鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

ハイソフト「日本の名城」5枚目

2017-01-11 | 日記


2 0 1 7 年 1 月 4 日 ( 水 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



年明け2017年の仕事始め。
今年最初の森永ハイソフトキャラメルをおやつにいただきます。


さて本日の名城カードは・・・



????? ここは何城だ???? 見たことがあるようなないような???

桜に彩られた天守閣・・・丸亀城? いや違う。
弘前城とは瓦の色が違うし・・・彦根城のように破風は多くない・・・
見たことはないけど越後高田城かな・・・桜で有名だし・・・。
会津若松城でもないし、小田原城でもなさそう・・・。

わからないので裏を見たところ・・・

No.4 小田原城!

ああ!言われてみればそうだ!!
天守の脇っちょ(続櫓のことです)から中に入った記憶があります。


小田原城は最初大森氏の本拠地でしたが、15世紀末から16世紀初頭のあいだに北条早雲が奪い取り、以後北条氏5代の本拠地となりました。
3代目氏康の代に大幅に増築され、「難攻不落の巨城」になっていきます。
氏康の好敵手・上杉謙信武田信玄も小田原城を包囲しましたが、攻め落とすことはできませんでした。
(もっともこの2人は、10日程度包囲しただけで撤兵する「示威行為」をしただけともいいます)
北条氏が5代にわたって居を構えた小田原城は、城下町を城壁の中に置く「総構え」を形成していきましたが、北条氏の手から離れるときは来ました。
豊臣秀吉小田原征伐で、小田原城は3ヶ月ものあいだ包囲され、秀吉は北条氏の城郭を各個撃破、さらに小田原のすぐそばに石垣山城を築城するなど、持久戦の構えを見せます。
この状況で、当主・北条氏直は降伏、大名としての北条氏は滅亡しました。

小田原征伐後、関東は徳川家康に与えられました。
家康は小田原城を腹心の大久保忠世に預け、忠世死後は嫡男・忠隣(ただちか)が継ぎます。
江戸幕府が成立した後、忠隣は家康の不興を買ってしまい、領地を没収されますが、大久保氏はのちに返り咲き、明治維新まで江戸の西の守りを任されました。



私が小田原城を登城したのは、残暑厳しい9月の曇天の日。
桜に彩られた天守閣、というイメージはありませんでした。

その天守閣は、江戸時代の初めに建てられるものの倒壊。
現在の天守は、戦後に鉄筋コンクリート造りで建てられた復興天守です。



16名城の制覇まではあと11城、今年もおやつはハイソフトです。






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