きなこが「ふんふん」しているのは、ぐり茶々母さんの手になる水晶のピアスであり
ます。さすがに耳に穴があいてないので、つけてはやれませんでした。
このピアス、現在催事中のmurder pollen で一目惚れしたもの。早速ぐり茶母さん
のブログに書き込んだら、なんとお返事がありました。当日はお目にかかれなかったの
ですが、とってもステキなネックレスやピアスがざくざくあって、本当に楽しかったで
す。きなこも気に入っているようですね。エキゾのブサカワぶりがうかがわれる写真
となりました。ううーん、この鼻のへこみがたまらん・・・。
ます。さすがに耳に穴があいてないので、つけてはやれませんでした。
このピアス、現在催事中のmurder pollen で一目惚れしたもの。早速ぐり茶母さん
のブログに書き込んだら、なんとお返事がありました。当日はお目にかかれなかったの
ですが、とってもステキなネックレスやピアスがざくざくあって、本当に楽しかったで
す。きなこも気に入っているようですね。エキゾのブサカワぶりがうかがわれる写真
となりました。ううーん、この鼻のへこみがたまらん・・・。
『中世幻妖 近代人が憧れた時代』(幻戯書房、2800円)の表紙が決まりました。
装丁は間村俊一さん。絵は『西行物語絵巻』です。間村画伯に装丁していただくのは3冊
目です。3冊並べてみると、よくにている・・・シリーズ化という感じでしょうか。
近代知識人が中世をどのようにとらえていたか、中世に「日本的なるもの」をいかに
求めたか、小林秀雄や白洲正子、吉本明らを通じて考えたものです。刊行は6月。
6月24日には、東京堂書店にて奥泉光さんとトークショーをさせていただきます。絶対
私より奥泉さんのほうがおもしろいので、ぜひお運びください。詳細は6月2日付(大
阪版は3日)の読売新聞の広告欄にて。
よろしくお願いします。
装丁は間村俊一さん。絵は『西行物語絵巻』です。間村画伯に装丁していただくのは3冊
目です。3冊並べてみると、よくにている・・・シリーズ化という感じでしょうか。
近代知識人が中世をどのようにとらえていたか、中世に「日本的なるもの」をいかに
求めたか、小林秀雄や白洲正子、吉本明らを通じて考えたものです。刊行は6月。
6月24日には、東京堂書店にて奥泉光さんとトークショーをさせていただきます。絶対
私より奥泉さんのほうがおもしろいので、ぜひお運びください。詳細は6月2日付(大
阪版は3日)の読売新聞の広告欄にて。
よろしくお願いします。
朝日の書評委員になってから、出版社から本をいただくことが多くなった。本書も講談社メチエより数冊とともに頂戴した。とりあえず御礼を申し上げます。
本郷氏独自のの論調がまたしても活発な本書は、「選書中世史」というシリーズにしては奇妙な部分があり、「中世の通史」といった性格のものではないことがわかる。いくつか違和感を覚えたところをメモしておきたい。
それは第五章「天皇と「武」をめぐる史学史の骨格」に大きく感じられた。ここで取り上げられるのは、井上章一氏の『日本に古代はなかったのか』(角川選書)であり、その批判は、端的にいって井上著書の誤読、あるいは意図的な誤読であると思われる。
井上氏は史学における「東と西」、つまり東京帝大と京都帝大(いわゆる京都学派)の歴史認識について論じているのだが(このへんは井上さんの本を読んでください)、結果的に京都学派による歴史観が「関東好き」の東京帝大のそれに隠れてしまい、今まで評価されていなかったことを述べたかったのである。私は井上氏の時代区分に賛成ではないが、たしかに、東京帝大は関東武士や幕府の存在を重視して中世という時代を考える人が多かったと感じている。
ところが、本郷氏はそれをなぜか「東京好き」批判と読み替えている。こんな文章がある。
「わたしは東京で生まれて東京で育ち、右の本(田中注・井上著書)に「かつての露骨 な関東史観は、さすがに影をひそめている。だが、本郷和人のように、はっきりその色 合いをうちだす研究者も、あらわれている」と糾弾されてもいるのだが、実のところ東京が好きだとか、嫌いだとか考えたことがそれほどないのだ。今は千葉県の住人である し、プロ野球は好きだけれど、ジャイアンツやスワローズのファンだったことは一度もない。」(156ー7P)
なんでこんなところで本郷氏の出自やら趣味やらが出てくるのかさっぱりわからないが、井上氏が言っているのは「東京好き」というのではなくて、今まで主流であった「関東史観」が東京帝大で学んだ学者の主導で論じられてきたこと、そしてそれは東京という「権力の場」の醸成と関わること、であったはずである。東京が好きかどうかなど、問題にしてはいないのだ。
また、石母田正などが必ずしも東京出身者ではないことも述べているが、これは、出身ではなく東京帝大で学んだか職についたか、という点が重要なのであって、出身地はどこでもいいのであると私は思う。
本郷氏がジャイアンツ云々を持ち出したのは、井上氏が熱心なタイガースファンであることからだろうが、「関西人=タイガースファン」という決めつけは、「東京人=ジャイアンツファン」という図式と同じく、硬直化したカテゴライズ、あるいは皮肉にすぎない。しかも、井上氏は京都に複雑な思いを抱く京都人である。京都が正しい、などと言っているのではないのであるし、天皇と幕府との並立についても筆を及ぼしているのである。
これは、東京と京都の問題ではなく、二つの帝国大学という「権力」と、東京帝大に対する京都帝大のちょっと斜めに構えた気風の問題であるはずだ。本郷氏(本郷、というお名前もこの論にぴったりですわ)がこれを読み違えるはずはないし、こんな感情的な反論をするのは筋違いであろう。そもそも、「千葉都民」なんかいくらでもいる。
たまたま京都生まれ京都育ちで京都大学で学んでしまった井上が、その出自や経歴にからめて批判されるのはお門違いである。東大史料編纂所という、それこそ「歴史学の権力の中枢」に勤務する本郷氏が、井上氏のいう「東京の権力」に無自覚なのであれば、それは歴史学社としてはなはだ遺憾なことであろう。
どうせ史料発掘の量と質なら日本文学やら日本文化の研究者は分が悪いのだから、そのぶんは論と切り口の斬新さに重きを置くことになる。だからといって「この史料を見ていない、この史料にある」という論点で批判するのは非生産的である。どうしてお互いもっと風通しをよくしようとしないのだろうか。同じ資料(史料ではない)を使っても、目的によって答えはいろいろあってしかるべきである。
ま、「著者近影」に猫とともに写りたい気持ちだけは、同意しますがね(ええなあ、いっしょに写真撮らせてくれて。うちはくりこもきなこもだっこが嫌いだから絶対無理)。
本郷氏独自のの論調がまたしても活発な本書は、「選書中世史」というシリーズにしては奇妙な部分があり、「中世の通史」といった性格のものではないことがわかる。いくつか違和感を覚えたところをメモしておきたい。
それは第五章「天皇と「武」をめぐる史学史の骨格」に大きく感じられた。ここで取り上げられるのは、井上章一氏の『日本に古代はなかったのか』(角川選書)であり、その批判は、端的にいって井上著書の誤読、あるいは意図的な誤読であると思われる。
井上氏は史学における「東と西」、つまり東京帝大と京都帝大(いわゆる京都学派)の歴史認識について論じているのだが(このへんは井上さんの本を読んでください)、結果的に京都学派による歴史観が「関東好き」の東京帝大のそれに隠れてしまい、今まで評価されていなかったことを述べたかったのである。私は井上氏の時代区分に賛成ではないが、たしかに、東京帝大は関東武士や幕府の存在を重視して中世という時代を考える人が多かったと感じている。
ところが、本郷氏はそれをなぜか「東京好き」批判と読み替えている。こんな文章がある。
「わたしは東京で生まれて東京で育ち、右の本(田中注・井上著書)に「かつての露骨 な関東史観は、さすがに影をひそめている。だが、本郷和人のように、はっきりその色 合いをうちだす研究者も、あらわれている」と糾弾されてもいるのだが、実のところ東京が好きだとか、嫌いだとか考えたことがそれほどないのだ。今は千葉県の住人である し、プロ野球は好きだけれど、ジャイアンツやスワローズのファンだったことは一度もない。」(156ー7P)
なんでこんなところで本郷氏の出自やら趣味やらが出てくるのかさっぱりわからないが、井上氏が言っているのは「東京好き」というのではなくて、今まで主流であった「関東史観」が東京帝大で学んだ学者の主導で論じられてきたこと、そしてそれは東京という「権力の場」の醸成と関わること、であったはずである。東京が好きかどうかなど、問題にしてはいないのだ。
また、石母田正などが必ずしも東京出身者ではないことも述べているが、これは、出身ではなく東京帝大で学んだか職についたか、という点が重要なのであって、出身地はどこでもいいのであると私は思う。
本郷氏がジャイアンツ云々を持ち出したのは、井上氏が熱心なタイガースファンであることからだろうが、「関西人=タイガースファン」という決めつけは、「東京人=ジャイアンツファン」という図式と同じく、硬直化したカテゴライズ、あるいは皮肉にすぎない。しかも、井上氏は京都に複雑な思いを抱く京都人である。京都が正しい、などと言っているのではないのであるし、天皇と幕府との並立についても筆を及ぼしているのである。
これは、東京と京都の問題ではなく、二つの帝国大学という「権力」と、東京帝大に対する京都帝大のちょっと斜めに構えた気風の問題であるはずだ。本郷氏(本郷、というお名前もこの論にぴったりですわ)がこれを読み違えるはずはないし、こんな感情的な反論をするのは筋違いであろう。そもそも、「千葉都民」なんかいくらでもいる。
たまたま京都生まれ京都育ちで京都大学で学んでしまった井上が、その出自や経歴にからめて批判されるのはお門違いである。東大史料編纂所という、それこそ「歴史学の権力の中枢」に勤務する本郷氏が、井上氏のいう「東京の権力」に無自覚なのであれば、それは歴史学社としてはなはだ遺憾なことであろう。
どうせ史料発掘の量と質なら日本文学やら日本文化の研究者は分が悪いのだから、そのぶんは論と切り口の斬新さに重きを置くことになる。だからといって「この史料を見ていない、この史料にある」という論点で批判するのは非生産的である。どうしてお互いもっと風通しをよくしようとしないのだろうか。同じ資料(史料ではない)を使っても、目的によって答えはいろいろあってしかるべきである。
ま、「著者近影」に猫とともに写りたい気持ちだけは、同意しますがね(ええなあ、いっしょに写真撮らせてくれて。うちはくりこもきなこもだっこが嫌いだから絶対無理)。
今年8月に15歳を迎えるくりこ嬢。今は寝てばかりですが、うちに来た頃はこんな
に小さく可憐だった証拠写真をUPしておきましょう。彼女とともに私も歳を取ってきま
した。15年は長いようで短いものです。
くりこは三回引っ越しを経験していますが、これはくりこが来て一週間ほどで引っ越
した京都市某区の集合住宅です。ホットカーペットの上でごろんときつろぐくりこ。
くたっとした感じは今もそのままです。
に小さく可憐だった証拠写真をUPしておきましょう。彼女とともに私も歳を取ってきま
した。15年は長いようで短いものです。
くりこは三回引っ越しを経験していますが、これはくりこが来て一週間ほどで引っ越
した京都市某区の集合住宅です。ホットカーペットの上でごろんときつろぐくりこ。
くたっとした感じは今もそのままです。
ワレワレハ、金星カラノ使者デアル。地球ニハ、スデ、ワレワレノ仲間ガ侵入シテイ
ル。金星人ハ、猫ニ似テイル・・・のかもしれません。
それにしても、昔のステロタイプな宇宙人のあの声って、どうしていつも「ワレワレハ
」と言うんでしょうね?
ル。金星人ハ、猫ニ似テイル・・・のかもしれません。
それにしても、昔のステロタイプな宇宙人のあの声って、どうしていつも「ワレワレハ
」と言うんでしょうね?
びっくりしました。昨日のアクセス数に。私の具合が悪いというのが何か影響したの
でしょうか? 今日は少しましになりました。心配してくださった方、またはほくそ笑
んでいた方にご報告申し上げます(イケズやな・・・)。
いいお天気なので、きなこはカゴに寝ることが多くなりました。つきたてのきなこ餅
みたいなので写真をUPしてみました。
でしょうか? 今日は少しましになりました。心配してくださった方、またはほくそ笑
んでいた方にご報告申し上げます(イケズやな・・・)。
いいお天気なので、きなこはカゴに寝ることが多くなりました。つきたてのきなこ餅
みたいなので写真をUPしてみました。
今日も窓際にすわって外を見るきなこ。
「ママがちょっと具合悪いんや。だるくてしょうがないというてる」
きなこ、心配して、お☆さまに願いを、と思ったらまだ朝だった。
私はちょっと薬になれてしまって反動が出てきたようです。「大学の授業や会議に遅
れる夢」を見るようになったので、これはいけない徴候です。お医者さんに行ったら、
様子をみて次に調整しようとのこと。少し様子見。
「ママがちょっと具合悪いんや。だるくてしょうがないというてる」
きなこ、心配して、お☆さまに願いを、と思ったらまだ朝だった。
私はちょっと薬になれてしまって反動が出てきたようです。「大学の授業や会議に遅
れる夢」を見るようになったので、これはいけない徴候です。お医者さんに行ったら、
様子をみて次に調整しようとのこと。少し様子見。