『ALL SHOOK UP』のCDも届いて、こちらのことについても書きたいのですが、今日は「寄り道」ネタで失礼します。青山さんファンとしては懐かしい話題、「ニジンスキー」に関連して、展覧会のご紹介です。先週末は、東京都庭園美術館に、「舞台芸術の世界 ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン(A World of Stage:Russian Designs for Theater, Opera,and Dance)」展を観に行ってきました。まずこの展覧会の概要については、
コチラ。行かれた方はおわかりになると思いますが、東京都心にもかかわらず、緑に囲まれた敷地内にひっそりと建つこの庭園美術館は、旧朝香宮邸を美術館として改築した建物。アール・デコ様式のなかに日本的なものが溶け込んでいて、落ち着きと懐かしさを感じさせてくれる佇まいが、周辺の緑に、そして「時」の刻まれた展示物に、特別な情趣を与えてくれているかのようです。緑の中で深呼吸しながら、建物のエクステリアを楽しみつつ、癒しのひとときを楽しむもよし、時代を駆け抜けた展示物をやさしく包み込むような建物内部/インテリアのなかで、展示物が生きてきた時間にそっと寄り添い、その物の語りかけに静かに沈潜してゆくのも、非常に心地がよい・・・、そんな場所です。

ところで、「ロシアバレエ団(バレエリュス)」といえば、以前にも話題になったニジンスキーが有名です。「踊る写真は残っているのに、映像は残されていない。」「ダンサーとして活躍したのは、たったの10年間だけであった。」「その跳躍は、空を飛んだまま戻ってこないようであった。」「引退後は、精神に異常をきたし、長い隠遁生活を送ることとなった。」こんな数々の伝説によって語られるニジンスキーの存在は、確かに、同時代を生きていない者にとってさえも、様々な想像を掻き立ててくれる、時代を超えた”ICON”なのかもしれません。私がそんな彼の存在に初めて興味を惹かれたのは、大学1年生の頃でした。当時の私も当然、そんな数々の「伝説」に惹きつけられたうちのひとり。『牧神の午後』でのポーズを取った彼の写真を見て、ただならぬ雰囲気にひきつけられた私は、早速彼に関する何冊かの本を読んだり、映画を観てみたりしたような気がします。そんなことをしていくうちに、ニジンスキーだけではなく、当然彼の周辺、つまり今回の展覧会のテーマにもなっている「ロシア・バレエ団とディアギレフ」というところに行き着きました。時代的にも非常に面白いし、ディアギレフを中心に様々な才能が集まって、多くの作品が生み出されていったという状況にも、興味をひかれました。それ以来、ニジンスキーとその周辺の事柄に関しては、機会があるたびに、本を読み返してみたりしています。そのたびごとに、あの時代を生きた人々の息づかいが聞こえてくるような気がするし、何よりもダンスを中心にした舞台芸術の世界にかけた人々の熱い想いに触れられる気がするのです。「舞台って不思議な場所だ・・・。」青山さんのダンスに出会ってからは特に、そんなことを考えながら過ごしている私にとっては、彼らの過ごした時間を追体験してみることは、とても魅力的なことのように思えるのです。私が機会に恵まれるたびに、ニジンスキーやディアギレフが生きた時代に彷徨ってしまうのは、そんな理由によるのかもしれません。
今回の展覧会では、これまで本やネット上で眼にしてきた版画や写真を実際に見られるということ、また当時のステージで実際に着用された衣裳が展示されるということが、私にとっては、大きな意味を持っていました。ジョルジュ・バルビエの版画集『ワツラフ・ニジンスキー』、そして、ロバート・モンテネグロの版画集『ワツラフ・ニジンスキー』の一部も、リトグラフという形で勿論展示されていましたが、眼の前で実際に眼にしてみると、本やネットで見ているのとは違う迫力が、当然ありました。特に、圧倒されたのが、金と黒と白の色彩のみで構成されたモンテネグロのニジンスキー像。妖艶さ、エロティシズム、魔性、悪魔的なもの・・・。ニジンスキーの踊りにモンテネグロが見出したものが、たった1枚の紙に見事に写し取られている気がして、その存在感にしばしの間、打ちのめされました。これまでも見たことがあったモンテネグロの版画。しかし、展覧会で実際に眼にしたそれは、バルビエのニジンスキー像とは異なり、明らかに「何か」においてバルビエによるそれとは一線を画している気がしました。『シェエラザード』の「金の奴隷」、そして『カルナヴァル』の「アルルカン」においては、特にその傾向が顕著に現れているようでした。身を捩じらせて宙に舞う「金の奴隷」を、画面左下で待ち受けているかのように描かれる鋭い短刀の刀先。死と隣り合わせの狂乱的な愛の官能性が見事に描かれていて、この版画が展示されている壁の前で、描かれたその姿に吸い込まれてしまうような感覚を覚えました。「金一色」で塗り込められた背景も、非常に印象的です。
そして、『カルナヴァル』の「アルルカン」。一口に「道化」と言っても、アルルカンやピエロなど、喜劇の発展史の中で様々な系譜があるのでしょうが、モンテネグロが描いたニジンスキーの「アルルカン」は、日常を非日常に、非日常を日常へと、祝祭的な雰囲気の中で転覆させ、撹拌していく、道化の特徴が、非常によく表現されている気がしました。そのことを観る者の眼に強烈に印象付けているのが、画面中央に、白と黒でダイナミックに描かれた「ダイヤ柄」のレギンスなのではないでしょうか。歴史的にも、こうした多色使いの柄は、縞模様とともに、道化の衣裳に特徴的なものであると思いますが、ニジンスキーの強靭な大腿部から膝、そしてつま先までを覆っているこの衣裳、目もとを覆っているマスクとともに、「ペトルーシュカ(こちらも同じくダイヤ柄のパンツを身につけ、道化的)」とはまた違う「アルルカン」の存在感を鮮烈に印象付けている気がしました。『カルナヴァル』の「アルルカン」の実際の「ダイヤ柄」の衣裳は、勿論版画に描かれたような「白黒」ではなく、「赤と水色」によるもので、カラフルなものです(さきほどご紹介したリンク先のページの画像でご確認ください)。「ダイヤ柄」の衣裳も鮮やかに、カーテンから右半身を覗かせて、不敵な笑みを浮かべるモンテネグロによるニジンスキーの「アルルカン」。エキゾティックな魅力に満ちた「金の奴隷」の版画と共に、今回の展覧会で、最も印象に残った作品であり、ニジンスキーの魅力とそれを捉えるモンテネグロのまなざしが濃厚に封じ込められた作品世界が非常に魅力的に感じられました。

また、お馴染みのこれらの版画や写真によって定着していた衣裳のイメージが、実際にステージで着用された実物の衣裳を見ることによって、当時の舞台を想像しやすくなった、というのも事実です。版画や写真に写し取られた人物像や衣裳は、当然モノクロか、せいぜい3~4色刷り。デザイン画なら衣裳の色や形状がかなり忠実に再現されていますが、やはり実際に当時のダンサーが着て踊っていた衣裳を見るというのは、特別な体験です。今回の展示で特に眼をひいたのは、展示室に入場してすぐに飾ってある、レオン・バクストによるミハイル・フォーキンのための「アムーン」の衣装(先ほどのリンク先の画像でご確認ください)。これは、1908年マリインスキー劇場で初演された『エジプトの夜』のために制作されたものだそうで、1909年バレエ・リュスによるパリ・シャトレ劇場の上演でも使用されたそうです。100年も前の舞台衣裳ですが、これを100年前に男性ダンサーが身につけて踊ったら、それはビジュアル的に非常にセンセーショナルなものだったのではないでしょうか。この衣裳、時を経て、細部にほころびのようなものが感じられますが、会場内でエキゾティクな芳香を一際放っているように思われました。この『エジプトの夜』は、後の『クレオパトラ』の土台となった作品だそうで、バクストのデザインに見出されるエキゾティックな視線は、『シェエラザード』へと受け継がれてゆくようです。
今回の展覧会では、パリ・オペラ座バレエ団の『薔薇の精』、『牧神の午後』、『ペトルーシュカ』の映像を見られたことも大きな収穫でした。『薔薇の精』と『牧神の午後』がセットで25分ほどの上映、『ペトルーシュカ』が単品で35分ほどの上映でした。東京会場では、家庭用の大型テレビに映し出される映像を、周囲に配置されたパイプイスに座って鑑賞するというシステム。この展覧会は、既に京都を巡回してきているようですが、他の会場ではどのような視聴システムだったのでしょう。せっかくの貴重な映像、もう少し大きく鮮明なスクリーンで鑑賞したかったなあ、というのは正直なところあります。一通り展示を見た後、映像によって実際にダンスを見ると、展示物との関連性が把握できてよろしいのではないでしょうか。また、『薔薇~』と『牧神~』をセットにして上映してくれたというのは、とても魅力的でした。どちらも「夢想」がテーマの一部分をなしている作品であると思いますが、『薔薇~』ラストにおける、薔薇の精の窓の外への跳躍、そして物議を醸したという『牧神~』ラストにおける、ニンフの残した飾り帯と戯れる牧神の姿。どちらのシーンも、ニジンスキーのダンスを伝説化している二つの重要なシーンだと思いますが、両作品を並べて観ることができて、本当によかったと思っています。
さらに、『ペトルーシュカ』を観ることができたのも、大きな収穫でした。部分でしか見たことのなかったこの作品でしたが、色彩豊かなロシアの民族性を感じられるお祭りのなか、ペトルーシュカ、ムーア人、バレリーナの人形芝居が始まるわけです。今回の展覧会では、「ロシアの民族性」ということに照明が当てられていたのですが、展示物を見た後、『ペトルーシュカ』の舞台映像を見て、その「ロシア的なもの」が見事に展開している舞台セットや衣裳に、眼を奪われました。アレクサンドル・ブノワによる『ペトルーシュカ』の衣裳デザインの水彩画も展示されていたのですが、そのうちバレリーナの衣裳は、当時の舞台衣裳が展示されていて、デザイン画と実際の衣裳、そしてステージでダンサーがその衣裳を着て踊る映像を確かめられて、非常に興味深かったです。
バレエ・リュスは、パリを拠点にヨーロッパ各地で活動したということですが、今回の展覧会では、その文化的な中心地から発信されたものだけではなく、そのバレエ・リュスの活動などに多くの影響を及ぼした、当時のロシアの舞台美術の世界が紹介されていることが、興味深かったです。当時のロシアは、「喜劇的な感受性」に支配されていた、ということですが、衣装のデザイン画やポスターを取り上げてみても、独特の色彩感覚で描かれた作品が目立ち、現代にこんな広告があってもおかしくない、と思えてしまうぐらいのキッチュな世界が展開していました。当時のサンクトペテルブルグやモスクワで盛んだったキャバレー文化は、20年代のベルリンのキャバレー文化へと受け継がれてゆくということです。ミュージカル・映画の『キャバレー』にもつながっていくような世界でしょうか。
また今回の展覧会の最終展示室は、「舞台を彩った人々」というコーナーでした。舞台で活躍するダンサー、俳優、プロデューサーの肖像画だけではなく、彼らを風刺したユーモア溢れるカリカチュアも出展されていて、当時のステージシーンに向けられた多角的なまなざしを理解するための一助となっています。様々なスタイルで描かれた作品群のなかで、特に美しかったのは、タマラ・カルサヴィーナとアンナ・パブロワをそれぞれ描いた肖像画でした。最終展示室の外の廊下の壁に掛けられたこの二つの作品を前にして、足を止め、じっと見つめている方が多く見受けられました。また、「劇場の中」と題された、セルジュ・スデイキンによる126センチ四方のキャンバス画もインパクトのある作品でした。そこには、白い手袋をはめた両手を組み、冷めたような視線を投げかける女性と、オペラグラスを片手に舞台へと熱いまなざしを向ける男性が描かれています。これだけ豊穣な舞台芸術の世界が花開いた時代、舞台人だけでなく、観客側のエネルギーというのも、ただならぬものがあったのではないか、と思われてなりませんでした。
1920年代後半、時代の流れに適応するために、バレエ・リュスの活動も既に多様化していたようですが、1929年、ディアギレフの死によって、バレエ・リュスは解散することとなります。バレエ・リュスは、パリを拠点に、ベルリンその他ヨーロッパ各地で活動していましたが、1929年のベルリンといえば、ミュージカル『グランドホテル』の時代と重なります。バレリーナのエリザベータのお取り巻きのひとりである劇場主サンダーの台詞に、「もうバレエは流行らない。これからはジャズだ、ヌードだ、ジョセフィン・ベイカーだ。」というものがありました。「褐色の女王」と言われたジョセフィン・ベイカーが踊り、20年代を席巻したチャールストンも、元は黒人文化を土台として発達したダンス・ミュージックでした。バレエ・リュスも、ロシアの民族的な要素、そしてアフリカや中東などの要素を異国趣味として、取り入れたことが成功の大きな要因だったということでしたが、バレエ・リュスの活動とチャールストンの流行、両者のあいだには、「異質なもの」を受け入れる度合いに違いこそあれ、「異質なもの」に対する憧憬があったことは確かなことのようです。
この展覧会は、17日で終了してしまいましたが、庭園美術館では、この後、10月6日から『世界を魅了したティファニー 1837-2007(The Jewels of TIFFANY)』展が行われるということです。宝石の世界にご興味がおありの方、庭園美術館周辺の木々も赤や黄色に色づき始める頃、秋を感じながら、散策がてらご覧になってみてはいかがでしょうか。
画像は、先週末から読んでいる3冊の本です。両サイドの2冊は、本棚の奥から探してきたもの。左は、リチャード・バックルによる『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』。右は、『ニジンスキーの手記 肉体と神』です。今から10数年前に、この『ニジンスキーの手記』を初めて読んだときは、「何じゃこりゃああ~」(by 「太陽にほえろ!」ジーパン刑事、ニジンスキーファンの方、表現がふさわしくなくても、どうか気を悪くされないでください)と叫びたくなるほどの衝撃を受けたものでした。でも、今回の展覧会を観て、久しぶりにニジンスキーのいたあの時代に浸ってみると、これらの本に書いてある言葉も、また新たな響きをもって、届くような気がします。
中央の1冊は、ご存知の方も多いと思いますが、最近発行された『ICON アイコン VASLAV NIJINSKY』です。写真や図版が多く掲載されており、文章も読みやすいです。
最後に、『ニジンスキーの手記』を編集したロモラ・ニジンスキーの言葉をご紹介しておきます。
「ニジンスキーは偉大な舞踏家として知られていた---舞踏の神として---だが、彼はそれ以上の人であった。彼は博愛主義者であり、真実の探究者であった。彼のただ一つの目的は、救済すること、共に分つこと、愛することであった。彼は全生涯と魂とその天才を人類のためにそそぎこみ、観客を高め、世界に芸術と美と喜びを与えようとした。彼の目的はひとを喜ばすことでも、自分の成功や栄光を得ることでもなく、自分自身の媒体---舞踏---を通じて神聖なるメッセージを与えることであった。」
ニジンスキーの妻、ロモラに関しては、様々な評判がありますが、ニジンスキーに対してのひとつの見方を示すものとして、彼女の言葉には、ひかれるものがあります。それにしても、深遠で崇高な世界・・・。「読書の秋」、そして「芸術の秋」ということで、あちらこちらに寄り道しておりますので、更新のペースが不規則になっておりますが、更新が滞っていたら、のん気に本を読んでいるか、どこか美術館にでも行ってるんだろう~、と思ってください。そのうち必ず更新します。