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路上の宝石

日々の道すがら拾い集めた「宝石たち」の採集記録。
青山さんのダンスを原動力に歩き続けています。

◆『ムーヴィン・アウト』も観てみました~♪

2006-09-12 11:32:42 | ちょっと寄り道
『テネシー・ワルツ』の始まる前の8月中旬、以前から気になっていた、『ムーヴィン・アウト』を観てきました。一口に来日ものの「ブロードウェイ・ミュージカル」と言っても、いろいろあるのですよね。キャストひとつ取ったって、ブロードウェイ公演に参加していたとか、全米ツアーに参加していたとか、WSSのようにインターナショナルヴァージョンとか・・・。こうやって来日ものが一時期に集中してやってくると、パッと見で、その微妙な違いについてわからなかったりしますが、この『ムーヴィン・アウト』は前評判どおりの、躍動感溢れる大満足の作品でした♪「本場」って、こういうものか・・・、何だか納得してしまう部分もあったり・・・。一説に来日版のキャストは、本国アメリカでのキャストよりも精鋭と聞きましたが、量感のある(来日版WSSとは違って、この「重み」が大変心地のよい)ダンサーたちが繰り広げる圧巻のパフォーマンスは、観ていて本当にすがすがしいものでした!ビリー・ジョエルの曲の歌詞以外に台詞はなし、ダンスでストーリーを伝える、というだけあって、アンサンブルが踊りまくるのは勿論のこと、メインのキャストがそれ以上に踊る、というか動きまくるのです。もう怪我と紙一重のようなダンスがめくるめく展開してゆく、そんな作品ですね~。メインのキャストもダブルキャストで、しかもスウィングと呼ばれる主要キャスト以外の役をいつでもどれでもこなせる人たちがスタンバイしている、という状況にも納得がいきます。途中休憩が入って約2時間という短い作品だったと思いますが、それでもこの人たちよくもつなあ、と不思議に思うぐらいの体力でした。

私が観た回のキャストは、エディーがブレンダン・キング、トニーがキース・ロバーツ、ブレンダがローリー・カンヨク、ジュディーがローラ・フェイグ、ジェームズがスチュアート・キャップス、そしてピアノマンはマシュー・フリードマンでした。舞台のセットも取り立てて何かがあるわけでもなく、舞台の上方(2階部分)にバンドがスタンバイしていて、そのバンドの演奏がまた最高!何だか誰かのライブに来たんじゃないかと一瞬錯覚してしまうぐらい。シーン毎に必要最小限のセットが出てきて、ダンサーたちがただ踊るのです、でもそれがとてもよかった。それから登場人物は、ビリー・ジョエルの曲に登場する人物から作り出されているのですが、だからといって曲の歌詞がダンスを観ていて、耳障りなほどに介入してくるわけでもなく、その点もよかったです。・・・というか、ダンスがやはりすごいので、歌詞がギッシリとついたジョエルの曲をゆっくり楽しんでいる暇はないのかもしれません。ビリー・ジョエルの曲はその昔結構聴いていた時期があったけれど、観劇前にサントラCDで歌詞など確認しておいてよかったですね。また、ストーリー的には、歌や台詞がたくさん入るいわゆる「ミュージカル」のような複雑さはないし、最後のハッピーエンドの安易さにも正直ちょっと拍子抜けなところもありました。ストーリーはシンプルでわかりやすい、でもシーンごとの登場人物の感情の流れや機微のようなものをダンス、身体の動きが伝える力、そういうものはすごかったと思いますし、「ダンス・ミュージカル」ならではの魅力が溢れていたように思います。

例えば、ベトナムの戦火のなかで敵も味方もわからなくなるエディーやトニー、そして彼らとは離れ離れになりアメリカに残されるブレンダたちの様子が、「ハートにファイア(We Didn’t Start the Fire)」の曲に乗せて表現されるシーン。生と死が交錯する戦場のすさまじさ、狂気の沙汰のようなものが、ダンサーの体温とともに伝わってくるのには圧倒されました。ああいう感覚というのは、台詞をいくら重ねても伝わりきらないものなのかもしれないし、身体を通してこそ伝えるべきものなのかもしれません。それからベトナムの後、心を通わせられなくなったトニーとブレンダを描写するシーンが、「ビッグ・ショット(Big Shot)」から「ビッグ・マン・オン・マルベリー・ストリート(Big Man on Mulberry Street)」あたりのシーンなのですが、トニーがブレンダと肌を寄せ合って踊るのだけれど、そこには乗り越えられない何かがあるのが痛いほど感じられるダンスなのです。そしてそんな二人の行き場のない感情のようなものが、激しく扱われるブレンダ(女性ダンサーなのにとてもアクロバティックに投げられるようなダンス)から伝わってきたり、トニーと女性ダンサーとの濃厚なダンスで伝わってきたりするんです。そしてそれとは対照的に終盤、「シェイムレス(Shameless)」で、再び心を通わせられるようになるトニーとブレンダなわけですが、ここではお互いに相手を振り回す、振り回されるというような激しいダンスが繰り広げられる。でもそこには苦しみを乗り越えたがゆえの二人の愛、信頼感のようなものが溢れんばかりに満ちている、そういうダンスなのです。パンフレットにビリー・ジョエルもお気に入りのシーンと書いてありましたが、本当によいシーンなのですよ~。

私が観たのは、ブレンダン・キングのエディーで、本当に「怒れる若者(Angry Young Man)」そのもののような、エネルギッシュでアクロバティックなダンスが非常に印象的でした。ラスタ・トーマスのエディーも見てみたかったですね~。そんなエディーは、最初の時点でブレンダと破局していることからもわかるような、無鉄砲さが1幕では印象的です。2幕では行き場を失ったエネルギーと癒えない戦争の傷の狭間で漂い、誰とも心を通わせられずに抱く孤独感がとても印象に残ります。そして最後にエディーは、恋人ジェイムズを戦争で失ったジュディーによって、再生への道筋を示されるのですが、そのあたりをラスタ・トーマスはどんな感じに演じていたのでしょう。ブレンダン・キングのエディーは、確かにアクロバティックなダンスがとても印象的だったのですが、やはりこのあたりの感情の表現のしかた、わかりやすくはあったけれども、深みが感じられない?なんていうことが頭の中をよぎることがありました。

そして最後に青山航士さんファンとして一言(と言いながら長いです)。散々あちらこちらで言ってきましたが、やはりこの作品、青山さんで観たいです~~~。この『ムーヴィン~』は、もう最初から舞台の熱気に圧倒されて、集中して観ていましたけれど、やはり私は青山さんファンであるので、ビリー・ジョエルの名曲のフレーズと振りのパーツごとに、青山さんのお姿がよぎっていくわけです・・・。各シーン、ああコレ、青山さんなら、どうやって踊るだろう~、っていう瞬間が、もう果てしなく・・・。ターンひとつとっても、音楽に合わせた「ダンス」として見せるというよりは、感情を乗せた「動き」という感じで、その「動き」そのものがトニーの感情だわ、という感じなのです。当然、綺麗にキメてフィニッシュというわけではなくて、「ダンス」のターンとして回っているというより、もう日常生活の中の一つの動きにターンが入り込んでしまっている感じというのでしょうか。ああいうのを青山さんならではの「精巧さ」と「崩しのテク」で魅せてもらいたい~。青山さんの動きって、本当にコレ人間がやっているの?と自分で自分の眼を疑いたくなるときがありますけれど、その一方で「ピッタリとはめ込む」だけではない、そこから崩したり、遊んだりしたりするところもあって、そういうところすごくスリルがありますよね~♪

それから、やはりひとの心という内面を表現するときの青山さんの凄さを知っていると、どうしたって情感豊かな青山さんヴァージョンを見たくなります。今回のキャストは本当にスゴイと思うのだけれど、日頃青山さんの表現を観ていると、やはりそんな彼らが「大味」に感じられてしまう瞬間というのがあるんです・・・、どうしたってファンですから、しょうがないですよね~。ミュージカルではなかったけれどひとの心の奥底を語るようだった『森羅』など思い出してみると、今の青山さんだったら、どんなふうに演じるのだろう・・・?とか思ってしまう。それから「ダンスで語る」と言っても、WSSとこの『ムーヴィン~』ではうまく言えないけれど、ちょっと語り口も違う感じですしね~(『ムーヴィン』の場合、WSSよりもっと「一人称」っていう感じのダンスのような気がしました)。こんな作品を今の青山さんならどう語るのか、観てみたい~。エディーとトニー、それぞれ対照的なキャラクターですが、彼ら二人のそれぞれの再生への物語を青山さんなら、どんなふうに語るのだろう、エディーもトニーも両方観てみたいですね。ブロードウェイキャストの再来日を待ち望むのもよいのかもしれませんけれど、青山航士さんのようなひとが踊っているこの日本でも、『ムーヴィン~』のようなダンス・ミュージカル、もっともっと増えてほしいです。「本場ブロードウェイ」のダンサーたちがあれだけ魅せてくれた作品、青山さんならどんなふうに魅せてくれるでしょうかね~(ひたすら妄想の世界へ・・・)。ピアノマンのマシュー・フリードマンは、アンコールで、”New York State of Mind”の一節を、“I’m in a Tokyo state of mind~♪”なんてサービスで歌ってくれていましたが、ホントに「Tokyoヴァージョン」あったらイイですね~。