三津五郎休演!!
十代目坂東三津五郎が膵臓に腫瘍が発見されたことで、予定されていた9月の新橋演舞場への出演は休演と発表された。「早期発見出来たことは膵臓の病気としては大変幸運なことだそうです。この病気の更なる検査、完治に向けての治療のためしばらく三津五郎にお時間を頂戴したく存じます。この度は急遽の降板となりましたこと、誠に申し訳ございませんでした。何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます」とコメントしたと産経ニュースであるが、完治を心から願う。
歯切れの良い台詞に 踊りで鍛えた動き
昭和37年9月に五代目坂東八十助を襲名し、平成13年1・2月の歌舞伎座で「喜撰」の喜撰法師、「寿曽我対面」の曽我五郎などで十代目坂東三津五郎を襲名した。江戸前の歯切れの台詞に踊りで鍛えた動きの良さが魅力で、とにかく何をやらしても上手い。義経の気品も、蘭平の立ち回りも得意。もう少し上背があれば、言うこと無し。
耳に残る十七代中村勘三郎への弔辞
この冬に急逝した17代中村勘三の葬儀の弔辞での「舞台の芸術というのは悲しいね。二度と貴男の演技をみることはできないのだから…」の言葉が記憶に残っている。70歳前後の菊五郎、幸四郎、吉右衛門、仁左衛門の次の歌舞伎界を担う者として勘三と共に期待されている三津五郎だけに、今日のニュースは驚きだった。まして部位が膵臓とあってはタチが悪いと一瞬頭をよぎったが、幸い、早期発見とのことであり、やや安堵した次第。
七代目、八代目、九代目三津五郎
踊りの神様と言われた七代目の舞台はビデオで知るのみだが、歌舞伎界きっての理論派でその学識を何冊かの名著に残している八代目の舞台は「忠臣蔵」の師直や加古川本像蔵、「封印切」の八右衛門などで観ている。昭和36年大阪中座で延若の団七の「夏祭浪花鑑」での義平次、細い脚を蛙のようにむき出して歩く様と言い、団七にお尻を突き出して屁をかます憎々しげな演技などが、「オヤジサン、悪いゾエ、悪いゾエ…」という延若の少し粘りげな声と共に今でも生々しく記憶に残っている。九代目は「すし屋」の弥左衛門や「石切梶原」の六郎太夫など、実直な老け役が多かったように思う。
歌舞伎役者は「声・振り・姿」 三拍子揃った十代目三津五郎
十代目三津五郎は12月歌舞伎座では師直での出演が予定されているが、基本は二枚目で、すっきりとし役どころが似合う。
歌舞伎界では「一声、二振り、三男」と言って、役者で一番大事なのは、声の質や発声や台詞廻しなどの口跡が何よりも重要、つまり「一声」。二番目の“振り”は仕草、身体の動きで、美男子などという外見は三番目である。役者に求められる演技力を分解すれば台詞廻しなど言葉で表すものと目の動きや顔の表情、手足の振りなど身体の動きで現すものとになるのだから、「一声二振り」というのは順当なランク付けである。
三津五郎休演は休養と充電の期間と前向きに
十代目三津五郎は声良し、振り良し、姿良しの三拍子が揃った恵まれた役者であり、17代目中村勘三の急逝後は、中堅のリーダーとしても、一段と成長が期待されていた所に降って湧いたようなこのアクシデント。一旦はショックだったが、三津五郎にとっては神様が与えた充電期間として遠慮なく休養できるチャンスと前向きに考えてみたい。
一挙に手薄になった役者陣が更に手薄になることも
歌舞伎座休演の3年の間に芝翫、富十郎、雀右衛門など大幹部を失い、開場直前には團十郎、勘三が急逝して、一挙に手薄になっただけに、残された役者陣に掛かる負担が重くなりすぎことを懸念する声は多い。さらに中堅のリーダーであり、何でもこなせる三津五郎の休演は痛いが、これを契機に松竹としては役者の健康管理に一段の注意を払ってほしい。新歌舞伎座の建築費と3年間休場の逸失利益は大きいが、それ一気に挽回しようと役者に負担を掛けすぎるのは胴欲というもの。松竹が利益を上げられるのも役者という財産があっての事、金の卵を産む存在である。
伝統芸能歌舞伎を守るために役者の 健康管理を意識した興行計画を望む
松竹が創業以来守り続けてきた伝統芸能が今花を咲かせているが、これを守り続けるのは松竹の義務である。今や12ヶ月歌舞伎公演が定着している歌舞伎座だが、看板役者が手薄になっているだけではなく、歌舞伎味を色濃くしている脇のベテランの高齢化も気になる。今後の動向によっては歌舞伎役者の健康管理のため、数十年前に時計の針を戻し、公演回数見直すくらいの決断をすることも時には必要になるかも知れない。政府が躍起になって売り込みを考えているクールジャポンの背景にも歌舞伎などの伝統芸能があることも忘れてはならない。歌舞伎は日本が世界に誇る宝であり、それを維持し、更に発展を図る国家的な役割を松竹が背負っていることにも心してほしい。それが松竹の経営を盤石にすることにもなると考える。
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