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老いの発見 その2 ドレスコードと日本の常識

2014-08-24 15:19:02 | 世界の中の日本

芳村真理さんの黄八丈
 芳村真理さんがカンヌの映画祭に出席したとき、黄八丈の着物を着て授賞式に出た事が話題になったことがあった。「そんな席に紬を着るなんて」という声や、財界の口うるさいお爺さまが「下町の娘が着るような着物を着てッ」と言ったとか、言わないとか。別の映画祭の時、受賞した小山明子さんがご主人の大島渚監督と振り袖で姿で出席した。フランス人には大好評であったらしいが、「振り袖は嫁入り前の娘が着るもの」と批判が続出したと聞く。財界のお爺さまが女優の着物姿を論評できた時代、今思えば、それだけ着物文化が定着していた時代でもあったと言うことだ。

服装に関する決まり事について
 服装に関する決まり事はいつの時代にもどこの国にもある。民族衣装となれば尚更だ。身分や階級を現すものであったり、宗教上の決まりであるものもあるが、決まり事の多くは、結婚式や葬式などの儀式に関するものである。また公務やビジネスなどの世界で、くだけた服装は避けて畏まった服装の方が良いとの判断からできたルールめいたものもある。

昭和の初めまで女性の喪服は白だった
  服装に関する決まり事は時代の変化と共に変わっていく。伝統行事と言いながら、さほどに古くからのものでないことがあるように、民族衣装とて不変ではない。近頃の葬儀ではご婦人方が和装の場合、黒の喪服が定番であるが、昨年末、逝去された18代目中村勘三郎さんの葬儀で勘三郎夫人が白の喪服をお召しになっていたのが目についた。昭和の初期まではご婦人の喪服は白であったようで、今、人気の朝ドラ「花子とアン」で花子の愛息歩君が疫痢で急逝、その葬儀に花子さん以下ご婦人の喪服は白であった。江戸時代から続いていたのであろうが、女性の洋装が当たり前になった昭和初期のころから、洋装の場合、女性も喪服は黒なので、その影響で変化したと思われる。

TPOへの配慮は世界の共通ルール
 国毎にそれぞれの気候や環境のもとで築き上げてきた固有の文化があるだけに、服装に関するルールも異なるのは当然であるが、世界共通でいつの時代でも通じるものはTPOへの配慮だろう。Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)の略語で、“「時」、「場所」、「場合」を考慮した服装や言葉遣いや振る舞いに心を配ることは、大人の人間として大事なことであり、心得るべきことである。

よそ行きや普段着
  服装のTPOを日本では『はれ』と『け』という言葉で区別していたと聞く。『はれ』は「晴れ着」「晴れの舞台」などの“晴れ”で、結婚式や祭礼などに着る、改まった服装であり、普段の生活を『褻(け)』と言った。もっとも、その言葉を耳にしたことはない。似た意味の言葉として、『よそ行き』、『普段着・常着(つねぎ)』と使った。また、『野良着、仕事着』という区別もあった。『遊び着』はどちらかと言えば子供用が出発点であり、大人が使うようになったのは男のオシャレがごく普通の時代になってからのことだろう。

グローバル化、情報化社会で  “何でもあり”に
  改まった時用、仕事用、普段用といった区分はフォーマル、ビジネス、カジュアルなどと言い換えられているが、考え方は同じだ。とはいえ、時代とともに個々の中身が変化していくのはやむを得ない。特にグローバル化が進んだ現代は情報の伝播が早い上に、個人の裁量範囲が広くなったこともあって、良く言えば「多様化」、歪んでみれば「何でもあり」の時代になっている。欧米を中心とする先進国だけでなく、アジア、中南米の各国が経済力を付け、国民の生活が全般に豊になってきたことから、オシャレを楽しむ人達が多くなり、グロ-バルに互いに影響しあうことから多様化が促進されたことが“何でもあり”につながったのであろう。

“よそ行きの場”の多様化・拡がりが
 また、オシャレを楽しむ場、よそ行きを着て行く場所が多様化している事も「何でもあり」の背景にある。クラシックコンサートやバレー観賞、歌舞伎観劇の服装に大きな差はないが、サザーンやAKBの舞台では場違いも甚だしい。そんなことから、よそ行きの服装も多様化することになったが、その影響で本来畏まるべき服装のルールの規範がぐらついてきたのが昨今である。最近、パーティーの案内やレストランなどで“上着着用”などとドレスコードを明示するようになったのも、雰囲気を大事にしたい主催者や店側の防衛策とも言える。また、参加者も迷わずにすむので便利とも言える。

セミフォーマル辺りの服装は
   そんな中で、フォーマルは別にして、セミフォーマルやビジネスの場も含めて、畏まるべき時の最低基準に関する暗黙の同意ができてきたように思う。私の一人合点の可能性もあるが、男性はスーツにネクタイ、シャツアウトは×。女性はワンピースかスーツ、パンツはスーツならかろうじてOK。というところが私の理解している所であった。女性のパンツについては、女性の活躍の舞台の拡がりと共に、次第に拡大されていき、現在はパンツスーツはビジネスの世界はもちろん、セミフォーマル辺りまではOKのようである。ドイツのメルケル首相は外交の席などでもパンツスーツをお召しになっているのをテレビなどで拝見する。

朴大統領がローマ法王のお迎えにパンツで
 そんな認識でいたところ、先日ローマ法王が韓国を訪問された際、空港まで出迎えられた朴大統領が薄いピンクのジャケットにグレーのパンツをお召しになっていたので、少し驚いた。例のセウォル号の痛ましい事件の際はスーツをお召しになっておられていた記憶があるだけに、瞬間「アレッ」と思った。ローマ法王をお迎えするのに、ジャケットとパンツとは思ったが、一国の大統領がローマ法王をお迎えするのにグローバルスタンダードを無視する訳がない。アドバイザーも居ることであり、失礼がないお出迎えをするのが当然である。それにしても…

日本の常識は世界の常識とは限らない
 そこで芳村真理さんや小山明子さんの話を思い出した。「会社の常識、世間の非常識」という言葉がある。同じように「日本の常識、世界の非常識」ということもあるのではないだろうか。まして国の文化を大きく反映した服装に関することで日本の常識を世界に押しつけても意味はない。国が変わればドレスコードも変わると考えた方が正しいのではないだろうかと思いあたった。これもまた、老いの発見である。



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