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花火大会の風物詩                                浴衣姿の復活目立つ

2014-07-26 21:56:14 | 世界の中の日本

夏本番、花火大会 あちこちで                             浴衣姿の二人連れ
  夏休み入りの最初の土曜日の今日、日本のあちこちで花火大会が開催される。東京でも隅田川花火大会、立川まつり国営昭和記念公園花火大会、八王子花火大会と真っ盛り。
 花火大会を若い二人連れが浴衣姿でが流行し始めて、かれこれ10年ほどにもなるのであろうか。“花火は浴衣で”の影響か、一時は若い人には、特に男性には見向きもされなくなった着物姿が緩やかではあるが復活の気配を見せているのは結構なことである。
 
京都北野天満宮と「粟餅」
 5月の連休明け、同窓会や法事でのふるさとからの帰りがけ、訳あって京都で途中下車した。訳あってと言うと大仰だが、“来春お受験を向ける高3と中3の孫のために学業の神様北野天満宮のお守りを頂いて帰りたい”ただそれだけのことだが、実はもう一つあって、北野天満宮正面の澤屋さんで“きな粉の香り一杯の粟餅”を久しぶりに食べてみたいと気楽な話。
  時節柄、修学旅行の生徒たちで列をなしていたが、近頃はスッカリ定着したタクシーによるグループ行動のメンバーが多く、一グループずつ運転手からお参りの作法を教えてもらい、神妙な顔をして両手を合わしている姿が印象に残った。神社でのお参りの作法などというものは親が教えるものと思っていたが、そうでもなくなったようだ。
 澤屋での粟餅は40年前も10年前も変わらず、粟餅を手で丸めているご主人とご子息もお歳を召した感じもなく、優しい笑顔もいつもと同じ温かさであった。手作りの場面を孫に見せたいからと写真を撮らせてもらった。北野天満宮の学業成就のお守りと一緒に届けた粟餅は孫達に大好評、。手作りの場面の写真がひと味も二味も添えたようである。

修学旅行で着物を着て京の街を歩く             お洒落な中学生
  そのまま、3条河原町へでて、4条通りへ ブラブラしていると若い娘さんの着物姿がチラホラと。近頃流行という“京の街を着物姿で歩こう“の人達に見えた。高瀬川を渡り、四条大橋の東詰めに全員着物姿の6人グループを見かけた。どう見ても修学旅行の生徒さんに見えるが、“それにしても全員着物とは?”。思わず声を掛けてみた。千葉の中学生で、自由行動のテーマに『京の街を着物姿で歩く』を選んだという。中学生まで着物人気が言わないまでも、和の文化への関心が高くなってきたのではと思われて嬉しくなり、南座をバックに写真を撮らせてもらった。近頃は中学生と言っても体格も良く、女性の方は、幼い時から着る機会もあり、着慣れていることもあってか、着物姿がよく似合うお嬢さん方であった。男性の着流しは一応形になっていたが、着慣れないこともあろうし、面ファスナーで留める角帯のせいで腰の辺りがすっきりしないのはやむを得ないことなのだろうが少し違和感が。

和の人気で着物が、手軽に買えるようになったことも
 和服人気の切っ掛けは花火大会がデートコースの定番になったことあたりだろうが、浴衣と帯と草履の3点が1万円ほどで買えるようになったことも大きい。また、これまでは、着物と言えば小物も揃えるとなると10万や20万円でもかなり厳しかったが、中古の着物を扱う店が増え、手軽に購入できるようになったことも大きい。4~5万円も出せばチョットしたものが買える。それを買って、仲間と京都を歩くなどというのが流行らしい。この春、京都でそんなグループに幾組か出会った。
 富士山、和食、ジャパニーズ・カルチャーなど日本の文化の見直し、回帰といったことが背景にあるのだろうが、身近に手軽に参加できるようになったことの影響が何よりも大きい。

気になる男の貼り付け角帯
  そんな動きに水を差すようだが、折角のチャンスだけに男性の着付け、特に帯結びに注文を付けたい。問題は面ファスナーで留めるだけの角帯である。マジックテープとか、ベルクロと呼ばれるこの代物はしっかり締め付ける役は果たせない。少しねじれたりすると簡単に外れてしまう。近頃見かける若い男性の角帯が締めれると言うより、腰の周りにチョコンとただ乗っかっているだけのように見えるのは気のせいではない。締めているのではないからだ。確かに角帯を締めるのには慣れが必要であるが、慣れてしまえば帯一本で腰回りをしっかりさせてくれるからこんな楽なものはない。第一安心である。慣れる手間を省いた結果の手軽な解決が『貼り付け帯』である。呉服屋の戦略であろうが、あくまでも入り口戦略で、いつまでもそれしか無いでは、反って着物文化を壊すのではと懸念する。

明治維新以来一般化した兵児帯                      本来の角帯に戻って30~40年
  男性が普段の着物姿の折でも角帯を締めるようになっのは30~40年目前からで、それまでは幅広の絞りの兵児帯が普通であった。兵児帯は薩摩の兵士が着けていたものが始まりで、明治維新で普及し、普段使いとして定着していたものであるが、正装は角帯とされていた。戦後は兵児帯が普通の帯結びあり、総絞りで幅広の兵児帯の大旦那、白地に小粋に小さく結んだ兄貴分などだけではなく、一般に着られていた。角帯姿は街であまり見かけなかったように思う。もっとも、兵児帯はしっかりと締めるというより言わば飾りで、締めるのには細紐を使った。それで十分役にったったから、懐に財布などを入れても何も問題は無かった。この頃は兵児帯は子供や女性の帯飾りとして使われるのが普通のようである。

男物の和装小物いれ  信玄袋
  先日、スーパーの着物売り場の横を通ると男性用の和装小物入れが結構展示されているのに気がついた。言わば、信玄袋であるが、これまでは和装小物店や呉服店でしか手にはいらなかったものだ。これも流行かと思ったが、現在の角帯状況では必需品であることに気がつ付いた。兵児帯であろうが、角帯であろうが、着物の懐と袂でほとんどの携帯品は収納できる。懐の内側の肌近くに財布、この出し入れは俗に懐手で内側からするので、掏られる心配はない。前合わせの所に手ぬぐい、袂には小銭入れや車や家のキーなどを軽いものを入れる。小銭入れが満杯の時は袂に入れると重くて形が崩れるので、懐に入れることになり、これに大きなスマフォとくると、小物を入れる袋が欲しくなる。

貼り付け角帯では懐に収納は危険
  もっとも、貼り付け角帯をしている場合は懐はモノを入れる場所として、これほど不安定な場所はない。いつ解けるか判らない不安がつきまとう。財布など大事なものを落としたりすれば大事だ。そう言えば、京都で出会った中学生も皆小物入れを持っていたのを思い出した。帯が締まらないから小物入れがいるというのも変だなと思うが、洋服の場合は、ポケットにモノを入れないのがオシャレで型崩れもしないというから、そちらの方からの発想かも知れない。私自身の気持ちとしては財布やキーなど落として困る大事なものはできるだけ身に付けていたい。

兵児帯から着こなしの訓練を                       目指すは粋な着こなし 
 話を男の着物帯に戻そう。貼り付け帯のユルフン感、だらしなさは袷など秋冬ものを着るようになると余計目立つ。浴衣くらいは兵児帯で始め、帯を締める事も含め、着物の着崩れなどにも手が届くように、まず着物を着慣れることから始めることを提案したい。貼り付け角帯のゆるゆる着付けでは着崩れするのが当たり前で、着慣れることすら難しく、着こなしの訓練にもならない。どうしても角帯を締めたいのなら。木綿のものなら3~5千円程度で手に入る。浴衣なら木綿が丁度良い。出かける時は時間のゆとりを見て、ゆっくりと着付けするくらいの気持ちで取り組むことをお薦めする。着物を着るなら浴衣から本格的に着こなしを身につけて欲しい。
 ボチボチ本日の花火は打ち上げになったようだ。次は31日がピークらしい。結構長い夏、夏祭りも、夜店もある。浴衣を着る機会は山ほどある。日本のダンディならまず浴衣を粋に着こなしたいものだ。

 



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