鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

ムーンライトながら

2010-09-10 | 鉄道の旅


2 0 1 0 年 9 月 5 日 ( 日 )

午 前 0 時 0 1 分

神 奈 川 県 小 田 原 市

小 田 原 駅 改 札 口




小田原駅前のネットカフェで1時間半ほど時間をつぶし、ふたたび小田原駅に戻ってきました。

時刻のほどは、日付が変わって午前0時。



1日乗り放題の乗車券である青春18きっぷを有効活用すべく、日付の変わる時間を見計らって改札口を通ります。



乗り込む列車は、0時31分発の快速ムーンライトながら81号 大垣行き。
ですが今回は大垣までは行かず、途中の岐阜駅で下車します。



東海道線ホームの待合室で待つこと約20分、くだんの列車はやってきました。



生まれてはじめての撮り鉄に挑んだのですが、失敗。
停まっている列車の方向幕しか撮れませんでした。
撮り鉄は難しいのぅ。



ここで補足説明。

「青春18きっぷ」 キング・オヴ・割引きっぷ 5日分11,500円(現在は11,850円)
JR線のすべての普通電車が(快速、特快なども)乗り放題という貧乏旅行には欠かせない切符。
5日分で1枚のため、1日あたり2,300円(現在は2,370円)という破格の安さ。
ただし、新幹線や特急に乗るときは、18きっぷさんはまったく使えず、特急料金だけでなく乗車料金も取られてしまいます。

「ムーンライト」  夜行の普通電車
全車指定席ですが、指定席券は510円(現在は520円)とお安い。
18きっぷと組み合わせれば、東京から北九州の小倉まで2,810円(現在は2,890円)で行くこともできてしまいます。
そのため、特にムーンライトながらは、指定席券が完売になりやすく、繁忙期では販売開始1分で完売ということすらあったりします。

ムーンライト号は現在3路線2路線走っています。
 ・ムーンライトながら 東京~大垣<東海道線>
 ・ムーンライトえちご 新宿~新潟<高崎線・上越線・信越本線>(北陸新幹線開通を契機に事実上の廃止状態となっています)
 ・ムーンライト信州  新宿~白馬<中央線・篠ノ井線・大糸線>

ここで、ムーンライトながらに乗車する場合、東京駅の発車が23時10分。
なので東京駅で18きっぷを提示してしまうと、18きっぷを2回分使ってしまうことになります。
これはもったいないことです。
そこでながらに乗車する場合は、日付が変わって最初の駅である小田原から乗るのがベターとされています。

ちなみにムーンライトえちごは高崎、ムーンライト信州は立川が日付変更後の最初の駅です。



小田原城登城から約7時間、待ちに待ったムーンライトながらに乗車します。

押さえた指定席は通路側です。
指定席券は完売となっているため、理論上空席はありません。そして実際空席はなかったようです。

座席の並びは、【2席-通路-2席】となっています。ありていに言えば、せまい。
隣には人が座っています。隣人とぶつかる蓋然性大。
通路側の座席。
リクライニングは30度くらいしか倒れません。
車内の照明は防犯のため消えません。
なにより、5時間という微妙な乗車時間。

絶対眠れねぇな。
てか絶対寝させてくれねぇな。


さらに隣の席の男が、眠りながら徐々に体を寄せてくる始末。

睡眠を半ばあきらめて、「ケータイ国盗り合戦」で「国盗り」しながら時間をつぶすこととしました。


初めて知ったのですが、途中の浜松駅とかで30分くらい停車するのです。
おそらくは貨物を通過させる措置なのでしょうか。
なのに、乗降客の多い名古屋駅には5分くらいしか停まりません。


名古屋に着く頃には、すっかり夜が明けていました。
乗客のほとんどは、名古屋駅でぞろぞろ降りていきました。




午 前 5 時 4 4 分

J R 岐 阜 駅 に 到 着


岐阜駅で下車した人はごくわずか。
早朝の駅は、中も外も閑散としていました。



閑散とした駅前に、やけに輝く黄金の織田信長像。
JR岐阜駅北口には、バスプールが整備されててはいますが、朝飯が食べられそうな店は見当たりません。
寝不足と空腹という状況で、信長が城主であった岐阜城に挑もうということになりそうです。



【今回の乗車記録】

JR小田原駅 0時31分発
東海道線 快速 ムーンライトながら81号 大垣行き
岐阜駅 5時44分着

【移動距離】326.1Km  【運賃】乗車券 青春18きっぷ使用(不使用の場合は5,460円) 指定席券 510円

※運賃は乗車当時の金額です。




日本100名城登城の旅・第8話へ続く。


夜の小田原

2010-09-10 | お散歩


2 0 1 0 年 9 月 4 日 ( 土 )

午 後 5 時 0 0 分

神 奈 川 県 小 田 原 市

小 田 原 駅 西 口



小田原城【国指定史跡】の登城を終え、小田原駅前に戻りました。

このあとのこの日の予定は・・・なし。
いや、正しくは、小田原駅から列車に乗って西へ向かいます・・・0時31分発の列車で。

というわけで、約7時間半のあいだ、小田原の地で待機することに。



時間をつぶすべく、小田原駅周辺をぶらり。



駅西口に立っている北条早雲公像

北条早雲は、本名を伊勢盛時といい、もとは京都に住まう幕府の役人であったといいます。
彼自身は「北条」姓を名乗ったことはありませんでしたが、本稿では「北条早雲」と称します。
早雲の叔母は今川家に嫁いでおり、伊勢家と今川家はほぼ同等の家柄であったそうです。

今川家に家督相続問題が生じたとき、早雲は京より下向して問題に介入し、叔母の子である今川氏親を当主に据えることに成功しました。
早雲はこのときに駿河東部にある興国寺城を与えられました。

その6年後、隣国伊豆に攻め入り、堀越公方(伊豆堀越に御所を構えた室町将軍家の一族)足利茶々丸を滅ぼし、伊豆を制圧しました。
伊豆を本拠地とした早雲は、細かい税を撤廃するなどの手厚い民政を施したといいます。
また早雲は、一国の統治者でありながら「守護」を名乗らなかったため、彼が最初の戦国大名であるとされています。


そしてこの銅像は、老齢となった早雲が「火牛の計」で小田原城を乗っ取ったシーンをモチーフとしているようです。

伊豆を制した早雲の野望は尽きず、その矛先を相模へ向けます。
相模の要衝・小田原城の城主は大森藤頼

まず早雲は、藤頼に贈り物をするなどして親しく付き合いました。
藤頼が警戒心を解いてきたところで、早雲は国境付近で狩猟を催します。
鹿が逃げて国境を越えたため、早雲は藤頼に対し「鹿が境を越えたので、勢子(狩猟などで獲物を追い立てる役目の者)を入れさせてもらいたい」と依頼し、藤頼は承諾しました。

早雲が何度も狩猟し、そのたびに勢子を入れる。
藤頼はすっかり油断してしまいました。

そのときを見計らって、早雲はいつもどおり勢子を越境させます。
しかしこのときは、勢子に扮した足軽だったのです。
早雲は小田原城下に攻め込みます。
さらに、牛の角にたいまつをつけ、大勢の兵士が迫り来るかのように見せたのです。
慌てた藤頼は、小田原城を捨てて逃亡したのでした。


実際は、早雲の独断で小田原を攻め取ったのではないようです。
大森藤頼が、盟主の扇谷(おうぎがやつ)上杉氏から離反したため、早雲は扇谷上杉氏の要請を受けたという説が有力となっています。

攻め取った小田原城は、嫡男の氏綱に守らせます。
小田原城は北条氏の本拠地となり、代がかわるごとに拡張し、上杉謙信武田信玄も落とせず、22万の軍勢をもった豊臣秀吉も櫓ひとつ落とせなかった天下の堅城となっていきます。

さて早雲はさらに東へ。
このころになると扇谷上杉氏の勢力は衰えていました。
三浦半島の三崎城に立て籠もる三浦義同(よしあつ)は、3年もの間抗戦しましたが、

討つものも 討たるる者も 土器(かわらけ)
くたけて後は もとの土くれ


豪勇で知られた義同は、それにふさわしい辞世を詠んで最後の決戦に臨み、豪勇ぶりをあらわして自害。三崎城は落城しました。
水族館のある油壷という地名は、このときの城兵が流した血が油のようだったことからついたのだそうです。


ともあれ、早雲は一代で伊豆、相模を制しました。
早雲のあとを継いだ氏綱は姓を「北条」と名乗り、伊勢盛時は「北条早雲」と呼ばれています。




早雲公像から歩き、長居のできるファミレスを探します。
そして最初に見つけたのは、中華ファミレスのバーミアン

ここに着くたった3時間前、やはり中華料理の餃子の王将で昼食をとったので、あまり気乗りがしなかったのですが・・・このままうろつくのも暑いので、入店しました。
長居の口実としてはおなじみのドリンクバー、それととりあえずW焼餃子と唐揚げを注文して・・・・・・待機。

日本100名城の本を読んで、翌日のプランを考える。
TOEIC対策の単語の勉強。
買った絵葉書の鑑賞。
パンフレットの参照。

ひま。

この日は夜行列車に乗るため車中泊、当然お風呂には入れません。
そこで携帯の地図サイトで銭湯の場所を調べて、銭湯に入ってこようと思い立ったのでした。




午 後 9 時 4 0 分 ご ろ

バ ー ミ ア ン を 出 る


バーミアンを出て、調べた銭湯へ向かって歩き出しました。
しかしこれがこの旅しばらく続く苦難の始まりだったのです。


その銭湯は、小田原駅から約2キロのところにありました
近くに「万葉の湯」なる入浴施設があったのですが、入場料2,400円をケチり、遠くの銭湯を選択。


その途上、道を間違え、意外と人通りのない夜道にビビり、調べておいた銭湯に着いたのは午後10時25分。
銭湯の扉を開けるや、番台の翁は開口一番、

「終わりですよ」

どうしても銭湯に入りたい私はなおも食い下がったのですが・・・
さっさと寝たいであろうこの老人は聞く耳を持ちません。

さらに話を聞と、どうやらこのあたりの銭湯は午後10時でおしまいだというのです。

風呂抜きで夜行に乗りたくねぇよ~

そうだ、まだネットカフェがあった!
シャワーつきのところならば・・・!


携帯の地図で「ネットカフェ」「まんが喫茶」を検索するも、出たのは1件だけ。
さらにそこへ行っても、それらしい店舗が見つかりません。

ならば駅前をしらみつぶしに探すことにして、雑居ビルの看板を注視しながら散策。
そしてようやく1軒のネットカフェを見つけ入店。しかし、

「シャワーはありません」

これで1日目は風呂なし確定。



仕方なく、トイレに籠もる。
全身をギャツビーのペーパーボディタオルでぬぐって、不潔な体をごまかす手段をとるしかなかったのでした。