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路上の宝石

日々の道すがら拾い集めた「宝石たち」の採集記録。
青山さんのダンスを原動力に歩き続けています。

◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポ Ⅴ

2007-08-09 22:52:29 | ボーイ・フロム・オズ
♪Everything Old is New Again 歴史は繰り返される

「Everything Old is New Again/ 歴史は繰り返される」の歌詞にもあるような、「タップシューズ、白燕尾」(Get out your white suit, your tap shoes and tails)に身を包み、頭にはシルクハットを被り、手にはステッキを持った華麗なピーター。プライベートにおいても、キャリアにおいても、まさに頂点をむかえつつあるピーターが、ニューヨークのラジオ・シティー・ミュージック・ホールで、ロケッツとのラインダンスをショーとして見せる、第二幕での「見せ場」とも言える非常に華やかな場面です。BW版では、女性のみのダンサーによって、しかも鏡を使用して、大人数に見せたというこの場面ですが、今回の日本版では、女性に混ざって、「女装をした男性」がこの場面に登場し、華を添えています。青山さんが、以前にファンサイト様の掲示板で書かれていた「女装」とは、このロケッツのダンスシーンにおいてのことでした!

この曲の冒頭でピーターは、夢をこの手につかみ、頂点にある自分の人生を謳歌するように、スポットライトを浴びながら、ひとりでこの歌を歌い、優雅に踊ります。「雨の夜更けは思い出に浸ろう 夢よもう一度 歴史は繰り返される」(Don’t throw the past away / You might need it some rainy day / Dreams can come true again / when everything old is new again)、とサビの部分を歌い終わる頃、ロケッツの踏むステップの足音と彼らのコーラスの声が、ピーターの歌に重なってゆきます。それと同時に舞台に向かって右手から、一列に並んだロケッツの姿が現れるのです。全身真っ白な衣装のピーターとは対照的に、ロケッツの衣装は、赤くキラキラ光るスパンコール(?)を基調としたもので、胸元・腰周りにはシルバーのきらびやかなラインが入っています。頭は同じく赤いスパンコール地のつなぎで覆われていて、その中心には、大きな羽飾りがついています。足元はシルバーに光るダンスシューズに、肌色の網タイツ、勿論目には「つけまつげ」、メイクもショー仕様の派手なものです。女性アンサンブルの方も、そして青山さんを含めた男性アンサンブルの方も、皆さんこの衣装でご登場です。青山さんは列の最後から2番目でご登場。男性アンサンブルの方、お顔のメイクも、脚のラインも素晴らしくお綺麗で、一見女性と区別がつきません。私も初見のときは、横一列に長く並んだロケッツの中から、青山さんを見つけるのに、一瞬戸惑いました。しかし発達した大腿筋とその安定した脚捌き、ピンと伸びたしなやかな上半身、「女性」ではなくて、「女装した男性」の雰囲気を見事に作り出す表情としぐさを見れば、青山さんは一目瞭然。もう最高なのです!

ロケッツ登場のシーンに引き続いて、一度音楽が鳴り止み、ピーターは向かって左端の、ロケッツの列に入り、「ロケッツと一緒に踊ることが夢だった」ということを、ストーリーテリングします。その間勿論ダンスも一度ストップし、皆さんじっと立ったままなのですが、この間も青山さんは、その立ち方、まばたきの仕方、口元の表情の作り方のひとつひとつが、「女装をした男性」の空気を作り出していて、全身からそのようなオーラを放っているかのようです。そして再び曲が始まり、一気に盛り上がっていくのですが、このときに一列だったロケッツが、ステップを踏みながら、数人のかたまりごとに分解していきます。そのときの青山さんの、客席に向かって「斜め」のお顔の角度と、それに伴う眼の見開き方、そして首から下の身体の表情が、キュートで愛らしく、またまたこの上なく「それらしさ」を醸し出しています。そして再びサビの部分、一列に並び直したロケッツは、セリで上がっていきます。このとき左右の脚を斜め前に交互に出す振りがあるのですが、流麗さと華やかさとともに、優しさに溢れていました。遂に夢をつかんだピーターの幸福感とよろこびがこちらにも伝わってきて、心の底から拍手を送り、祝福したくなってしまうのです。そして全員が一列に並んで勢いよく足を上げる、これぞ「ラインダンス」という部分は、ピーターにとっても、そしてきっと観客にとっても「夢の世界」、圧巻でした。また曲が一度終わって、歌詞のついていないインストゥルメンタルなヴァージョンに合わせて、列の左端からウェービングのように、ひとりひとりが順番に、上半身をしならせるときも、青山さんの場合は、首の使い方やあごの向け方、背中のしならせ方などにも、すごく「女装した男性」の雰囲気がありながら、優雅さもあって、観ているこちらも微笑んでしまいます。最後は中心で左右二手に分かれたロケッツが(確かそうだったと思います。ここでは青山さんの笑顔に釘付けで、いつもそのお姿だけを眼で追っていたので、ちょっと記憶が飛んでいます。)、身体を「く」の字にして前の人の腰に手をあてて、列としてつながりながら、小刻みなステップで舞台両袖に引いていきます。

このシーンの華やかなロケッツのラインダンス、本当に楽しくて最高だったのですが、そのなかでの青山さんの「女装をした男性」の演技、これはやはり一番皆さんにお伝えしたいところです。青山さんの「女装」がどんなものなのか、と楽しみにしていた一ファンとしての気持ちを満足させるということだけでなく、この作品の中でこのシーンを際立たせるという点においてもです。やはりこの場面は、ピーターの人生、夢の頂点を描き出す、華やかな場面。ピーター自身の台詞にもあるように、「胸に勲章をつけて、整列した軍隊に並ぶよりも、ラメやスパンコールのきらびやかな衣装に身を包んだロケッツの列に、「男の勲章」をつけて入ることを、いつも夢見ていた(台詞を忠実には再現していません、要約しています)」という、ピーターの夢が実現する場面です。ピーターのゲイというセクシュアリティーと彼のキャリアが密接に連関して、ピーターの人生が開花し、すべてを手に入れたかのように思える幸福の絶頂ともいえるこの場面。実際のラジオ・シティ・ミュージック・ホールでのショーをはじめとして、この頃のピーターの客層は、ゲイの人たちや「女装した男性」が多かったというのは、ピーターによって語られるとおりです。「女装した男性」の空気をいきいきと、見事に作り出していた青山さんを見ていると、「ありのままの自分」を曝け出して、それをキャリアの中に取り込み、様々な過去を経て、成功をつかんだピーターの幸福感と喜びが、こちらにも伝わってきて、彼の人生の「そのとき」を、共に祝福したくなってくるのです。そしてそんなピーターに熱狂する、ホットな男性たちの熱気が再現されて、青山劇場の客席にいながらにして、当時のピーターのショーの客席に座る、そんな観客たちの笑顔にまで想いを馳せることができるのです。オーストラリア版では日本版と同様に「女装した男性」が加わり、BW版では女性のみのヴァージョンだったというこのシーンですが、青山さんが踊った日本版ロケッツ最高でした!!

この華やかなショーの後は、ラジオ・シティー・ミュージック・ホールの楽屋へと、シーンが移ります。そこで、ショーを終えたピーターを、年老いた母マリオンが迎え、息子の偉業を嬉しそうに、心から称賛し、ねぎらうのです。そして、息子に、自分自身にも新しい恋人ができたことを告げ、「古ぼけたものでさえも、新しくなってしまう」ように、「人生何がおこるかわからない」という気持ちを込めて、再びここで、「Everything Old is New Again / 歴史は繰り返される」を歌います。喜びを分かち合うピーターと母マリオン、とても幸せそうです。この曲の歌詞にもあるように、「だれもが大スターに」なってしまうことがある、という意味で、「人生何が起こるかわからない」のですが、このシーンの後、ピーターの台詞にもあるように、「人生何が起こるかわからない」、というこの言葉の意味は反転してしまうことになります。恋人グレッグ、そしてピーター自身もエイズに侵されていることがわかるのです。「まだ起きてもいないことが、懐かしく思えてしまう」という死期を悟ったグレッグの言葉が心に重く響いてきました。


※このシーンの設定は、ニューヨークのRadio City Music Hallとなっていますが、この劇場とRockettesについての記事はコチラです。
青山さんが出演された『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』では、日劇と日劇ダンシングチームが登場しますが、Rockettesと日劇ダンシングチームには関連性があったようです。そのことについて書いた記事です。



☆ここのところ、「この記事どこかでもうすでに1回読んだよ~」な記事ばかりを更新しまして、申し訳ございません。OZの詳細レポ終了後には、普通の記事も投稿する予定ですので、もう少々お待ちくださいませ。

◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポ Ⅳ

2007-08-07 23:10:30 | ボーイ・フロム・オズ
♪Sure Thing,Baby 「確かだぜ、ベイビー」

第二幕冒頭のBi-coastalの歌詞のように、「東海岸でも西海岸でも」売れたい、と考えるピーターに対し、「衣装や照明がキモイ」、と恋人グレッグ(IZAMさん)は冗談を交えつつも、厳しい指摘をします。しかしながら、事実上、東海岸でも西海岸でも人気がイマイチなピーター。公私共に、ピーターのパートナーとなったグレッグは、ピーターのクローゼットに入っているたくさんのアロハシャツを、いっそのこと、ショーの衣装にしたらどうか、と提案します。凄腕マネージャーのディー・アンソニー(団時朗さん)も加わり、ピーターはここから、キャリアの頂点へと上り詰めていくことになります。アロハシャツをショーの衣装に決めたピーターですが、その着方をめぐって、グレッグとディー・アンソニーが対立。そんな二人が、ピーターを盛り立てていこうとする気持ちを、勢いのあるミュージカルナンバーで歌い上げるのが、「Sure Thing, Baby/確かだぜ、ベイビー」です。

「男らしさを女性客にもアピールしたい(ゲイらしさを演出したくない)」マネージャーのディー・アンソニーは、アロハシャツの胸元を大きく開けさせて、胸毛を見せるようピーターに提案。しかしピーターに胸毛がなくて、ガックリ。さらに「男っぽく」見えるよう、手を入れるためのポケットのついたパンツをはくように提案、噛みタバコをペッなんてやったらいい、またはライザ(女)と結婚していたと言うのもいいかも、と提案します。一方、セクシュアリティーのアピールにおいて中途半端なピーターは、ゲイには「裏切り者」、ゲイでない人には「ヒステリーなオカマちゃん」と批判されている、と指摘するグレッグ。ゲイの人たちに受けがいいように、シャツの裾をインにして、お尻を強調するスタイリングを提案。そんななか、舞台右手で、背を向けていたピーターは、その後のピーターのトレードマークになったというアロハシャツの裾をおへその前で結んで、両手を挙げてくるりとこちらに向きを変えます。ゲイというセクシャリティーを、ありのままに自分のキャリアのなかに取り込んで、キャリアを開花させてゆくピーターがそこにいるのです。「それらしい」しぐさで舞台袖へと消えてゆくピーターですが、この後、今度はピーターによる「Peter’s “ Sure Thing ,Baby”/ピーターの確かだぜ、ベイビー」のナンバーとともに、舞台はニューヨークの有名クラブ、クラブ・コパカバーナへとあっという間に場面転換してゆきます。

OZでは、舞台両サイドの雛壇に、バックバンドが控えていて、それがあるときはニューヨークの摩天楼のような「背景」のように見えたり、あるときは実際のショーのシーンのバックバンドとして振舞ったりと、音楽を奏でるだけではない、なかなか面白い役割を果たしています。このPeter’s “ Sure Thing ,Baby”では、バンドの方々も、アンサンブルの方々と同じ、「パナマ帽(?ウエスタンな感じもちょっとした気がします)」を被り、「クラブ・コパ」な雰囲気を盛り立てています。

この曲は始めからすごく盛り上がった感じでスタートしますが、まず男性アンサンブル3人が回転させる赤いグランドピアノの上で、腰を振りながら踊るピーター(先ほどの赤系のアロハシャツに赤パンツを着ています)が舞台中央奥に現れます。パイナップルなどを積んだ籠を頭上に飾り、黄色系の南国風ヒラヒラドレスに身を包んだ女性コーラスのトリオが、「ショ~シ~ング、ベイ~ベ~」とこの歌を歌いながら現れます。ここまでで既に客席の気分はトロピカル、すごく盛り上がっているのですが、そこへ一気に登場してくるアンサンブルのダンスによって、このシーンに華やかさと勢いが加えられるのです。

アンサンブルの衣装は、さきほどの帽子に、白地にオレンジのハイビスカス模様のアロハシャツ、薄い黄色系のパンツというもの、帽子にもアロハと共布の生地が巻きつけてありましたが、アンサンブルの方々は、この帽子を目深に被って、目元が見えない状態。しかも髪の毛もバンダナで覆っていて見えない状態です。これは次のシーン、Radio City Music Hallでの、ラインダンスに備えて、既に目元には男性も「つけまつげ」をつけ、髪の毛もセットしてあるためでしょう。しかし、この便宜上、次のシーンの衣装の下準備段階を隠すためであった帽子が、ダンサーの目元を隠し、その視線を遮断したことは、この場面のダンスの魅力を、結果として倍増させていました。また次のロケッツとのダンスシーンという、「ピーターの夢の頂点」を予感させる演出ともなっていた気がします。

青山さんが踊っているときの「眼光」の魅力、これについては前にも書きました。しかし、この場面でのダンスは、これを敢えて隠した上でのダンス、つまりある種人格を消したような、もしかしたら、ちょっと抑えたような、匿名性があるようなダンスなのです。しかしそこには、文字通り「身体だけ」の表現が息づいており、精確さを極めながらも、語りかけてくるような、いきいきとした、非常に豊かな表情が加わっていて、青山さんのダンサーとしての力量に感じ入ってしまったのです。目元を隠し、その視線を遮断して踊る、しかも髪をバンダナで覆っているので、パッと見て個性が消えているような印象を受けます。一気に登場してくるアンサンブルのおひとりおひとりを見分けるのは、確かにちょっと大変だったかもしれません。しかしその類まれなる動きを見れば、やはり青山さんは青山さんなのです。このシーンでのダンスは、変化に富んだ振りをハードに踊るというものではなくて、シンプルな振りを着実に踊るというもの。青山さんの、非常に輪郭のはっきりとした動きの1コマ1コマを改めて感じることができるシーンと言えます。特筆すべきが、上腕部から肘、そして肘から手首、掌にかけての腕の動きです。腕を下に向けてフィンガースナッピングをしながら、ステップを踏むところがあるのですが、このときの肘を中心にした腕の動き、上腕部と下腕部が肘を中心にしなうあの動き、絶妙でした。そしてその腕の動きに伴う、帽子を手で押さえながら行う、前かがみ姿勢の身体のしなやかなラインとその中心に通った力強い動きの軸、やっぱり青山さんなのです。またそれとは逆に、腕を上向きに、空をつかむような感じで伸ばすところがあったのですが、こういうときの青山さんの腕の素晴らしさ、宙を切り裂くようで、もう完璧です。まさに、「夢をつかんでやる!」、「これからは俺の時代だ!」というこの曲に託されたピーターの気持ちを表現しているかのようです。またこのPeter’s “Sure Thing ,Baby”では、Bi-coastalのサビの部分が挿入されます。確かその部分で、目深に被った帽子を片手で押さえながら、脚を高く蹴り上げる振りなども、鮮明な画像として焼きついています。このシーンでの青山さん、ストップモーションの画像のごとく鮮やかな、一瞬一瞬の動きが素晴らしく、しかもその一瞬の動きには、ピーターの開花しつつあるキャリアの潜在的なパワーを感じさせる力強さがあって、とても印象的なのです。

「確かだぜ、ベイビー」という曲のタイトルが示すとおり、このシーンでは、「これからは俺の天下だ」というピーターが、自分のサクセスストーリーを語るために、曲の途中で彼によるストーリーテリングが挿入されます。そのときには、ダンスもシンプルな振りの繰り返しとなるのですが、そのなかのひとつが、舞台中央付近で、片膝をついてしゃがみ、うつむき加減になって、頭をカクカクと上下に振る部分です。すごくシンプルな振りを、帽子を被ったままの状態で踊るわけですが、そういうときも青山さんは、一定のリズムを刻む動きの線が鋭くて本当に見事です。青山さんは、このシーン以外のダンスシーンでは、センターで踊ることが多いのですが、このシーンではアンサンブルの前方左端というポジションで、アンサンブル全体を引っ張るかのように踊っておられます。そこで青山さんの精確なリズム感に裏打ちされた輪郭鮮やかなダンスが、アンサンブル全体の波のような動きを引き締めているのです。この曲の最後は、ピーターの上り調子のキャリアがすごい勢いで階段を上ってゆくような感じを表現しています。このシーンに引き続くロケッツとのダンスシーンはまさにピーターのキャリア、そして人生の頂点ともいえる場面。そこへたどり着く一歩前の、期待と興奮が盛り上がっていく様子が、うつむき加減にうなずいて、駆け足をするときのように腕を前後に振る動きをする、力強いダンスによってこちらにもよく伝わってきました。待ち望まれた、ピーターのキャリアの開花としての、このシーン自体のショーとしての華々しさも素晴らしく、観客を盛り上げて引き込むパワーに満ちているのですが、さらなる夢の頂点を観客に予感させつつ、次のシーンへといざなうような、青山さんの抑制の利いた力強さの表現が、とても印象的でした。

ショーが終わって舞台後方が暗転するなか、舞台前方中央に、ピーターと彼を取り囲む男性アンサンブルのみが残り、スポットライトがあたります。次のシーン、Radio City Music Hallでのロケッツとのダンスシーンのために、ピーターは舞台中央で着替えをするのです。男性アンサンブルに囲まれて、2階席からもほとんど坂本さん@ピーターの生お着替えは見えない状態です。青山さんは客席から見て右側で、坂本さん@ピーターを固くガードします。このときのピーターと男性アンサンブル、舞台と客席のやりとりがまた楽しいものです。そしてRadio City Music Hallの「世界最大のパイプオルガン」にからんだ話を差し挟んだりしながら、「ありのままの自分」全開のピーターが、男性アンサンブルの方に囲まれての嬉しい着替えを、客席に中継しているような感じです。そして「これ以上何を望むっていうの!」というピーターの一声とともに舞台は暗転、アンサンブルが疾風のように舞台袖に引き上げたかと思うと、舞台中央には、スポットライトに照らされた、白燕尾服にステッキを持った、輝くばかりに華麗なピーターが・・・。素晴らしい変わり身!アロハシャツから白燕尾服への、ピーターの見事な変わり身を演出したのは、他でもない、青山さんたち男性アンサンブルの方々でした。素晴らしいダンスを披露した後では、「黒子(黒衣)」の役割も果たしていたのです。アンサンブルがお揃いで着た同一の派手なアロハシャツと、帽子によって視線を遮断したことによる匿名性がここでも効果的でした。

◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポ Ⅲ

2007-08-03 02:20:29 | ボーイ・フロム・オズ
♪She Loves to Hear the Music 「音楽を聴くのが大好き」

ライザに男性との戯れを目撃されたピーターは、自分の中には「ライザ」という名前しかない、と釈明をするものの、彼女との距離は決定的なものとなってしまいます。そして、ピーターのキャリアは「どん詰まり」に入り込むなか、ライザの人気は上がる一方。「たったひとりで片隅から、成功への階段を駆け上るライザを見ているしかなかった」というピーターが、舞台左手の端から中央をじっと見つめると、舞台中央奥にライザのシルエットが、浮かび上がります。頭上には、ライザを描いたイラストとともに、”LIZA”と大きな赤い文字で書かれたショーのセット。ライザ・ミネリといえば、あの衣装という、赤いスパンコールのマイクロミニに身を包んだ紫吹さん@ライザが、「ライザ・ミネリ」っぽいしぐさで、「She Loves to Hear the Music/音楽を聴くのが大好き」を歌い上げます。今や「ライザ」という名は、多くの人のなかに浸透したものとなったこと、そして誰よりもライザこそが、「自分が一番」と言われることを望んでいるということが理解されるのです。しかし、いかに皆の注目を一身に集め、スポットライトを浴びたとしても、たったひとりでこの歌を歌い始めるライザには、歌詞にもあるように、「起きるときは、いつもひとり」という、スターの孤独感が漂います。それでもなお、「音楽さえあれば生きていける」というライザの決意、あるいは「他の何はなくとも音楽がなければ生きていけない」という彼女の運命を感じさせるのが、この曲であり、このシーンなのです。そして曲の中盤からは、バックダンサーたちとともに「見せ場」ともいえる迫力ある圧巻のダンスが、「ショーのリハーサル風景」として繰り広げられるのです。

曲の中盤、盛り上がりとともに、舞台の両袖から、バックダンサーたちが3人で1列のかたまりになって、鉄砲から飛び出す弾丸のごとくライザを取り巻くように登場してきます。そして左右反対方向から各々飛び出してくるダンサーたちは、あっという間に混ざり合い、ライザを囲むようなフォーメーションとなり、瞬きしている暇もないようなスピーディーな展開のダンスが繰り広げられるのです。青山さんは、向かってライザの左側。ダンサー全員が紫吹さんの周りに集中するとき、また青山さんともう一人の男性ダンサーの方(佐々木誠さん)のみが紫吹さんを囲んで踊るときの二つに大別できます。”The inner rhythms that I hear are all that keep me high”という歌詞のごとく、ライザの身体中をかけめぐる「内なるリズム」と、「音楽を聴かずには生きてはいけない」という彼女を突き動かすような欲求と衝動とが、青山さんに化身して、それを目の当たりにする観客は、これでもかという底知れないエネルギーに打ちのめされそうになるのです。演出のマッキンリー氏が、パンフレットに寄せた言葉のなかで、この作品自体を、roller coaster/ジェットコースターに喩えておられましたが、このシーンでの青山さんは、まさに猛スピードで駆け抜けるジェットコースターそのもの、ヒートアップするエンジンの温度をこちらも体感できるかのような勢いなのです。

ダンサーたちが踊る時間は決して長いとは言えないのですが、このシーンでは、印象的な振り付けが多く、そのハイライトともいえる部分を青山さんが踊ります。ライザの後ろで、背を向けて肩を小刻みに震わせる振り(BW版HP参照。「演技者。」でも稽古中映像で映っていました。)などは、生身の身体が到底作り出せる動きではない、とさえ感じてしまうようなエネルギッシュなものでありながら、BW版のダンサーにはない「しなやかさ」がありました。また赤いラメの手袋をした手のひらに関しても、指の先の先までに神経が行き届いた感じがよくわかります。ダイナミズムを感じさせつつも、これ以上細やかにできるのかとも言いたくなるような一瞬の動きのひとつひとつが、瞼に焼き付いて離れません。ライザを含めた3人が、間奏の部分(Let me hear the musicの前の部分)で、身体の左側右側とで交互に、手首で手のひらを折り返して上下させる振りなどでは、一瞬のうちにエネルギーがパッと発散されるような手の動きとともに、しなるような身体全体のラインが、「ライザのなかで波打つ衝動」をこちらに伝えているかのようです。そして管楽器が刻むリズムごとに、背を向けて肩を上下させる振りや、上半身のみをこちらの方向にねじり、振り返りざまに、肩を動かすシーンなど、挙げだしたらキリがないのですが、一時一時で刻々と変化する肩から腕、背中、腰、大腿部の動きには、青山さん独特の際立つキレを感じてしまいます。躍動する身体のすごさをそれが当然とばかりに魅せつけてくれるという、つまり、それは青山さんのダンスの醍醐味を、短い時間のなかに凝縮して味わうことができるのが、このシーンの特徴でしょう。

そのようなダンスの魅力を引き出すのが、このシーンでの衣装です。この場面での、青山さんをはじめとした、バックダンサーさんたちの衣装は、男女ともに同じもの。黒の不規則な光沢のある薄いベロア(?)のような生地で、身体にピッタリとフィットしたボディースーツのような衣装です。胸に深くV字に入った切り込み(スラッシュ)と、裾が広がっているベルボトムシルエットが、とても60年代末~70年代っぽさを醸し出しています。肌の露出がほとんどないこの黒のボディースーツに、手には赤いラメの手袋(紫吹さんの衣装と同じ質感)。見たところ、掌までが露になっていない、全身を覆いつくす衣装なのですが、そのことが逆に、独特のセクシーさを演出しています。膝から上の身体のライン(輪郭)を強調するフィット感と、動くたびに変化するダンサーの筋肉を鈍い不規則な光沢で表現する生地の質感が、躍動する青山さんの身体の動きの凄さを見事に引き出しています。ライザを突き動かす「音楽を聴かずにはいられない」という抑えられない欲求・衝動と、歌詞にあるような”the inner rhythms “すなわち「身体のなかで脈打つようなリズム」を、青山さんの身体が代弁しているかのようなのです。

一方、紫吹さん@ライザは、真っ赤なスパンコールのホルターネックのマイクロミニというとても露出度の高いお衣装。スポットライトがあたって、キラキラ光る真っ赤なスパンコールの衣装と真っ白に輝く肌のコントラストが眩しく、長くのびやかな手と脚が、紫吹さんらしい「ライザ」のオーラを放ちます。BW版ライザも、本物のライザも、もう少しボリュームのある感じですが、紫吹さんのライザの魅力は、やはり何と言っても、素晴らしいくらいに美しい肩、細長い手と脚の繊細かつダイナミックな動きです。その点においても、バックダンサーたちの全身を覆いつくした衣装は、ライザとは対照的で効果的です。対照的な衣装で、舞台上にそのエネルギーをぶつけあい、融合させてゆくライザとバックダンサーたちを観ていると、ダンスの盛り上がりとともに、どんどんテンションが高くなっていく様子が伝わってきて、こちらは圧倒されてしまいます。また、ライザのこの衣裳の「露出度の高さ」が、この曲のストーリーを伝えるときに非常に効果的です。この曲の前半では、ライザのスターダムを駆け上がるなかでの「孤独感」が漂いますが、そのとき、この真っ赤なマイクロミニから覗く、白く細長いライザの手や足の動きが、広いスタジオの空気に晒され、たったひとりで歌うライザの心細さを表しているかのようなのです。しかし後半は一転して、この「露出度の高さ」こそが、ライザの自信を見事に表現するのです。あれほどの衣裳を着こなし、歌い踊れるのは、この私しかいない!というようなライザをうみだす、紫吹さんの迫力は素晴らしかったですよね。

BW版の公式HPのvideo galleryとphoto galleryで見た限りですが、BW版ダンサーの衣装に比べて、日本版ダンサーの衣装は、また異なる視点から、ダンサーの動きを堪能できるものになっています。BW版に比して、膝から上の身体の動きの表現という点では、今回の衣装の方が、身体の放つエネルギッシュなパワーをよりダイレクトに感じることができるものではないでしょうか。しかし、その分、それを着て踊るダンサーにとっては、厳しさを要求してくる衣装だったかもしれません。単に身体のラインということだけでなく、振りに伴う筋肉の動きが立体的に三次元で伝わってくるような衣装なのです。しかし身体のパーツごとのキレが手に取るようにわかるこの衣装、青山さんの躍動する身体を堪能するには、最適な衣装であったことは明らかです。(ベルボトムシルエットが、膝から下の動きの鋭さを堪能することを妨げることはありますが・・・。)そして男女ともに同じ衣装を着ることによって醸し出される男女の性差の曖昧さとボーダーレスな感じ、さらにはそのことによる独特な艶っぽさは、このショーの魅力を増大させていましたが、その程度はBW版の白フリルシャツによるそれを遥かに超えていた気がします。

この曲のフィニッシュは、今や栄光をこの手にしつつあり、自分の運命のあり方に気づいた輝くばかりのライザを、青山さんともう一人の男性ダンサーの方が、力強くリフトするというものです。それまでもスポットライトは十分すぎるぐらいにあたっていたはずですが、この瞬間の宙高くリフトされるライザには、降り注ぐスポットライトのすべてをその両手につかむ自信が満ちています。

ダンスシーンのリハーサルが終わり、リフトされたライザを青山さんたちがフロアーにそっと下ろすと、それまでの空気がガラリと変わります。素晴らしいダンスを共に作り上げた一体感が、ライザとバックダンサーたちに生まれているのです。青山さん@ダンサーも紫吹さん@ライザと言葉を交わし、心の底からその喜びを分かち合っている様子が伝わってきます。そして、他でもない青山劇場の観客が、「リハーサル」として目の前で繰り広げられた素晴らしいダンスに、割れんばかりの、惜しみない拍手を送っていて、「観客」を想定していないはずの、その「リハーサル」としてのダンスシーンに、「観客」として完全に引き込まれてしまっているのです。ライザの高揚感をバックダンサーのみならず、観客も明らかに共有していたのです。OZのダンスシーンに特有なのは、この感覚です。台詞のやり取りやピーターのストーリーテリングが多いなかで、適所に差し挟まれるダンスシーンは、眼の前で繰り広げられる「ショー」として観ている者を引き込み、その時代と場所に、いつの間にか立ち合わせる、という感じなのです。今回のOZは、WSSなどと比して、決してダンスは多いとは言えないかもしれません。しかし、2時間40分という上演時間にピーターの約40年間の波乱に満ちた人生を盛り込むというこのミュージカルに、奥行きとリアリティーを与えているのは、紛れもなく随所に散りばめられたダンスシーンであり、アンサンブルが作り出した「場」でありました。

話は戻りますが、確か台詞にもあったと思うのですが、そんなライザにとっては、バックダンサーたちは、「夢」を分かち合うことのできる「家族」のようなもの。彼らと楽しそうにリハーサル後の談笑を楽しむライザには幸せそうな表情が読み取れます。そこへ、ライザの母ジュディーの死を知らせに来たピーターが現れます。今のライザにとっては、明らかにピーターよりバックダンサーたちのほうが近い存在、仲間と感じていることが伝わってきます。ここでも、Continental Americanに引き続き、ピーターが一人取り残されていくという、孤独感がより一層際立ちます。そして、素晴らしかったダンスシーンの後の高揚した空気が、ピーターによってもたらされたジュディーの死の知らせによって、ここで再び、悲しみと衝撃に満ちた重苦しいものへと一変するのです。「ジュディーの死」という、これ以後のピーターとライザの関係に深い影を落とすことになる出来事の衝撃が、あのダンスシーンによって高揚感を得ていたライザやバックダンサーたちにも、そして、あのダンスシーンによってそんな舞台の空気と一体化していた観客にも、より大きなものとして伝わるのです。リハーサルから引き上げていくバックダンサーたちの後姿にはライザの悲しみへの共感と受けた衝撃の深さがにじみ出ています。

このシーンの後、ライザはピーターに別れを告げることになります。咲き誇る「真紅の薔薇」のように、スポットライトに照らされた輝くばかりの栄光のすべてを、手に入れたかのような華やかなステージの陰には、I’d Rather Leave While I’m in Loveの歌詞のごとく、「枯れてゆく薔薇」のような傷ついた心があります。Continental American、そしてこのShe Loves to Hear the Musicでの青山さんを観ていると、そのようなピーターとライザの心の風景というものが、こちらにグッと迫ってきます。そして、これらのシーンを通して強調されたピーターの孤独感があるからこそ、ライザも、ジュディーも、おまけにアレンブラザースの相方のクリスもいなくなって、本当に一人ぼっちになったピーターが今度は、第一幕最後のNot the Boy Next Door以降、「ありのままの自分」を見つけ、人生のパートナーとも出会い、キャリアの頂点へと上り詰めていくドラマティックなプロセスに、ピーターに寄り添いつつ、観客も入り込んで行けるのではないでしょうか。

やがてこのように第2幕前半で「すべてを手にいれた」はずのピーターは、第2幕後半で、パートナーの喪失、自身の病、マネージャーとの決別と、全てを失ない、悲しみに打ちひしがれます。しかしそこからピーターを引き上げ、覚醒へと向かわせるのは、他でもないライザなのです。「セックスとエゴと野心さえなければ、私たちはうまくいっていたのにね」という台詞で、ピーターとライザによって振り返られる過去に、Continental AmericanとShe Loves to Hear the Musicのシーンが重なります。第2幕後半そのシーンのYou and Me の歌詞にあるように、「すべての夢がかない、すべてを手に入れたはずの」ふたりが唯ひとつ失くしたものが「愛」だった、というピーターとライザの「取り戻すことのできない過去」に奥行きを与えるのも、この第1幕の二つのシーンContinental AmericanとShe Loves to Hear the Musicがあるからこそです。そして「咲き誇る真紅の薔薇」も「枯れてゆく薔薇」も、すべてを受け入れて、傷ついたピーターを救いだすライザの存在感に深みを与え、出会い、結婚、別離を経ての二人の友情をきわだたせるのです。第1幕の「見せ場」でもあり、第2幕の展開にも重層的に作用するこの2シーンで、青山さんは、その空気を見事にその身体によって創り出し、その画像を鮮烈に観客の目に焼き付けていました。

ところで、She Loves to Hear the Music/音楽を聴くのが好き、この曲の歌詞、確かに他の何はなくとも音楽がなくては生きてはいけない、というライザのためにあるようなものです。しかし、音楽が流れて踊りだすと、「水を得た魚」のように俄然輝きだす青山さんを観ていると、この曲の歌詞、そのまま青山さんのためにあるような気さえしてきます。ライザの「内なるリズム」と彼女を突き動かす「衝動」が青山さんに化身して、と先ほど書きましたが、このシーンで踊る青山さんを、客席に座って眼の前に観ていると、「このひとは踊るために生まれてきたひとだな」と、観るたびごとにどうしても感じてしまうのです。単に、踊るために生まれてきたと言えるような完璧な「身体」を持っているということだけではないのです。あの身体全体から溢れる豊かな表情、とりわけあの「眼の輝き」を見ていると、新たな驚きにも似た感動に包まれてしまいます。

OZのなかで、青山さんの「一番のお気に入り」だというこのシーン、観劇前からBW版HPやTVの特番の稽古場映像などで、いろいろ私なりに想像していたのですけれど、やっぱりこの眼で実際に観て、あの空気を体感したら、想像以上に、限度を超えた「かっこよさ」でした。とにかく、ファンの方には絶対観ていただきたい青山さんがそこにいる、そんなシーンでした!


※このダンスシーンは、ボブ・フォッシーが監督し、ライザ・ミネリが出演した1972年のLiza with a ‘Z’をイメージしたシーンのようです。DVD『FOSSE』に収録されている”Bye Bye Blackbird”( Liza with a ‘Z’からの曲)は、OZのこのダンスシーンを彷彿とさせるもので、興味深いです。ボブ・フォッシーの振り付けの特徴とされる「猫背・内股」のうち、特に「猫背」な感じが、振り付けに取り入れられているようです。青山さんのフォッシー調なダンスを堪能できるシーンです。

◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポ Ⅱ

2007-08-03 01:23:14 | ボーイ・フロム・オズ
♪Continental American 「コンチネンタル・アメリカン」

Continental Americanでの青山さんは、男性とも女性とも、誰とでも欲望の赴くままに関係を持つというイージーな世界を、まとわりつくように、とってもウェットな感じで、一度踏み込んだら泥沼のように抜け出せないような陶酔感を漂わせながら、表現しています。しかし、そこにはパートナーへの感情のようなものは差し挟まないというドライさがつきまとうのです。”Nights would end at six am. / You’d sleep all day / and then start dancin’ again / The first to see the end.”という歌詞のように、昼も夜も区別がつかなくなるぐらいに抜け出せなくなるような頽廃と快楽の坩堝に嵌っていく様子が描きだされるのです。

この場面での青山さんは、ラメがたくさん入ったグレー系のトップスに、黒のベルボトムのパンツ、首には、ラメ入り(?)のショールをかけています。ピーターのマンションで、一人取り残されたピーターを、数人のそれらしき男女が「ピーター、ピーター」とけだるい声でプレイへと誘い込んでいるところへ、曲の始まりとともに、舞台右手から、様々な仕方で快楽に溺れていく男女が、横一列に並んで入ってくるのです。その最前列の女性は、ヒールを履いて、小刻みに脚をひきずるような振りで出て来るのですが、青山さんはその最後尾、眼鏡をかけた男性との絡みで倒錯的な陶酔を感じさせつつも(初演版では安倍康律さん?、再演版では後藤宏行さんとペアでした)、振り付けは飽くまでスタイリッシュ。このシーンでの振り付けは、全体的にとても官能的で、エロティシズムを感じさせるもの。そして単にカッコイイという意味の「スタイリッシュ」さを通り越して、青山さんには、様式styleとも言える完成された「かたち」を感じてしまいました。冒頭のこの部分の振りは、このあともダンサーがあちらこちらへと分散したかたちで、繰り返されます。

曲の盛り上がりとともに、ピーターと一人の女性(紀元由有さん)をアンサンブルがリフト、二人を囲むようにアンサンブルが絡みながら取り巻くのですが、このとき後方に回って踊る青山さんの波打つような腕の動きが必見なのです!ここでは、酒やドラッグに溺れて、落ちていく感じがよく出ていました。ちなみに、この青山さんの腕の動きを見られたのは、後方席のときでした(特に右側の後方席です)。

そして中盤のダンスは、とっても頽廃的でセクシーな感じ、流れるようでいて、まとわりつくようなウェットな感じです。これから70年代に入っていくという60年代末の、時代の空気の粒が、観ている側にも発散されるのが感じられるような錯覚に陥ります。手や腕全体を使って身体をなぞるような振りや、フロアーをなでるような感じのステップが、ラメ入りの衣装の質感と首にかけたショールの揺れと相まって、底なし沼のような官能と頽廃の空気を充満させていました。それでいて、そこには孤独感が漂うのです。

そしてこのシーン最後で、ピーターがソファーで男性と絡んでいる傍らの、グランドピアノの上で、青山さんは女性の方との情事を踊るわけですが、お互いに反対方向からピアノに寄っていき、ピアノの上に乗るまでの、青山さんと女性ダンサーの方のタイミングと脚捌きが絶妙のかっこよさ。このグランドピアノの場面については、完璧すぎますので、ここまでに。初演時より、「アルマーニのファッション写真」から抜け出たようだ!と私達ファンのあいだでは、話題になりました。快楽に溺れていく、まさにそのところで、予想外に早く帰宅したライザの叫びにも似た声で、彼らの世界に終止符が打たれるのですが、その現実への「引き戻される」感じを、青山さんはとても巧みに表現していたのです。その場限りの、情も何もない関係を、もてあそぶかのような終わり方、そしてピーターとライザを蔑むようなせせら笑いで部屋から引き上げていくその仕方は、ライザの受けた衝撃とピーターの孤独感を強調し、同時に短かったピーターとライザの蜜月時代の終焉を浮き彫りにしていました。このシーンの背景には、「ライザの亭主」としてしか扱われないというピーターの孤独感とさびしさ、ライザの上り調子のキャリアとは裏腹の、自分のキャリアの行き詰まり感から、自分自身の居場所を確かめるために、つかの間の快楽を求めてしまうピーターの存在があります。このつかの間の結びつきが、「偽りのもの」だとわかりすぎるぐらいわかっているがために、そのつかの間の一体感が崩れて、実際にピーターに牙をむいたときに、ピーターがより一層隅に追いやられ、感じた孤独感というものが、観る者によく伝わってくるのです。Continental Americanでの青山さんのダンスと演技は、まさにその流れを観客に伝えているのです。

また一方でこの場面は、ピーターのゲイというセクシャリティーを、最もわかりやすい形で観客に指し示す場面ですが、このようなイージーさと孤独感を伴った表現が、第2幕でのピーターとグレッグとの出会いと関係を、より運命的でピュアなものと位置づけるための、大きな要因になっているように思われます。ピーターや、ゲイ・アイコンであったジュディーの台詞においては、ピーターのセクシュアリティーについて、かなり多くの言及があるのですが、まだピーターが「ありのままの自分」を曝け出していない第1幕では、ピーターの「演技」にゲイとしてのセクシュアリティーを感じさせる部分があまり織り込まれていない気がします。第2幕でも、「ありのままの自分」を曝け出した後のピーターは、そのしぐさや台詞の言い方、そしてパフォーマンスに「それらしさ」が出て来るのですが、やはりストーリーテラーとしての役割を負っていることもあり、100%全開ということではありません。確かに、このContinental Americanで、青山さんはピーターのパートナーを直接に演じていたわけではないですし、以前にレポしたLove Crazyでも、ほんの一瞬「男の子大好き」なピーターのお目に留まっただけだったかもしれません。しかし、先ほど述べたような、第1幕におけるピーターのセクシュアリティーの示され方と合わせて考えると、青山さんの存在は、第1幕においては、そんなピーターのセクシュアリティーを映し出す「鏡」のようなものであったように思われてくるのです。

この後に続くライザとのダンスナンバー、She Loves to Hear the Musicで、ライザが、ピーターではなく、音楽こそが私の生きる道と、目覚めていく展開に説得力を持たせるのも、このContinental Amrericanの衝撃が大きく関わっているは言うまでもありません。

◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポ Ⅰ

2007-08-02 23:50:14 | ボーイ・フロム・オズ
♪Love Crazy 「ラブ・クレイジー」

アップルミントグリーンのビーチシャツに、バブルガムピンクを基調にした水着(ショートパンツ)、足元はブルーのショートソックスに、同じくピンクの靴(スリッポン型?)。こんないかにも60年代な匂いのする装いに身を包んで、アレン・ブラザースのバックダンサー役である青山さんは、オーストラリアのテレビ局の収録スタジオに現れます。その溌剌とした風貌には、TVスタジオという設定でありながら、大きなビーチボールを描いたスタジオセットと相まって、ビーチを吹き抜ける潮風を感じてしまいました。BW版では、カラフルでありながら、もっとクラシックな感じの衣装、確かスーツを着て踊っていたようですが、今回の日本版のセットと衣装は、私としてはLove Crazyのダンスにぴったり、はじけるようなポップさ、若さを作り出すには、もってこいの演出だったように思っています。

舞台向かって右側から、皆より一足遅れてご登場の青山さん@バックダンサー、ビーチシャツを着なおしながら颯爽とスタジオに入ってくるのですが、このときに、胸元がチラリ、ピーター(坂本昌行さん)は思わず覗き込むように、この青山さん@バックダンサーに、眼を奪われてしまいます。テレビ収録の準備中のはずなのに、一瞬全然違うことのスイッチが入ってしまうピーターが、何とも笑えるわけです。再演版では、このご登場のシーンが初演版に比べて、なんと言ったらよいのか・・・(笑)、かなり強調されていました。「実は男の子大好き!」なピーターと、青山さん演ずるイケメンバックダンサーの眼が合ってしまう瞬間のあの「間」が、なんとも言えずおかしくて、毎回会場が沸いていましたよね。17歳の頃から既に「男の人についつい眼がいってしまっていた」ピーターのセクシュアリティー(バイセクシャルであること)が、この作品で初めて観客に示されるのが、この場面です。そんなピーターは関係ないとばかり、収録前の最後の身支度のチェックに抜かりのない、テレビ映りを気にする、「イカシタ」青年ぶりを青山さんは好演。アレン・ブラザースの紹介をするMCの後、Love Crazyの曲の出だしと同時にスポットライトがあたって、カメラが、踊りだすダンサーたちを映し始める瞬間の、青山さんの変化の仕方がまぶしく、非常に鮮やかでした。スポットライトがあたった瞬間、バックダンサーたちのセンターで、満面の笑顔でエネルギッシュに踊りだすあの青山さん、本当に真夏の照りつける太陽のごとく、眩しかったですよね。「60年代オーストラリアでのTV収録寸前のバックダンサーさんたちの緊張」と、「2005年6月(初演時)の青山劇場のOZの観客の期待」が重なって、それが一瞬にしてパチンとはじけて、溶け合っていく雰囲気は、何とも言えず、あの曲の始まりの瞬間は、「青山劇場のOZの観客」が「オーストラリアのTVスタジオの収録に立ち会う見学客」に変容してゆく瞬間だったかもしれません。

この曲の冒頭、青山さんは、まさにスポットライトとカメラの中心、センターで踊るバックダンサーのリーダー的存在です。そしてバックダンサーたちに囲まれて現れるアレン・ブラザースともに、客席から笑いが漏れるような、振りで踊ります。しかし、その振りは、「ちょっとやりすぎ?」と思えてしまうほどにコミカルな感じでありながら、Love Crazyの歌詞にぴったりという感じで、終始青山さんの”energy is everything”で、“the whole world is buzzing”してくるようなダンスを楽しめます。腕を上げて胸を前後に動かすもの、脚をツイストする動き、そしてピーターとクリス(松原剛志さん)を囲んで、フィンガースナッピングをしながら、横に移動していくシーンで、青山さんは前列中心で、背を向けてしゃがんでスナッピングするのですが、この手首と指の動きなんて、その部分だけでリズムを感じてしまうような考えられないかっこよさ!それからフィニッシュの、しゃがんで腕を伸ばすところなんて、最高でした~。さらに、”Listen to the music in the water. Don’t you see it swim before your eyes”の歌詞に関連してか、泳ぐような感じの振りも盛り込まれていて、とってもキュート!2005年6月(初演時)という、観客の抱く夏前の今の季節感と、舞台で繰り広げられる60年代のスタジオセットの光景とが、不思議に呼応して、観ている者は、本当に60年代のあの収録スタジオにタイムスリップしているような、なんだか不思議な感覚に陥るのでした。とにかく、太陽の光と夏の海のキラキラ光るようなまぶしさを感じさせる(飽くまでスタジオのセットなのですが・・・)、このシーンの雰囲気がとってもよく伝わってくるダンスでしたし、オーストラリアでブレイクした若きピーターたちの盛り上がり具合、アレン・ブラザースの「俺たちいけるよ!」な勢いが伝わってくるダンスでした。

ところで、この場面は、何度も言っているように、TVスタジオでの収録シーン。私たち観客は、カメラに映っている人たち、映っていない人たち、全てをひっくるめて、シーンとして楽しんでいるわけなんですが、青山さん@ダンサーは、そこのあたりを、とてもメリハリをつけて演じていらして、雰囲気がよく伝わってきたのです。Love Crazyの中盤で、青山さん@ダンサーは一旦カメラからは外れて、スタンバイ状態になるところがあるのですが、このときも舞台右手のほうで、カメラに映っていないので、心なしかリラックスしながらも、すかさず髪の毛を直したり、脚の状態をチェックしたりと、「ダンサー」として完璧にカメラに映ることに余念がないのです。そして再び、カメラに撮られるときになると・・・、再びエネルギッシュにダンシング!という感じで、観客は「収録現場」の雰囲気を、本当にリアルに感じることができるわけです。その風貌だけでも、ピーターが眼で追ってしまうのは、既に納得なのですが、こういうリアルな細かい部分の役作りでまた説得力が出て、名もないバックダンサーの人物像の輪郭が明確になって、このシーン最後のダンサーさんたち引き上げるところでの、ピーターの青山さん@ダンサーに対するお名残惜しい態度にもつながるような気がしました。手をギュッと握ったり、お尻にタッチしてしまったり、と日によって様々な演出でしたが・・・。(再演時には、ジャケットを脱いで、上半身を露出しながら袖に消えてゆくという感じで、シーン冒頭のご登場のときと同じぐらいの存在感があり、ピーターの「男の子大好き路線」を強調するためのよりわかりやすい演出になっていました。)

それにしても、このシーンでの青山さんを含めたバックダンサーの方々、笑顔が最高でした!曲冒頭でのスポットライトが当たった瞬間のカメラを意識した笑顔もパワーがあって、この曲の始まりにぴったりなのですが、曲が進むにつれて他のダンサーさんたちと一緒に踊るところでの笑顔もまた格別!ステージの楽しそうな雰囲気に観客も思わず足ではリズムを取ってしまうようなシーンでした。

Love Crazyの後には、ほどなく香港のヒルトンホテルのラウンジで、ピーターがジュディーに出会うシーンとなるのですが、このシーンになるとき、Waitzin’ Matildaというピーターとクリスが歌う中国語訛りの曲に合わせて、アンサンブルの男女のカップルがダンスをしながら、ホールに入ってくるのです。場面転換の役割も負っているこのダンスシーン、Love Crazyの雰囲気とうって変わって、とってもエレガント!シックなスーツに身を包み、女性の方(WSSご出演の柳田陽子さん)をリードして、輪を描くように踊る青山さん@ホテルのゲストは、先ほどと同じ人?という感じです。端正でいて、しなやかさが際立つ後姿はエレガンスそのもの。ホテルのラウンジのほの暗い照明のなかに、ふんわりと揺れるそのお姿は、この上もなくロマンティックでした!鳳蘭さん@ジュディーのAll I Wanted is the Dreamの熱唱を聞き入る青山さんをはじめとしたアンサンブルの皆さんがとても素敵!オーストラリアのTV局のスタジオから香港のヒルトンホテルのラウンジへと、客席もあっという間のトリップでした!

◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポをアップさせていただきます。

2007-08-02 23:45:11 | ボーイ・フロム・オズ
さて、和央ようかさんの”ROCKIN’ Broadway”、どんなライブ・コンサートになるのか、とても楽しみなところですが、青山航士さんはこれまでにもたくさんの元宝塚トップスターの方々と共演されています。そこで、前回の記事でもふれた、紫吹淳さんとのダンスシーン(♪She Loves to Hear the Music 「音楽を聴くのが好き」)のレポも含む、『ボーイ・フロム・オズ』(2005年初演、2006年再演)の詳細レポをアップさせていただこうかと思います。青山さんのファンの方々には、以前にファンサイト様ネタバレ版に投稿させていただいたものを読んでいただいているかもしれませんが、こうして自分のブログを開設することになりましたので、こちらに再度投稿させていただこうかと思っております。2005年6月の初演時より長い期間、貴重なスペースをお借りして、激長のレポを掲載させていただけましたこと、管理人様には心より感謝しております。本当にありがとうございました。

今回の詳細レポは、初演時に投稿したもの、つまり青山さんご登場のシーンについての詳細レポになりますが、OZ全般に関しては、いづれまた機会を改めて、昨年の再演版を経ての、他のシーンについてのレポなども、アップしたいと考えております。

ちなみに、『グランドホテル』(2006年1月)では、紫吹淳さん演ずるフレムシェンとのダンス・ナンバーがとても印象的でしたね。
その詳細レポはコチラです。
→ ♪Maybe My Baby Loves Me 「たぶん彼女は愛してる」
  ♪Girl in the Mirror 「鏡の中のあの子になりたい」

また、『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』(2005年9月、2006年8・9月)では、絵麻緒ゆうさん(雪村いづみさん役)とのダンス・シーンもとても素敵でした。
その詳細レポはコチラです。
♪Sweet and Gentle 「スウィート&ジェントル」

こうして自分の書いたものを読み返しながら、ちょっと振り返っただけでも、曲想、センターで踊られる方の雰囲気に合わせながら、どんなダンスでも完璧に踊りこなしてしまう青山さんのダンスのすごさに改めて驚いています。同時に、青山さんのダンスを観ながら、劇場でシーンごとにあの空気に包まれてゆく感覚が蘇ってきて、うれしくなります。こちらを読んでいただいている方に、どの程度その感覚を共有していただけるのかを考えると、かなり不安なのですが、少しでも「あの感じ」が伝わったら、とても嬉しく思います。詳細レポは、どれも激長で大変申し訳なく思っておりますが、劇場で私が体験したライブでリアルな感覚を、なんとか記録しておきたい、という思いから書き始めたものです。激長文&拙文、どうぞおゆるしください。

◆Countdown to ROCKIN’ Broadway

2007-08-01 10:42:00 | ROCKIN' Broadway
ROCKIN’ Broadway開幕まで、あと2週間ちょっと・・・。一体どんなステージになるのでしょう!?ネット上の情報や雑誌の特集記事などを読んでいたら、ますます楽しみになってきました。

まず、青山さんのファンとして、とても興味があるのが、今回のROCKIN’ Broadwayが、「ライブ・コンサート」であるということです。「ライブ・コンサート」で踊る青山さんを、私はまだ観たことがありません。ひとつのプロットが展開するミュージカル作品の中で、シーンごとに「役を演じて踊る」というのとはちょっと違う感じのする青山さん、純粋にショーのダンサーとして、1曲1曲を踊る青山さんを観られるというのが、ものすごく楽しみです。『ボーイ・フロム・オズ』や『テネシー・ワルツ』などでは、確かに「ショー」の形式でダンスシーンが織り込まれていて、青山さんはスゴイ集中力で密度の濃いダンスを見せてくださいました。そして、そのことが作品をとても魅力あるものとしていたのですけれど、今回は、1曲1曲を独立した形で、しかも、それぞれの曲を、作品からはいい意味で逸脱したかなり自由な演出で見せてもらえそうな気がするので、その点もかなり楽しみだったりします。いつものミュージカル作品の観劇では、ダンスシーンからその作品のストーリーをどんなふうに感じさせてもらえるのか、というのが、大きな楽しみのひとつだったりするのですが、ストーリーの束縛からの自由が確保されている形で、1曲完結型で、次から次へとダンスシーンを見せてもらえる・・・、そんなショーもやはり素敵です。特にその演出がスタイリッシュなものであるのなら、なおさらです。「クリスマス・レビューショー」、『TOMMY』、『SHOW店街組曲』と、台詞の少ない、楽曲が断続的に連なっていくタイプの作品が続いていますが、今回も、「ライブ・コンサート」ということで、オープニングからフィナーレまで、ステージを縦横無尽に駆け回って踊る青山さんを心ゆくまで堪能できるといいですね。

ところで、”Broadway Musical”を踊る青山さんのずば抜けたカッコよさには、これまでの作品(『ウエスト・サイド・ストーリー』、『ボーイ・フロム・オズ』、『グランドホテル』、『TOMMY』)で、後遺症が残るほどにノックアウトされていて、少なくとも私の中では、「青山さんのあのカッコよさ」が焼き付けられてしまっているところがあります。でも、今回は、Broadwayなのに、”ROCKIN”ということなわけです。耳に馴染んでいる、ある意味オーソドックスとも言える「ブロードウェイ・ナンバー」を、ROCKなアレンジでどんなふうに魅せてもらえるのかが、とても楽しみですし、私の眼に焼きつき、私の中で出来上がってしまっている「”Broadway”=あのずばぬけた青山さんのカッコよさ」という図式を、いい意味でひっくり返して更新してくださるのではないか、と既に期待で胸が膨らんでいます。和央さんが、帽子を押さえてポーズをとっていらっしゃる、あのお姿を拝見するだけでも、ファンとしては、ステージの雰囲気を勝手に想像して、気持ちばかりは既に前のめり状態です。帽子を被って踊る青山さんのカッコよさと表情の豊かさは、証明済みですし、あのスタイリッシュな雰囲気は、これまでにない感じですので、ああいうヴィジュアルイメージがステージで実現されることがあって、青山さんもああいった雰囲気の中に滑り込むのだとするなら・・・。それはもうファンとしたらものすごく楽しみです。

『Top Stage』9月号の和央さんの特集記事によると、「(ただ曲を並べて素晴らしいメロディーを聴かせるだけの)ガラ・コンサート」でもないということですし、「燕尾服やドレスでナンバーを歌い継いでいく、よくあるミュージカル・メドレーにもしたくない」というコメントもありました。「今までのブロードウェイ・ナンバーを使ったコンサートをぶち壊そうか」というパフォーマンスに、青山さんがダンサーとしている、しかも4人しかいない男性ダンサーのひとりとして、というのにうれしい胸騒ぎがします。さらに会場は、東京国際フォーラムホールA。これまで青山さんのダンスを観てきた会場の中で、最大規模です。この大会場のステージで、和央さんとエネルギーをぶつけ合うかのように踊る青山さんが眼に浮かぶようです。後方席であっても、それだからこそ感じられる青山さんのすごさをしみじみ味わえる・・・、そんな気がしています。

それから、「男性ダンサー」であることの意味が、和央さんの今回のショーでは特別であるという気がしますよね。これまでにも、青山さんは、宝塚の元男役のトップスターさんと数多く共演されていますが、皆さん、作品の中で「女役」を演じておられる方ばかりでした。しかし、今回の和央さんは、特集記事やHPの映像などを拝見しても、かなり中性的なイメージを持っておられる方のような気がします。そんな和央さんがステージ上で、どんなイメージを纏って踊られるのか・・・。「女性ダンサー&男性ダンサー」という単純な図式がピッタリとあてはまりそうにないところに、非常に興味をひかれます。今までの青山さんの舞台では、体験したことのないようなムードが生まれるのではないでしょうか。これまでの作品においても、様々なダンスシーンで、女性と踊る青山さんは、本当に素敵でした。特に宝塚の元男役の方と踊る青山さんは、とても魅力的だなあと思って、常々拝見してきました。やはり元男役の方は、「女性」として踊っても、動きにスケールの大きさが感じられて、ダイナミックな感じがするのが、素敵ですよね。私が一番印象に残っていて、好きなシーンは、『ボーイ・フロム・オズ』での紫吹淳さん演じるライザ・ミネリとのダンス・ナンバー、「音楽を聴くのが好き/She Loves to Hear the Music」なのですが、あのシーンの紫吹さんは、肌を露出した赤いスパンコールのマイクロミニ姿。青山さんたちアンサンブルのエネルギッシュなダンスと、紫吹さんの繊細でありながらもダイナミックなダンスによって、スターダムを駆け上がる女性の孤独と輝きが、1曲の中で見事に表現されていました。OZの特番で、紫吹さんが、女役としてダンスをすることの難しさを話されていたことが、印象に強く残っていますが、今回の和央さんには、そんな紫吹さんとは、かなり違う方向性を感じます。物語のなかで、特定の女性の役を演じるのではない、中性的な和央さんと、青山さんたち男性ダンサーとの関係がどんなものになるのか・・・、これまでの舞台では見たことのないものを見せてもらえそうです。

『GOETHE』9月号には、ダナ・キャランの光沢のあるシャツ・ジャケットをサラリと着こなした和央さんのお写真が掲載されています。大人の女性としての魅力に溢れたとても素敵なお姿は、宝塚ファンのみならず、30代女性のあこがれともいえるかもしれません。それでいて、テラコッタ色のメークをされたお写真を拝見していると、やはりアンドロジナスな魅力に溢れていて、ひきつけられてしまいます。そんな横顔を拝見していると、元宝塚ファン(10代前半まで)としては、和央さんのレット・バトラーはきっと素敵だったのだろうなあ~、と思ってしまいました。そんなこともあって、記事にあった、和央さんの1月の青山劇場での「ナチュラルメークに黒燕尾服」のエピソード、大変興味深く読ませていただきました。確かに宝塚における「黒燕尾服」は、「男役の象徴」ですよね。私自身、鳳蘭さんや麻実れいさんの大ファンで、10代前半まで宝塚をよく観ていましたが、一番印象に残っているシーンは?と聞かれたら、やはり黒燕尾服のシーンを挙げてしまいます。私の場合は、麻実れいさんの退団公演で、毬谷友子さんが非常に美しい歌声で「カタリカタリ」を歌うなか、大階段で麻実さんが黒燕尾服で踊るシーンがショーのシーンとして一番印象に残っています。麻実れいさんの退団公演は、『はばたけ黄金の翼よ』という、中世イタリア物だったために、衣裳が絢爛豪華なもので、当然ヘアスタイルもロングヘア。そのような衣裳で全編が展開するなかで、敢えてファンが求めた完璧な男役像を最後に、シンプルでありながら見事な形で提示してくれたシーンが、あのシーンであったような気がします。ピッタリと撫で付けたヘアスタイルに「黒燕尾服」を颯爽と着こなす・・・、これが宝塚の究極の男役像であるとするなら、前回のコンサートにおいて、あえて「宝塚」からは最も遠いところにあるようなナチュラルメークを合わせて、在団中に確立されたそんなイメージと軽やかに戯れているように見える和央さんが、今回のコンサートで、どんなイメージで歌って踊られるのか、特集記事を読んでいて、とても楽しみになりました。

ちなみに私が観た宝塚の演目の中で、一番印象深い作品は、『風と共に去りぬ』なのですが、鳳さんや麻実さんが演じられたレット・バトラー役は、和央さんも演じておられますよね。レット・バトラーの「あの髭」は、『風~』初演当時、賛否両論あったそうですが、「あの髭」がトレードマークのレット・バトラーという役は、宝塚の「男役の中の男役」なのかもしれません。私の中での宝塚の究極の男役は、麻実さんのレット・バトラーなのですが、和央さんも『風~』でレット役を演じておられたのですね。これまでにも、青山さんの舞台を通して拝見する、紫吹さんや絵麻緒さんの素敵なお姿に、私の中の宝塚DNAが騒ぎ出すことがたびたびあったのですが、今度のコンサートを拝見したら、和央さんのフェルゼンやバトラーを見たくなってしまうような気がしています。『Top Stage』と『GOETHE』、読者層が全く異なる二つの雑誌なのだと思いますが、「中性的」なイメージと一言で言っても、それぞれの雑誌で、和央さんのイメージが全く異なるのです。少し拝見しただけでも、こうして異なる魅力を持っておられる和央さんなので、ステージの上でも幅広い楽曲を様々な趣向で見せてくださるのではないか、と今から楽しみにしています。それから、フランク・ワイルドホーン氏による楽曲も2曲(?)ほどあるということですし、ネット上で眼にした情報によれば、洋楽のポップスもあるとのこと。フランク・ワイルドホーン氏の歌というと、私はホイットニー・ヒューストンのヒットソング、”Where Do Broken Hearts Go”を思い出しますが、ブロードウェイナンバーからポップスまで、新旧入り混じった名曲の数々を、新しいロックなアレンジで踊る青山さんに劇場でお会いできるのが、今からとても楽しみです。

◆『SHOW店街組曲』観劇レポ!!

2007-07-19 01:10:36 | SHOW店街組曲
遅くなりましたが、5月23日~27日まで、東京・銀座のル・テアトル銀座で上演された『SHOW店街組曲 The Musical Show "Shopping Street Suite" 』の観劇レポです。

『SHOW店街組曲』は、40曲以上にも及ぶ筒美京平さんのヒットソングにのせて、歌と踊りでつづられるミュージカルコメディーショーといった感じの作品。同じ商店街に生まれ育った、ヒデ(中山秀征さん)とマコト(真琴つばささん)の出会い、結婚、そして結婚から10年経ってちょっと倦怠期な最近・・・、という流れに、商店街で行うショー(「劇中劇」ならぬ「SHOW中SHOW」)を取り入れて進行するという形式です。笑いあり、ちょっぴりほろりとさせられるところもありで、最初から最後までとても楽しい時間を過ごすことができました。60年代から90年代にかけての、思わず口ずさみたくなってしまうあの曲この曲が、面白い演出で次から次へとテンポよく飛び出してきます。そして、少人数編成のバンドの方々が奏でる、洗練されて洒落た音楽!そんな音楽を歌って踊る青山さんが、いきいきとされていて、輝いていて、とても素敵なんです。人情味あふれ、どこか懐かしい時間が流れている「中町西通り商店街」が、青山さんたちの見事な歌と踊りのハーモニーによって、突如として「ここどこ?SHOW店街!?」な空間に一変するさまは、まさに「キソーテンガイ SHOW店街」!!何が起こるかわからないという、商店街の奇想天外さを、いろいろな意味で味わうことができるのが、この作品の醍醐味という気がします。

そのことをまず感じたのが、オープニングでした。開幕と同時に第1幕冒頭から、「八百青のこうじさん」、「魚屋のまみさん」、「クリーニング屋のあすかさん」のお三方が、タイトルソングで歌って踊る華麗なステージングで、観客のハートを鷲づかみ、「ミュージカル~♪」な空間へと誘ってくれます。お三方の衣裳は勿論、「中町西通り商店街」の若者たちの「普段着」といった感じ。青山さんも、確かブログの記事で、「まっ、商店街なので・・・」というようなことを書かれていたように思います。しかし、この「まっ、商店街」な感じの「普段着」を着ている人たちの歌と踊りが、突き抜けてプロフェッショナルなので(←そりゃ当然ですよね)、観客にしてみるとそのギャップがとても心地よくて、楽しかったです。青山さんたち3人が歌って踊って舞台に登場してくると、冒頭から雰囲気はもう「商店街」じゃなくて「SHOW店街」なわけです。青山さんたちのあのダンスと歌で、オープニングからいきなりお客さんたちは、ステージにググッとひきつけられちゃいます!!新装開店したお店に、ついつい「何々!?」という感じで入っていっちゃうときってありますよね、ちょうどあんな感じです。歌と踊りで、「商店街→SHOW店街」へとトリップできちゃうという感じでしょうか。

とにかく、このミュージカルの楽しさは、歌とダンスが始まると、都会のどこにでもある商店街の空間が、あるいは結婚10年経ってちょっと倦怠期なヒデさんやマコトさんのいる生活感のある空間が、突如として「SHOW」の空間へ・・・、というところなんです。青山さんも「八百青のこうじ」として台詞を話されて演技をされているときは、本当に「茄子を一個おまけしてくれるような、八百屋さんのやさしいおにいちゃん」な感じなのですが、いざダンスと歌が始まると、どうしても八百屋さんに見えないわけです。八百屋さんのおにいちゃんのはずなのに、なんでこんなにカッコよくダンスしちゃうわけ!?というのがとにかく最高でした。ミュージカルは、突然歌いだしたり、踊りだしたりするもの、ということがよく言われますよね。そこに違和感を感じる方というのもいらっしゃるのかもしれません。おそらくこの『SHOW店街組曲』は、それをものすごく極端な形でやっている作品なのだと思いますが、それが極端すぎて、逆に嫌味じゃないんです。あまり難しいことは考えずに自然と笑っちゃって、軽い気持ちになれる。そして、唐突に始まるSHOWタイムに、ある意味強引に巻き込まれていってしまう感じが、とても楽しいし、逆に心地よかったです。重厚なストーリーが展開するのではない、「こんな展開ありえないよ~」というのを突き詰めたような作品もすごく楽しいなと思いました。それで、そういうときに(ある意味強引に巻き込まれてゆくときに)青山さんならではの、コメディーセンスと最高のダンスの組み合わせが、キラリと光って、とても魅力的なんです。こういう作品でないと見られない、青山さんの魅力もあると思うのですが、私はそれをこの作品で観ることができて、とてもうれしかったです。

そして青山さんファンとして特筆すべきが、第2幕冒頭のイントロダクションのシーン。休憩後、客電が消えて、いよいよ第2幕が始まる!と期待が高まるわけなのですが、ピアニストの佐山雅弘さんが奏でるjazzyな感じの前奏が聞こえたかと思うと、薄暗がりに包まれた夜の街の片隅に、黒い帽子を目深に被ったひとりの男性の影が・・・。黒の上下に、インナーのシャツも黒、全身黒一色に身を包んだこの人は一体・・・?夜の商店街に突如として現れた、物言わぬ正体不明のひとりの男性ダンサー。その存在を観客は不思議に思いますが、青山さんが踊りだすや否や・・・。私などがわざわざ説明しなくてもおわかりいただけると思いますが、青山さんの見事なダンスに客席はあっという間にひきつけられ、魅了されていました。休憩時間のざわめきが、あっという間に遠のき、青山さんのスリリングなダンスに、皆さん息を呑んでいるという感じでしょうか。客席全体が舞台に引きつけられているのが、ものすごくわかるんです。誰よりも私自身、もうステージの青山さんのダンスに釘付けなのですけれど、周囲の座席から伝わってくる空気感が、やっぱりあのシーンにおいては別物だった気がします。とにかく、佐山さんのピアノの演奏を背景に、黒いソフト帽と黒いジャケットを巧みに扱いながら、「大人の男」の魅力もたっぷりに、粋で洗練されてしなやかなダンスで魅せてくれる、あのシーンの青山さんは、ものすごく素敵でした。「青山さんのこんなダンス観てみたかった~(いくらでも観ていたい~)」というソロのダンスで、ファン冥利に尽きる、素晴らしいシーンだったと思います。多分、ステージの上であんなにターンしている青山さんを観るのは、私は初めてだったような気がします。ターンして踊って、というその流れが、とてもしなやかで、艶を感じさせてくれて、粋なんです。あっという間に洗練されたSHOWな空間を創り出してしまう青山さんのダンスを観ていると、次回作『ROCKIN' Broadway』もものすごく楽しみになります。WSSや、「おどろんぱ!」の「ピュアピュアダンス」でも思いましたが、街の片隅で踊る青山さんは、やはり素敵ですね。今回のは、しかもソロで、また雰囲気もガラリと変わっていて、本当にカッコよかったです。この後に続く中山さんご登場のシーンが、とてもドラマティックに見えました。そして、お客さんのなかにはきっと、この後の福引の係りをしている青山さんが、さっき踊っていた人よね!?と思った方がいらしたはずです。そしてやはりこのシーンも、奇想天外でした。「中町西通り商店街」にどうしてこんなスゴイダンスを踊る人がっ!?夜だから青天の霹靂とは言わないのでしょうが、商店街にあんなダンサーが突如として現れたら、そりゃびっくりするでしょうね~♪マコトさんの「魅せられて」のシーンと同じぐらいに驚きました・・・。

それから、名曲の数々を、コーラスとして盛り上げ、時にソロで歌い上げる青山さんについても書いておかなければなりません!!まず全体を通して、青山さん、中山さん、高橋さんのお三方のハーモニーがとても迫力があって、また心地よくて素敵でした。衣裳を次々と替えながら、歌って踊ってSHOWを盛り上げるお三方のご活躍は素晴らしかったです。実際のストーリー展開上も、この3人がヒデさんとマコトさんのことを想って、一生懸命に奔走するというようなところがありますよね。それで、青山さんの歌なのですが、今回コーラスしているとき、かなり低音で歌われているときがあって、そんなことも嬉しい驚きだったりしました。勿論、テレビでは聞いたことがありましたが、劇場でライブな感じで聞くと、やはりファンとしては感動します。『TOMMY』の「押し付けがましい男/Eyesight to the Blind」の歌い始め、あの迫力ある高音にもかなり驚かされましたが、この『SHOW店街組曲』では、いろいろな歌を歌われる青山さんを、たくさん堪能できたこともファンとしては嬉しかったです。「おどろんぱ!」でも、青山さんはキャラクターに合わせてかなり声を変えておられる印象がありますが、今回の舞台では、曲によってガラリと変わる青山さんの歌をたくさん聞くことができました。なかでも、第1幕の「中町音頭」、そして第2幕の「木綿のハンカチーフ」は、ソロの部分があって、青山さんファンは必聴です。「木綿のハンカチーフ」の青山さんは、やさしい感じでとてもステキでした。

ところで、青山さんが歌った「木綿のハンカチーフ」は、筒美京平さん作曲、松本隆さん作詞の曲です。この曲も含め、今回、青山さんがこの作品にご出演されることを知り、多くの筒美さんの楽曲にふれる機会に恵まれました。毎回、青山さんのご出演作を通して、素晴らしい音楽の数々に出会うことは、私にとって観劇の大きな楽しみのひとつなのですが、筒美さんの曲に乗せられた歌詞というのが、どの曲もとても素敵な世界を展開しているなあ、と感じました。橋本淳さんや松本隆さんによるものが多いのですが、どの曲もまるで写真のように、人生の、と言いますか、男女の間に流れる機微のようなものを写し取ったものばかりです。2007年の今、60年代から90年代前半のこれらの曲を改めて聞いてみると、1曲1曲があまりにも見事に出来すぎていて完結しているので、リアルな同時代的な感覚というのを持つことは難しいように感じられる気もします。でもこの「出来すぎちゃってる感」が、あの時代の音楽の特徴なのかもしれないし、「1曲ごとにそのなかに込められたストーリーが見事に完結する感じ」というのが、誰もが懐かしさ(過ぎ去ったあの時代へのノスタルジーのようなもの)と憧れ(永遠の理想のようなもの)を抱きながら口ずさむことのできてしまう理由なのかもしれません。“SHOW”という言葉がタイトルに組み込まれているこの作品で、そんな筒美さんたちによる音楽が、どこにでもあるような商店街での、ありふれたヒデとマコトの日常の1コマを、クローズアップして浮き上がらせ、そこにひとつの特別なストーリーを吹き込んでいるような気がしました。そして、そのひとつひとつのストーリーを(一歩間違うと、中には辛気臭くなるものもあったり、ドタバタ劇に終わったりするものもあったのかもしれませんが)、青山さんたちの徹底的にステキな歌とダンスが“SHOW”に仕上げてくれていましたよね。全編を通して台詞を含めた楽しいやりとりや演出に、本当に心から笑わせていただきましたが、ただ笑っちゃうだけではなく、「安心して楽しめた」というのは、やはり歌とダンスがステキだったということがあったからだと思います。

『SHOW店街組曲』のパンフレットの表紙写真は、商店街のアーケードを写したセピア色の写真となっています。今でも日本中あちらこちらの街に行けば、どの街にもその街なりの商店街があるのは事実であるのに、どうして「商店街」にはセピアな気分が漂うのか、不思議ですね。ヒデさんとマコトさんのふたりがラブラブになるように、商店街がもっと賑わいを増すように、閉店しちゃう羊羹やさんのおばあちゃんのために、と中町西通り商店街の人たちが、一丸となって頑張っていましたが、「中町西通り商店街」に流れていたあの時間は、やはり今の時代を生きている私たちに欠けている何かを補ってくれる温もりがあるような気がしました。パンフレットに掲載された、演出の菅野こうめいさんのお言葉に、「彼(筒美京平さん)の曲の世界に合う舞台は?と考えて僕が思いついたのは何故か商店街だった。」というものがありました。一人の観客である私には、菅野さんのなかで、筒美さんの曲の世界と商店街がどのようにつながったのかを想像することはできませんが、筒美さんの曲の世界にも、もしかしたら、忘れてしまった何かを埋め合わせてくれるものがあるのかもしれませんね。

とにかく「楽しい細部」がたくさん詰まった作品で、私自身もDVD発売後に、劇場で味わったあの楽しさを、もう一度映像を通して追体験するのが、今からとても待ち遠しいです。その一方で、劇場では気づかなかったこともあって、新たな発見があるかもしれません。青山さんの舞台が映像化されるって、今回が初めてですよね、8月31日の発売日がとても楽しみです。たくさんの「共感」と「感動」を、ありがとうございました。それから、最後に一言、大事なこと忘れていました。青山さんの「何故かロンゲでオタク風な白バイ刑事」が、とても素敵でした。やっぱり青山さんは、おまわりさんのコスプレが似合いますね~☆「そこの車、止まりなさい」の声にシビレマシタ~♪

◆ブログを再開させていただきます。

2007-07-12 23:24:04 | ちょっと寄り道
4月末よりブログの更新を長らくお休みさせていただきましたが、「路上の宝石」としてブログを再オープンし、再び記事を書いてみることにしました。昨年の8月にブログを開設して以来、拙い文章にもかかわらず、多くの方々に読んでいただきましたこと、心より感謝しております。また、2ヶ月ちょっとのあいだ、急にお休みすることになってしまいまして、大変申し訳ございませんでした。今回、ブログを再開するにあたり、4月までの記事もそのままアップさせていただきました。(頂いたコメントも少しずつアップしてゆく予定ですので、もう少々お待ちください。)

お休みしていましたあいだ、あたたかく見守ってくださり、励ましてくださった皆様、本当にありがとうございます。心より感謝しております。もっと早くにブログも再開し、皆様に感謝の気持ちをお伝えしたかったのですが、なかなか時間の都合がつかずに、今日という日になってしまいましたことも、お詫びいたします。未熟者の私が書く文章で、至らない点も多々あるかとは思いますが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。昨年の8月に自分のブログを開設するずっと前から、あのこともこのことも書きたい!と思っていたことがたくさんあったのですが、まだ記事にしていないこともたくさんあります。またお休みしていた間に見つけたこともあったりしますので、そんなひとつひとつのことを、私なりのしかたで大切に記録していけたら、と思っています。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。



◆アクロバットエンターテインメント

2007-04-17 11:13:03 | ちょっと寄り道
残念ながら終了してしまった教育テレビの「うたっておどろんぱ!」にも、「おどろんファイター」や「三忍者」など、立ち回りを含めたアクロバティックな動きを取り入れた名作の数々がありました。青山さんたちが繰り広げる、ダイナミックな身体の動きに、一瞬にして心奪われ、眼が釘付けになったこと、数知れず・・・。ときには、身体の限界に挑戦したようなリフトなどもあり、子供番組とは思えない難易度の高い技に、ただひたすら「!」の状態、言葉も出なかったこともありました。「おどろんぱ!」の中でも、これらの作品は特に、子供も大人も分け隔てなく楽しめる作品だったように思います。

ところで、青山航士さんのブログで、シルク・ドゥ・ソレイユの「ドラリオン」が話題になっていましたが、少し前の新聞記事で、この「ドラリオン」に代表される「アクロバットエンターテインメント」が、日本のパフォーミングアーツの一大勢力に成長している、という記事を眼にしました。今回の「ドラリオン」は、難易度の高い中国雑技が軸となったパフォーマンスということですが、記事では、中国雑技でクラシックバレエの世界を表現した「アクロバティック白鳥の湖」(昨年来日)や、テコンドーなどの武術を活用しているという「JUMP」(5月にシアターアプルで上演)も、紹介されていました。その記事によると、これら「アクロバットエンターテインメント」の強さの要因として、「大人から子供まで誰でも楽しめる」という「言語の障壁のなさ」、そして、「身体能力の限界に挑戦する大技」に対する「率直な驚き」が挙げられるということでした。

また、その数日前には、中国・吉林省京劇院の「京劇西遊記 火焔山」の日本初演に関する記事を眼にしました。京劇には、流派によって様々な伝統があるようなのですが、この吉林省京劇院は、躍動感溢れる武戯(立ち回り演目)に秀でているのだそうで、この「火焔山」の舞台の魅力も、「登場人物が舞台を飛び回り、動きがとにかく速い」ところに多くを支えられているのだそうです。子供をはじめ、観客席がにわかにざわめき始めるのも、こうしたシーンにおいてなのだとか。なかでも、名優を輩出するのは、この役といわれている悟空役の役者さんのお話として、「人間ではなく超能力を持つ猿を演じるため、人間の立ち回りよりもすごくないといけない」という言葉が紹介されていました。「人間を超えた能力」を、激しいアクロバット的な動きで実現しようとしているということが、とても印象的です。また終盤の立ち回り場面では、登場人物のひとりが、投げられるたくさんの槍を体を使ってはね返すという難しい技もあり、「投げ手との息の合ったコンビネーションが必要で、毎日稽古が欠かせない」のだそうです。中国伝統の演劇においても、現代の観客に訴えるような新たな魅力を失わないために、「アクロバット」的ともいえる立ち回りに、力が注がれ、日々磨きがかけられているのかもしれません。

ところで、「アクロバット」には、「軽業・曲芸」という訳語があてられていますが、元々この言葉は、ギリシア語のAkros(高い)とbat(歩行)を意味する言葉から成ったそうです。即座に思い出されるのは、確かに「綱渡り」や「宙返り」などのサーカスで披露される技の各種ですが、広義には、「短時間に爆発的な動作を行う」スポーツという意味にも用いられるそうです。そんなことから、武術やジャグリング、そして様々なダンスと、このアクロバットが重なってくる部分も多いことにも頷けます。一方では、新たな舞台芸術の裾野を開拓するために、アクロバットが取り入れられ、他方では、伝統劇に新しさを確保し、現代の観客へのアピールする力を強化するために、アクロバット的動きにますます磨きがかけられる。やはり、身体表現のひとつとしての「アクロバット」は、様々なパフォーミング・アーツの「今」にとって、欠かせない要因なのかもしれません。

「立ち回り」などの武術系の動きの素晴らしさ、小道具などの「物」をダンスの動きに巧みに取り入れてしまうこと、そして跳躍や回転などのアクロバティックな動きを様々なジャンルの音楽に溶け込ませて魅せてしまうこと・・・。そんな青山さんのダンスの魅力を考えていると、青山さんの「孫悟空」なダンス、いつか観てみたくなります。