて保証人問題が発生したのが苦労の第一弾。更に長男海老蔵の事件、それに白血病との戦いと尋常ではない苦難が訪れる。そんな苦労を表に出すこともなく、むしろ肥やしにして、人間としての重みを感じさせる大きな役者になった。息子海老蔵の光源氏での明石入道。抜群の存在感があって、宝塚の源氏物語とは異なる大人の源氏物語にしていたのはひとえに12代目の存在であった。
  新之介から海老蔵、そして團十郎と、かれこれ半世紀、舞台を楽しませて頂いた12代目市川團十郎ともいよいよお別れである。

ご冥福を心から祈る。



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