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父親としての團十郎の夢

2013-02-28 15:08:25 | 観る、聴く楽しみ

海老蔵が父團十郎と初めて酒を飲んだ時 
  12代目市川團十郎の葬儀・告別式の後、息子海老蔵が父の想い出を語った中に「父と一緒に始めて酒を飲んだ時、“孝俊さん(海老蔵の本名)、有り難う。”と言ってくれた。父の話では11代目團十郎が早世したため、父親と一緒に酒を飲んだ経験がなかったと」。

「父と盃を交わす、息子と酒を飲む」という           男の子や息子を持った父親の夢
 父親と盃を交わす。息子と一緒に酒を飲む。それは男の子の小さい頃からの憧れであり、息子を持った父親の夢である。私も社会人になった冬、父のお供で行きつけの小料理屋に行き、初めて一緒に酒を飲んだ。先方は心得たもので「あんまり似てらっしゃるので弟さんかと思いました」などと言うものだから、すっかり喜んでしまって、出てくる料理の蘊蓄を嬉しそうに話したのを想い出す。
 息子が産まれた時、“この子が大きくなったら一緒に酒を”と夢見たこともあったが、高校卒業して一浪中に病に冒され、いまだに病んだままであり、その機会を得ていない。いつか良くなった時はと儚い希望を抱いているが、叶わぬまま終わりそうだ。そんなこともあって、娘が結婚し、婿殿と仕事の帰りなど待ち合わせて飲むのがとても楽しかったが、その婿殿とは離婚した。新しい婿殿は酒をあまり嗜まないタイプで一緒に飲めるのは珈琲くらいである。皮肉なものである。もっとも、この空しさは私の我が儘で息子や娘の責任ではない。 

淋しかった新之助の頃から30年経って 
 先日のブログで梅幸の「娘道成寺」に当時の三之助が舞台袖で花子の踊りを見物する所化で出演した時、菊之助と辰之助が梅幸の踊りを見ながらひそひそ話をしているのを他所に、、梅幸の踊りを一人食い入るように観ていた新之助の姿を紹介した。あの時の新之助は子供の頃からの夢が叶えれないまま父が早世した自分に比べ、芸の師匠でもある父親と酒が飲める菊之助、辰之助の二人が羨ましくもあり、妬ましくあり、その想いが梅幸の花子を観る目に現れていたのだろうと思う。
 それから10年余り経って海老蔵が産まれ、更に20年、合わせて30年ほどの間に膨らんだ気持ちが“孝俊さん有り難う”になったのだと思う。その喜びは想像するに余りあるが、羨ましくもある。

苦労するために産まれてきたような
 12代目の辞世は『色は空 空は色との 時なき世へ』という。昨年12月入院中にパソコンに記されていたという。おそらく覚悟してのことであろう。熊谷陣屋の幕切れ、熊谷次郎直実が『今ははや なに思う事なかりけり 弥陀の御国へ 行く身なりせば』と読むが、同じ心境であろうか。
 梨園の名門中の名門の長子として産まれ、芸の修行は兎も角、何の苦労もなく過ごせる一生の筈が、若くして父親を亡くし、その後も苦難危機の多い人生であり、正に“苦労するために産まれてきたような”身の上となった。その苦労が芸の肥やしとなり、人柄の厚みとなって、歌舞伎界に大きな遺産を残してくれた。願わくはあの世で父11代目と盃を交わしながら、息子海老蔵の成長や伝統芸能歌舞伎の隆盛を見守っていて欲しいものである。改めてご冥福を心からお祈り申し上げる。

 



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