先日、空港での話。
2基あるエレベーターの真ん中で列を作って乗るのを待っていた時のこと。
調度私達が列の先頭で、後ろに15人くらいの人が並んでいたんだけど、不意に私達の隣(エレベーターの真ん前)にベビーカー2台を押した親子連れが並んだ。
ちょっと微妙な空気...。
こういう時黙ってられない私は「あの、みんな後ろに並んでますけど...」と声をかけたら
女性(お母さん)がエレベーターの車椅子用のボタンを指さして「ベビーカー」と一言。まったく表情を動かさずに答えた。
一瞬、意味がわからなかったけど、つまり「ベビーカーは車椅子と同じで優先的に乗る権利がある」ということだったんだろう。
で、結局エレベーターが全然来ないので、その人達はエスカレーターで上がり、急いでいた私達も諦めてエスカレーターに乗ったんだけど、胸の中にモヤモヤしたものが残った。
私は あのボタンは単に車椅子の人が押しやすいように設置されているんだと思っていて、車椅子優先という意味には解釈していなかった。
確かに、ベビーカーだから優先されてもいいんだと思う。
でも、私だったらたぶん列の後ろに並ぶ。
義姉達は「車椅子だったら譲るけど、ベビーカーは違うんじゃない。」と言っていた。
私は車椅子の生活をしたことがないからわからないけど、車椅子生活だったとしても一応列には並ぶんじゃないかな。
前に並んでいた人が譲ってくれたら ありがとうと先に乗らせてもらうだろうけど。
うーん、どうなんだろう?
車椅子だから、ベビーカーだから 階段では上がれない、エスカレーターにも乗れない。
だから優先的にエレベーターに乗る権利がある。行列を無視しても構わない。
そうなんだろうけど、何か違う。
列に並んでいる人の気持ちを考えたら、やっぱり”ありがとう”の気持ちがほしいと私は思う。
逆に、車椅子やベビーカーの人が列に並んでたら”お先にどうぞ”とみんなが譲れるのがあるべき社会の姿だとも思うけど。(海外ではそうなんかなー?)
障害者や子連れの人が 自分達の権利を、それがさも当然だというように主張されると、その主張が正当であっても(あるだけに)どうしてか心理的抵抗を覚えてしまう。
以前 雨の日の登校で、危ないのでバスのシルバーシートにバンビを座らせてたら
「年寄り座らせるところに子どもを座らせて。」と、おばさん?おばあさん?微妙な人(いつもシルバーシートに座ってるのに、満席になって座れなかったので)に聞えよがしに嫌味を言われたことがあった。
シルバーシートは義務でも権利でもない、善意の上に成り立ってる社会のルールでしょう。
もちろん ハンデのある人に支援が与えられて然るべきだと私も思う。
でも、そこにお互いを思いやる気持ちがほしい。
対行政に権利を主張するのと話は別なんだよね。
自分も子連れだし障害者の親だから当事者だけど、そこは忘れたくないし、そういう社会であれば と願う。
メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp
2基あるエレベーターの真ん中で列を作って乗るのを待っていた時のこと。
調度私達が列の先頭で、後ろに15人くらいの人が並んでいたんだけど、不意に私達の隣(エレベーターの真ん前)にベビーカー2台を押した親子連れが並んだ。
ちょっと微妙な空気...。
こういう時黙ってられない私は「あの、みんな後ろに並んでますけど...」と声をかけたら
女性(お母さん)がエレベーターの車椅子用のボタンを指さして「ベビーカー」と一言。まったく表情を動かさずに答えた。
一瞬、意味がわからなかったけど、つまり「ベビーカーは車椅子と同じで優先的に乗る権利がある」ということだったんだろう。
で、結局エレベーターが全然来ないので、その人達はエスカレーターで上がり、急いでいた私達も諦めてエスカレーターに乗ったんだけど、胸の中にモヤモヤしたものが残った。
私は あのボタンは単に車椅子の人が押しやすいように設置されているんだと思っていて、車椅子優先という意味には解釈していなかった。
確かに、ベビーカーだから優先されてもいいんだと思う。
でも、私だったらたぶん列の後ろに並ぶ。
義姉達は「車椅子だったら譲るけど、ベビーカーは違うんじゃない。」と言っていた。
私は車椅子の生活をしたことがないからわからないけど、車椅子生活だったとしても一応列には並ぶんじゃないかな。
前に並んでいた人が譲ってくれたら ありがとうと先に乗らせてもらうだろうけど。
うーん、どうなんだろう?
車椅子だから、ベビーカーだから 階段では上がれない、エスカレーターにも乗れない。
だから優先的にエレベーターに乗る権利がある。行列を無視しても構わない。
そうなんだろうけど、何か違う。
列に並んでいる人の気持ちを考えたら、やっぱり”ありがとう”の気持ちがほしいと私は思う。
逆に、車椅子やベビーカーの人が列に並んでたら”お先にどうぞ”とみんなが譲れるのがあるべき社会の姿だとも思うけど。(海外ではそうなんかなー?)
障害者や子連れの人が 自分達の権利を、それがさも当然だというように主張されると、その主張が正当であっても(あるだけに)どうしてか心理的抵抗を覚えてしまう。
以前 雨の日の登校で、危ないのでバスのシルバーシートにバンビを座らせてたら
「年寄り座らせるところに子どもを座らせて。」と、おばさん?おばあさん?微妙な人(いつもシルバーシートに座ってるのに、満席になって座れなかったので)に聞えよがしに嫌味を言われたことがあった。
シルバーシートは義務でも権利でもない、善意の上に成り立ってる社会のルールでしょう。
もちろん ハンデのある人に支援が与えられて然るべきだと私も思う。
でも、そこにお互いを思いやる気持ちがほしい。
対行政に権利を主張するのと話は別なんだよね。
自分も子連れだし障害者の親だから当事者だけど、そこは忘れたくないし、そういう社会であれば と願う。
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