夏への扉、再びーー日々の泡

甲南大学文学部教授、日本中世文学専攻、田中貴子です。ブログ再開しました。

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早寝、早起き、朝ご飯、って?

2008年11月23日 | Weblog
 最近、教育関係者がしきりに口にする文句がたいそう気になっている。
 「早寝、早起き、朝ご飯」を実践すれば、学習能力が高まる、というのだ。あの「百ます計算」で有名になった某氏が新聞に大きく書いていたし、うちの学部の教授会にわざわざ「決意表明」に来た法科大学院長も「司法試験に受かるまでは恋愛、離婚は絶対禁止、早寝、早起き、朝ご飯が鉄則」と口角泡を飛ばしていた。恋愛や離婚は禁止といったって、自分一人のことではないから難しかろうと思うし、そんなにがんばっていてもなぜうちの法科大学院の司法試験合格者が増えないのかまったくわからないのだが、それはさておき。

 一見、一聞していかにも体によさそうで、勤勉のあかしのような「早寝、早起き、朝ご飯」だが、これは昔から小学校などでは当たり前に言われてきたことであった。しかし、それからずずるっと脱落して(し続けて)しまった私にとっては、聞くだに気分悪いことでもある。
 子どものじぶんに、なかなか寝付けず、従って朝起きられず、ふらふらしていた自分のことを考えると、たぶん今でもそんな子はいて、「早寝、早起き、朝ご飯」が出来ない子はだめな子、みたいに扱われているのだろう、と、ややかわいそうになる。すべての人間がみな同じ体調で動いているというのは個々の事情を知らなすぎるし、ややもすればそれが出来ない人に怠慢とかたるんでいる、とったレッテルを貼り付ける昔の軍隊ふうの精神主義に陥る危険性があるのではなかろうか、
 朝ご飯だって同じである。朝に食事がどうしてもとれない体調の人もいるのだ。また、習慣や家庭の事情というものもあるだろう。そもそも、朝ご飯は誰が作るのかというと、一人暮らしをのぞいて、今でも日本の大半の家庭では女性が作っているのである。もちろん、私は父親が朝ご飯と子どものお弁当を作っている家庭をいくつか知っているし、女性ばかりではないのは当たり前だが、カゲヤマ某氏などのことばには「そんなもん、おかあさんが作るのが当然」という部分が潜んでいるとしか思えない。
 働く母親が増え、あるいは夜に働く人も多い中、朝ご飯にこれほどこだわる必要があるのか、疑問である。
 朝に糖分をとると脳がすみやかに動き出すとはよく聞くことであり、朝ご飯というものが習慣的にも体調のうえでもとれない私でも、果物か甘いヨーグルトくらいは食べている。しかし、どう違うのか、実感したことはいまだない。

 なぜこういうことにこだわるのかというと、すべてを「効率」の名のもとに画一化し、それからもれた人を排除したり差別したりする可能性があることへの危惧があるからである。また、朝ご飯を用意するのが家庭における特定の人物(母親とか父親とか女性とか)の必須の仕事として認識されることにより、それをしない人に対して批判が生まれることもこわい。
 私事であるが、私の育った家庭では朝ご飯は食べる習慣がなかったし、私も胃が弱いためか朝には固形物がまったく入らないのである。無理に食べると、通勤中に気分が悪くなるので、コーヒーとヨーグルト、あるいは果物程度である。
 私が以前映画やTVで他の家庭の朝ご飯時の様子を見て、もっとも驚いたのは、朝にご飯が炊けていて、納豆やおみおつけなどが並んでいることだった。朝に納豆を食べるのが、(関西人にとっては)とっても気持ち悪かった。うちの家では両親ともに納豆が食べられず、私も食べられるようになったのは大学院に入って困窮生活を体験してからである。これは京都ではさほど珍しいことはない。
 保温機能なんぞない炊飯器のスイッチを入れるのは、早起きした一家の主婦と決まっていた時代だった。おみおつけ(私は「味噌汁」というのが嫌なのである。「汁」というと「生ゴミの汁」のようにマイナスイメージがあるから)だって、お出しをとるところから始めねばならない(「ほんだし」などなかったからである。鰹節も固まりを鰹節削り器でかいていた)。ようやるな~、としか思えなかった。
 今では便利な器機があるからまだましだろうが、それにしても、たとえば仕事を持っている人が出勤前にこういった一連の作業をするのはかなり大変だろうと想像する。パン食でもいいと思うが、おえらい教育者は「日本人にはご飯」などとのたまう。柳田国男の読み過ぎみたいだ。そんなにいうなら、自分で朝ご飯作れ、と言いたい(もし実践していたのなら、謝るが)。

 早寝、早起き、朝ご飯、が規則正しい生活を送ることの代名詞になってしまうのが、私にはおそろしい。早く寝ようにも原稿を書いていると頭がさえてなかなか寝付けず、朝は毎日、ゾンビが墓場から出てくるような状態で起きて、流動物だけ何とか腹におさめて出て行く私など、存在が許されないようになるかもしれない。
 いやな世の中だ。


*お仕事通信*
・フジTVがネットで提供している「フジポッド」というラジオの「つか金フライデー」という番組で、二週にわたって談話をしているのが聴けます。「つか金フライデー」で検索かければわかります。無料。

・京都新聞の「洛中洛外なぞ解き紀行」第二回が11月20日付夕刊に掲載されました。今回は「今様京都そばうどん対決」です。法住寺の「そば食い親鸞さま」のお像は必見ものです。

・勉誠出版の『アジア遊学』最新刊に舎利と聖遺物について書いています。続編は執筆中。

・講談社メチエの井上章一氏編『性欲の文化史 2』に、白洲正子について「男から生まれた女」という論を書いています。

・岩波書店のPR誌『図書』に「私のすすめる岩波新書」のアンケート掲載。私の専門なら石母田正の『平家物語』だとかだろうと思うのですが、おもいっきりはずしたセレクトにしました。

・12月13日、仏教大学で仏教文学会霊界、もとい、例会が開催されます。私は誓願寺縁起で発表します。

・12月19日(金)、「日本学術会議地域振興・九州・沖縄地区フォーラム」として「源氏物語の舞台裏」という講演とシンポジウムが行われます。

 場所 アクロス福岡7階 大会議室
 時間 13:00~17:10

 第一部 講演 「結婚のかたち」工藤重矩 (福岡教育大学教授)
        「源氏物語にいる死体」 田中貴子
        「源氏物語と九州」田坂憲二 (福岡女子大学教授)
        「平家と源氏物語」高橋昌明 (神戸大学名誉教授)

 第二部 パネルディスカッション
     コーディネーター 今西祐一郎(九州大学教授)

私の講演は、源氏物語における「死と死体」、そして平安時代の死体の実態など
を中心とするもので、グロテスクなスライドがいっぱい見られます。