♪Everything Old is New Again 歴史は繰り返される
「Everything Old is New Again/ 歴史は繰り返される」の歌詞にもあるような、「タップシューズ、白燕尾」(Get out your white suit, your tap shoes and tails)に身を包み、頭にはシルクハットを被り、手にはステッキを持った華麗なピーター。プライベートにおいても、キャリアにおいても、まさに頂点をむかえつつあるピーターが、ニューヨークのラジオ・シティー・ミュージック・ホールで、ロケッツとのラインダンスをショーとして見せる、第二幕での「見せ場」とも言える非常に華やかな場面です。BW版では、女性のみのダンサーによって、しかも鏡を使用して、大人数に見せたというこの場面ですが、今回の日本版では、女性に混ざって、「女装をした男性」がこの場面に登場し、華を添えています。青山さんが、以前にファンサイト様の掲示板で書かれていた「女装」とは、このロケッツのダンスシーンにおいてのことでした!
この曲の冒頭でピーターは、夢をこの手につかみ、頂点にある自分の人生を謳歌するように、スポットライトを浴びながら、ひとりでこの歌を歌い、優雅に踊ります。「雨の夜更けは思い出に浸ろう 夢よもう一度 歴史は繰り返される」(Don’t throw the past away / You might need it some rainy day / Dreams can come true again / when everything old is new again)、とサビの部分を歌い終わる頃、ロケッツの踏むステップの足音と彼らのコーラスの声が、ピーターの歌に重なってゆきます。それと同時に舞台に向かって右手から、一列に並んだロケッツの姿が現れるのです。全身真っ白な衣装のピーターとは対照的に、ロケッツの衣装は、赤くキラキラ光るスパンコール(?)を基調としたもので、胸元・腰周りにはシルバーのきらびやかなラインが入っています。頭は同じく赤いスパンコール地のつなぎで覆われていて、その中心には、大きな羽飾りがついています。足元はシルバーに光るダンスシューズに、肌色の網タイツ、勿論目には「つけまつげ」、メイクもショー仕様の派手なものです。女性アンサンブルの方も、そして青山さんを含めた男性アンサンブルの方も、皆さんこの衣装でご登場です。青山さんは列の最後から2番目でご登場。男性アンサンブルの方、お顔のメイクも、脚のラインも素晴らしくお綺麗で、一見女性と区別がつきません。私も初見のときは、横一列に長く並んだロケッツの中から、青山さんを見つけるのに、一瞬戸惑いました。しかし発達した大腿筋とその安定した脚捌き、ピンと伸びたしなやかな上半身、「女性」ではなくて、「女装した男性」の雰囲気を見事に作り出す表情としぐさを見れば、青山さんは一目瞭然。もう最高なのです!
ロケッツ登場のシーンに引き続いて、一度音楽が鳴り止み、ピーターは向かって左端の、ロケッツの列に入り、「ロケッツと一緒に踊ることが夢だった」ということを、ストーリーテリングします。その間勿論ダンスも一度ストップし、皆さんじっと立ったままなのですが、この間も青山さんは、その立ち方、まばたきの仕方、口元の表情の作り方のひとつひとつが、「女装をした男性」の空気を作り出していて、全身からそのようなオーラを放っているかのようです。そして再び曲が始まり、一気に盛り上がっていくのですが、このときに一列だったロケッツが、ステップを踏みながら、数人のかたまりごとに分解していきます。そのときの青山さんの、客席に向かって「斜め」のお顔の角度と、それに伴う眼の見開き方、そして首から下の身体の表情が、キュートで愛らしく、またまたこの上なく「それらしさ」を醸し出しています。そして再びサビの部分、一列に並び直したロケッツは、セリで上がっていきます。このとき左右の脚を斜め前に交互に出す振りがあるのですが、流麗さと華やかさとともに、優しさに溢れていました。遂に夢をつかんだピーターの幸福感とよろこびがこちらにも伝わってきて、心の底から拍手を送り、祝福したくなってしまうのです。そして全員が一列に並んで勢いよく足を上げる、これぞ「ラインダンス」という部分は、ピーターにとっても、そしてきっと観客にとっても「夢の世界」、圧巻でした。また曲が一度終わって、歌詞のついていないインストゥルメンタルなヴァージョンに合わせて、列の左端からウェービングのように、ひとりひとりが順番に、上半身をしならせるときも、青山さんの場合は、首の使い方やあごの向け方、背中のしならせ方などにも、すごく「女装した男性」の雰囲気がありながら、優雅さもあって、観ているこちらも微笑んでしまいます。最後は中心で左右二手に分かれたロケッツが(確かそうだったと思います。ここでは青山さんの笑顔に釘付けで、いつもそのお姿だけを眼で追っていたので、ちょっと記憶が飛んでいます。)、身体を「く」の字にして前の人の腰に手をあてて、列としてつながりながら、小刻みなステップで舞台両袖に引いていきます。
このシーンの華やかなロケッツのラインダンス、本当に楽しくて最高だったのですが、そのなかでの青山さんの「女装をした男性」の演技、これはやはり一番皆さんにお伝えしたいところです。青山さんの「女装」がどんなものなのか、と楽しみにしていた一ファンとしての気持ちを満足させるということだけでなく、この作品の中でこのシーンを際立たせるという点においてもです。やはりこの場面は、ピーターの人生、夢の頂点を描き出す、華やかな場面。ピーター自身の台詞にもあるように、「胸に勲章をつけて、整列した軍隊に並ぶよりも、ラメやスパンコールのきらびやかな衣装に身を包んだロケッツの列に、「男の勲章」をつけて入ることを、いつも夢見ていた(台詞を忠実には再現していません、要約しています)」という、ピーターの夢が実現する場面です。ピーターのゲイというセクシュアリティーと彼のキャリアが密接に連関して、ピーターの人生が開花し、すべてを手に入れたかのように思える幸福の絶頂ともいえるこの場面。実際のラジオ・シティ・ミュージック・ホールでのショーをはじめとして、この頃のピーターの客層は、ゲイの人たちや「女装した男性」が多かったというのは、ピーターによって語られるとおりです。「女装した男性」の空気をいきいきと、見事に作り出していた青山さんを見ていると、「ありのままの自分」を曝け出して、それをキャリアの中に取り込み、様々な過去を経て、成功をつかんだピーターの幸福感と喜びが、こちらにも伝わってきて、彼の人生の「そのとき」を、共に祝福したくなってくるのです。そしてそんなピーターに熱狂する、ホットな男性たちの熱気が再現されて、青山劇場の客席にいながらにして、当時のピーターのショーの客席に座る、そんな観客たちの笑顔にまで想いを馳せることができるのです。オーストラリア版では日本版と同様に「女装した男性」が加わり、BW版では女性のみのヴァージョンだったというこのシーンですが、青山さんが踊った日本版ロケッツ最高でした!!
この華やかなショーの後は、ラジオ・シティー・ミュージック・ホールの楽屋へと、シーンが移ります。そこで、ショーを終えたピーターを、年老いた母マリオンが迎え、息子の偉業を嬉しそうに、心から称賛し、ねぎらうのです。そして、息子に、自分自身にも新しい恋人ができたことを告げ、「古ぼけたものでさえも、新しくなってしまう」ように、「人生何がおこるかわからない」という気持ちを込めて、再びここで、「Everything Old is New Again / 歴史は繰り返される」を歌います。喜びを分かち合うピーターと母マリオン、とても幸せそうです。この曲の歌詞にもあるように、「だれもが大スターに」なってしまうことがある、という意味で、「人生何が起こるかわからない」のですが、このシーンの後、ピーターの台詞にもあるように、「人生何が起こるかわからない」、というこの言葉の意味は反転してしまうことになります。恋人グレッグ、そしてピーター自身もエイズに侵されていることがわかるのです。「まだ起きてもいないことが、懐かしく思えてしまう」という死期を悟ったグレッグの言葉が心に重く響いてきました。
※このシーンの設定は、ニューヨークのRadio City Music Hallとなっていますが、この劇場とRockettesについての記事はコチラです。
青山さんが出演された『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』では、日劇と日劇ダンシングチームが登場しますが、Rockettesと日劇ダンシングチームには関連性があったようです。そのことについて書いた記事です。
☆ここのところ、「この記事どこかでもうすでに1回読んだよ~」な記事ばかりを更新しまして、申し訳ございません。OZの詳細レポ終了後には、普通の記事も投稿する予定ですので、もう少々お待ちくださいませ。
「Everything Old is New Again/ 歴史は繰り返される」の歌詞にもあるような、「タップシューズ、白燕尾」(Get out your white suit, your tap shoes and tails)に身を包み、頭にはシルクハットを被り、手にはステッキを持った華麗なピーター。プライベートにおいても、キャリアにおいても、まさに頂点をむかえつつあるピーターが、ニューヨークのラジオ・シティー・ミュージック・ホールで、ロケッツとのラインダンスをショーとして見せる、第二幕での「見せ場」とも言える非常に華やかな場面です。BW版では、女性のみのダンサーによって、しかも鏡を使用して、大人数に見せたというこの場面ですが、今回の日本版では、女性に混ざって、「女装をした男性」がこの場面に登場し、華を添えています。青山さんが、以前にファンサイト様の掲示板で書かれていた「女装」とは、このロケッツのダンスシーンにおいてのことでした!
この曲の冒頭でピーターは、夢をこの手につかみ、頂点にある自分の人生を謳歌するように、スポットライトを浴びながら、ひとりでこの歌を歌い、優雅に踊ります。「雨の夜更けは思い出に浸ろう 夢よもう一度 歴史は繰り返される」(Don’t throw the past away / You might need it some rainy day / Dreams can come true again / when everything old is new again)、とサビの部分を歌い終わる頃、ロケッツの踏むステップの足音と彼らのコーラスの声が、ピーターの歌に重なってゆきます。それと同時に舞台に向かって右手から、一列に並んだロケッツの姿が現れるのです。全身真っ白な衣装のピーターとは対照的に、ロケッツの衣装は、赤くキラキラ光るスパンコール(?)を基調としたもので、胸元・腰周りにはシルバーのきらびやかなラインが入っています。頭は同じく赤いスパンコール地のつなぎで覆われていて、その中心には、大きな羽飾りがついています。足元はシルバーに光るダンスシューズに、肌色の網タイツ、勿論目には「つけまつげ」、メイクもショー仕様の派手なものです。女性アンサンブルの方も、そして青山さんを含めた男性アンサンブルの方も、皆さんこの衣装でご登場です。青山さんは列の最後から2番目でご登場。男性アンサンブルの方、お顔のメイクも、脚のラインも素晴らしくお綺麗で、一見女性と区別がつきません。私も初見のときは、横一列に長く並んだロケッツの中から、青山さんを見つけるのに、一瞬戸惑いました。しかし発達した大腿筋とその安定した脚捌き、ピンと伸びたしなやかな上半身、「女性」ではなくて、「女装した男性」の雰囲気を見事に作り出す表情としぐさを見れば、青山さんは一目瞭然。もう最高なのです!
ロケッツ登場のシーンに引き続いて、一度音楽が鳴り止み、ピーターは向かって左端の、ロケッツの列に入り、「ロケッツと一緒に踊ることが夢だった」ということを、ストーリーテリングします。その間勿論ダンスも一度ストップし、皆さんじっと立ったままなのですが、この間も青山さんは、その立ち方、まばたきの仕方、口元の表情の作り方のひとつひとつが、「女装をした男性」の空気を作り出していて、全身からそのようなオーラを放っているかのようです。そして再び曲が始まり、一気に盛り上がっていくのですが、このときに一列だったロケッツが、ステップを踏みながら、数人のかたまりごとに分解していきます。そのときの青山さんの、客席に向かって「斜め」のお顔の角度と、それに伴う眼の見開き方、そして首から下の身体の表情が、キュートで愛らしく、またまたこの上なく「それらしさ」を醸し出しています。そして再びサビの部分、一列に並び直したロケッツは、セリで上がっていきます。このとき左右の脚を斜め前に交互に出す振りがあるのですが、流麗さと華やかさとともに、優しさに溢れていました。遂に夢をつかんだピーターの幸福感とよろこびがこちらにも伝わってきて、心の底から拍手を送り、祝福したくなってしまうのです。そして全員が一列に並んで勢いよく足を上げる、これぞ「ラインダンス」という部分は、ピーターにとっても、そしてきっと観客にとっても「夢の世界」、圧巻でした。また曲が一度終わって、歌詞のついていないインストゥルメンタルなヴァージョンに合わせて、列の左端からウェービングのように、ひとりひとりが順番に、上半身をしならせるときも、青山さんの場合は、首の使い方やあごの向け方、背中のしならせ方などにも、すごく「女装した男性」の雰囲気がありながら、優雅さもあって、観ているこちらも微笑んでしまいます。最後は中心で左右二手に分かれたロケッツが(確かそうだったと思います。ここでは青山さんの笑顔に釘付けで、いつもそのお姿だけを眼で追っていたので、ちょっと記憶が飛んでいます。)、身体を「く」の字にして前の人の腰に手をあてて、列としてつながりながら、小刻みなステップで舞台両袖に引いていきます。
このシーンの華やかなロケッツのラインダンス、本当に楽しくて最高だったのですが、そのなかでの青山さんの「女装をした男性」の演技、これはやはり一番皆さんにお伝えしたいところです。青山さんの「女装」がどんなものなのか、と楽しみにしていた一ファンとしての気持ちを満足させるということだけでなく、この作品の中でこのシーンを際立たせるという点においてもです。やはりこの場面は、ピーターの人生、夢の頂点を描き出す、華やかな場面。ピーター自身の台詞にもあるように、「胸に勲章をつけて、整列した軍隊に並ぶよりも、ラメやスパンコールのきらびやかな衣装に身を包んだロケッツの列に、「男の勲章」をつけて入ることを、いつも夢見ていた(台詞を忠実には再現していません、要約しています)」という、ピーターの夢が実現する場面です。ピーターのゲイというセクシュアリティーと彼のキャリアが密接に連関して、ピーターの人生が開花し、すべてを手に入れたかのように思える幸福の絶頂ともいえるこの場面。実際のラジオ・シティ・ミュージック・ホールでのショーをはじめとして、この頃のピーターの客層は、ゲイの人たちや「女装した男性」が多かったというのは、ピーターによって語られるとおりです。「女装した男性」の空気をいきいきと、見事に作り出していた青山さんを見ていると、「ありのままの自分」を曝け出して、それをキャリアの中に取り込み、様々な過去を経て、成功をつかんだピーターの幸福感と喜びが、こちらにも伝わってきて、彼の人生の「そのとき」を、共に祝福したくなってくるのです。そしてそんなピーターに熱狂する、ホットな男性たちの熱気が再現されて、青山劇場の客席にいながらにして、当時のピーターのショーの客席に座る、そんな観客たちの笑顔にまで想いを馳せることができるのです。オーストラリア版では日本版と同様に「女装した男性」が加わり、BW版では女性のみのヴァージョンだったというこのシーンですが、青山さんが踊った日本版ロケッツ最高でした!!
この華やかなショーの後は、ラジオ・シティー・ミュージック・ホールの楽屋へと、シーンが移ります。そこで、ショーを終えたピーターを、年老いた母マリオンが迎え、息子の偉業を嬉しそうに、心から称賛し、ねぎらうのです。そして、息子に、自分自身にも新しい恋人ができたことを告げ、「古ぼけたものでさえも、新しくなってしまう」ように、「人生何がおこるかわからない」という気持ちを込めて、再びここで、「Everything Old is New Again / 歴史は繰り返される」を歌います。喜びを分かち合うピーターと母マリオン、とても幸せそうです。この曲の歌詞にもあるように、「だれもが大スターに」なってしまうことがある、という意味で、「人生何が起こるかわからない」のですが、このシーンの後、ピーターの台詞にもあるように、「人生何が起こるかわからない」、というこの言葉の意味は反転してしまうことになります。恋人グレッグ、そしてピーター自身もエイズに侵されていることがわかるのです。「まだ起きてもいないことが、懐かしく思えてしまう」という死期を悟ったグレッグの言葉が心に重く響いてきました。
※このシーンの設定は、ニューヨークのRadio City Music Hallとなっていますが、この劇場とRockettesについての記事はコチラです。
青山さんが出演された『テネシー・ワルツ 江利チエミ物語』では、日劇と日劇ダンシングチームが登場しますが、Rockettesと日劇ダンシングチームには関連性があったようです。そのことについて書いた記事です。
☆ここのところ、「この記事どこかでもうすでに1回読んだよ~」な記事ばかりを更新しまして、申し訳ございません。OZの詳細レポ終了後には、普通の記事も投稿する予定ですので、もう少々お待ちくださいませ。

