goo blog サービス終了のお知らせ 

路上の宝石

日々の道すがら拾い集めた「宝石たち」の採集記録。
青山さんのダンスを原動力に歩き続けています。

◆『グランドホテル』詳細レポ Ⅸ

2007-02-06 13:34:30 | グランドホテル
The Grand Charleston We’ll Take a Glass Together
「グランド・チャールストン」「共にグラスを」

直前の場面で最高潮に達したグルーシンスカヤの幸福感の余韻に客席も浸っていますが、舞台が暗転したかと思うと、すぐに「グランド・チャールストン/The Grand Charleston(BW版ではH-A-P-P-Y)」の音楽が耳に入り、それと同時に下手から、ジミーズに扮する青山さんが華麗に登場してきます。手にはジャグリングで使うような輪を持っているので、身体が描く動線の先には丸い輪が眼に入ります。またジミーズの紫色の燕尾服のテールが柔らかに描く線のせいもあり、高度な技が連続する御登場の仕方なのに、全体的に幸福感を予感させるようなやわらかな印象です。へーまさんの解説のお言葉をお借りするなら、「ピルエット/ジュッテ・アン・トゥールナン+ドゥーブル・トゥール・アン・レール」。軽快なチャールストンのリズムを刻むこの曲のイントロ部分の音楽に、青山さんはあの見事な振りをピッタリとはめ込み、しかも文字通り”HAPPY”極まりないこのシーンの空気を観客に一気に吹きいれ、幸福感の絶頂を予感させます。下手から登場する青山さんに観客の視線は一気に集中します。こまのように回る青山さんの輪郭に一瞬にしてひきつけられますが、ふわっと空間をかき混ぜるような浮遊感が伝わってくる心躍る跳躍、そして極めつけ「トゥール・アン・レール」。わずか数秒の時間に詰め込まれた、瞬きする間もないほどの技の連続。グルーシンスカヤの高揚感はそのままに、しかし、男爵とグルーシンスカヤのいたあの部屋の静けさからは一転、男爵やオットーの人生も弾む「黄色い館」のにぎやかで華やぎに満ちた雰囲気に一気に観客の心はいざなわれるのです。

これに引き続き、青山さんは舞台中央付近で、ジミーズのもう一人の方(上野聖太さん)と、手に持つ輪を投げあい、ダンスルームで繰り広げられる賑やかなショーのシーンを印象付けます。次々と柔らかな弧を描きながら宙を舞う輪の数々・・・、青山さんたちの安定した見事な輪の扱い方に驚きです。そしてこの後、青山さんたちジミーズの数人は、上手よりの階段に移り、音楽に合わせて控えめにステップを刻みます。ロンドン、パリ、ピッツバーグ、北京(青山さんはこの「北京」という部分の歌詞を高らかに歌い上げます)、そしてサウスカロライナのチャールストンまで、世界中を席巻するチャールストン。どうしてチャールストンを聞いて、踊るとこんなにハッピーになれるのか、そんなことを歌いながら、楽しい光景が繰り広げられます。周囲には、ペアになってチャールストンを踊る正装したホテルのゲストたちがいます。

男爵は黒いタキシード姿、胸には白い薔薇を一輪さして嬉しそうに登場してきます。一方「男爵夫人」の可能性を夢見ていたフレムシェンでしたが、幸せそうで陽気な男爵を見て、自分ではなく、他の女性と恋に落ちたことを知り、残念そうな表情を浮かべています。さらに、男爵に薦められた株で大儲けをしたオットーは、彼なりの一張羅(タキシードではなく、燕尾服に山高帽)に身を包み、信じられないとばかりに高揚してはしゃぎながら登場してきます。男爵とオットーは、よい方向に回転し始めたように見える自分の人生、そしてお互いの幸福感を分かち合うように、二人の友情に乾杯をしながら、チャールストンを踊るのです。曲はいつの間にか、「共にグラスを/We’ll Take a Glass Together」に移行しており、上手よりに大きなシャンパンを囲むようにして乾杯を準備するジミーズたち。シャンパンのコルク栓が抜けると同時に、大きなシャンパンのボトルの中から色とりどりのテープがクラッカーのように飛び出します。

中央でダンスをしながら、共に楽しく歌う男爵とオットーの周囲を、ジミーズやホテルのゲストたちが囲みます。ジミーズの一人である青山さんは、シャンパンの栓が開くと、すぐに一度上手袖に引き、グラスを乗せた銀色のトレーを持って、再び登場してきます。お酒の入ったグラスを乗せたトレーを持って、ダンスルームで楽しく歌い踊る人々の間をぬうように歩きます。「あなたとなら誰でも踊れる」のシーンでも書きましたが、青山さんが「歩く」と、歩いているだけなのですが、青山さんの身体が「音楽」の調子をとるタクトのように見えてきます。ゲストたちにお酒の入ったグラスをすすめ、空になったグラスを再び回収しながら、背筋をピンと伸ばし、折り目正しく歩くのですが、音楽に合わせて刻まれるステップは、変速自在なメトロノームのようでもあります。

またジミーズとして給仕をする青山さんの表情が素敵です。特筆すべきは、曲の中盤、宴もたけなわといったところで、中央の男爵とオットーに、トレーに乗った4つのグラス(お酒)を青山さんがすすめる場面。男爵とオットーが音楽に合わせて交互にそのお酒を、あっという間に飲んでしまう(トレーから我先にとばかりに、次々とお酒を取ってしまう)ところがあるのです。トレーの上に所狭しと並べられていたはずの4つのグラスが、あれよあれよという間に次々となくなってしまったことに、青山さんは驚いたような、少しあきれたような表情を浮かべます。しかしすぐさま、幸せそうに楽しんでいる男爵とオットーを眼で確認し、彼らを心から祝福し、お客様をお迎えする側としてあるだけの敬意を表するように、ゆったりと一礼し、再びその場を、おもてなし冥利に尽きるといった表情を浮かべて、グラスがなくなり空になったトレーを持って歩きながら立ち去るのです。男爵、オットー、そしてホテルのゲスト、ジミーズたち従業員、つまりダンスホールにいた人々が皆、幸福感を共有しあっている、まさに「共にグラスを」な雰囲気が伝わってくる、素敵な表情でした。

この場面の前半部分では、基本的にジミーズはホールを歩いていたり、トレーを持って小刻みなステップを踏んでいることが多く、どちらかというと、ホテルのゲストたちがカップルで向かい合って踊るチャールストンが背景として終始目立っていたような気がします。しかし青山さんも途中から、トレーを持ちながら、とてもパンチの効いたチャールストンを披露してくれます。この「トレー」を持ちながらのチャールストンがまた非常に鮮やかです。このシーン冒頭のジャグリングの輪といい、このトレーといい、青山さんは、「物」を扱いながらのダンスも非常に巧みで、「物」の動かし方・扱い方も、ご自分の動き(ダンス)の魅力にしっかりと取り込んでしまっているのです。「共にグラスを」の短い間奏部分で、もう一人のジミーズの方と二人組みになり、中央に出てきてチャールストンのステップを刻むのですが、このときの見事な動きといったらありません。トレーを両手で前下方向におろすように持っているのですが、締まった肩から腕にかけてのストンとしたラインが素晴らしく(どこかフォッシー的に前かがみな「猫背」がとても魅力的です)、完璧なチャールストンの脚捌きと合わせた青山さんの身体全体は、考えられないような精巧な動きをしているのです。本当に数小節ほどの短いダンスなのですが、どうしたらあんな動きができるのか、毎回思わず自分の眼をこすって確かめたくなるような気分でした。チャールストンの脚捌きなどは、まるでひとつひとつの関節が支点・作用点・力点の三つの役割を同時に負っているのではないかというような動きなのです。自由自在に、しかし計算しつくされて一分の狂いもなく動く、そんな脚の動きとは対照的に、上半身、とりわけ前述した肩から腕にかけてのラインなどは、腰から下の激しい動きなどは関係ないかのように、ぶれることなく非常に安定しているのです。このようにチャールストンを踊るときのようなあまりにも精巧すぎる動きと、それ以外の動き(フロアを歩き回るときの動きなど)の鮮やかな対比が、この曲(「共にグラスを」)の変化に富んだ展開とともに、眼前で繰り広げられるのを観ているのには、とてもメリハリが感じられて爽快感があるのです。青山さんの動きを見ていると、曲の展開とともに、シーンのテンションみたいなものの緩急が感じられるのです。

また「共にグラスを」では、男爵とオットーが交互に、様々なお酒の名前を列挙して歌うところがあります。シェリー、カンパリ、スコッチウィスキー、シャトルーズ、コニャック・・・といった具合です。そこでは、青山さんたちジミーズ数人が、両腕を胸の前で組み上半身を固定したまま、ピンと伸ばした脚を交互に高く上げる振りがあります。そんなときも青山さんの場合は、その力強い爪先が、これが当たり前と言わんばかりに宙を勢いよく蹴り、上半身も嘘のように揺らぐことがありません。それでこの宙高く蹴る足先も、まるで予め決められた固定されたある一点を、ピンポイントでふれる感じで、勢いがありながらもとても安定しているのです。その後、「共にグラスを」の曲は、終盤にかけて一気に盛り上がっていきますが、「祝って 乾杯!」という歌詞を繰り返し口ずさみながら、人々は思い思いの祝福のステップを踏みます。青山さんたちジミーズも、トレーを持ちながら、かなりスピーディーに複雑なステップを踏み、最後は全員がグラスを高く掲げた「乾杯」のポーズで締めくくられます。「お酒」にだけではなく、「人生」に酔ってしまうような、幸せに満ち溢れた、グランドホテルでの楽しいひとときが過ぎてゆきます。

夢のように楽しいひととき・・・。信じられないようですが、でもこれは現実なのです。株で大儲けをし、一夜にして大金を手に入れたオットーは、この場面で終始陽気にはしゃぎまわります。小堺さん演ずるオットーは、回転扉にぶらさがってグルグル回ったり、とまるで子供のような無邪気さです。「あなたとなら誰でも踊れる」でのズボンがずり落ちてしまう演出といい、小堺さん演ずるオットーには、余命幾ばくもないという過酷な事実が突きつけられているにもかかわらず、どこか喜劇役者チャップリンにも通ずるような、コミカルな雰囲気が漂います。それはオットーが常に被っている「山高帽(ボウラーハット)」によるところも大きいかもしれません。この時代の「山高帽」は、ユダヤ人のしるしとして受け取られていたこともあったようですが、オットーの喜劇役者的な側面を引きだすのにも有効にはたらいているように思えました。(チャップリンはいつも「山高帽」を被っていますよね。小堺さん@オットーにもどこかそんな喜劇役者的な雰囲気が漂って、余計に哀しかったりするところがあるんです。)

一方この場面では、幸福の絶頂にある男爵とオットーの陰で、フレムシェンとプライジングを取り巻く状況に、変化が訪れ始めます。男爵夫人になれるかも、という淡い夢も敢え無く消え去り、フレムシェンが自分の夢を叶えるには、プライジングの元で働くより他はない、ということになってゆきます。フレムシェンを呼びにきたプライジングとともに、フレムシェンは、ダンスルームを後にします。そして、この後、フレムシェンを軸に、ついさきほどまでチャールストンのリズムに共に身を任せ、幸福の絶頂にあったはずの男爵、そしてオットーも、物語の終盤に向けて、互いの人生の運を交換しあうかのようにして、別れてゆくことになります・・・。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。