この日は、平成の御代に天皇をお務めになられた明仁上皇陛下のお誕生日。
クリスマス・イヴの前日でもあります。
そして私にとっては、年に一度の健康診断の日。
柏の駅前に出た私は朝のうちに健診を済ませ、やたらと胃酸を出したがるわが胃袋に「富士そば」の天ぷらそばを送り込み、近くの「カフェ・ベローチェ」で休息しているところです。
ここにて第69話を記し終え、執筆に4年を費やした「縁結び祈願のたび」もようやくようやくようやっと完結します。
松江にある八重垣神社にて、「縁結び占い」をしました。
占いは、半紙に硬貨を載せて池に浮かべて、半紙が早く沈めば「縁結び」が近いというもの。
私が占いをしてみると、わが半紙は先に占いをしていた女性のものよりも早く沈んでいったのです。
柏に戻った私は、いつもの遅筆ながら、「縁結び祈願のたび」執筆に取り掛かりました。
そして同年の11月22日、衝撃的なニュースが舞い込んできました。
鬼ヅモ同好会会長・かつ氏、ご成婚。
縁結びが近いというのは私ではなく、会長のことだったんだ!
これは「縁結び祈願のたび」の結びにはぴったりじゃないか! よしよし。
そう考えながら、ダラダラダラダラ・・・・・・・・・と執筆をしていきました。
執筆期間は1年を超え、北海道の旅のときに費やした2年を超えていきました。
その間には、あの恐怖の「カピバラ革命」勃発。
「権力のすべてをソヴィエトへ」ならぬ「休日のすべてをカピバラへ」のスローガンの下、休日の執筆時間は根こそぎ奪われることとなったのです。
そして「縁結び祈願のたび」から2年9か月ほどたった、令和4年の七夕。
第3王子、ご成婚。
私の遅筆のために、また新たなる縁結びを目にすることとなったのです。
そうはいっても執筆の遅さは変わることはなく、「縁結び祈願のたび」からの期間は3年を超えていきます。
そして令和5年のバレンタインデー。
第3王子嫡男、誕生。
出雲の神々は、私に直接の縁結びはなさらなかったのかもしれません。
いや、神々がくださったのはそれ以上の縁なのかもしれませんね。
この赤子の姿を見て「縁結び」の御利益を実感した私は、令和5年の間にこの旅日記を完結させなければならない!
そう感じ、遅筆ながらも少しばかりスピードアップして、ようやく12月23日にあとがきまで執筆するに至りました。
令和元年10月下旬から4年2ヶ月をかけ、「縁結び祈願のたび」ここに完結。
読者の皆様に、「縁結び」の御利益があらんことを・・・・・・!
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