夏への扉、再びーー日々の泡

甲南大学文学部教授、日本中世文学専攻、田中貴子です。ブログ再開しました。

方言について放言

2008年12月01日 | Weblog
 かなり前のことになってしまったが、十一月九日に名古屋で行われた「エンジン01 文化戦略会議 IN 名古屋」の1パートにゲストとして出かけた。実は以前この会議のメンバーであったのだが、目的が当初とかなり異なってきたのと、単なるお祭り騒ぎのような気がしたので、やめたのである。今回は、源氏物語の現代語訳、というよりも源氏を題材とした小説を小学館の『和楽』という雑誌に連載しはじめた林真理子氏のいつものお相手である山本淳子さんが欠席なので、ピンチヒッターである。
 だいたい、源氏物語を私に語らせようというのが間違っているのだが、しかし、古典文学に詳しい人が誰もいないということで、かつ、ファンの某氏ともお目にかかれるとのことで、出演することにした。
 源氏千年紀のためか、この講座がいちばん最初に売り切れたという。

 林氏とは三回目の顔合わせとなろうか。もう十年以上前、秋田で佐伯順子氏、竹山聖氏との四人で女性のことについて講座を開いたの最初である(奇妙なメンバーではあるなあ)。
 林氏の小説は、大学の卒業論文でとりあげる学生がいるので、私はかなり読んでいるほうだと思う。昔の頃のエッセイや小説は、堂々と自分を笑いものにするところが面白かったが、最近は・・・(と発言規制する)。林氏の小説で私がいちばんびっくりしたのは、山梨の葡萄農家の「嫁」を描いた『葡萄物語』で、何に驚いたかというと、山梨弁が活写されていることであった。

 山梨のみなさん、ごめんなさい。
 こんなに「きたない」言葉だとは思わなかった。
 私は「方言は文化であるから軽重はつけるべきではない」と常々思っていたのであるが、この小説に書かれている方言はバルバロイ以外の何者でもなかった。それを書きしるした林氏を、私は一瞬尊敬したものである。おそらく、実態はもっと異なるのだろうけど、この衝撃は、中沢新一氏の『ぼくの叔父さん 網野善彦』で、網野氏が、

 「新ちゃん、来たんけ」

と方言で言っていたことと同等以上のものだった。語尾に「け」をつける方言は、私にとってたいそう違和感があり、かつ、西国では「いやしい」感覚さえあるのだった。

 日本語学の八亀裕美さんが『本』(講談社のPR誌)に書かれていたが、兵庫県の西部方言は敬意を表すのに「はる」(「先生~しはる」というようなの)を使わないので誤解を招くという例がある。

 学生「先生、知っとったったん?」

といった物言いである。これは、私もやられました。学生の本意としては「先生、ご存じだったのですか」という丁寧な言葉遣いなのだが、「はる」敬語の文化圏にいる人にとっては「~しとる」というのは「乱暴」で「粗野」な語感しかないのだ。
 私の場合は、やや免疫があった。大学院の後輩であるKくんが、兵庫県の加西市出身であり、ふだんから「~しとったった」という言葉遣いだったからである。最初は「何こいつ無礼な」と思っていたが、だんだんわかってきたので気にならなくなった。
 まあ、京都で「はる」使っても、決して敬意を表しているわけではないのだが。
たとえば、

 「隣の犬がまたうちの庭でうんこさんしたはる」

というのはいかが。庭で用を足されるのは迷惑なのだが、そこに「はる」をつけることにより、いわば敬意の逆を表しているのである。あるいは、皮肉や揶揄をこめて使っているともいえよう。
 以前、私が高校の同級生でパリに留学経験のある女子大教員と話していたときのことである。私はそのころ(いまだに、であるが)聖遺物やら死体信仰について調べており、彼女から、パリの某所に「ほとんど生みたいなミイラ状の聖遺物」があると聞いていた。
 どんなふうなん? と聞く私に、

 「あんなあ、ふっと見たら、そばに立ったはんねん」

と彼女は答えた。
 ミイラ状のものは、たいていの人にとって不気味であろう。「ふっと見た」彼女はびっくりしたと思う。それを、

 「立ったはんねん」

と敬意表現するか。するんですね、「はる」を多用するところでは。

 さて、名古屋のさるお嬢さま大学(地元では、そこの付属校からエスカレーター式に大学へ進学した学生を「純金」というらしい)で教えていたある人から聞いた話。
 その人が赴任して早々、名古屋巻できれいにメイクした女子学生たちが研究室の前で、

 「先生、見えてござる」

と言ったらしい。「見えて」も「ござる」も当然敬意表現の方言である。しかし、そのお嬢様たちの容姿とのあまりのギャップに、非常な異文化を体験した思いがあったという。
 ただし、愛知県は三河と尾張の方言が違うから、このお嬢様がどちらの出身かは私にはよくわからない。

 方言について、私がしばしばその道の者でもないのに発言するのは、自分が方言で思考する人間だからである。言葉の違いと思考方法の違いというものがある、と思うからだ。
 ラジオなどに出演すると、「田中さんはあまりなまりがないですね」とか「京都のひとらしくないですね」などといわれることが多いが、それはアクセント以外共通語にしているからであって、もっともべたな方言を話していないからである。
 それにしても、「なまりがないですねえ」というラジオ局のスタッフのいくちらいかは、明らかに北関東の「なまり」があった。本人は気づいていないだけだろうし、東京は大きな地方のかたまりなので、「なまり」がない人のほうがおかしいのである。
 
 林氏らとの講座については、いずれどこかで書くこともあろうから、今回は省略に従う。いかに源氏がイメージ先行で語られるかの見本のようなものだった。
 源氏千年紀の損得については、京都新聞の連載でルポしたので、十二月第三週をごらんください。

*お仕事通信*
・東本願寺発行の『同朋』12月号に、「物語はもっと豊かだ」というテーマでインタビューを受けています。

・近刊の『むらさき』で、研究余滴「柏木の東下り」を書いています。

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