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国家公務員宿舎建設復活

2011-10-01 12:56:06 | 日記
国家公務員宿舎建設復活。

事業仕分けで廃止になったはずの国家公務員宿舎建設。いつの間にか、建設が開始されたようだ。どうして再開されたのだろうか。実に不思議だ。
国民の注目が、下火になったところで復活させてしまったということか。

事業仕分けの様な、国民に見えるところでは、国民のための活動している様にふるまうが、いざ国民の目の届かないところでは、自分たち(この場合は与党と官僚だろう)に都合のよいように利益配分をしてしまう。
公の場で決まったことを、変更するのであれば、理由をきちんと説明する責任があるだろう。
自己都合の利益配分、身内都合の利益配分だから、納得できるもっともな説明などできるわけがない。ばれてしまったら曖昧で抽象的な、言い訳をするしかないだろう。
あるいは、居直って、「建設は中止するつもりはない」と言い切るしかないのだろう。
結局、官僚と政治家など政治的な力を持っているものどうしが(*注1)、力の及ばない国民を除外して、国民の見えないところで利益や便宜を分かち合っている。目の届かないとところで裏取引をしていると勘ぐられてもしょうがないのではないか。

震災で仮設住宅に住んでいる人、仕事を失った人、こういう人々のために、お金を使うべきときに自分たちの便宜のためにお金を使う。被災者のことを考えれば、自ら進んで建設辞退するのが、今の状況では当然のことではないだろうか?
家が流されて、入る家を一生懸命探しても家に入れない人がたくさんいるのをご存知ないのだろうか?こういう被災者をさしおいて、建設決定を判断してしまうということは、本当に被災者のことを考えているのだろうか。

国民の目の届かないところで、自己利益に走っているのが、政治家や官僚topの実態ではないだろうか?

宿舎建設に至った、経緯をきちんと5W1H(いつ、誰が、どこで、なぜ....)で説明する責任があるのではないか。それをきちんと説明しないで、お金が足りないから増税しますは、あり得ない話しだろう。とりわけ建設再開を決定した当時渦中の大臣であった野田総理はきちんと、誰の要求に対して誰が判断したのか、どういう理由で復活させたのか、経緯をきちんと説明する責任があるのではないか。

野田総理は、低姿勢であるといわれ、美徳のようにいわれるが、国民を蚊帳の外に置き座りにして、力のあるものどうしの調整役しか果たせないのであれば、国民にとっては失望以外の何物でもないだろう。


*注1:
たぶん官僚要求によって大臣が決定したのだろうから(あくまで予想)、
官僚が政治的な力を持っていることを、示してしまった形だろう。
あるいは、あまりにも大臣のリーダーシップがない、信念がなかったということだろう。