いよいよ『ボーイ・フロム・オズ』東京公演も折り返し地点を過ぎ、後半戦に入りました。本日2日、18時30分開演の部に行ってきました。私のOZ観劇はこれで3回目。回を重ねるごとにようやく少し冷静に観られるようになってきたような気がします。今日もいつものように、フィナーレではスタンディング・オベーション。キャストの皆さん、坂本ピーターさんへの拍手は鳴り止みませんでした。ステージの雰囲気も、東京公演中日を過ぎて、笑いのさじ加減がちょうどよくなり、ドラマに集中させる要素が強くなったという印象を持ちました。やはり、何度か通ってみると、日によって、お客さんの層というのも微妙に違います。今日は私の前半2回の観劇に比べて、ちょっと年齢層高めでしたでしょうか。そんな客席の雰囲気を汲んでのことなのか、ステージの展開も前回30日のものより、「笑い」という点においては、ほんの少しあっさりとした感じ。でも、OZ観劇も今日の公演を除けばあと1回となる、私個人の観劇の流れのなかでは、ドラマというものに集中することができてよかったなと思っています。
どの出演者の方も素晴らしくて、たくさん書きたいことがあるのですが、今日特に心に残ったのは、今陽子さんが演じておられる母、マリオン。Don’t Cry Out Loudは、毎回もう涙なくしては聞くことのできないナンバーですが、この曲、前半部分と後半部分では、ちょっと歌の視点がかわります。前半部分は、母マリオンが「泣かないわ」と自分自身に言い聞かせるように歌うような内容で、後半部分は、そんなマリオンが息子のピーターに母として、涙を隠して、前を向いて誇り高く歩いてゆくことを伝えるという内容なのですよね。この曲は、基本的にピーターにとってのつらい過去を、心の奥底に隠して、ということがメインになるような歌に聴こえてくるのですが、何故だか今日は、本当なら断絶したままのはずだったかもしれないピーターと父親ディックの狭間で、その橋渡し役として存在するマリオンの心がすごく迫ってくるように聴こえました。
ディック・ウールノーの自殺という事柄は、この『ボーイ・フロム・オズ』というピーター・アレンのストーリーの根幹に関わってくる出来事なのは明確なことです。まだ大人になっていなかった息子ピーターにとっては、それは自分自身の存在を揺るがすような衝撃的な出来事であり、このストーリーの発端ともいえる出来事であるのは明らかです。しかし、劇中多くは語られてはいませんが、同時にマリオンにとっても、その出来事は想像するには恐ろしいぐらいの衝撃的な出来事であったはず。戦争に行って別人のようになってしまった夫、息子につらくあたる夫、しかしこれからを生きてゆく息子には、自分自身が一番強くなって涙を隠し、「父親」の存在を伝えなければならなかった。マリオンこそがまず微笑みの下にこころを隠さねばならなかった存在なんですよね。劇中ピーターのストーリー・テリングの相手役のように登場することの多い母マリオンですが、このDon’t Cry Outのシーンに至るまでは、割と「肝っ玉母さん」風で、どちらかと言うと、さりげなくアドバイスしていくような印象が強く、観客も、ピーターは勿論、この母マリオンの胸の奥底にある「こころ」について、はっきりと思い描くことはできないように思います。でも、この母の存在がなければ、ピーターは自分の人生を肯定することはできなかったのかもしれない、これまでもわかっていたことではあったのですが、今日の舞台を観ていて、そのことが心に迫るものとして、そう思えてきました。
(ダンスシーンについても、今日の観劇を経て、たくさん言いたいことがあるのですが、ちょっと今日は時間切れです。また明日にでも、観劇3回目レポその2として投稿します。)
どの出演者の方も素晴らしくて、たくさん書きたいことがあるのですが、今日特に心に残ったのは、今陽子さんが演じておられる母、マリオン。Don’t Cry Out Loudは、毎回もう涙なくしては聞くことのできないナンバーですが、この曲、前半部分と後半部分では、ちょっと歌の視点がかわります。前半部分は、母マリオンが「泣かないわ」と自分自身に言い聞かせるように歌うような内容で、後半部分は、そんなマリオンが息子のピーターに母として、涙を隠して、前を向いて誇り高く歩いてゆくことを伝えるという内容なのですよね。この曲は、基本的にピーターにとってのつらい過去を、心の奥底に隠して、ということがメインになるような歌に聴こえてくるのですが、何故だか今日は、本当なら断絶したままのはずだったかもしれないピーターと父親ディックの狭間で、その橋渡し役として存在するマリオンの心がすごく迫ってくるように聴こえました。
ディック・ウールノーの自殺という事柄は、この『ボーイ・フロム・オズ』というピーター・アレンのストーリーの根幹に関わってくる出来事なのは明確なことです。まだ大人になっていなかった息子ピーターにとっては、それは自分自身の存在を揺るがすような衝撃的な出来事であり、このストーリーの発端ともいえる出来事であるのは明らかです。しかし、劇中多くは語られてはいませんが、同時にマリオンにとっても、その出来事は想像するには恐ろしいぐらいの衝撃的な出来事であったはず。戦争に行って別人のようになってしまった夫、息子につらくあたる夫、しかしこれからを生きてゆく息子には、自分自身が一番強くなって涙を隠し、「父親」の存在を伝えなければならなかった。マリオンこそがまず微笑みの下にこころを隠さねばならなかった存在なんですよね。劇中ピーターのストーリー・テリングの相手役のように登場することの多い母マリオンですが、このDon’t Cry Outのシーンに至るまでは、割と「肝っ玉母さん」風で、どちらかと言うと、さりげなくアドバイスしていくような印象が強く、観客も、ピーターは勿論、この母マリオンの胸の奥底にある「こころ」について、はっきりと思い描くことはできないように思います。でも、この母の存在がなければ、ピーターは自分の人生を肯定することはできなかったのかもしれない、これまでもわかっていたことではあったのですが、今日の舞台を観ていて、そのことが心に迫るものとして、そう思えてきました。
(ダンスシーンについても、今日の観劇を経て、たくさん言いたいことがあるのですが、ちょっと今日は時間切れです。また明日にでも、観劇3回目レポその2として投稿します。)