夏への扉、再びーー日々の泡

甲南大学文学部教授、日本中世文学専攻、田中貴子です。ブログ再開しました。

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知らないことばがいっぱい

2007年09月01日 | Weblog
 商売柄、ことばにはわりあい敏感になってしまう。人の使うことばも、もちろん自分のことばも。私はふだん三種類の話し言葉を使い分けている。一つは学会などで発表したり、講演したりするときのことば。関西アクセントで語彙は共通語である。共通語のアクセントもがんばればできないことはないが、自分で気持ち悪くなってしまうのであきらめた。これがいちばんオフィシャルなものである。次は大学での講義や会議で使うことばで、関西アクセントで表現をややくだけたものにする。三つめは地元京都の友人や近所の人、家族としゃべることばで、これはおそらく他地方の方が聞いたらあんまりよくわからない、べったりした京都言葉である。京都の言葉には独特のリズムがあり、あがったりさがったりするのでそのリズムに乗れないと理解できないと思う。「京言葉」というといかにもきれいなもののように思われるのだが、男女の言葉の区別が少なく、あんまり端正なものではないように思う。ことばにも京都幻想というものがあるのだろう。
 関西の言葉はほとんど同じと思っている方が多いが、もちろん京都、大阪、神戸、滋賀、奈良、まったく違う。方言にはそれぞれの文化が感じられるし、どれがよいとか悪いとかいったものではないのだが、これらを十把一絡げに「関西弁」などといわれるとちょっと気になるものである。
 大阪と京都の違いがよくわかる私の実体験をひとつ。
 大阪出身・在住(昔の国名では摂津。和泉や河内はまた違う)の友人から観劇に誘われたが、用事があって急に行けなくなった。そこで電話。
 「ごめん、今日、いけへんねん」
すると彼女は「なんで?」という。「そやから、いけへんにゃんか」と私。
またしても彼女「どうして?私なんか悪いことしたか」と言う。しかたないので「急な用事が入って、行くことができひんねん」と答えると、「なーんや、これへんのか。そういうときは「いかれへんねん」というてくれなあかんやん」とのことであった。
 私にとって「いけへん」=「ゆくことができない」なのであるが、大阪では「ゆくことができない」は「いかれへん」と言わないとほとんど通じないのだ。ただ「いけへん」というと、それは「行かない」という意味になってしまうので、「なんで?」という言葉が出ることになる。
 神戸の大学に行ったとき、女の子が「先生、知っとう?」などというのが新鮮でなかなかかわいいなあと思ったが、わからなかったのが「こーへん」であった。最初は何のことがまったくわからず、とまどっていたのだが、これは「こない」の意味である。京都では「きいひん」、大阪では「きやへん」などというのが一般的である。この「こーへん」、なんと東海道線を上って京都にも入ってきており、最近買い物しているとよく聞こえるようになった。ことばは変わるものだからかまわないが、私は方言は文化だと思っているので「こーへん」は絶対に使わない。

 さて、最近目や耳にした知らないことば、新しいことばがいくつかあったので、今回はそれをご紹介しよう。みなさん、とくに若い方には当たり前なのだろうが、私には「???」の世界であった。

その1「ツンデレ」
 ある日、いつも頼んでいる猫のフードが届いたら、おまけに小冊子がついていて、「あなたの猫ちゃんの性格占い」という頁があったので、やってみた。YES,NOで進んでゆくと、うちのくりこは「ツンデレ猫」という結果が出たのである。「ツンデレ」・・・。生まれて初めて聞いたことばであり、もしや何かのミスプリントではないかと疑ってみたが、そうでもないらしい。「ツンデレ」さんの性格は「あなたを親かきょうだいと思っています。自分勝手で好き放題の猫さんです。」とのこと。かなり当たっているが、それが「ツンデレ」という新語の意味なのだろうか。(最初、「シンデレ」の誤りで、「シンデレラ猫」のことかなあと思っていた私はおめでたい)
 またある日、「ダ・ヴィンチ」という若い人向けの本の雑誌を立ち読みしていたら、このことばに遭遇した。何らためらいもなく、誰でも知ってるでしょ?といわんばかりに使われている。読んでみると、「ツンデレ」は主に女性主人公の性格や態度を表すことばとして登場していた。「女王様体質」などという表現もあるので、「ツンデレ」は「ツン」(「つんつんしている」の略)と「デレ」(「でれでれしている」の略)の造語であるらしいことが推測された。なーんだ、単純な造語である。
 こういった事柄には偏執的にくわしいWIKIPEDIAをひいてみると、あるある。ちょっとした論文のような考察が。ほかにもヴァリエーションがあるらしい。しかし、WIKIPEDIAの記事のこうした偏りというか、悪い意味でのオタク的な部分は、読んでいてなにやら気分が悪くなってしかたない。
 「ツンデレ」はどうやら若者ことばの一種らしいが、私は先にも書いたようにすべての新語、造語、若者ことばがいけないといっているわけではない。若者ことばはいつの時代にもあるものであり、たとえば今でも「パクる」という語があるが、これは旧制高校生がドイツ語から生み出した「盗む」という新語であることは有名である。また、北村薫氏の『玻璃の天』を読んでいると、戦前の女子学習院でも「うれしいわ」を意味する「うれー」という女学生ことばがあったことが知られる。若者ことばの特徴の一つは簡略化であるが、昔も今もまったく同じだ。
 私自身も「とっても」の意味の「めっちゃ」くらいは親しい人なら使うが、しかし、嫌いなことばは絶対口に乗せないことにしている。たとえば「うざい」「ださい」「きしょい」「きもい」「超」「爆睡」などなど、すべて大嫌い。なぜ使いたくないかというと、これらのことばの多くは、新しいニュアンスを表す場合もあるが、おうおうにしてことばの微細なニュアンスを排して平べったくしてしまうことがあるからである。自分がどんなふうに感じたか、をことばを尽くして表現するより、たった一言「うざっ」ですませてしまうことが習慣になると、おそらく格段に表現力が衰えるだろう。使わない筋肉が衰えるのと同じである。脳みそも感性も麻痺するような気がしてとても怖いのだ。


その2「男汁」
 このことばは、最初親しい友人の女性から聞かされて、まったく意味不明であったものである。彼女の夫は単身赴任中だが、「夫が久しぶりに帰ってくると男汁のにおいがする」と言うのである。どういう意味か聞き直すのも無粋だったのでだまっていたが、たぶん「男くさい」とでもいうような意味だと推測しておいた。正直いうと、「汁」というきたない語感(「ゴミの汁が垂れている」などと使うからきたなく感じるのだろう)が男性の体液を婉曲に言うのかと思いこんでいたのであるが。
 ところが、森見登美彦氏の小説、およびそのレビューを読んでみると、まるで周知のことばのようにこの「男汁」が出てくるのである。似たことばの「男くさい」は、鍛錬された男性性をあらわすプラス評価を含んでいることもあるが、「男汁」にはもっと滑稽さと哀愁が感じられるように思えた。森見氏が書く「四畳半学生もの」(「男おいどん」ではあるまいし、いまどき四畳半に住んでいる京大生が何人いるのだろうか?これは一度調査したいと思っている)は、あこがれの女性への思いをつづる学生のやや滑稽な言動がうけているらしいが、それはプラス評価の「男くさい」には当てはまらない。若さゆえのどたばた状態を、京大生という関西におけるエリートが衒学的な口調で語る森見氏の小説は、まるで旧制高校生の現代版である。「いか京」(いかにも京大生、という意味の学生ことば)だからこそ許される高等遊民的な日常の数々を、「男汁」という一見自分を卑下したかのようなことばに託しているように思えてならない。しかし、裏を返せば京大生だからこそ自分を「男汁まみれ」などとおとしめることでかえって価値を生むのであって、これが受験での偏差値測定不能大学の学生がやったとしたら、本当にきたなーい「男汁」になってしまうだけだろう。
 なお、「男汁」については似たようなコンセプトの商品がいくつか出されている。「男前豆腐店」が出している「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」(五木寛之が好きな社長なのだろうか)とか「男の三連チャン」という三個入りのお豆腐である。
京都の豆腐やさんが売り出して好評の、冷や奴にするとなかなか濃厚な大豆の味がしておいしい製品であるが、買うのがちょっと恥ずかしい。「男の三連チャン」はそれぞれのお豆腐のパッケージに三人の男の顔が漫画的に描かれており、いずれもがゴルゴ13か星飛馬に似た、眉の濃いくどい顔なのである。
 お豆腐と「男汁」的なものとの合体によるミスマッチが評判を生んだ商品であることは間違いないが、これも正直いって、初めて買ったときはなんだか少し躊躇した。男の汗がまじっているような感覚をふと覚えたのである。「男汁」入りのお豆腐・・・。きたなくないか。
 こうした感覚の背景には、帰宅する満員電車のなかに漂う汗や加齢臭、酒臭さ、ストレスによって発散される独特の臭気が「男汁」を想起させる、という事情があると思う(どうして阪急電車は特急だけでなく、快速急行にも女性専用車を作らないのだろうか)。
 もちろん、「男くささ」があれば女独特のくささもあるだろう。だから、一方的に批判はできまい。山口瞳氏のエッセイ(題名は失念)には、「女くささ」のことを「おかいちょくさい」と表現する老人が出てきた。「おかいちょ」とは「お開帳」のことらしく、非常に性的な意味あいがある(女性がどこを「開帳」するかといえば、ほら、わかるでしょう)。化粧やフレグランスだけでない、女性の髪や体のにおいも独特なものがあって、たしかに女性専用車には、かすかだがそれが感じられるときがあるものだ。
 だから、「男汁」は単に私だけがきたない感じを受けるだけであろうから、どんどん使えばよいが、その前に、聞いたすべての人にもその意味するところをちゃんと説明できる能力を、使う人は必ず持つべきだろう。便利なことばは便利なだけに、人を文化的に疎外したり、コミュニケーションを薄くする可能性があるのであると思う。
 ことばは大切なもので、それ一つで人の心を殺すことも出来る両刃の剣でもある。ことばによる虐待というもの、表面にみえにくいだけ残虐である。また、変わることばを全否定することば原理主義者もおそろしい。
 難しいことだ。生まれてから何の問題もなく日本語を使っているからといって、ゆめゆめ安心は出来ない、と自戒しておこう。