最近、誓願寺縁起について調べているが、このお寺は今、新京極という繁華街にあるけれども、昔は伏見の深草にあったのである。それで、「深草」という語でいろいろ調べてゆくと、「京ことば辞典」の類に、
「これは深草の名物や」
という言い方があるのを見つけた。知らなかったが、「深草の名物」は団扇なのだそうだ。もちろん近世以降のことであろう。そこで、「団扇」と「内輪」をひっかけて、
「これは内輪の話や」
と言い習わしたらしい。京都に住んでいてもまだまだ知らないことがたくさんあるものだ。
さて、さきほど、原稿を送った後の放心状態で桂米朝さんの落語を聞いていたら、実にしょうもない「国文学界内輪の話」をいくつか思い出したので、きわめて内輪にしかうけないだろうが、書いておこうと思う。
よく名前と仕事を存じ上げている偉い研究者の訃報を耳にする。最近では佐竹昭広氏や永島福太郎氏であろうか。佐竹氏の本は学部時代から好きだったので、一度もお目にかかることなく、ご縁もなかったのが残念である。以前、このブログに書いたように、大学院に進むとき佐竹氏のいる京大に行こうと思ったことがあったが、あっという間に成城大学へ移られてしまったので唖然としたのだった。しかし、あのような才人的学風の方に師事していたら、私のような怠慢な人間はおそらく何もしないままになっていたのではないかとも思う。
佐竹氏の訃報の前には、(私は影響を受けなかったが)角田文衛氏の急逝の報があった。
みなさん、どちらにいらっしゃるのだろう、と不謹慎なことを考えた。で、ある学会での会話。
「佐竹さん、残念だったねえ」
「角田さんは長生きしたし、まあ心残りはないかも」
「あの人たちはきっと、極楽か、キリシタンならハライゾへ行くのかなあ」
「あの世に出来るで。国文学研究資料館が」
「そやなあ、平安博物館も開館や」
「東大史料編纂所あの世分館も可能やな」
「○○先生、近日来館予定! とかな」
それは地獄のことでしょうが。ところでみなさんは、「○○」にどなたをあてはめますか?
おおこわ~。
やはりある研究会の懇親会(少人数なので、ほぼ飲み会)にて。名字の話になった。論文を書くとき多くの女性研究者は旧姓を使っているが、大学院時代などに結婚して姓を同じにした人はそれで書いているようである。それで、ある程度、いつご結婚なさったのかが推測可能ではないか、などという話も出た。
私などは日本国中にいっぱいいるきわめてありきたりの名前なので、姓を変えたら別人としてしか認識してもらえない、などというと、ありきたりの名前でも由来がある、という人がいた。
「山本」某氏である。たしかに、よくある名字だ。
「僕の山本という名は、たどれば悪源太義平に由来する。悪いヤツなんや」
といいながらも、やや得意そう。で、私も負けずに言った。
「千利休ももとは田中与四郎だもん。楽吉左右衛門さんも、昔は田中と名乗って いたと言っていたもん」
古さからいえば、義平が勝っているな。
しかし、みみっちいような気もする・・・。
そういえば、大学院の先輩で「清原」さんというのがいた。「清原」も、野球選手にいるように、きわめて珍しい名字ではない。だが、大学院生でコンパしていたとき、ある院生が、
「僕は元は藤原氏なんですよ」
と言ったところ、すかさず、
「何いってんだ。オレは清原だ」
と返したところが絶妙であった。ちなみに「清原」さんは近代文学専攻だったが、広島大学の院では、全員、すべての分野の演習をとるのである。
「清原」さんは山口女子大学に赴任したが、残念ながら急逝してしまった。ご冥福を祈る。
不摂生していると、私も「近日来館予定」になるかもしれない。立川なんて、あの世よりよっぽど近いものだ・・・。
「これは深草の名物や」
という言い方があるのを見つけた。知らなかったが、「深草の名物」は団扇なのだそうだ。もちろん近世以降のことであろう。そこで、「団扇」と「内輪」をひっかけて、
「これは内輪の話や」
と言い習わしたらしい。京都に住んでいてもまだまだ知らないことがたくさんあるものだ。
さて、さきほど、原稿を送った後の放心状態で桂米朝さんの落語を聞いていたら、実にしょうもない「国文学界内輪の話」をいくつか思い出したので、きわめて内輪にしかうけないだろうが、書いておこうと思う。
よく名前と仕事を存じ上げている偉い研究者の訃報を耳にする。最近では佐竹昭広氏や永島福太郎氏であろうか。佐竹氏の本は学部時代から好きだったので、一度もお目にかかることなく、ご縁もなかったのが残念である。以前、このブログに書いたように、大学院に進むとき佐竹氏のいる京大に行こうと思ったことがあったが、あっという間に成城大学へ移られてしまったので唖然としたのだった。しかし、あのような才人的学風の方に師事していたら、私のような怠慢な人間はおそらく何もしないままになっていたのではないかとも思う。
佐竹氏の訃報の前には、(私は影響を受けなかったが)角田文衛氏の急逝の報があった。
みなさん、どちらにいらっしゃるのだろう、と不謹慎なことを考えた。で、ある学会での会話。
「佐竹さん、残念だったねえ」
「角田さんは長生きしたし、まあ心残りはないかも」
「あの人たちはきっと、極楽か、キリシタンならハライゾへ行くのかなあ」
「あの世に出来るで。国文学研究資料館が」
「そやなあ、平安博物館も開館や」
「東大史料編纂所あの世分館も可能やな」
「○○先生、近日来館予定! とかな」
それは地獄のことでしょうが。ところでみなさんは、「○○」にどなたをあてはめますか?
おおこわ~。
やはりある研究会の懇親会(少人数なので、ほぼ飲み会)にて。名字の話になった。論文を書くとき多くの女性研究者は旧姓を使っているが、大学院時代などに結婚して姓を同じにした人はそれで書いているようである。それで、ある程度、いつご結婚なさったのかが推測可能ではないか、などという話も出た。
私などは日本国中にいっぱいいるきわめてありきたりの名前なので、姓を変えたら別人としてしか認識してもらえない、などというと、ありきたりの名前でも由来がある、という人がいた。
「山本」某氏である。たしかに、よくある名字だ。
「僕の山本という名は、たどれば悪源太義平に由来する。悪いヤツなんや」
といいながらも、やや得意そう。で、私も負けずに言った。
「千利休ももとは田中与四郎だもん。楽吉左右衛門さんも、昔は田中と名乗って いたと言っていたもん」
古さからいえば、義平が勝っているな。
しかし、みみっちいような気もする・・・。
そういえば、大学院の先輩で「清原」さんというのがいた。「清原」も、野球選手にいるように、きわめて珍しい名字ではない。だが、大学院生でコンパしていたとき、ある院生が、
「僕は元は藤原氏なんですよ」
と言ったところ、すかさず、
「何いってんだ。オレは清原だ」
と返したところが絶妙であった。ちなみに「清原」さんは近代文学専攻だったが、広島大学の院では、全員、すべての分野の演習をとるのである。
「清原」さんは山口女子大学に赴任したが、残念ながら急逝してしまった。ご冥福を祈る。
不摂生していると、私も「近日来館予定」になるかもしれない。立川なんて、あの世よりよっぽど近いものだ・・・。