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「新・夢であいましょう」を観て      大人が楽しめるヴァラエティー番組を期待する

2013-08-24 21:10:58 | 世界の中の日本

新・夢であいましょう」を懐かしく
 昨夜8月23日午後8時から懐かしのヴァラエティ番組「夢であいましょう」が復刻版「新・夢であいましょう」として47年ぶりに放映された。1961年4月から5年間、毎週のように見ていただけに実に楽しく拝見した。 
  放送開始当時の司会は中島弘子さん。確かデザイナーと紹介されていたような記憶がある。「皆様こんばんわ」と首をチョコッと曲げて挨拶するその仕草と品の良い笑顔が人気だった。中島さんが結婚されて司会は黒柳徹子さんに替わった。出演者も渥美清、谷幹一、E・H・エリックなど、個性豊かなメンバーが揃っていたが、もうこの世にはいない。

数々の名曲を生んだ六・八コンビ
   永六輔作詞、中村八大作曲の六・八コンビで毎月発表される『今月の歌』の中から「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」「幼なじみ」など数々の名曲が生まれた。その中には、益田喜頓が唄った「娘よ」のようにそれほど有名にはならなかったが、心に残る唄もあった。後に芦屋雁之助が「娘よ」を唄って大ヒットしたが、まったく趣の異なるものである。
   エンディングで歌われる「夢で逢いましょう」はいろんな歌手が唄っていたが、坂本スミ子の唄が一番好きだった。

永六輔さん監修で47年前の雰囲気そのままに
  昨夜は当時番組企画に携わっていた永六輔さんが監修とあって、47年前の雰囲気をそのままにしながら、天海祐希の進行役、伊東四郎や柳沢慎吾などでショートコントをつないでいく。唄では岩崎宏美などが、また今月の唄ではさだまさしが被災地に向けたメッセージを込めて作詞作曲した「死んだらあかん」を笑福亭鶴瓶が唄う。この唄、始めて耳にするが鶴瓶の人柄にあって、中々のものであった。
 久しぶりに耳にするエンディングの「夢であいましょう」はさだまさしと高橋真梨子のデュエットだがしんみりと懐かしく聞いていた。
 
今、何故、ヴァラエティー番組が不作なのか?
 見終わって、最初に、「最近、なぜ、内容のあるヴァラエティー番組が制作されないのか ?」と思った。コメディアンにしろ、歌手にしろ、出演者に事欠かない。もちろん渥美清、谷幹一など個性豊かなタレントはいないが、企画、演出も含め、すべての分野に言えることである。もっとも人材不足は考えようでそれは障害になることは少ない。

制作環境は大幅に好転しているのに
  半世紀前と比べ有利なこともある。国際化が進んだ結果、スタッフやロケも世界から調達できることで企画の幅がうんと広くなったこと、映像技術の進歩で生放送の限界がなくなり、多種多様な企画対応が可能になった。また、主演者の地力に頼ることの多い歌唱力や演技力は別にして、ヴァラエティに彩りを添えるダンスの分野は格段にレヴェルが上がっている。

どのTVもワイドショー、グルメ、観光           ファッション
  近頃のテレビは面白くない。という声は多い。確かに、売れたこともあったタレントと○○大学教授などの有識者らしい肩書きを持った者や○○評論家も加わって、新聞記事などをネタに、妙な正義感を振りかざした言いたい放題のワイドショーには皆うんざりしている。                 一頃は人気番組であった歌謡番組も、ダンサーの踊りを背景に、それなりの歌手が順番に唄うだけで、どこに工夫の跡があるのか悩む。あとはファッションやグルメ、観光案内に料理などがテーマの“紹介ともPRともとれる?”番組で、それが企画としてまかり通っている。一時は文化の先導役であったテレビが今や日本文化の退廃を先導している感さえある。

三権に対抗し国民の権利を守る             マスメディアに期待
  アベノミクスなどと目眩ましされている間にも国民の権利が浸食されていくようだが、それに気づかぬ間に国民の感性の退化が進み、どんどん先がなくなっていきそうな我が国である。そんな危機に立法、行政、司法の三権に対抗できるマスメディアが世間に媚び、安易な効率経営に走るようなら日本の将来は暗い。
 「新・夢であいましょう」を契機にテレビに知的で大人が楽しめるテレビ番組が再出発することを期待する。残念ながら民放は視聴率やスポンサーへの配慮など制約が多い。今の環境では国民がスポンサーであるNHKにテレビ放送改革の先導役をお願いしたいものである。何よりも、大人が楽しめるヴァラエティー番組の誕生を期待したい。


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