バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

障害理解絵本「本当にあった話だよ」

2010年09月30日 | お気に入り&おすすめ
前の記事にも絡むけど、”子ども達の理解”のこと。

8月末に幼児グループ主催の講演会がありオットが出席した。
タイトルは「なぜ親が地域で元気にネットワークを作るといいのか」で、講師は白梅学園大学子ども学部発達臨床学科の掘江まゆみ教授。

で、その時紹介されたのが 障害理解絵本「本当にあった話だよ」

詳しいことはわかならいんだけど
どうも白梅学園大学の平成19年度文部科学省現代GP選定プロジェクト「アートでつくる障害理解社会の創成」の一環として制作されたものみたい。
プロジェクトについて詳しくは 白梅学園大学のホームページを見てみてください。
→ 白梅学園大学ホームページ (右側の現代GPのところをクリック)

で、この「本当にあった話だよ」は小学生(地元限定なのかな?)に配布されてるらしいんだけど、デジタルブックとしても公開されているので、皆さん是非!読んでみてください。
障害理解絵本「本当にあった話だよ」デジタルブック

どれもいいんだけど、特に第5話の「勝利の女神の話」には大泣きでした。

講演会の時、先生は「小学生は障害者のことを感覚的に知る。その子にも暮しがあり、その思いの中に親がいることを...。」と話されていたそうです。
(幼児グループの会報から勝手にパクって宣伝してます。ごめんなさい。)

”障害のことを理解してもらい、共に安心して暮らせる地域づくり”
そのためにできることを、自分が今できることからやってみよう。

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お勧めの本 「洋平へ」

2010年09月30日 | 障害児の親
新聞の書評で、長男:重度の心身障害児、次男:高機能自閉症、三男:自閉症(知的障害を伴う) という3人の子を持つご夫婦が書かれた本とあるのを読んで、”1人でも大変なのに3人共ってどれだけ壮絶な生活なんだろう?”という 正直下世話な関心を持ち、図書館で取り寄せて読みました。

そこに書かれているのは もちろん”壮絶”ではあるんだろうけど、でも 普通の家族の日常だった。
何気ないことに喜びを覚えたり、子どもの成長をまぶしく感じたりする ごくありふれた家族の営み。

ただ、さすが3タイプの子どもそれぞれ 特別支援学校と普通級と特別支援学級での生活を経験し、長男の洋平くんを成人まで育てあげたベテランママさんだけに、その文章には深い含蓄がある。

著作権無視して勝手に紹介。

p61「幸せなはずはない」から
~ 私は障害児の親になれてよかった。
  正確には、障害を持っていてもこの子たちがわが子でよかった。この子たちの親になれて楽しい。そのうえ、障害というものを通して、人が見ていない景色も見ている。この子たちとの日々が、私を私にしてくれた。
  ただ、この子たちは、障害を持たずに産まれてきたかったろう。
  「障害者」の「障害」は、まさにこの子たちの生きていく道にある物だ。普通の人間に合わせたこの世の中では、どんなに生きにくいことだろう。
   (中略)
  この子たちを障害なく産んでやりたかった。
  でも、しょうがないじゃん。悩んで解決つかないことは悩まない。この子たちが自分に障害があっても「ま、いっか」って思えるようにしてやろう。障害があったからこそってものを一つでもたくさん見つけよう。そして、今日もうんとばかみたいに大口あけて笑おう。
  明日もきっと幸せです。 ~


読んでいて ”そうだよね、そうなんだよねー。”とか”あぁ、わかるわかる。”って思えるところがたくさんあった。
そして、気付かされること、勉強になるところもたくさんあった。

例えば p70「人の中で」
~ いま、私たちを助けてくださっているかたや、地域のかたはたいてい私たちと同年代かそれ以上だ。年の順ではないけれど、私たちの体が弱ってくるとき、きっと同じように弱ってこられる。この子たちの将来、助けてくれる存在があるとしたら、それはこの子と同年代の子どもたちなんだ。~

私も”バンビを地域の中で育てたい。将来(親亡き後)も地域の人に理解してもらって支えられて地域で生きていけるように。”と思っているけど、それには今の子ども達にバンビのこと理解してもらわなくちゃいけないんだった...。

とにかく、すごく素敵な本です。元気になれます。前向きな気持ちで私も頑張ろうって思えます。

「洋平へ  君の生きた20年と、家族の物語 
 佐々木博之・佐々木志穂美 著 (主婦の友社)

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蟻と小石

2010年09月30日 | 問題行動
学校にお迎えに行ったら担任の先生が「今日、体育は鉄棒で足掛け回りをやってたんですけど、バンビくん(できなくて)ちょっと泣いちゃいました。」
まぁ、その手のことは苦手だもんねー。(私も子どもの頃、鉄棒は大の苦手だったなぁ。)

「それと...」と先生がジャージのポケットから出したのはティッシュを丸めたもの。
中に直径5mmくらいの小石が入っていたんだけど
「これをまた鼻の中に入れて。6年生の子が気付いてくれたんですけど...。
 あと、蟻も入れてたらしいんです。」

えーっ? 蟻って、生きてるヤツ? そんなのアリ?
と、冗談を言ってる場合ではなかった。

自分でも 「バンビねー、蟻も入れたの。蟻。」 涼しい顔で言うなーっ!

先生:「もう絶対やらないって約束したんですけど...。」
バンビの”絶対”ほど当てにならないものはない。

前もティッシュの丸めたのを入れて、保健室で取ってもらう騒ぎになったことは書いたけど、なーんでそういうことをするんだか...。
気持ち悪くないんだろうか? そういうことをやりたくなる衝動が理解できない。

ただ、たぶん そういうことをすると一時的に自分に注目されたり
現状から逃避できたりするから、それ目的なのかなぁ? と思ったりもする。

「身体の中に蟻を入れたら、おなかで増えてお尻から出てくるよ。」と言ったら
「イヤだー。蟻に来ないでって言っといて~。」と半ベソになったので、少なくとももう蟻はやらないと思うけど...。
やれやれ&とほほ なことが、忘れた頃にやってくるなぁ。

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交流会

2010年09月21日 | プラダー・ウィリー症候群
土曜日、親の会の東京・年少グループの交流会があったのでバンビと行ってきました。

東京以外にも近県の会員の方も参加していて、全部で20組弱いたのかな?
1歳くらいの赤ちゃんがたくさん来ていて、みんなかわいくて、バンビの小さい頃を思い出して懐かしかった。
今回参加したメンバーの中ではバンビがいちばん年上だったもんね。
私とバンビにとっては7年という長い年月がたち、バンビは随分大きくなったもんだなー と、改めて思っちゃった。

1つ年下のぷみっちょクンとは帰りの電車も一緒で、2人並んで同じ姿勢(靴脱いで座席に膝たちするカッコ)で窓の外を見ている姿は 思わず笑っちゃうくらい微笑ましいものでした。
二人とも眼鏡かけてるし、知らない人が見たら兄弟に見えるかもね。

そんな風に、小さい時から年に数回顔を合わせるお友達で、ずっと共に育ってそれぞれが成長して、会えば一緒に遊べる関係になれたことって、すごく素敵だと思う。

まぁ、今はネットでも仲間はすぐ見つかる時代だから、何も親の会に入らなくてもそういうことはできるんだろうけどね。
でも、もう何度も書いてるけど、親の会は単に交流だけが目的ではなく、子ども達のために多方面で活動している1つの組織なので、むしろ組織として動けることに意義があると私は思うんだけど。

まぁ、それはともかく...。

同じくらいの月齢でも成長にはそれぞれ個人差があって
特に赤ちゃんの頃は、”よその子はもう首が座ってるのに”とか”他の子はもう歩けてるのにうちの子はまだ”って、比較して落ち込むことが多いんだよね。

そう、私にもそういう頃がありました。

いまだってまだ バンビより年下のお友達が字が書けてたり、絵が上手になってたりすると、”うちの子は一体いつになったら...”ってつい比べちゃって凹むもんね。
たぶんその気持ちは 障害児だろうと健常児だろうと、子どもを持つ親なら大なり小なり感じるものなんだろうと思うけど。

まぁ、親の自然な気持ちだからある程度は仕方ない と自分に許すけど。
でも、比較して辛くなっちゃっても良いことは1つもないので。

よーく見ればみんな成長は凸凹で、歩くのが早くてもおしゃべりが遅かったり、身体が小さくても手先は器用だったり、それぞれ違うもんね。
バンビはバンビだし、日々頑張って前向きに生きてるし。
字がうまく書けなくても、取り合えず今私達はhappyに日々を過ごせてるから それでOK。


あとね、今はいろいろ情報も入ってくるから ”PWSだからこうなる”って見えちゃうのかもしれないけど
”PWSだからみんな同じってことはない”と思う。

本に書いてあることすべてが我が子に当てはまるわけじゃない。
不安な要素のあれこれを考えて思い悩むより、今目の前の我が子の姿をよく見つめることが大切だと思うな。

まぁ、私達も昔 先輩ママさんに「情報に振り回されないでね。」ってアドバイスされたのを思い出すけど。

もちろん、PWSのことを知るのは大事だけど、でもやってるのは”普通の子育て”なんだよね。
私は”PWSの子”を育てているわけではなくて、バンビという愛する我が息子を育てているんだもん。

肩の力を抜いて、遠い先の不安は心の片隅に押しやって、目の前の我が子と向き合って生きていけば、生きていくのはそんなに大変なことじゃない と思う。
だから、これからも一緒に頑張っていきましょー。 親も共に育っていけたらいいよね。

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字を書くこと

2010年09月15日 | 日々の出来事
もう何度も書いてるけど、入学した時1年生の中でバンビ1人だけ字が書けなかった。

でも、私は まずは学校に慣れること重視で、家でしゃかりきになって練習したりはしてこなかった。
バンビもできないことはやりたがらないからノリも悪くて、無理にやっててもこっちがイライラするばっかりで...。

さすがにこれ以上放置もマズイだろうと思い、夏休みの間 いちばん大きな桝目の学習ノートを買い込んで、そこに毎日1行日記を書かせた。
もちろん私がマーカーペンで下書きをして、バンビがその上をなぞり書きする形で。

途中、学校の学習教室の時 先生に見せたらハナマルを付けてもらえたことに気を良くし、「先生に見せる」と言って自分から書きたがったりするようにもなって...。(そういうとこ単純で扱いやすいんだけどね。)

続けること5週間。なぞり書きは上達した。
やっぱり、やればやっただけのことはあるんだー と改めて思った。

でもね、なぞり書きはうまくなっても、下書きがないと何も書けないんだよね。これがまた...。

”今書いた字と同じひらがなをその隣に書くだけ” のことがバンビにはできない。 
こっちにすれば 「今自分で書いたじゃない。なんで?」って思うんだけど
見たままを頭の中で一度捉え、それを手で再現するということが バンビには難しいらしい。

LD(学習障害)でも 字がうまく書けない子がいるらしいけど、バンビの場合はたぶん目の使い方と記憶の機能的問題なんじゃないかという気がする。

下書きを点線で書いたりして(これ、時間かかるんだよねー)こっちも必死だけど
下書きどおり「お」を書いた後、何もないところに書かせようとすると「す」みたいになる。
数字の「3」も「コ」になっちゃうし...。

”どうして?” って思うでしょ? 
でもバンビには”どうしても”なんだよね。
本人はすごく一生懸命頑張っているのに、難しくてできないらしい。

それでも 学校と家庭で続けていくうちに、名前のうち「せ」と「お」が何とか書けるようになり、「は」と「と」も形がヘンだけど一応書くようになってきた。
今 名前の欄にはこの4文字だけが書かれている。(字の並びはガタガタだけど。)

うーん やっぱり、継続は力なり?
気の遠くなるような積み重ねを繰り返していくしか、道はないんだろうね きっと。

1つありがたいのは バンビ自身が意欲的なこと。
自分から「お勉強やる」と言って頑張るし、誉められれば調子に乗って努力することろ。
これだけはほんと助かる。

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学校公開

2010年09月15日 | 日々の出来事
バンビの通う学校では先週金・土と学校公開だったんだけど、法事があって土曜日は欠席なので、その分 金曜日は朝送ってから帰りまでずっと様子を見続けた。(疲れた~


バンビは とにかく何をするにも人一倍時間がかかって、授業開始の時ほとんどいつも席にいない。
大抵 まだトイレか、着替えが終わってないか...。

まぁ、排泄については生理的・身体的問題もあるだろうし、公開日は普段と違っていろんな人が見に来るからそれが気になったりとかもあるだろうけど
見通しとか(今何を優先してしなければならなくて、次に何をするのか)とか、集中力とか手先の不器用さとか そんなことも絡んでのバンビにとって最大の課題。
うーん、いつか人並みに早く行動できる日が来るんかいな...。


【1時間目:いきいき】
いまどき小学校にはコンピューター室があって、支援級といえどもパソコンを使う授業があるんだよね。びっくり。
Yahoo!の”わくわくキッズ”というサイトを立ち上げて、各自ゲームをしたり学習ソフトで勉強したり。

バンビは普段は上級生とペアで使っているらしいんだけど、この日は親が参観しているからってことで(朝イチから見に来てる人は少なかった)一人でやらせてもらってた。
サイトの立ち上げこそ一人じゃできないけど、学習ソフトでちゃんとマウスを使ってカーソルを当てクリックして答えるという一連の操作は身に着いていたので、これまたびっくり!

バンビは視力の問題もあって家ではPCとかゲームは触らせてないけど、たまにこういう学習ソフトでお勉強するのもいいのかも。

【2時間目:音楽】
秋の音楽会に向けてピアニカ(鍵盤ハーモニカ)の練習。
バンビが通っていた幼稚園ではピアニカやってなかったからどうかな と思ってたけど、逆に幼稚園でやってた子の中には1本指奏法が身についてしまっている子も多いらしい。
でもいちばん大事なことは ”音を出してはいけない時には音を出さない”ことが守れるかどうか。
タンギング(舌というか息の使い方?)は 口腔訓練にも良いかも?

【3時間目:道徳】
「約束や決まりを守ろう」というテーマで、「(先生の話を)聞いて、考えて答える」という課題。
支援級の子ども達にはこれが難しいらしい。
さすがに6年生はできていた子が多かったけど、学年が下がるほど授業に集中していることすら難しく、バンビはというと...一番前の真ん中で堂々と船漕いでました。

【4時間目:体育】
暑いので軽く校庭を2周し準備運動をしてから鉄棒をやることに。
鉄棒と聞いただけで拒否反応を示し、校庭の真ん中で号泣(というか絶叫?)している子もいたなー。
バンビも手が小さく、握力が弱いので鉄棒は苦手だけど、先生に持ち上げられたりしながらまぁ何とか頑張っていた様子。
”できなくてもイヤでも、みんなと一緒に頑張る時は頑張る”
そういうことが身に着いていかないと、将来やっていけないもんね。
体育は単に運動するとか体力をつけるだけじゃなく、そういう訓練の場でもあるんだと改めて思ったりした。
しかし、暑かった~。

給食は 原則公開ではなかったので、ママ友と近所のファミレスでランチ。

【5時間目:算数】
1年生5人と2年生のうち2人が1グループで、担任の先生と補助員の先生がつく形のグループ学習。

最初は全体で 先生が指で出した数を答え、その後は各自プリント学習。
今は10までの ”数の合成と分解”(例えば 2と3で5、1と4で5、6は4と2、6は3と3)がテーマで、これがクリアできて初めて足し算に移行できるというわけ。

でも、まだバンビはその段階まで行けてなくて、やっと1~12くらいまでの数が数量として認識できつつあるかな位のレベル。
あと、まだ数字を含めた文字が自力で書けずなぞり書き中心なので、先生に下書きをしてもらう必要がありその分タイムロスがあるし...。

できる子はどんどんプリントが進んでいくんだけど
中には うまくできなかったことをきっかけに奇声をあげたり、補助の先生に暴言吐いたり叩いたりする子もいるので、グループが荒れ始めるとバンビみたいな子は置いていかれがちになってしまう。


ま、そんなカンジで1日見ていて、とにかくクラス全体の雰囲気が1学期より落ち着いたのがわかる。
バンビ達1年生も学校に慣れ、ちゃんと移動の時はペアの人と並んで整列するというルールも身に着いていたし。
先生の指導も熱心だけど明るいし、6年生が割としっかりしていることもあって和気藹々でしかもまとまっているカンジ。

バンビも休み時間には自分から外に出て、大好きな2年生のAちゃんと手をつなぎ校庭を走り回る姿が見られた。
(外に出たがらない、友達と遊びたがらない子もいるんだよね。
とにかく学校にいて楽しそう。

課題は山盛りあるけど、親としていちばん大事にしたかった”本人の居心地”はバッチリな様子。

進路についてはそれぞれ考え方があることだけど、少なくともバンビの場合は 支援級に入れて正解だったなーと思う。
普通級ではまず着いていけないし、だからと言って特に問題行動を起こすわけでもないからバンビみたいなタイプは完全に放っておかれるだろう。
支援級でもできる子はできるし(どこに問題が?って子もいるんだよね)、異年齢クラスだけに上級生からも刺激が受けられるし。
”友達と楽しく過ごす”ことを重視していた私としては その点バンビの成長は期待以上。


あとは当面”字が書けるようになること”が、1年生の間に何とかしたい最優先課題だなー。
自分で書ければ自分のペースで授業も進んでいけるようになるもんね。
学習面はやっぱり 学校任せではなかなか身に着かない気がする。
家で毎日積み重ねていかないと。でもこれがなかなかねー。

他にも目の使い方とか(これについてはまた改めて書くつもりだけど)手先とかの訓練もやらないと、健常なら当たり前にできることがバンビにはなかなか難しかったりすること多いしね。

ふぅ、まだまだ 先は長いけど頑張らねば~。

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道は続く

2010年09月08日 | 障害児の親
このところ病気のことやら身内の不幸など暗い記事続きですみません。

皆さんから励ましのコメント&メールなどいただき、本当に心強いです。
どうもありがとう。

今のところ 身体の方は特に不調を意識するでもなく生活できているし(心のどこかに癌のことはずっとあり続けるけど)
オットの実家のことは まだまだこれから片付けなきゃいけないことはいろいろあるけど、まぁそれもぼちぼちこなしていけると思います。


で、皆さんから励ましをいただいた中で 特に嬉しかったのが
”(子どもがPWSだとわかり)落ち込んでいた時、このブログで元気をもらいました。”っていう内容のメッセージ。

まぁ、こんなだらだら日記のブログでも誰かしらに何かしら役に立つことがあれば単純に嬉しい。

そして、何人もの方が ”自分も何かできることを”と考えてくれていること。
これが最高に嬉しくて、ほんと気持ちが暖かくなった。


このブログでも何度も書いているとーり
私は自分がどん底状態だった時、親の会の先輩ママさんに励ましてもらったことで、”自分一人でがんばらなくてもいいんだ。”と思えて、救われる想いがした。
元気にとことこ歩いている、いっぱいおしゃべりしているPWSの子ども達の姿に ”あぁ、うちの子もあと何年かしたらこんな風になれるんだ。”って思ったら
大げさじゃなく、希望の灯りを点してもらえたような気持ちになった。

あの時のことは 絶対に忘れない。

あれがあったからこそ 私はプチひきこもりから抜け出し、”バンビのためにできることは何でもしよう!”と前向きな姿勢になることができたんだもん。

あの頃のことをとても感謝しているから、自分がしてもらって嬉しかったことを
あとから続く新しいママさん達にもしてあげたい と思ったし、だからこそブログも始めた。

ちなみに、日々の生活をmiixiじゃなくブログで公開していることも、(mixiにはもちろんmixiの良さがあるんだけど)敷居を低く・間口を広くしておきたかったことと
あとはまぁ PWSの身内・関係者以外にも広くPWSのことを知ってほしい という気持ちがあってのことなんだよね。


バンビより小さい子のママさん達が ”私も自分のできることをするね”と言ってくれるのは 本当に勇気100倍!なカンジ。
いつかできるようになったら でいい。
ブログを公開するでも、他の(より小さな子の)ママさんに声をかけてあげるとかでも 何でもいい。自分のできる範囲のことで構わない。

”我が子のため”だけじゃなく、”他の誰かのため”、”みんなのため”に動こうとしてくれる気持ちが大切だし、それはきっと次につながっていくはず。


一人では歩きにくい荒れた小道も、みんなで歩いていくうちに いつか大きな道になる。
後から歩いてくる人は きっともっと歩きやすくなるはず。
そして、道が大きくなれば 私達の声はずっと先まで届くかもしれない。
何かいいことあるかもしれない。
信じて力を合わせていこうね。この道は終わりなく続く道だから。
そう、この世界 ”みんなのためは我が子のため、我が子のためはみんなのため”だよね。 

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突然の別れ②

2010年09月03日 | 日々の出来事
バンビはおばあちゃんが大好きで、いつも家に遊びに行くことを楽しみにしていた。
(まぁ、電車や車に乗ったり、外食することを楽しみにしていた部分も大きかったとは思うけど。)

母が亡くなったとオットから連絡があって、取るものもとりあえずバンビを連れて実家に行ったけれど、その時は警察がいろいろ調べている最中で 結局母の亡骸に会うことはできなかった。
(自宅で1人で亡くなると、事件性の有無を警察が調べるんだよね。
 タンスの中のお金から預金通帳まで見られると 初めて知った。)

だから、バンビには ばあちゃんの家にばあちゃんがいないことが不思議らしく
「ばあちゃんはいないの?」 「ばあちゃんはどうしたの?」 と言っていた。

もちろん、その時点で おばあちゃんが亡くなったことは伝えてはあった。
バンビは去年おじいちゃんを亡くしているし、メダカやかぶと虫の死にも何度も遭遇しているので、死=いなくなること という理解はあったと思う。

でも、死を理解していることと、祖母の死を受け入れることとはまた別らしかった。

結局、バンビが対面できたのは、葬儀場に横たわる義母の亡骸で
ばあちゃんに触れて 「ばあちゃんは寝てるの?」 「ばあちゃんはもう起きないの?」と言っては周りの涙を誘った。

警察の調べの後 死亡を証明する書類が出るまでに時間がかかり、六曜(友引とか)の関係でお通夜までに2日も空くことになって、その間遺族は様々な手続きやら片付けにに追われていた。

ほんとに、死ぬってことはなかなか大変で、遺された者はおちおち泣いてもいられなかったりするんだよね...。

そんな状況で申し訳ないことにバンビはほとんど親からは放っておかれてたけど、親戚(義姉のダンナさんとかいとこのおねえちゃんとか)にまとわりつき、かまわれつつ それなりにおとなしく過ごしていた様子。
(親にベッタリじゃないところが こういう時助かる。)

その頃は 「ばあちゃん、死んじゃったね。」を事あるごとに連発。
たまに「ばあちゃん、ダメだよねー。」とも言っていたから
永久の眠りについたばあちゃんの姿を見て、死を認識してもまだそれを受け入れられない気持ちがあったんだろうな。

その気持ちは理解してやりたいと思いつつ 「バンビがそういう風に言うと、みんなが余計悲しくなるからもう言わないでね。」とその都度言っていたら
いつの間にか バンビも言わなくなっていった。

お通夜・葬儀の頃にはみんな疲れていて、バンビもダルダルで途中で居眠りしてたり、かさぶた剥がしたりしてはいたものの、お焼香などはちゃんと務めて みんなと一緒にばあちゃんを送り出すことができた。

バンビはバンビなりにすごく頑張っていたと思う。
親戚にも「おとなしくていい子ね。」と誉められていたけど、私もオットも「よく頑張ったね。ちゃんとできて偉かったね。いい子にしていてくれて、パパもママも助かったよ。」といっぱい誉めておいた。


学校にも行き始め、普通の生活は戻ってきたようだけど
大好きだったばあちゃんはもういない。
それでもたまに 「またばあちゃんち 行く?」と聞いてくるバンビ。

今朝ご飯を食べていたらいきなり「ばあちゃんの骨は?」と言うのでびっくりさせられたし。
(前後の会話にも何も関連がなかったのに、何故?)
そんな風にバンビの心の中にも まだいろんな想いが渦巻いているんだろうな...。

お母さん、そうやって成長していくバンビを 空の上から見守っていてね。

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突然の別れ

2010年09月01日 | 日々の出来事
以前にも書いたけど、認知症らしき症状が出始めていた義母。
元々糖尿病の持病があったけど、このところ特に何に対しても意欲を無くし、暑さのせいか食欲も落ちていた。
みんなで心配して、これからのことを相談しようとしつつ、昨年秋に亡くなった義父の新盆と1周忌の準備に追われてバタバタしていた。

そんな最中 突然 義母が亡くなりました。


木曜日、義姉が電話しても誰も出ないというので、オットが会社帰りに様子を見に行った。
つい先日も受話器がはずれていて気付かないままだったことがあったから、今度も ”まーたー。人騒がせねぇ、お母さん。”って笑って済ませられると みんな思っていたのに。

急性心不全だったらしく、ベッドに入ったまま、明け方に1人で旅立ってしまった。


あまりに急なことで、本当に信じられない。
その前の日曜日に地元のお祭りに出かけて、じゃあまた週末にね って別れたばっかりだったのに。

でもどんなに悲しくても、遺族は葬儀とか後の始末に追われることになるのも現実。
バタバタと一通り終わった後に、またじんわりと悲しみの波が押し寄せてくる。

こんなことになるのなら もっと早くにこうすれば良かった、ああもしてあげれば良かった。
家族誰の胸にもその想いがこみ上げる。

”一緒に住んであげられなくてごめんね。寂しい想いさせてごめんね。”


性格や価値観はぜんぜん合わなかったけど、私にキツイこと言ったりすることのない、明るく穏やかな姑でした。
もっとできたことあったはずなのに。大切にしてあげられなくてごめんなさい...。

ただ、「想い出は薬だけど、後悔は毒になる。」って先日テレビで誰かが言ってたから。
一緒に過ごした10年足らずの日々に感謝してお別れをしようと思う。

”お母さん、ありがとう。
 天国で大好きなお父さんと仲良く暮らしてね。
 そして、空の上から私達家族を見守っていてください。”

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子宮頸がん

2010年09月01日 | 私の身体・病気
このところ ふとした時に左下腹部に違和感を感じることが、何ヶ月か続いていた。
痛いというのではなく、張ってるような、まさにちょっとした違和感で、それもいつもってわけじゃなくて。
まぁ、排卵痛とかそんなカンジかなぁと思っていたんだけど、一応検査を受けてみようと思って、バンビを出産した近くの産院(婦人科もあり)で診てもらった。

その時は 特に子宮も卵巣も問題ないですね って話だったんだけど、念のため子宮頚がんの検査もしておきましょうってことでやってもらったら...
これが引っかかってしまった。

子宮頸がんの進行状況には 0~Ⅴ期まであって、私はⅢa期らしい。

近くの大学病院で再度細胞診を受けたのだけど、やっぱり結果は同じだったので、次にコルポスコープでの病理組織検査(いわゆる生検=組織を切り取る検査)をすることになった。

子宮頸がんのサイトで見ると、Ⅲa期は癌が子宮頚部に広がっている状況だと書いてあるのもあって、それを見ちゃったら結構絶望的な気持ちになったのだけど。

結果的には”異形成”(前癌病変)はあるもののごく軽度ということで、Dr.の説明によると、必ずしも「異形成→癌」というわけではないらしい。

と言っても、もちろん正常な状態でもなく、それが癌に進行していく場合もあれば、自然治癒する場合もあるんだとか。
なので、今後も定期的な検診は欠かせないんだけどね。


ネットの情報見て落ち込んだのは、バンビが生まれた時以来だなー。
あの時もPWSのこと調べてネットサーフィンする毎日で...辛かった当時のことが思い出されたな。 
でも今回は、同じⅢa期の方で手術した方のブログなんかもあって、そういう体験者の経験談を読むことでいろんな情報もらえたり、励まされたりしたのも確かだけど。


自分が死ぬのは恐くない。
っていうか、私ももう確実に人生の折り返し地点回っていて、いままでに結構やりたいことはやってきてるし、人間いつかは死ぬんだという気持ちもあるし。
痛かったり、苦しんだりするのでなければ 死ぬこと自体は恐くないという気がする。

ただ、バンビを置いていくことを考えたら、それはツラい。
あの子の行く末を見定めるまでは、死んでも死にきれない。今はまだ絶対ダメ。

だから、これからはより一層、身体を大事にすることを考えて生活していかなくては。
バランスの取れた食事、十分な睡眠、適度な運動。
そしてストレスのない生活。(あー、これがいちばんキビシイかも?)


これを読んでくださってる方にも、検査を受けることをお勧めしたい。
自分のためもあるけど、子どものために是非。
子宮頸がんは若い人もなるそうだし。乳がん検診もやるべし。
私は乳がんは乳腺症でいつも引っかかって、半年に1回受けているんだけど
子宮頸がんは今年はやってなかったんだよね...。


ちなみに、私の左下腹部痛と子宮頸がんは直接関係はなさそうで、結局内科的な問題かもしれないという話になり、大腸の内視鏡検査を受けることになりました。
(骨盤のゆがみからそういう症状が出ることもあるって聞いたけど、どうなんだろ?)

実は、先日 生活習慣病検診でやった胃のレントゲン検査でも引っかかり、20年ぶりくらいに胃カメラも飲んだんだけどね。
それは大したことなさそうだけど...。やれやれ。

こうなりゃ自分の身体 徹底的にメンテナンスだ。
頑張れ、自分! 病気なんかしてる暇はないぞー!

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