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路上の宝石

日々の道すがら拾い集めた「宝石たち」の採集記録。
青山さんのダンスを原動力に歩き続けています。

◆『十二夜』を読んでいます。

2007-09-27 20:02:20 | ALL SHOOK UP
公爵 
音楽が恋の糧であるなら、つづけてくれ。
食傷するまで聞けば、さすがの恋も飽きがきて、
その食欲も病みおとろえ、やがては消えるかもしれぬ。
いまの曲をもう一度!消え入るような調べであった。
この耳を甘く撫でるようであった、スミレの花の
咲き誇る丘を吹く風が、その香りを盗みとって
はこんでくるように。もうよい、やめてくれ。
さきほどの甘い調べもいまはこころよくはひびかぬ。
ああ、恋の精よ、おまえはなんと変わり身が早いのだ、
海のように貪欲にすべてを飲みこみながら、
いったんおまえの腹中に入ると必ず、
たとえどのように気高い価値のあるものも、
たちまち一瞬のうちに卑しい価値なきものに
変えられてしまう。恋はまことに変幻自在、
気まぐれなままにあっという間に千変万化する。

キューリオ(公爵に仕える紳士)
狩りにでもでかけられては?

公爵
なにを狩りに?

〔白水Uブックス シェイクスピア全集 『十二夜』(小田島雄志訳)より引用しました。〕

・・・これは、ちょっと前から読んでいるシェイクスピアの『十二夜』冒頭(第1幕第1場)での、公爵とキューリオのやりとりです。『ALL SHOOK UP』は、『十二夜』をベースにしているということですが、Chadが街中に響かせるバイクの轟音、ギターをかきならして歌うロックンロール、ジュークボックスから流れ出すヒットソングが、公爵のいう「音楽」なのかもしれませんね。「スミレの花の咲き誇る丘を吹く風」なんて、素敵だなあ~♪ちなみに、公爵に「なにを狩りに?」と聞き返されたキューリオは、この後、「鹿を狩りに。」と答えています。シェイクスピアの世界って、奥が深いなあ。このさきもゆっくり読んでみます。皆さんも、よろしかったらどうぞ。


◆「舞台芸術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン」展

2007-09-20 12:24:06 | ちょっと寄り道
『ALL SHOOK UP』のCDも届いて、こちらのことについても書きたいのですが、今日は「寄り道」ネタで失礼します。青山さんファンとしては懐かしい話題、「ニジンスキー」に関連して、展覧会のご紹介です。先週末は、東京都庭園美術館に、「舞台芸術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン(A World of Stage:Russian Designs for Theater, Opera,and Dance)」展を観に行ってきました。まずこの展覧会の概要については、コチラ。行かれた方はおわかりになると思いますが、東京都心にもかかわらず、緑に囲まれた敷地内にひっそりと建つこの庭園美術館は、旧朝香宮邸を美術館として改築した建物。アール・デコ様式のなかに日本的なものが溶け込んでいて、落ち着きと懐かしさを感じさせてくれる佇まいが、周辺の緑に、そして「時」の刻まれた展示物に、特別な情趣を与えてくれているかのようです。緑の中で深呼吸しながら、建物のエクステリアを楽しみつつ、癒しのひとときを楽しむもよし、時代を駆け抜けた展示物をやさしく包み込むような建物内部/インテリアのなかで、展示物が生きてきた時間にそっと寄り添い、その物の語りかけに静かに沈潜してゆくのも、非常に心地がよい・・・、そんな場所です。



ところで、「ロシアバレエ団(バレエリュス)」といえば、以前にも話題になったニジンスキーが有名です。「踊る写真は残っているのに、映像は残されていない。」「ダンサーとして活躍したのは、たったの10年間だけであった。」「その跳躍は、空を飛んだまま戻ってこないようであった。」「引退後は、精神に異常をきたし、長い隠遁生活を送ることとなった。」こんな数々の伝説によって語られるニジンスキーの存在は、確かに、同時代を生きていない者にとってさえも、様々な想像を掻き立ててくれる、時代を超えた”ICON”なのかもしれません。私がそんな彼の存在に初めて興味を惹かれたのは、大学1年生の頃でした。当時の私も当然、そんな数々の「伝説」に惹きつけられたうちのひとり。『牧神の午後』でのポーズを取った彼の写真を見て、ただならぬ雰囲気にひきつけられた私は、早速彼に関する何冊かの本を読んだり、映画を観てみたりしたような気がします。そんなことをしていくうちに、ニジンスキーだけではなく、当然彼の周辺、つまり今回の展覧会のテーマにもなっている「ロシア・バレエ団とディアギレフ」というところに行き着きました。時代的にも非常に面白いし、ディアギレフを中心に様々な才能が集まって、多くの作品が生み出されていったという状況にも、興味をひかれました。それ以来、ニジンスキーとその周辺の事柄に関しては、機会があるたびに、本を読み返してみたりしています。そのたびごとに、あの時代を生きた人々の息づかいが聞こえてくるような気がするし、何よりもダンスを中心にした舞台芸術の世界にかけた人々の熱い想いに触れられる気がするのです。「舞台って不思議な場所だ・・・。」青山さんのダンスに出会ってからは特に、そんなことを考えながら過ごしている私にとっては、彼らの過ごした時間を追体験してみることは、とても魅力的なことのように思えるのです。私が機会に恵まれるたびに、ニジンスキーやディアギレフが生きた時代に彷徨ってしまうのは、そんな理由によるのかもしれません。

今回の展覧会では、これまで本やネット上で眼にしてきた版画や写真を実際に見られるということ、また当時のステージで実際に着用された衣裳が展示されるということが、私にとっては、大きな意味を持っていました。ジョルジュ・バルビエの版画集『ワツラフ・ニジンスキー』、そして、ロバート・モンテネグロの版画集『ワツラフ・ニジンスキー』の一部も、リトグラフという形で勿論展示されていましたが、眼の前で実際に眼にしてみると、本やネットで見ているのとは違う迫力が、当然ありました。特に、圧倒されたのが、金と黒と白の色彩のみで構成されたモンテネグロのニジンスキー像。妖艶さ、エロティシズム、魔性、悪魔的なもの・・・。ニジンスキーの踊りにモンテネグロが見出したものが、たった1枚の紙に見事に写し取られている気がして、その存在感にしばしの間、打ちのめされました。これまでも見たことがあったモンテネグロの版画。しかし、展覧会で実際に眼にしたそれは、バルビエのニジンスキー像とは異なり、明らかに「何か」においてバルビエによるそれとは一線を画している気がしました。『シェエラザード』の「金の奴隷」、そして『カルナヴァル』の「アルルカン」においては、特にその傾向が顕著に現れているようでした。身を捩じらせて宙に舞う「金の奴隷」を、画面左下で待ち受けているかのように描かれる鋭い短刀の刀先。死と隣り合わせの狂乱的な愛の官能性が見事に描かれていて、この版画が展示されている壁の前で、描かれたその姿に吸い込まれてしまうような感覚を覚えました。「金一色」で塗り込められた背景も、非常に印象的です。

そして、『カルナヴァル』の「アルルカン」。一口に「道化」と言っても、アルルカンやピエロなど、喜劇の発展史の中で様々な系譜があるのでしょうが、モンテネグロが描いたニジンスキーの「アルルカン」は、日常を非日常に、非日常を日常へと、祝祭的な雰囲気の中で転覆させ、撹拌していく、道化の特徴が、非常によく表現されている気がしました。そのことを観る者の眼に強烈に印象付けているのが、画面中央に、白と黒でダイナミックに描かれた「ダイヤ柄」のレギンスなのではないでしょうか。歴史的にも、こうした多色使いの柄は、縞模様とともに、道化の衣裳に特徴的なものであると思いますが、ニジンスキーの強靭な大腿部から膝、そしてつま先までを覆っているこの衣裳、目もとを覆っているマスクとともに、「ペトルーシュカ(こちらも同じくダイヤ柄のパンツを身につけ、道化的)」とはまた違う「アルルカン」の存在感を鮮烈に印象付けている気がしました。『カルナヴァル』の「アルルカン」の実際の「ダイヤ柄」の衣裳は、勿論版画に描かれたような「白黒」ではなく、「赤と水色」によるもので、カラフルなものです(さきほどご紹介したリンク先のページの画像でご確認ください)。「ダイヤ柄」の衣裳も鮮やかに、カーテンから右半身を覗かせて、不敵な笑みを浮かべるモンテネグロによるニジンスキーの「アルルカン」。エキゾティックな魅力に満ちた「金の奴隷」の版画と共に、今回の展覧会で、最も印象に残った作品であり、ニジンスキーの魅力とそれを捉えるモンテネグロのまなざしが濃厚に封じ込められた作品世界が非常に魅力的に感じられました。



また、お馴染みのこれらの版画や写真によって定着していた衣裳のイメージが、実際にステージで着用された実物の衣裳を見ることによって、当時の舞台を想像しやすくなった、というのも事実です。版画や写真に写し取られた人物像や衣裳は、当然モノクロか、せいぜい3~4色刷り。デザイン画なら衣裳の色や形状がかなり忠実に再現されていますが、やはり実際に当時のダンサーが着て踊っていた衣裳を見るというのは、特別な体験です。今回の展示で特に眼をひいたのは、展示室に入場してすぐに飾ってある、レオン・バクストによるミハイル・フォーキンのための「アムーン」の衣装(先ほどのリンク先の画像でご確認ください)。これは、1908年マリインスキー劇場で初演された『エジプトの夜』のために制作されたものだそうで、1909年バレエ・リュスによるパリ・シャトレ劇場の上演でも使用されたそうです。100年も前の舞台衣裳ですが、これを100年前に男性ダンサーが身につけて踊ったら、それはビジュアル的に非常にセンセーショナルなものだったのではないでしょうか。この衣裳、時を経て、細部にほころびのようなものが感じられますが、会場内でエキゾティクな芳香を一際放っているように思われました。この『エジプトの夜』は、後の『クレオパトラ』の土台となった作品だそうで、バクストのデザインに見出されるエキゾティックな視線は、『シェエラザード』へと受け継がれてゆくようです。

今回の展覧会では、パリ・オペラ座バレエ団の『薔薇の精』、『牧神の午後』、『ペトルーシュカ』の映像を見られたことも大きな収穫でした。『薔薇の精』と『牧神の午後』がセットで25分ほどの上映、『ペトルーシュカ』が単品で35分ほどの上映でした。東京会場では、家庭用の大型テレビに映し出される映像を、周囲に配置されたパイプイスに座って鑑賞するというシステム。この展覧会は、既に京都を巡回してきているようですが、他の会場ではどのような視聴システムだったのでしょう。せっかくの貴重な映像、もう少し大きく鮮明なスクリーンで鑑賞したかったなあ、というのは正直なところあります。一通り展示を見た後、映像によって実際にダンスを見ると、展示物との関連性が把握できてよろしいのではないでしょうか。また、『薔薇~』と『牧神~』をセットにして上映してくれたというのは、とても魅力的でした。どちらも「夢想」がテーマの一部分をなしている作品であると思いますが、『薔薇~』ラストにおける、薔薇の精の窓の外への跳躍、そして物議を醸したという『牧神~』ラストにおける、ニンフの残した飾り帯と戯れる牧神の姿。どちらのシーンも、ニジンスキーのダンスを伝説化している二つの重要なシーンだと思いますが、両作品を並べて観ることができて、本当によかったと思っています。

さらに、『ペトルーシュカ』を観ることができたのも、大きな収穫でした。部分でしか見たことのなかったこの作品でしたが、色彩豊かなロシアの民族性を感じられるお祭りのなか、ペトルーシュカ、ムーア人、バレリーナの人形芝居が始まるわけです。今回の展覧会では、「ロシアの民族性」ということに照明が当てられていたのですが、展示物を見た後、『ペトルーシュカ』の舞台映像を見て、その「ロシア的なもの」が見事に展開している舞台セットや衣裳に、眼を奪われました。アレクサンドル・ブノワによる『ペトルーシュカ』の衣裳デザインの水彩画も展示されていたのですが、そのうちバレリーナの衣裳は、当時の舞台衣裳が展示されていて、デザイン画と実際の衣裳、そしてステージでダンサーがその衣裳を着て踊る映像を確かめられて、非常に興味深かったです。

バレエ・リュスは、パリを拠点にヨーロッパ各地で活動したということですが、今回の展覧会では、その文化的な中心地から発信されたものだけではなく、そのバレエ・リュスの活動などに多くの影響を及ぼした、当時のロシアの舞台美術の世界が紹介されていることが、興味深かったです。当時のロシアは、「喜劇的な感受性」に支配されていた、ということですが、衣装のデザイン画やポスターを取り上げてみても、独特の色彩感覚で描かれた作品が目立ち、現代にこんな広告があってもおかしくない、と思えてしまうぐらいのキッチュな世界が展開していました。当時のサンクトペテルブルグやモスクワで盛んだったキャバレー文化は、20年代のベルリンのキャバレー文化へと受け継がれてゆくということです。ミュージカル・映画の『キャバレー』にもつながっていくような世界でしょうか。

また今回の展覧会の最終展示室は、「舞台を彩った人々」というコーナーでした。舞台で活躍するダンサー、俳優、プロデューサーの肖像画だけではなく、彼らを風刺したユーモア溢れるカリカチュアも出展されていて、当時のステージシーンに向けられた多角的なまなざしを理解するための一助となっています。様々なスタイルで描かれた作品群のなかで、特に美しかったのは、タマラ・カルサヴィーナとアンナ・パブロワをそれぞれ描いた肖像画でした。最終展示室の外の廊下の壁に掛けられたこの二つの作品を前にして、足を止め、じっと見つめている方が多く見受けられました。また、「劇場の中」と題された、セルジュ・スデイキンによる126センチ四方のキャンバス画もインパクトのある作品でした。そこには、白い手袋をはめた両手を組み、冷めたような視線を投げかける女性と、オペラグラスを片手に舞台へと熱いまなざしを向ける男性が描かれています。これだけ豊穣な舞台芸術の世界が花開いた時代、舞台人だけでなく、観客側のエネルギーというのも、ただならぬものがあったのではないか、と思われてなりませんでした。

1920年代後半、時代の流れに適応するために、バレエ・リュスの活動も既に多様化していたようですが、1929年、ディアギレフの死によって、バレエ・リュスは解散することとなります。バレエ・リュスは、パリを拠点に、ベルリンその他ヨーロッパ各地で活動していましたが、1929年のベルリンといえば、ミュージカル『グランドホテル』の時代と重なります。バレリーナのエリザベータのお取り巻きのひとりである劇場主サンダーの台詞に、「もうバレエは流行らない。これからはジャズだ、ヌードだ、ジョセフィン・ベイカーだ。」というものがありました。「褐色の女王」と言われたジョセフィン・ベイカーが踊り、20年代を席巻したチャールストンも、元は黒人文化を土台として発達したダンス・ミュージックでした。バレエ・リュスも、ロシアの民族的な要素、そしてアフリカや中東などの要素を異国趣味として、取り入れたことが成功の大きな要因だったということでしたが、バレエ・リュスの活動とチャールストンの流行、両者のあいだには、「異質なもの」を受け入れる度合いに違いこそあれ、「異質なもの」に対する憧憬があったことは確かなことのようです。

この展覧会は、17日で終了してしまいましたが、庭園美術館では、この後、10月6日から『世界を魅了したティファニー 1837-2007(The Jewels of TIFFANY)』展が行われるということです。宝石の世界にご興味がおありの方、庭園美術館周辺の木々も赤や黄色に色づき始める頃、秋を感じながら、散策がてらご覧になってみてはいかがでしょうか。



画像は、先週末から読んでいる3冊の本です。両サイドの2冊は、本棚の奥から探してきたもの。左は、リチャード・バックルによる『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』。右は、『ニジンスキーの手記 肉体と神』です。今から10数年前に、この『ニジンスキーの手記』を初めて読んだときは、「何じゃこりゃああ~」(by 「太陽にほえろ!」ジーパン刑事、ニジンスキーファンの方、表現がふさわしくなくても、どうか気を悪くされないでください)と叫びたくなるほどの衝撃を受けたものでした。でも、今回の展覧会を観て、久しぶりにニジンスキーのいたあの時代に浸ってみると、これらの本に書いてある言葉も、また新たな響きをもって、届くような気がします。

中央の1冊は、ご存知の方も多いと思いますが、最近発行された『ICON アイコン VASLAV NIJINSKY』です。写真や図版が多く掲載されており、文章も読みやすいです。

最後に、『ニジンスキーの手記』を編集したロモラ・ニジンスキーの言葉をご紹介しておきます。

「ニジンスキーは偉大な舞踏家として知られていた---舞踏の神として---だが、彼はそれ以上の人であった。彼は博愛主義者であり、真実の探究者であった。彼のただ一つの目的は、救済すること、共に分つこと、愛することであった。彼は全生涯と魂とその天才を人類のためにそそぎこみ、観客を高め、世界に芸術と美と喜びを与えようとした。彼の目的はひとを喜ばすことでも、自分の成功や栄光を得ることでもなく、自分自身の媒体---舞踏---を通じて神聖なるメッセージを与えることであった。」

ニジンスキーの妻、ロモラに関しては、様々な評判がありますが、ニジンスキーに対してのひとつの見方を示すものとして、彼女の言葉には、ひかれるものがあります。それにしても、深遠で崇高な世界・・・。「読書の秋」、そして「芸術の秋」ということで、あちらこちらに寄り道しておりますので、更新のペースが不規則になっておりますが、更新が滞っていたら、のん気に本を読んでいるか、どこか美術館にでも行ってるんだろう~、と思ってください。そのうち必ず更新します。


◆The Radio City Rockettes/A Dance Through Time

2007-09-12 02:19:55 | ボーイ・フロム・オズ
更新が滞りまして申し訳ございませんでした。ここ1週間ほど風邪をひいてしまい、体調を崩していたので、書くのはちょっとお休みして、読みたかった本などを手にとってちょっと充電していました。季節の変わりめ、皆様もどうぞお気をつけください。そこで、今日はそんな中から1冊の本のご紹介。前から取り上げようと思っていた”The Radio City Rockettes/A Dance Through Time”のご紹介です。12月の『ALL SHOOK UP』は、坂本昌行さん主演ですし、ちょっぴり懐かしいOZの話題もよろしいかもしれませんね。



2005年のOZ初演、そして、昨年の再演のときからずっと気になっていたのが、Rockettesのことでした。(Radio City Music HallとRockettes、日劇のことについて書いた記事はコチラです。)日本版OZでは、第2幕第4場で、青山さんたち男性アンサンブルの方々も華やかな衣裳に身を包み「女装」して、女性アンサンブルの皆さんと同様に、白い燕尾服姿のピーターを囲んで、華麗なロケットダンスで魅了してくれました。(BW版では鏡を多用して、女性ダンサーを多数に見せるという演出だったのですよね。)昨年OZ関連の記事を書くときにも、Radio City Music HallのHPで、Rockettesの歴史などについて読んでみたりしたのですが、もっと写真などが多く掲載されていて、詳しく書いてある本はないかな、とずっと探していたところ、この本を発見したというわけです。

歴史的な白黒写真の数々、そしてJames Portoというカメラマンによって撮影された現在のRockettesの写真が数多く掲載されていて、ヴィジュアル的にはかなり満足できる1冊でした。70年代後半から最近までの数々の舞台衣裳を着たRockettesの皆さんのポートレートが70数枚掲載されているのは、やはり圧巻。Rockettesの衣裳のスタイルブックのような出来上がりとなっています。Vincente Minnelli(つまりJudy Garlandの旦那様で、Liza Minnelliのお父上)は、Radio City Music Hallの最初の衣裳デザイナーであり、セットデザイナーであったということですが、その後も、このRockettesの衣裳デザインには、Bob Mackie(表紙の衣裳は彼のデザインです)やErtéというデザイナーたちが関わっているそうです。また、”A Dance Through Time”というサブタイトルがついているだけあって、20年代から現在まで、Rockettesがいかに激動する歴史のなかで時代に適応し、今日まで愛されてきたのかが、歴史的な写真とともに読み取れて、それも楽しかったです。 また舞台写真だけでなく、アール・デコ調のホールロビーでポーズをとるRockettesの写真も多くあって、そちらも素敵でした。

OZの日本版Rockettesの青山さんたちのダンスを思い出してみてもわかりますが、Rockettesのダンスのキーワードは、“a team of dancers moving as one”ということなのだそうです。Ziegfeld Folliesにインスパイアを受けていたRockettesの創始者、Russell Markertは、どんなに複雑なルーティーンをしようとも、そこに絶対的な精確さと一体感を求めたのだそうで、そこで大きな役割を果たすと考えられたのが華やかなお揃いの舞台衣裳だったそうです。そういえば、日本版OZで、Rockettesの皆さんが横一列に、赤と銀色のスパンコールの衣裳で、ステップを踏みながら、勢ぞろいするあのシーンも、圧倒的な華やかさを醸し出していました。ダンスに一体感を出すために欠かせないのが、お揃いの衣裳。でもその一体感を完成させるために、総勢36人のRockettes、そのひとりひとりに、3回ずつフィッティングが行われ、微調整が行われてゆくのだとか。次のショーのお稽古、上演中のショーへの出演の合間にスケジューリングされる舞台衣裳のフィッティング、これはRockettesにとって、欠かすことのできない仕事のひとつだそうです。

そして先ほども述べたとおり、Rockettesの舞台衣裳のデザインには、Vincent Minnelliをはじめとして、多くの著名なデザイナーが関わっているということですが、ブロードウェイの舞台衣裳デザイナーであるJames Morcom,John William Keck,Marco Montedoro,Frank Spencerなどの名前も挙げられていました。数々のデザイナーたちが作り上げてきたRockettesの舞台衣裳も、演目に沿って、デザイナーそれぞれの個性が表現される一方、時代の流れを受けて変化を遂げてきているようです。例えば、ヘムライン。OZの日本版Rockettesが着ていた衣裳のラインも、いわゆる「ロケットダンス」の衣裳の王道を行くようなものでした。今回ご紹介したこの本を読んでいても、掲載されている衣裳のヘムラインは、ほとんどが日本版Rockettesと同じようなもの。しかし、このような形が一般的になったのは、60年代に入ってからなのだそうです。30年代、40年代には、ダンサーの衣裳も、トラディショナルなボクサーショーツのようなものが多かったそうです。やがて、50年代を経て、60年代のビキニブームが席巻する頃になり、Rockettesもそんな時代の趨勢に合わせて、キックの高さとヘムラインを徐々に上げていったのだそうです。また同じく60年代の宇宙開発時代には、Rockettesの舞台衣裳にも、宇宙飛行士をテーマにしたものが登場したとか。その一方で、時代が変わっても30年代と変わらないのが、Christmas Spectacularの、おもちゃの兵隊さんのコスチューム。こちらはVincent Minnelliによるデザインを踏襲しているということで、1着制作するのに12時間かかるそう。観る側にとっては大変魅力的でも、かなり複雑な構造を持っているこの衣裳を着て、木で作られているような動きをするのは、かなり大変なことだそうです。

1925年に16人のダンサーがRussell Markertによって集められ、”Missouri Rockets”としてSt.LouisでスタートしたRockettes。同じ年に、ニューヨークに進出した彼らは、ブロードウェイのショー、”Rain or Shine”で好評を博し、観客の期待に応えるために、さらに二つのダンスグループが結成され、The Roxy Theaterで踊ることになったのだそうです。グループの名前も、彼女たちをニューヨークで発見したS.L.“Roxy”Rothafelにちなんで、“The Roxyettes”と改名、30~36人のダンサーによって構成されることになったそうです。そして、1932年12月27日、Radio City Music Hallのオープニングナイト。新しい劇場の歴史的な誕生とともに、彼女たちのショーも新たなデビューを飾ることとなりました。19のショーが5時間にもわたって繰り広げられたオープニングナイトには、Martha Grahamも出演したそうです。1934年には、いよいよ“The Radio City Rockettes”と改名。このホールで行われる新作ハリウッド映画のプレミアに合わせて、15分間のショーで踊る形式が出来上がっていったようです(1979年まで続いたそうです)。大戦中には、米軍基地も訪ね、50年代のテレビ時代の到来に合わせて、テレビデビューも果たしましたが、多忙を極める彼女たちに合わせて、Radio City Music Hallの裏手には、寮が完備されたのだとか。その後もRockettesは、各方面で活躍、1988年には、スーパー・ボールのハーフタイムショーにも登場したそうです。

アメリカの歴史とともに歩んできた、時代を感じさせるRockettesの数々の写真。そしてさきほどもふれたJames Portoによる現在のRockettesひとりひとりを撮影した舞台衣裳の写真。お揃いの舞台衣裳に身を包み、”a team of dancers moving as one”として踊ることを、常に厳しく求められるというRockettesですが、それらの写真の1枚1枚を眺めていると、 “dancers”としての彼女たちではなく、“a dancer”としての彼女、そのひとりひとりの夢の軌跡が無数に見えてくるかのようです。『ボーイ・フロム・オズ』では、Radio City Music HallでRockettesと歌って踊ることが、小さい頃からの夢であったということが、ピーターによって語られます。そのピーターを囲んでいたThe Radio City Rockettes、そんな彼女たちひとりひとりの夢が、語りかけてくるのが聞こえてくる気がする・・・、そんな1冊でした。




◆”ALL SHOOK UP”&Jukebox

2007-09-03 18:35:21 | ALL SHOOK UP
青山航士さんが、12月に東京と大阪で上演されるミュージカル『ALL SHOOK UP』に出演されるということがわかりました。早速事務所様のHPを拝見しました。情報をありがとうございました。31日に届いた『SHOW店街組曲』のDVDを観て(青山さんのソロは何度観ても、素敵ですね!)、『All SHOOK UP』についてあちらこちらをネット散歩していましたら、すっかり記事のアップが遅くなってしまいました~。

さて、この『ALL SHOOK UP』は、全編Elvis Presleyの曲で綴られ、1950年代のアメリカ中西部を舞台にした作品だそうです。また、シェイクスピアの『十二夜』を翻案した作品だそうで、50’sの香りのするハッピーな歌とダンスが溢れるなか、どんなラブ・コメディーになるのか、今から期待が高まりますね~。アメリカの公式HPで見られる映像、および教えていただいたYou Tubeの画像(ありがとうございました)を見ただけですが、躍動感溢れるダンスシーンもかなりありそうで、これを青山さんが踊ったら・・・?今回の日本版の演出・振り付けは、BW版のものとは異なるそうですが、間違いなく、素敵なステージになりそうですね。しかも、主演は、坂本昌行さん!坂本さんが歌うエルヴィスの名曲もものすごく楽しみです。少し前に坂本さん主演のこのミュージカルのことを知って、実はとても気になっていました。エルヴィスの曲で踊る青山さんを観られたら、すごく素敵だろうなあ、と思っていたところだったのです。そんなことを考えながら、ROCKIN’ Broadwayのレポを書き、31日には『SHOW店街組曲』のDVDも届くなあ~と楽しみにしていたら、『ALL SHOOK UP』のご出演情報!本当にありがとうございました。12月がとても楽しみです。

ところで、この作品は、ある特定のアーティストの既存の曲を再構成してひとつのストーリーをつくる“jukebox musical”。『ボーイ・フロム・オズ』も、ピーター・アレンの楽曲を使った“jukebox musical”ですが、シーンごとに散りばめられた25にも及ぶ曲によって、ピーターの人生が見事に語られてゆくうちに、彼の波乱に満ちた人生に、いつの間にか観客も深く入り込んでいってしまっているという感覚が、とても心地のよいものでした。そんなOZという作品において、青山さんたちアンサンブルの果たしていた役割は、とても大きなものであったように思います。今回の『ALL SHOOK UP』は、エルヴィス自身の人生を描いた作品ではないということですが、ストーリーの中に、彼の映画や彼が演じた役柄などとの共通点を見出せるところも多いということです。主人公Chadを演じる坂本さんの歌声も楽しみですが、花影アリスさんや湖月わたるさんが、女性として、エルヴィスの歌をどんなふうに聞かせてくださるのかも、とても楽しみです。

BW版の公式HPのトップページは、画面左下の”jukebox”をクリックすると、革のライダースジャケットを着たChadが、バイクに乗ってこちらに走ってくる仕組みになっています。Rock’n’ Roll、バイク、革のライダースジャケット・・・。1950年代のアメリカのティーンエイジャーにとって、これらのアイテムは、「反逆・反抗」のしるしであると同時に、「あこがれ」のしるしでもあったのかもしれません。一方、当時の大人/親たちが、これらのアイテムに象徴されるような「悪しき道」に子供たちを引き入れた犯人と考えていたのは、1954年に”That's All Right”で鮮烈なデビューを飾ったElvis Presleyだったそうです。今でこそエルヴィスには、古きよき時代のアメリカを代表するようなKing of Rock’n’ Rollというイメージが定着していますが、彼が登場した当時、その存在は、非常にセンセーショナルなものであったようです。彼の音楽は、黒人のブルースと白人のフォークを融合させたと言われています。エルヴィスの代名詞、「型」ともなっているような、腰をひねる(hip-swiveling)動き、これも当時の若者にはセックス・アピールとして映り、彼らが熱狂の渦に巻き込まれる大きな要因だったようです。しかし、人種差別の意識が根深かった50年代においては、黒人のダンスをまねたようなこうした動きは、下品なものとして、多くの大人の反感を買ったといいます。

1950年代は、若者たちの反抗・反逆の時代と言われていますが、そんな時代を象徴するのが、エルヴィスやジェームス・ディーンですよね。1961年に映画化された『ウエスト・サイド・ストーリー』は、50年代半ばに都市部で問題となりつつあった人種間の対立をテーマにした悲劇の物語で、その軋轢のなかで生きる若者たちの姿が描かれていました。そして、どこに向かわせたらよいかわからない、彼らの内に秘められたエネルギーが、ダンスによって描かれていました。映画版では、トニー役は、Richard Beymerが演じていますが、当初このトニー役は、エルヴィスがねらっていたのだとか(舞台版では、アーサー・ロレンツが、ジェームス・ディーンを候補にあげたということをどこかで読んだことがあります。映画版では、他にWarren Beattyなどの名前があがったようです)。映画の大ヒットを受けて、エルヴィスは映画に出演しなかったことをとても後悔したそうです。マリア役は、ナタリー・ウッドですが、オードリー・ヘップバーンなどの名前があがった、というのもどこかで読んだ気がします。「もしも」のキャストの様々なバリエーションを想像するのは、とても楽しいですね。エルヴィスがもしトニー役をしていたら?マリア役がオードリーだったら?映画『ウエスト・サイド物語』もまた少し違った印象になっていたかもしれません。映画『ウエストサイド物語』のこんな制作秘話を聞くと、エルヴィスの曲でつづられる今回の『All Shook Up』に登場する女の子の名前が、Natalieであるという話もまた面白く聞こえてきますね。(ナタリー役は花影アリスさんが演じられるそうです。)

ついこのあいだ2004年夏の少年隊版の『ウエスト・サイド・ストーリー』の話をしたばかりですが、その年の冬の嵐版『ウエスト・サイド・ストーリー』が上演されたのも、今回の『ALL SHOOK UP』東京公演が行われる青山劇場においてでした。『ウエスト・サイド・ストーリー』は、50年代のニューヨークに生きる若者たちが悲劇に向かって追い詰められてゆく物語でしたが、今回の『ALL SHOOK UP』は、バイクに乗ってRock’n’ Rollを歌う「反逆児(?)」Chadが、保守的な価値観に支配された中西部の街の人々を、愛と自由で開放していくラブ・コメディーのようです。時代的には、若者たちを取り巻く状況が、『ウエスト・サイド・ストーリー』へと行き着く一歩手前、「若者たちの反抗の時代」と言われる50年代の原点を扱っている感じでしょうか。『ウエスト・サイド・ストーリー』も素晴らしかったですが、そんな50’sの原点にいたエルヴィスの音楽とイメージを散りばめた『ALL SHOOK UP』、ハッピーな歌とダンスで思う存分楽しめそうなミュージカルですね。

一説によると、“jukebox”の“juke”という言葉は、“dance”を意味するアフリカ系アメリカ人のスラング“jook”から来ているということですが、今回の作品も、ステージに音楽が流れれば、ダンスもあふれ出す・・・、そんなふうになればいいな、と期待してしまいます。今年の青山さんは、ROCKがテーマの作品に出演されることが多かったですが、Rock’n’ Rollのクラシック、エルヴィスの曲を踊りまくる青山さんのダンスが、本当にファンとして楽しみでなりません。実際に、”C’mon Everybody”を歌うシーンでは、Chadが壊れたジュークボックスに触れると、そのジュークボックスが息を吹き返すというシーンがあるそうです(←YouTubeにあったのは、こちらのシーンですね、実際に見られてよかったです)。“no loud music, no indecent behavior”が当たり前であった街に、バイクに乗ってやってきたChadが、Rock’n’ Rollでかける魔法はどんなものなのでしょう。




画像は、今読んでいる『denim』という本と、青山さんがタイガー役で出演された2004年夏・冬の『ウエスト・サイド・ストーリー』、二つのパンフレットです。このときの青山さんのタイガーの衣裳は、タンクトップに、濃いブルーのデニム(客席からはそう見えました)でした。あのタイガーを観て以来、私の中で青山さんのダンスに一番似合う衣裳は、ブルージーンズという図式ができあがってしまっています。ジーンズを着て踊る青山さんは、本当に素敵ですよね。

『ALL SHOOK UP』で話題になっているエルヴィスは、ステージ衣裳として、ジーンズを着ることは少なかったそうです。ロックンロールとジーンズって、結びついているイメージがあるので、このことはちょっと意外でした。「黒人音楽の洗礼を受けて育った」エルヴィスにとって、ジーンズは「綿花畑と小作労働を彷彿させるもの」であり、「(ワークウエアとしてのジーンズは)少年時代の貧しさを連想させるもの」、つまり「普段着」だったそうです。

ロックンロールにジーンズを取り入れたのは、黒人音楽の影響を強く受けたエルヴィスではなく、ロカビリースターであるEddie Cochranたちだったそうです。3月の『TOMMY』、カーテンコールのスペシャルライブで演奏されていたのは、The WhoのSummertime Bluesでしたが、そういえば、この曲は、Cochranが作ったものでした。

この本の50’sのジーンズを扱った“What've you got?rebels,rockabillies and other menaces to society”の章には、『ALL SHOOK UP』のChadのように、革のライダースジャケットに、ブラックあるいはブルージーンズをはき、バイクにまたがった当時の若者たちの写真がたくさん掲載されていて、興味深いです。エルヴィスもプライベートでは、当然ジーンズをはいていたそうで、ジーンズをはいてファンにサインをする彼の写真が掲載されています。

3年前に鮮烈な青山さんのタイガーを観て以来、ブルージーンズと『ウエスト・サイド・ストーリー』周辺の50年代~60年代アメリカのイメージとの関係には、ちょっと興味を引かれています。そのへんのところに関しては、安易に扱えるようなテーマではないのですが、いつの日か、そんなことも、青山さんのタイガーを観た記念として、書けたらよいなあ~なんて思ったりしています。あ~、話がどんどん脱線していくので、今日はこのへんで。本文とはあまり関係ないかもしれませんが、最近ちょこっと読んだ本の内容を、エルヴィスに関連して書き足しておきます。まだまだ勉強不足~、わからないことだらけなので、どなたか、教えてくださいませ!


◆ROCKIN’ Broadway観劇レポ Part 2

2007-08-29 22:32:02 | ROCKIN' Broadway
さて、ROCKIN' Broadwayの観劇レポの続きです。
このあたりから、かなり記憶が断片的になっていますので、その点ご了承ください。

Seasons of Loveの次は、和央さんが雨に打たれながら歌われる迫力のあるシーンでした。ステージの上に実際に雨を降らせるなんていう演出、ライブコンサートではなかなか見られないような気がしますが、かなり大量の水が使用されていたような気がします。音楽を聴いた瞬間、「あっ、宝塚の曲・・・」と思ったのですが、どうやら『ファントム』の曲だったようです。冒頭では、ダンスシーンも少々入っていたように思います。途中から和央さんのソロだったような気がします。

そして、この次からがラテン・メドレー。まずは、Gloria EstefanのCongaに乗せて、華やかなダンスシーンが繰り広げられます。花總さんと女性ダンサーの皆さんが踊られるのですが、とにかくこのシーン、花總さんのキュートで非常に華のあるダンスが印象に残りました。Dancing Queenの花總さんも、とてもお綺麗で、遠くから拝見していても、「娘役の理想像」のようなオーラを感じて、ひたすら素敵だなあ、と思っていたのですが、このシーンでは、スカートの裾を翻しながら、動きのあるダンスで客席を魅了しておられました。客席はこの前半部分のダンスシーンで、既にかなり盛り上がっていたのですが、途中からは、なんと和央さんが、パイレーツ・オブ・カリビアン!?な感じの海賊ルックでご登場。さらにラテンなノリで大盛り上がりです。ただ、雰囲気的には、金髪のロングヘアーでしたので、ジャック・スパロウというよりは・・・、何と説明したらよいでしょう。和央さんの中性的で、ワイルドなムードが印象的で、花總さんとのダンスも素敵でした。Congaに続くラテン・メドレーの後半では、男性ダンサー陣も登場していましたので、青山さんファンとしては、この曲をカリビアンなムードで踊りまくる青山さんは是非観てみたかった、というのは正直なところあります。残念ながら、Congaのシーンでは、男性ダンサーの方々のダンスシーンはほとんどありませんでしたので。

続いては、Ricky MartinのLivin’ La Vida Loca。このあたりから、センターの和央さんを囲むようにして、待ってました!青山さんたち男性ダンサーの方々のご登場です。かなり動きのあるラテンなダンスを楽しめるシーンです。青山さんたち男性ダンサーの方々の衣裳もとても素敵です。やはり海賊の衣裳は、あれでないと!という衣裳だったと思います。同時にここは、パイレーツな和央さんがサーフィンをするという、あり得ない、でも何故かとても楽しい演出に、会場が和むシーンです。ステージ上のブルースクリーンの前に、ラテンなダンスを踊っていた青山さんたちが、突然サーフボードなどをセットし始める様子が、笑えます。このサーフボードにひょいと和央さんが飛び乗り、ポーズをとり始めると・・・。バックの大スクリーンに、「ビッグ・ウェンズデー」さながらの大波に乗るパイレーツな和央さんが映し出されるというしかけです。このシーンのあまりの唐突さに、笑ってしまったために、すみません、このあたりの記憶がかなりあやふやです。DVDの映像を楽しみにしたいと思います。それからこのあたり、またはこの曲のちょっと前のあたりで、和央さんがカメラマンの方を連れて、高さのあるところに上がられて、バーにつかまったと思ったら、その「台」がかなりのスピードで回転しだすというスゴイ演出もありました。スクリーンに映し出される映像を見ていると、客席に座っていながらも、和央さんの感じておられるであろう「遠心力」を感じてしまうという、非常に迫力のあるシーンでした。

お次は、フランク・ワイルドホーンさん作曲によるVIVA!。今回のコンサートのパンフレットには、曲目が掲載されていなかったのですが、唯一、この曲の歌詞だけは、掲載されていました。開演前にパンフレットを眺めていたところ、“Lyrics by Yoka Wao”の文字が眼に飛び込んできて、どんなメロディーの曲なのか、非常に楽しみにしていました。勝手に、ワイルドホーンさんの楽曲は、オーソドックスなバラードであろう、と決め込んでいたので、スパニッシュなアコースティックギターの音色が非常に美しいイントロが流れ始めたときは、一瞬意表を突かれたかたちでした。けれども、ラテン調に展開するワイルドホーンさんによる美しいメロディーラインと、ファンの皆さんに向けて書いた、という和央さんの熱い気持ちが込められたことばが、とても心地よく響き渡りました。また心のこもった振りとともに、会場が一体感に包まれるという素敵なシーンでした。

そして、この後はいよいよ「たかこの部屋」へと突入です。「笑点」のテーマソングをロック調にアレンジしてみたら、妙にはまってしまったのだそうで、和央さんは海賊ルックのまま、イスに腰掛け、トークがスタートです。遠くから拝見していても、和央さんは確かに「男前!」なオーラを発しておられ、ステージも中盤に差し掛かったこの頃には、私も思わず「和央さん」ではなく、「たかこさん」とお呼びしたいくらいでした。私が観た日は初日だったのですが、この日の質問は、「初日のステージの幕が開いたときは、どんな気分ですか?」というようなものだったと思います。それに対して、たかこさんは、「やるっきゃない」というようなお答えをされていたと思います。また、コンサートグッズの企画の裏話も非常に楽しく、たかこさんに親近感を持ってしまいました。

それで、この後は、再びステージです(多分こんな展開だったと思います・・・)。白を基調にしたステンドグラスのような豪華なセットが登場したと思ったら、その前で、一組の男女のペアが登場し、ダンスが始まります。仮面舞踏会のようなマスクをつけていて、衣裳も白を基調にしたものです。幻想的で素敵なダンス!と思ったら、右側で踊っておられるのが、青山さんでした。ここの部分、時間にしたら短かったと思いますが、まるでオルゴールのお人形のようなダンスでとても素敵でした。次々とステンドグラスの扉が開いていくと、最後に和央さんと花總さんがご登場です。おふたりのデュエットダンスに会場は、溜息の連続といった感じでした。そして、このあたりで再びワイルドホーンさん作曲による、和央さんと花總さんのデュエットソングMy Only Prayerが入ったと思います。VIVA!とはまた雰囲気がガラリと変わるこちらも、ロマンティックで素敵な曲でした。「ゴールデンコンビ」のおふたりの素晴らしさをしみじみと感じました。

この後、ステージは暗転。All That Jazzの、あの悩ましげなイントロが聞こえたかと思うと、暗闇に包まれた会場を、紫色のライトが照らし始めます。本当にAll That Jazz!?いよいよFosseな青山さんを観られる!?と期待と興奮は最高潮に達し・・・。そして、本格的に曲が始まると、もうあとはただただステージに引き込まれるだけでした。ヴェルマな和央さんに、Cell Block Tangoをイメージさせる女性ダンサー陣、そして一際艶やかな青山さんたち男性ダンサー陣。そのなかでも青山さんがとにかく光っていました。青山さんの何がどうだったか、それをどう説明しようか、と本当に悩んでしまうわけですが、例えば、両腕を顔の高さぐらいで外向きに、カクンと折り曲げたときの、肩から肘、そして手首のあたりの、何ともいえない艶っぽさ。某サイトで見られるBig Dealのダンスシーン冒頭部分で、手首をカクンと折り曲げてポーズとるところがありますが、ああいう振りをするときの、青山さんのカッコよさと言ったら、もうただ「見てください」としか言えません。とにかく、このシーンは、「あ、私は今日これを観るために劇場に来たんだわ」と思ってしまう、そういう至福の瞬間が連続してゆくシーンでした。今回は、ライブ・コンサートということで、CHICAGOからの1シーンと言っても、もしかしたら、多少さっぱりめの振り付けだったのかもしれませんが、それでも、青山さんのダンスから漲るAll That Jazzなオーラは、やはり素晴らしかったです。いつの日か、FOSSEの世界を本格的に踊る青山さんを、この眼で観たい!心の底からそう思ったシーンでした。それから、勿論このシーンの和央さんも素晴らしかったです。今回のコンサートでは、色々なジャンルの曲を歌われていますが、やはりこうしたミュージカル・ソングを歌うときの和央さんの歌声は、素敵ですね。女性役としての圧倒的な存在感を示しながら、All That Jazz~♪と歌い上げるところなどを聞いていると、どうしたってミュージカルファンとして、あの曲も聴きたい、観たい~、と欲が出てしまいます。そして話題になっているこのシーンのラスト。ガウンを脱ぎ捨てたヴェルマを観ることができたのは、ほんの一瞬でしたが、和央さんのあの長い手足を生かした、女役としてのダイナミックなダンスを観てみたい、そんなことを思いました。

そしてこのあたりで、ABBAのDancing Queenであったように思います。パンフレットに掲載されている花總さんのお写真も、ストレートなヘアスタイルで、エキゾチックな雰囲気が醸し出されていて、とても素敵なのですが、ピンクの衣裳に身を包んだ、クレオパトラのような雰囲気の花總さんの美しさが際立っていたのが、このシーンでした。話題になっているように、青山さんたち男性ダンサー4人が担ぐお輿に、花總さんが乗って、会場右手のドアからご登場、客席の間を通り、ステージまで行かれるのですが、遠くから見ていても、本当に神々しいぐらいの美しさ。さらに、Dancing Queenを歌い上げる美声に、しばしのあいだ酔いしれました。Congaのときや、ジーンズをはいて歌われるときの愛らしさやかわいらしさとは違う、花總さんの魅力が満開のシーンでした。

この後は、バックに控えているバンドの方々も登場して、賑やかなROCKコンサートのノリで盛り上がりました。タオルを首にかけて、和央さんもマイクスタンドを握り締め、バンドのギターの方とノリノリで盛り上がります。ROCKな感じの曲が2曲ぐらいあったでしょうか。そのうちの1曲は、おそらくRENTだったと思います。ロックン・ロールな歌は、日本語で歌うとかなり印象が変わるので、ライブ中は、聴いたことあるけど、この曲なんだっけ・・・、な感じでした。バックコーラスのお三方の迫力ある歌声が非常に印象に残りました。そして、このあたりになると、曲順がかなりあやふやなのですが、Boys Town GangのCan’t Take My Eyes Off You(「君の瞳に恋してる」)が入ったと思います。和央さんと花總さんに、ダンサーの方々も加わり、歌にダンスで盛り上がります。巨大なミラーボールのようなものも飛び出して、これを青山さんたちが客席に投げ、お客さんたちとコミュニケーション。3月の『TOMMY』のPinball Wizardのようなノリに近かったでしょうか。ダンサーの方々も客席に降りてきてくださって、皆さんノリノリでした。

そして、ここからは和央さんの代表曲メドレーということで、しっとりと落ち着いた雰囲気になっていきました。Never Say Goodbyeと、もう1曲(One Heartという曲だそうです)が披露されていました。実際に劇場で聴く和央さんのNever Say Goodbyeは、やはり素晴らしかったです。歌の途中、ステージ上へと高くセリ上がっていくところがあるのですが、このセリの幅が非常に狭いもので、まるで和央さんが、天高く昇っていくように見えるんです。曲の盛り上がりとともに、高く高く昇っていく様子が、とてもドラマティックでした。また、和央さんが、2階客席を歩きながら歌われるという演出もあり、会場は非常に沸いていました。このとき、楽屋を出て会場に登場するまでの様子が、スクリーンに映し出されるのですが、この映像がとても楽しいものでした。この映像のあたりから、裾を膝下ぐらいまでロールアップしているジーンズを和央さんははかれているのですが、とにかく和央さんはジーンズ姿がよくお似合いになるんです。まさに「永遠の少年」。青山さんたちダンサーの皆さんもステージに大集合し、WINGとVIVA!を歌って踊って、フィナーレという流れだったと思います。

最後は、出演者の方々勢ぞろいのカーテンコール。和央さんと青山さんの絡みは、会場の笑いを誘っていました。とても楽しそうだったので、全回見てみたかったなあ~。とにかく、いろいろなジャンルの曲を踊っている青山さんを観られたことが、今回はとてもうれしかったですし、オープニングからフィナーレまでエンターテインメントな雰囲気が溢れていて、楽しいライブでした。「ゴールデンコンビ」といわれる和央さんと花總さんのステージも劇場で初めて体験することができ、宝塚時代のおふたりのご出演作もじっくりと観てみたい、そんなふうに思いました。同時に、これからのお二人のご活躍が、一ミュージカルファンとしてとても楽しみになったことも事実です。

DVDが発売されるかも?という安心感と、純粋にライブな空間を楽しんでしまった、ということがあり、かなり頼りない記憶を元にして書いたレポで申し訳ありませんが、どうぞご了承ください。衣裳やセット、曲順、そして青山さんのダンスの雰囲気など、どなたかファンの方でご覧になった方がいらっしゃいましたら、どこかでレポしていただけると、とてもうれしいです。いつも「詳細レポ」を書きながら、ステージをご覧になった方々は、それぞれどんなふうにご覧になっているのかなあ、と思っております。

◆ROCKIN' Broadway観劇レポ Part 1

2007-08-23 01:02:44 | ROCKIN' Broadway
さて、NEW YOKA 2007 ROCKIN’ Broadway、まさに「真夏の祭典」ともいうべきライブ・コンサートで、大いに盛り上がって楽しませていただきました。これまで、青山さんのダンスに出会ったことがきっかけとなり、ミュージカルを観ることが多かった私でしたが、今回はライブ・コンサートということで、新たな刺激とパワーをたくさん与えてもらえたような気がしています。新しい魅力で輝く青山さんにもたくさん出会うことができ、また青山さんがこれからどんなふうに活躍されていくのか、スポットライトのあたるステージでいきいきと踊られている青山さんを客席から観るたびに、そんなうれしい想いが湧いてくるのを感じるライブ・コンサートでした。

オープニングは、ステージ両側に設置してある大スクリーンに、どこかへ向かってゆっくりと歩き始める和央さんの映像が映し出されます(←和央さんもまさにスタンバイ完了!といった感じで、この映像を見ながら観客のボルテージも上がっていきます)。皆さんおっしゃるように、ここからしばらくはまさに「マトリックス」な近未来的イメージでしょうか。この映像の展開と、ステージ上のオープニングが、うまくリンクして、実際に舞台中央奥に和央さんが現れる頃には、観客の期待と興奮も最高潮。いよいよ登場した和央さんを、青山さんたち4人のダンサーが迎えに行くというような始まり方だったと思います。

舞台前方には、金属のバーのように見えるキラキラ光るメタリックなテープのようなものが、等間隔で垂れ下がっていて、1曲目は、このストライプの間からダンスを垣間見るという感じです。このテープのようなものが照明を反射して、ちょっと舞台に雨が降っているようにも見えたりして、とてもドラマティックな幕開けです。この1曲目は、聞いたことがあるものでしたが、タイトルはわからず(←Love Stonedという曲だそうです、皆様のブログをあちらこちら拝見しましたら、わかりました。ありがとうございます)。でも、このストライプの向こうに見えるダンサーの動きが生み出すシルエットが、とてもきれいです。モノトーンでまとめられた衣裳が余計にそのことを感じさせるのでしょうが、中でもセンターの和央さんのすぐ横で踊られている青山さん、最初から抜群の存在感。別にこれは目立ちすぎているということではなくて、リーディング・ダンサーとして、ダンサー全体の動きに流れをつけているように見える感じがするんです。センターの和央さんと、そのそばで踊っている青山さんを、ひとつの視界の中で観られれば、この上なくカッコいい素敵な絵となります。これは、この曲に限ったことではないのですが、青山さんのダンスには、キレと、よい意味での崩しのようなものが見事に同居しているような気がして、動きのなかのちょっとした細部から、余裕というか、風格というか、洒落た遊び心というか、そういうものが、遠くから見ていても伝わってくる気がしました。このシーンでは、このストライプの幕のせいで、ステージパフォーマンスの全貌がはっきりと見えるわけではないのですが、ビートを刻むこの曲の雰囲気と合わせると、コクーンの中で何かが鼓動しているようなイメージで、何かが始まろうとしているオープニングの雰囲気が伝わってきました。

2曲目、こちらも聞いたことがあるのに、タイトル思い出せず・・・。(←Larger Than Lifeという曲だそうです。)今回は、聞いたことがる!のに、タイトルを思い出せない曲がこんなふうに少しありました。また、多くの曲がかなり意訳してあるもののような気がしたので、ちょっと原曲とイメージが違ったり、メロディーはわかるのだけれど、歌詞が日本語なので、「・・・なんだっけ、この曲?」と咄嗟に思ってしまう曲があったかもしれません。でもステージ上の熱いダンスと歌に、すっかりそんなことは忘れて、楽しんでしまっている自分がいました。それで、この2曲目(のはじめあたり?)からは、さきほどのストライプの幕が開いて、内側からいよいよ和央さん、そして青山さんたちダンサーの皆さんが一気にブレイク!という感じで飛び出してきます。1曲目に比べて動きのあるダンスで、和央さんはところ狭しとダンサー陣を従えて歌って踊ります。オープニングからこのシーンでは、男性・女性ダンサーの皆さんが同じ衣裳を身に着けています。全身黒一色の衣裳に身を包み、非常に長身でスタイルのよい和央さんを、バックダンサーの皆さんが囲んで踊るわけですが、やはり群舞でダイナミックな振りで魅せてくれるこうしたシーンは、ライブコンサートのダンスシーンならではの迫力があって、客席も非常に盛り上がっていたように思います。オープニングからこのあたりまでの一連の流れを見ていると、MTVのPVのような雰囲気だなあ、なんて思ったりすることもありました。個人的には、Janet JacksonのRhythm Nationとか、あのあたりのものを思い出しました。でも、ダンスはあれほどカクカクしたものではなく、もっと滑らかというか、そういう感じなのですけれど。どういうふうに説明したらよいですかね~。

それから、このあたりから曲の順番があやふやなのですが、Billy JoelのMovin’ Outもありました。和央さんがソロで歌われるシーンだったのですが、背景のスクリーンには、Broadway(?)をハーレーのようなバイクで突っ走る和央さんの映像が映し出されます。映像の和央さんは、黒いサングラスに、さきほどの黒い衣裳を身に着けておられるお姿で、ビジュアル的に、ROCKな印象です。コンサートの後半では、ロックな曲も披露されましたが、冒頭のこの曲、個人的には、今回のライブ・コンサートのROCKIN’ Broadwayなイメージを音的にも、ビジュアル的にも伝えてくれるものだったような気がしました。実際にステージ中央で歌われる和央さんと、映像の中の和央さんのイメージが重なって、”NEW YOKA”な感じが醸し出されていて、素敵だなあ、と思いました。このシーンも含めて、映像と実際の舞台での動きが、DVDでどんなふうに編集されるのか、とても楽しみです。

そして、印象深かったのが、RENTのSeasons of Loveです。和央さん、青山さんたちアンサンブルの皆さんに、花總さんも加わって、名曲を歌い上げます。まさか、この名曲を歌って踊る青山さんを、劇場で拝見できるとは思っていなかったので、ファンとしてとてもうれしかったです。「ダンス」ということでも、「男性」ダンサーが入ることで、宝塚時代とは一味も二味も違うステージの雰囲気が生まれるのだと思いますが、「歌」ということでも、きっとそのことはあてはまるのではないでしょうか。皆さんのハーモニーがとても美しく、シンプルな歌詞の世界が、青山さんをはじめとして、皆さんそれぞれの振りとともに、伝わってきました。ダンスする青山さんの魅力は、これまでもたくさん書いてきましたが、歌を歌われるときの青山さんも、昨年から数多く拝見してきましたが、本当に輝いていて素敵だなあ、と心から思います。そして、このシーンで感動したのが、花總さんの美しい歌声と華やかな存在感でした。和央さんのステージでの存在感も素晴らしいですが、「ゴールデンコンビ」といわれるおふたりの素晴らしさというものを、劇場で実際に感じることができて、本当によかったなあ、と思いました。


今回のライブ・コンサートでは、幅広いジャンルから選曲されていましたが、やはりミュージカル作品からのものが多かったですね。
ひとつの作品としてミュージカルを楽しむのもよいですが、今回のように、様々な名曲を集めて聞かせてもらえるだけでなく、「見せて」もらえるようなエンターテイメントショーも素敵だなあ、と思います。
・・・ということで、名曲揃いのこれらのアルバムを、只今リピートしながら、DVD発売を楽しみにしているところです。




◆ROCKIN’ Broadway DVD発売日について

2007-08-20 20:19:50 | ROCKIN' Broadway
遅くなりましたが、ROCKIN’ Broadway千穐楽おめでとうございます。観劇レポの前に、まず、ROCKIN’ Broadway DVD発売日のお知らせです。前回の記事で、DVD発売の件についてふれましたが、帰宅後急いで記事を書き始めたために、会場で配布されていたチラシに掲載されていた情報を見落としておりました。大変申し訳ございません。
もうどこかで情報をキャッチされている方もおられるかもしれませんが・・・、

今回のNEW YOKA 2007 ROCKIN’ BroadwayのDVDは、11月7日(水)に発売されるということです。

チラシ掲載の情報によりますと、

定価8400円(税込)
発売・販売元 キョードー東京(お問い合わせは、03-3498-9999)
収録時間 約120分

東京国際フォーラム・ホールAの3日間4回公演、記録的な動員のスーパーステージをハイビジョンカメラ収録による迫力ある映像でDVD化!!
更に、コンサートの完全再体験を深める為に、「メイキング映像集」「全公演トーク集」などを映像特典として収録、何度でも見返せるDVDコレクションとなります。
(著作権上の理由で場合によっては収録できない楽曲もございます。予めご了承ください。)

とのことです。(チラシより引用)

『SHOW店街組曲』に引き続き、青山さんご出演のステージのDVD化、ファンにとっては、うれしい秋の特大プレゼントになりそうです。
ライブで演出上使用された映像もかなり凝ったものでしたし、リアルタイムでスクリーンに映し出された映像もとても素敵でしたので、どんなふうに編集されるのか、とても楽しみです。
満員のフォーラムAの熱気と感動がよみがえるかと思うと、今から発売日が待ち遠しいです。

ROCKIN' Broadway観劇レポは、またのちほど・・・、もう少々お待ちください。

◆ROCKIN’ Broadway初日おめでとうございます。

2007-08-18 01:37:10 | ROCKIN' Broadway
さて、いよいよ本日(もう既に昨日のことになっていますが)、待ちに待ったROCKIN’ Broadwayが開幕ということで、早速、東京国際フォーラムホールAに初日のステージを観に行ってまいりました。ホールCは、昨年1月の『グランドホテル』で体験していますが、ホールAは初めて。座席数5012席の大ホールは一体どんなものなのか!?と、ちょっとドキドキしながら会場へ・・・。確かに幅も広くて大きいし、最後部席からステージへの距離も、これまでのミュージカル公演では体験したことのない遠さ。しかし、ライブコンサートならこれぐらいは当たり前だし、大きい会場でないと生まれないノリもあるし・・・、などと思いながら会場に入っていきました。その瞬間に眼に飛び込んできた、見るからにスケールの大きそうな舞台装置に、これは盛り上がるコンサート、と言うよりライブになるのではないか、という非常にイイ予感に包まれました。

舞台前方には薄い幕(専門的に何という名前なのかわかりません~)が下りていて、開演前には、そこに映像が映し出されています。勿論、ステージの両サイドには、ライブコンサートには必須の超大型スクリーン。オペラグラスを持参しましたが、このスクリーンのおかげで、オペラグラスを使う必要はあまりありませんでした。開演前の会場の雰囲気は、3月の『TOMMY』にちょっと似ていたような気もします。開演後の舞台装置のスケールからすると、『TOMMY』のときよりももっと動きのスケールの大きいもので、確かに「スペクタクル」な感じがします。1階および2階後方席でも十分楽しめるものだったように思います。まだ初日なので、あまりネタバレできませんが、「ああいう感じ」のステージで踊る青山さんを観るのは、やはり今回が初めてであるように思います。

またライブコンサートということで、開演前には音楽も流れていて、その音楽の雰囲気からすると、開演後のステージの音楽も、いわゆるROCKという狭いジャンルではなさそう?なんて思っていたら、やはり幅広いジャンルの音楽が選曲されていました。しかも音楽もライブなものなので、とても盛りあがっていました。(バンドの皆さんが後方にスタンバイしていて、シーンによってこのステージ後方のバンドスペースが見えるようになります。)ちなみに、今日の開演直前最後の曲は、Michael Jacksonの”You’re Not Alone”のハウス系にアレンジされた曲でした。一応、大昔マイケルファンでした(笑)。それで、青山さんファンとして気になっていたのが、「音楽」です。どんなミュージカルから、どんな曲が選曲されているのか、そして、どんなアレンジで・・・?さらに、一番気になる「ダンス」はどんな感じ?こちらもたくさんお話してしまいたいですが、やはりまだ初日。ちょっとネタバレはできません。やはり、アッと驚くあの曲が、驚きの演出で!というのが、今回のROCKIN’Broadwayだと思いますので・・・。ミュージカルソング(イントロ聞いた瞬間に、ほらほら来た来た来た~♪と思ったあの曲も!)、ポップス、ロック、ラテン、ストリート系、宝塚時代の和央さんの曲、そしてワイルドホーンさん作曲の2曲など、とにかく色々なジャンルから選曲されています。

そして、オープニングから、青山さん、とても素敵に踊られています!和央さんのすぐ横の位置ですのでご注目!今回の私の席は、おそらく青山さんの舞台を観劇したなかで、最もステージからは遠い席だったと思いますが、やはり青山さんは、遠くからでも、舞台にご登場した瞬間に肉眼で見ていてすぐわかります。これは、私の眼がいいとか、全くそういうことではなくて、青山さんのステージでの独特の存在感のゆえなんですよね。そのことは、今回のステージ・パフォーマンスを観ていて、つくづく感じました。動きのある振りの激しいダンスを踊られていなくても、逆にゆったりとした動きをされたときなど、本当に何気ないちょっとした動きなのですけれど、何と言うか、本当に遠くからでも「表情」がにじみ出ているのがわかって、こちらに伝わってくるものがあるんです。例えば、ダンサーの方々が舞台全体に散らばっていて、その後クルリと客席に背を向けて、皆さんが中心にギュッと集まっていくときとかの後姿。ダンスの振りの中で、客席に背中を向けて、目標の立ち位置にただ歩いていくだけなんですけれど、ひたすらカッコいいんです。

他にも、曲によっては、あまり激しく踊らないで、ダンサーの方々がそれぞれに歌いながら、身振りで魅せるところもあるのですが、私にとっては初めて聞く曲もありましたが、やっぱりストーリーを感じさせてくれるんです。和央さんの素晴らしい歌声とともに、「歌の世界」が伝わってきました。結構、ライブコンサートで、初めて聞いた曲とかですと、私の場合、あまり曲に浸れないことが多いのですが、今回は、そんなこともなく、青山さんの姿を追いながら、聞き入ってしまいましたし、歌詞のことばが心地よく耳に入ってくる気がしました。「おどろんぱ!」は子供番組でしたが、2,3分で1曲のイメージを見事に伝えるというスゴイお仕事をされてきた青山さんの魅力を、至る所で感じてしまいました。

それで、青山さんファン的な今回のステージの見どころといったら、やはり様々なジャンルの音楽で踊る青山さんを観られるということに尽きると思います。そして、和央さんもMCで、男性ダンサーと踊ることについて若干お話されていましたが、和央さんのそばで踊る男性ダンサーとしての魅力が、やはりシーンごとにステージパフォーマンス全体を引き締めているように感じました。和央さんのイメージもシーンや曲調によって、衣裳とともにめまぐるしく変わります。それとともに青山さんたち男性ダンサーの方々の、男性らしさのアピールのしかたも変化していて、それぞれに素敵でした。ダンサーの方々の衣裳は、黒を基調にしたものが2パターンほど(?)、それからラテンのシーンのものも素敵でしたし、他にもいろいろとあります・・・。でもコチラに関しても千穐楽が過ぎてからにしたいと思います。

音響の機材、そしてカメラも入っていたので、DVD化すごく期待してしまいます。『TOMMY』のときも感じましたが、映像が演出に非常に効果的に取り入れられていて、楽しめました。コンサート全体の雰囲気も、ゴールデンコンビである和央さんと花總さんの魅力が溢れていて、宝塚時代のお姿を劇場で拝見したことがない、という私のような者でも、十分すぎるぐらいに楽しめるものでしたし、ミュージカルファンとして、今後のお二人のご活躍が非常に楽しみになりました。ダンスや歌ということだけでなく、ところどころに和央さんの気さくなお人柄の感じられるMCが入るのですが、これがとてもおもしろい内容で、素敵でした。また、ダンスシーンにもたまに「お笑い」とまではいかないのですが、楽しい演出があり、コンサート全体の展開に緩急があって飽きさせず、2時間があっという間に過ぎてしまいました。そしてあれだけの大会場であるのに、客席後方部分へのサービスもあって、オープニングからフィナーレまで非常に盛り上がっていました。まだまだおしゃべりしたいことがたくさんありますが、ネタバレしてしまうのはよくないと思いますので、今日はこのあたりで失礼いたします。

◆”I FEEL PRETTY” in the summer of 2007

2007-08-16 22:18:44 | ウエスト・サイド・ストーリー
明日いよいよ開幕するROCKIN’ Broadway、どんな演出で、どんな曲を見せてもらえるのでしょうか?8月22日号の『婦人公論』には、和央さんと萩尾望都さんの対談記事が掲載されています。「宝塚のゴージャスさとは違うけれども、宝塚のときにはやりたくてもできなかったスペクタクルなものをやろう、と。宝塚と同じことをやるなら、宝塚でやったほうがよっぽどきれいだと思うんで。」こんなコメントをうかがうと、とても期待が高まります。ブロードウェイミュージカル作品の音楽を、ROCKなアレンジで(でもワイルドホーンさんの曲もあるということは、ROCK調ということだけではなさそう、と解釈しておいたほうがよいのでしょうか?)、しかも、それを「スペクタクル」なものとして、あれだけの大会場で見せてもらえる・・・。どんなノリのライブ・コンサートになるのか、本当に楽しみです。和央さんや花總さんのファンの方々に負けないように、楽しんでこよう!今からそんなことを考えたりしています。

「ブロードウェイ」ということで、これまで青山さんが出演された作品、およびその周辺の作品からの曲が使われたら、ファンとして、それはとてもうれしいことですが、でもそのこと以上にブロードウェイ・ミュージカルの曲をROCKなアレンジで見せるという、ちょっと想像しにくい状況が、やはり何よりも楽しみです。ミュージカル作品を観たりしていると、ダンスシーンのための音楽でなくても、「あっ、これで踊っている青山さんを観られたら・・・」と思うこともあります。そんな曲や、クラシックで、オーソドックスなミュージカル作品の名曲でも、ROCKなアレンジを施せば、ダンス満載な曲になるのではないか?非常に単純な発想ですが、「おどろんぱ!」時代から踊りまくる青山さんをできるだけ多く観たい!とやかましく言い続けてきたファンとしては、ついついそんな期待をしてしまうわけです。しかも、今回は未だかつてないほどの規模の大会場でのライブ・コンサート。和央さんをはじめとして、バックダンサーの方々の動きは、2階最後部席の人までをノリノリにしてくれるような、かなりハードなものになるのではないか、と内心かなり期待しています。

そんなことを思いながら、これまでのご出演作品のCDなどを聴いていたのですが、この暑さのなかですと、ついつい繰り返し手にとってしまうのは、やはりWSS(『ウエスト・サイド・ストーリー』)のCDです。青山さんのタイガーを脳内再生するときの私のBGMは、以前から書いているようにBW版CD、とりわけその後半に収録されているSymphonic Dancesなわけですが、こうしてこの作品の音楽を聴いて改めて思うのは、WSSというのは、本当に「聴きどころ」満載の贅沢な作品なのだなということです。それで、そんな名曲すぎる「聴きどころ」を「見どころ」として観客の心に鮮やかすぎるぐらいに焼き付けたうえに、なおかつ「聴きどころ」として有名な数々の名シーンに劣らぬインパクトをダンスシーンに与えていた青山さんたちの仕事は、本当に素晴らしかったなあ、としみじみ思うわけです。3年経った今でも、タイガーが踊っていたPrologueからJet Song、The Dance at the Gym、Cool、QuintetからRumble、Somewhere、Gee,Officer Krupke・・・、と珠玉の名場面を少し思い出しただけでも、この夏の暑さを、心の中に沸き起こる熱さで制することができるぐらいかもしれません。

それで、そんな青山さんのタイガーを語り始めると、またいくらでも暴走できるので、それはまた別の機会にすることとして、今日は「聴きどころ」名シーンの中で、私がついつい繰り返し聴いてしまう曲、”I Feel Pretty”について書いてみたいと思います。2004年夏の少年隊版では、マリア役は島田歌穂さん、冬の嵐版では、宝塚の和音美桜さんでした。舞台をご覧になった方は、WSS第2幕冒頭、客電が消えて、オーケストラがこの曲を奏でる始めるときの、あの何ともいえない素敵な感じを覚えていらっしゃることと思います。第1幕最後は、Rumbleのシーンで、この緊迫感溢れる決闘の結果、JetsとSharksそれぞれのリーダーが死んでしまい、重苦しい空気に包まれて休憩時間に入っているために、第2幕のあの始まり方は、ちょっと一息つかせてくれるというか、沈んだ気持ちを一気に引き上げてくれるというか、そんな感じです。

しかし、Sharksのリーダー、ベルナルドを刺してしまったのは、マリアの愛するトニー。悲劇の結末へと一気に向かい始めることになる第2幕ですが、2幕冒頭のこのシーンで、トニーに会うために自分の寝室で心弾ませながら準備をするマリアは、愛する人が自分の兄を刺殺してしまったという恐ろしい事実を、まだ知らされていません。ただ愛する人との再会を心待ちにする16歳の少女の気持ちが、無邪気に歌い上げられていきますが、WSSの楽曲のなかで最も屈託のない明るい曲ではないでしょうか。映画版CDでは、ナタリー・ウッドの歌は、マーニ・ニクソンが吹き替えているそうですが、マリアの声は「16歳」であることを求められたそうで、その要求にすべて応えられそうでないナタリー・ウッドの代わりに、彼女が起用されたそうです。そんなエピソードを読んで、この曲”I Feel Pretty”を聞くと、もしかしてこれは一番「16歳らしさ」が求められている曲なのではないか、という気がしてきます。島田さん、和音さんお二人の歌唱はとても素晴らしく、またマリアとSharks女性陣が掛け合うようにして楽しい身振りをまじえて賑やかに歌い上げるのがとても魅力的だったこのシーン。非常に高さのある、文字通り「宙に浮いているような」2階寝室のセット上で歌い踊る様子が、悲劇を知らずにただ恋に歓喜するマリアと、そこに漂う一抹の危うさを視覚的にも印象付けているようでした。(昨年夏に観た来日版West Side Storyでは、このシーンは、1階の寝室セットの上で歌い踊るということになっていました。)

WSSでは、映画版と舞台版で、曲順が異なっている部分が数箇所ありますが、この”I Feel Pretty”もそのひとつ。BW版と映画版のCDを聴いただけでも、印象が異なりますし、シーンが帯びる意味も多少違ってきます。ただ、3年前にこの曲をじっくり聴くようになってから、私がずっと思っていたのは、この曲のジャズバージョンが聴きたい、ということでした。それ以来、まずOscar Peterson TrioのWest Side Storyに収録されているもの、Sarah Vauhnの名演などを聴いてきましたが、満足はするものの、やはり「コレ!」という決め手に欠けているような気がしていました。やはりあれだけのWSSです。ミュージカルの世界で感じたあの感動を上回るような、また違う感動を与えてくれる”I Feel Pretty”はないのかな~、と半ばあきらめていたのです。そんななか、ちょっと前に出会ってしまったのが、ソフィー・ミルマン(Sophie Milman)の”I Feel Pretty”。彼女の歌声を初めて聴いたのは、別の曲においてだったのですが、一声聴いて虜になった私は、早速他の曲も物色、彼女の”I Feel Pretty”にたどり着いたというわけです。つい先日も来日公演があって、そのライブに行ってみたのですが、外見は24歳なのに、歌い出せばとてもそうは聞こえない貫禄。”I Feel Pretty”自体は、ジャンルにこだわらなければ、いろいろなシンガーが歌っていますが、女性ジャズボーカリストがこの曲を歌っているのを見つけるのは結構難しい気がします。けれどもソフィーが歌うこの曲は、ミュージカル・映画版CDや、Sarah Vauhnのものとは一味も二味も違う魅力があると思いました。まず、豪快に歌い上げたり、たたみかけるように一気に盛り上がるところもなく、肩の力の抜けた軽快さがあり、それでいてとても深みのあるメローな感じに惹かれました。さらに、この曲には本来あるはずのないアンニュイな感じがひとつまみぐらい漂っているところが、明らかに新しいという気がしたんです。ミュージカルの中で歌われているわけではないのですが、原作とは違うストーリーを感じさせてしまう歌い方にもかなり感動しました。舞台版や映画版では、1人称でどっぷりはまって歌い上げるマリアと、おもしろおかしく、でもちょっぴり冷静にきれいにコーラスしながら、3人称的に突っ込みを入れるようなSharks女性陣との掛け合いが、非常に楽しいシーンとなっているのですが、このソフィー・ミルマンによるものは、一人で歌っているのに、なんとなーく2・5人称的な歌い方のような感じがして、結構好きだったりします。この歌の歌詞には、主語の「I/私」が繰り返し出てきますが、わずか4分50秒ほどの時間の流れのなかで、歌っているソフィーがこの「I」に語らせる感情に、とても豊かな起伏が感じられる気がして、ドラマが感じられます。また“See the pretty girl in the mirror there~”あたりの、ちょっと突き放した感じの歌い方も、個人的には結構好きだったりします。

彼女は学生時代に語学を勉強していて、また小さいときからロシア→イスラエル→カナダと移住を繰り返してきたので、多言語を操るマルチリンガルなのですが、そんなことによって、歌の「ことば」を伝えることに対して他のシンガーよりも敏感なところがあるのでしょうか。ライブのときも、Bein' Green(セサミストリートの歌)に関して、kids'songだけれど、(移住を繰り返してきた)自分にとっては、especially special songで、personal connectionのある歌だと言っていました。ミュージカル・映画版で慣れ親しんでいた、バーンスタインとソンドハイムによる”I Feel Pretty”という曲に、新しい世界を感じさせてくれたソフィー・ミルマン。この曲だけでなく、他の曲もおススメですので、よろしかったら、皆さんも是非聞いてみてください。ひとつの曲に関しても、聞く人それぞれの感じ方があって、それだからこそ面白いのだと思いますが、自分の探していたものがみつかるときって、やはりとてもうれしいですよね。ソフィーの歌う”I Feel Pretty”は、私にとっては、まさに「コレ!」という1曲でした。今回のライブでは残念ながら、”I Feel Pretty”は歌ってくれなかったのですが、眼の前のステージで歌うソフィーを見ながら、あんなふうに歌えたら素敵だろうなあ~、そんなことを感じたりして。勿論、私は歌など歌えませんけれども。ちなみにソフィーは、さきほどふれたOscar Petersonのライブで初めてジャズに開眼したのだとか。”I Feel Pretty”をファースト・アルバムで歌っているのには、もしかしてそんなことも関係しているのでしょうか。

ソフィーも数多くのジャズ・スタンダードを得意としていて、それ以外にもボサ・ノヴァ、シャンソン系の曲、故郷ロシアの曲、そしてさきほどもふれたセサミストリートの曲(It’s Not Easy Bein’ Green)まで何でも見事に歌いこなしてしまうシンガーで、本当に驚くのですが、「ジャズ・スタンダード」といわれている曲は、元はミュージカル作品で歌われていたものが多いです。そうした曲の数々が、ジャズのアーティストたちによって演奏されていくなか、元の作品から離れて、スタンダードとして定着し、いまだに進化をし続け、新たなストーリーを紡ぎながら歌い継がれ、演奏されてゆく・・・。現代のミュージカル界とジャズの世界の間の関係性には、かつてのような活発な行き来というのはないのかもしれませんが、ミュージカル作品の音楽をROCKなアレンジで見せることにより、ミュージカル界の素晴らしい名曲の数々が、新たな魅力で観客を魅了する、そんな機会が増えていったらよいな、と思います。すべてを一概に語ることはできないかもしれませんが、『TOMMY』を考えてもROCKと舞台芸術の世界の融合があったり、『ボーイ・フロム・オズ』、『ムーヴィン・アウト』、『マンマ・ミーア』などは、既存のポップスやRockの曲をミュージカル作品のなかで再構成したものです。今回のROCKIN’ Broadwayは、そうしたミュージカル界に見られる動きとは反対の方向性を持つ、つまり、ミュージカルの楽曲をROCKなアレンジで解体してみせるような、そんな試みなのかもしれませんが、ポップスやROCKの世界と接近していっているミュージカルの世界を考えてみれば、観客は潜在的に、今回のROCKIN’ Broadwayのような企画、待っていたのではないか、そんな気がするのは私だけでしょうか?

「ブロードウェイ・ミュージカル」と言えば、どうしても3年前の夏、クラシックな大作『ウエスト・サイド・ストーリー』を、「今・ここ」でしか見られない作品として魅せてくれた青山さんのタイガーを思い出します。これまでの宝塚の世界とは違うものを追求する和央さんと、ストーリーのあるミュージカルの世界で活躍してきた青山さんたちが、ROCKIN’ Broadwayという新たなステージで、何を見せてくれるのか。「コレ!」という嬉しい驚きに満ちたダンスや音楽とのたくさんの出逢いを予感させてくれるROCKIN’ Broadway、とても楽しみです。もうすぐ開幕。劇場に向かう日を指折り数えて心待ちにする毎日です。


ところで、気がついたらブログを開設してから1年が経過していました。カメのような歩き方で、マイペースに綴っている拙いブログですが、読んでくださる方がいるのだなあと思うと、励みになります。途中でお休みすることもありましたが、こうして寄り道しながら書き続けていられるのも、読んでくださる皆さんのおかげです。いつもありがとうございます。心から感謝しております。あちらこちらに寄り道しながらのブログですが、2年目も初心を忘れずに、「宝石採集」の記録をしてゆきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。


◆『ボーイ・フロム・オズ』詳細レポ Ⅵ

2007-08-12 21:30:40 | ボーイ・フロム・オズ
♪When I Get My Name in Lights 「俺の名前にライトを」(第1幕第1場) 
♪I Still Call Australia Home 「故郷と呼べるのはオーストラリアだけ」(第2幕第8場)

何もかもを失い、自分自身もエイズに侵されていることを知って、悲しみと絶望の淵にあるピーターですが、別れたはずのライザによって励まされ、救われます。そして、コンサートの開催予定地、故郷オーストラリアへとピーターは向かいます。母マリオンの前で、病について告白しようとするピーターですが、結局告げることはできません。母の前で、「I Still Call Australia Home / 故郷と呼べるのはオーストラリアだけ」を歌い始めるピーター。やがて曲の盛り上がりとともに、母マリオンは消え、舞台はシドニーでのコンサート会場へと場面転換してゆきます。背景も含め、舞台全体は暗く、マイクを持って歌うピーターの周辺だけが、照明で照らされている状態。そこへ曲の中盤から、舞台後方セリの部分に、真白い照明に照らされながら、この曲をコーラスする青山さんたちアンサンブルの姿が浮かび上がります。家族や友人から離れ、どんなに世界中のあちらこちらを駆け回ろうとも、故郷と呼べるのはオーストラリアだけ、と歌うこの曲。ピーターの歌声にアンサンブルのコーラスが、静かに、そして包み込むように重なってゆくのを耳にし、また暗い背景に、「白さ」を強調する照明のなかで、故郷の大地を踏みしめるように立ち尽くすアンサンブルを見るとき、観客は言いようのない「懐かしさ」と、すべてが洗われてそこへ戻っていくような「澄みきった感覚」に包まれてしまいます。はじめはアンサンブルのひとりひとりがそれぞれ違った方向を向き、この歌を歌っていますが、途中からは皆が正面の一方向を向いて、コーラスします。このときの青山さんは、まっすぐに遥か遠くをじっと見つめていますが、そのまなざしの彼方には、ピーターがこれまでに辿ってきた人生の一場面一場面が連綿と連なって、そこにあるような感覚さえ覚えます。また青山さんの表情を見ていると、ピーターの波乱に満ちた人生の旅路にも終わりが近づいていることが感じられ、込み上げてくる感情を抑えることができなくなりました。やがて「故郷(ふるさと)はオーストラリアだけ」というラストのフレーズを歌い終わる頃、アンサンブルのシルエットは、暗闇の中に消えてゆき、舞台には再びピーターひとりが残ります。

このシーンの設定は、ピーターが故郷であるオーストラリアに戻り、シドニーでのコンサートで聴衆に向けて歌うというものです。実際、曲を歌い終えたピーターは、「ありがとう、シドニー!」と言って、コンサートの聴衆に対し感謝の言葉を述べ、それに対し観客も拍手で応えます。青山さんたちアンサンブルも、あるいはシドニーのコンサート会場の聴衆という役割を負っていたのかもしれません。しかし他方でまた「コンサート会場の聴衆」とは異なる印象を、観客に与えていたことも事実です。この場面での、青山さんたちアンサンブルの衣装ですが、男性は淡い色調のシンプルなシャツに、トラウザース、女性は腰にベルトの付いたワンピースというものです。それぞれの方が、形も色も多少の違いのある衣装を身に着けているようなのですが、「白さ」を強調するような照明に照らされたアンサンブルの皆さんの、観る者をスーッと引き込むような淡く白い色調と、遥か遠くを見通すようなまなざしと表情が、「原点」に戻っていくピーターの心象風景を象徴しているようで印象的でした。私自身も初見のときは、眼の前のステージに広がるこの透き通るような「白さ」にただただ引き込まれて、この衣装に対して漠然とした印象を持っていただけでした。しかし2回目の観劇のときに、この場面でアンサンブルの皆さんが着ている衣装は、第一幕の冒頭のシーン(「When I Get My Name in Lights / 俺の名前にライトを」)で、8,9歳であったリトル・ピーターが踊り歌い、お金を稼ぎ始めたあの酒場で、ピーターの歌を聞いていた客たちの衣装として、アンサンブルの皆さんが着ていたものと同じもののようだ、ということに気がついたのです。

青山さんに限って言えば、服装も髪型も、あの冒頭の場面で酒場の客として着ていたものと酷似しています。確証はないのですが、何度見ても同じものに見えました。第1幕のあの酒場でのシーンは、まさにピーターの「夢の始まり」とも言える場面です。酒場で歌い踊る小さなピーターを、酒に酔いながらも、盛り上げ、その才能に引き込まれていた、当時の客たち。第2幕終盤、ピーターの人生が終わりに近づき、その長い旅路を振り返るこの場面で、彼らは、ピーターの「夢の始まり」に立ち会った「目撃者」という色彩を帯びてくるようにも思われます。その彼らの幻影とも解釈できる人たちが、「夢」を追い求め続け、その末に再び故郷に戻ってきたピーターを迎える、深読みのしすぎかもしれませんが、私個人としては、とても感慨深いものがあり、胸に迫るものがありました。90年代のシドニーでのコンサート会場での聴衆のようでもあり、50年代のリトル・ピーターが歌い踊った酒場の客たちの幻影のようでもある。青山さんたちアンサンブルは、この場面で、不思議なぐらい深みのある存在感を醸し出し、あの場面を観客の心に刻み付けていました。そして、これに引き続く次の場面、「Don’t Cry Out / 泣かないで」での回想シーンを通して、ピーターが自分自身の「内に秘めた感情」と向き合い、原点へと戻っていくきっかけを創り出していたようにも思われてきます。

実際に、「故郷と呼べるのはオーストラリアだけ」を歌った、このオーストラリアのコンサート会場でのシーンの後、舞台の場面は、先ほど述べた第1幕冒頭のシーンと重なるようなかたちで、あのときのリトル・ピーターと母マリオン、そして父ディック・ウールノーが登場する、回想場面へと続いてゆきます。第1幕冒頭、酒場でピアノを弾き、歌い踊ることでお金を稼ぐリトル・ピーターから、飲んだくれの父親ディックは、マリオンの制止を振り切って、その稼いだお金を、自分の飲み代にと、ふんだくろうとします。第1幕では、そこに大人のピーターが分け入って、「こんなものは見せたくないんです」とその場面を中断してしまいます。しかし、第2幕では、この続きが最後まで中断されることなく、回想シーンとして繰り広げられ、ピーターの幼少時に暗い影を落とした出来事が示されます。リトル・ピーターは、母親マリオンに暴力を振るう父に耐えられず、稼いだお金を父に渡してしまいます。お金を手にした父は、ふらつく足取りで、寂しそうに舞台袖に消えてゆきますが、しばらくして舞台後方に拳銃を頭にあてた父の後姿が浮かび上がり、「パパやめて!」の声とともに銃声が響きます。この過程で、観客はピーターの「夢」の裏側にあった、父の自殺という衝撃的な事実を知ることになります。

そして、この父の自殺ということが、幼いピーターにとって、どのような悲しみとして受け止められたのか、ということをより深く観客が知ることになるのが、「どうしてあんな「ピエロ」と結婚しちゃったのさあ?」と尋ねるリトル・ピーターに対し、母マリオンが答えるときに語られる、次のような話です。父親ディックはもともと戦争に行く前は、立派なバンジョー弾きだった、だからピーターの音楽の才能は他でもない父親譲りのものである、という話です。父親ディックは、戦争から帰った後、アルコール依存症となり、自暴自棄の生活を送るようになってしまったのです。父親の背景にあるもの、その父親と自分自身のつながりがどのようなものであるのかを知ったピーターに、父親の自殺という出来事は、どのように映ったのでしょうか。Don’t Cry Out Loudの歌詞には、「悲しいことは心の奥底に秘めて」という言葉がありますが、その「心の奥底」にしまいこんだ感情がどんなものであったのかが明らかになるにつれて、観客はこれまで辿ってきた波乱に満ちたピーターの人生に秘められたもうひとつの側面に気づくことになるのです。そして第1幕冒頭、酒場の外の片隅で、大人のピーターが、一人取り残された父親を見守るあの場面ともつながってきます。

第1幕、リトル・ピーターが歌う「When I Get My Name in Lights / 俺の名にライトを」の間奏部分で、盛り上がって、喧騒のうちにある酒場の傍らで、リトル・ピーターと母マリオンと父ディックの三人が、そこの場面から抜け出たかのように、やりとりをする場面があります。最初、楽しく盛り上がる酒場を、ひとり外から覗き込む父ディックは、立派に活躍する息子と、自分の姿を見比べて、「こんなナリじゃなあ・・・」と、後ろめたさを感じて、中に入るのを躊躇します。そして、外に出てきたピーターと母マリオンと出くわすのですが、そのときも息子を労うのではなく、「お前は(客に)笑われてるの」としか声をかけることができません。逆にマリオンからは、「あんたが笑い者じゃないか」と言い放たれてしまいます。再び、外にひとり取り残された父ディックですが、息子ピーターの立派な様子を見ながら、「なかなかだな・・・」とその音楽の才能を認めるような言葉を独り言のようにつぶやくのです。そのようなディックの傍らに、声をかけたいにもかけられず、もどかしい様子で父を見守る、大人のピーター(坂本さん)がいるのです。第2幕での「ピーターの音楽の血は、父親譲りである」というエピソードを知ると、第1幕のこの場面でのピーターの態度の解釈にも、深みが増します。

ピーター親子が酒場の外の片隅でやりとりをするこの場面では、ピーターたち親子以外の酒場の客たち、つまり彼らに扮する青山さんたちアンサンブルは、背景となり、それぞれの持ち場で酒を飲んだり、談笑したり、騒いでいたりという動作をスローモーションで表現します。それまでは、リトル・ピーターの歌に合わせて楽しく盛り上がる様子を客として、普通の動作で演技しているのですが、その変化の仕方が鮮やかです。特に青山さんは、スローモーションの動き自体も素晴らしかったのですが、スローモーションから普通の動きに戻るときの、動きの「微妙な変速」の仕方が傑出していました。例えば「おどろんぱ」の「マネトリックス」などで、一瞬の動きのうちに、思わず自分の眼を疑ってしまうような、「変速」が見られることがありますよね。「今ビデオ早く回した?!」って、聞きたくなっちゃうような・・・。また、「マイム劇場」の泥棒さんの「エスカレーター」のシーンで、「エスカレーター」から降りるときに身体が感じる変速を青山さんはとても巧みに表現していました。あれとも似た感覚です。

心の奥底では息子の才能を認め、褒めてやりたい気持ちを持っていながら、面と向かっては息子を褒めてやることすらできなかった父。そういう父に、大人になったピーターが声をかけようとしても、もうどうにもなりません。ただそのような父の傍らで、何かしようにも何もできないもどかしさを抱えながら、立ち尽くすしかないピーターを、決定的に引き離すかのように、場面は、スローモーションから現実の速度に戻るのです。その場面が元に戻るときの青山さんの動きにある巧みな「変速」の仕方は、とても鮮やかで印象に残っています。この場面でのアンサンブルの皆さんはダンスをするわけではないのですが、彼らの動きが創出するあの場面の、「現実からスローモーション、再びスローモーションから現実」という質感の変化は、父ディックの疎外感を際立たせ、引き離される父と息子の距離感を強調していたし、そこに大人のピーターが介在することによって、決して塗り替えることのできない過去であることを観客に伝えていたと思うのです。現実には到底ありえないであろう時間の流れ方を、あの場面で創出することは、わずかな時間ながら登場する父ディックがピーターのなかで占めていた特別な重みを、観客に切り取って見せる効果を持っているように思われるのです。スローモーションの背景の傍らで繰り広げられたピーターたち親子のやりとりの場面は、第1幕第1場という時空間のなかでは、酒場の雰囲気に溶け込めない父の疎外感と孤独感と悲哀を際立たせていました。また母によって語られるエピソードと父の自殺という事実が示される回想場面である第2幕第8場においては、第1幕のあの場面は、ピーターが心の奥底にしまいこんだ特別な父の像を提示する意味合いを帯び、父の自殺という悲劇が観客に与える衝撃をより大きなものとして印象づける役割を負っているのではないでしょうか。このようにOZでは、物語の「はじめ」と「おわり」が効果的に重ねられていましたが、青山さんたちアンサンブルは、「ダンス」ではない、その身体の動きと表情で、そこに奥行きを与えていました。

プロローグで、団時朗さん演ずるマネージャーのディー・アンソニーが、ピーターを紹介するときに、「時代をつかみ、追いかけ、そして流された」と、その人生を観客に説明します。そのような波乱に満ちた人生を送ったピーターが、「夢」を追い求め続けて、行き着いた末、最後に見たもの、これに関しては、観た方それぞれが、様々な解釈をお持ちのことと思います。キャスト全員が白一色の衣装でサンバのリズムを踊る、フィナーレの「I Go to Rio / 世界はリオ」、観劇する前から、とても楽しみであった半面、「どうしてそこでサンバなの?」という気持ちが心の隅にあったのは確かなことです。しかし、ピーター・アレンの約40年間の人生を盛り込んだ2時間40分という時空間を体験した後となっては、あの眩しいほどの華やかな世界と、舞台と観客が一体となるあの何ともいえない空気に、当然のように引き込まれてしまうのです。「フィナーレ」のあの素晴らしい雰囲気、お伝えしたい気持ちでいっぱいなのですが、やはりこればかりは「何ともいえない」のです。こればかりは、今回残念ながら観ることが叶わなかった方にも、いつの日か再び実際にピーターの人生に寄り添った上で、体感していただくのが一番なのではないかと思います。そして私のなかでは、キャスト全員による最後の「リオ!」の掛け声がいつまでも響き続けています。