夏への扉、再びーー日々の泡

甲南大学文学部教授、日本中世文学専攻、田中貴子です。ブログ再開しました。

教科書をめぐる「みんなの素朴な疑問」

2009年11月02日 | Weblog
 ネット上には「教えてgoo」のような相談、質問サイトが多数ある。私は基本的に見ないし、見ても海外に行くときの情報などを参考にしたいときだけなのだが、今日はyahooのトップページでそうした「みんなの疑問集」の教科書特集が載っていたので、興味半分のぞいてみた。

 「国語の教科書で思い出に残っている作品はありますか」という質問をまず見てみると、四十数人から回答が来ていた。最近、山川出版の世界史と日本史の教科書が復刊されるなど、教科書に対する関心が高まっているようだが、この回答の多さもそれを表しているのだろうか(山川の日本史と世界史は私も高校時代に使ったが、これで今の受験勉強したらだめである。歴史上の発見や認識の変化が多いうえ、非常に内容が多くて今の入試問題には即さないから。また、いわゆる「蒙古襲来」といった世界史的出来事については、最近研究が怒濤のように変化している)。
 挙げられた作品は、おそらく小学校時代の教材が多いと思われた。「かさこじぞう」なら私も習ったか、あるいは絵本で読んでいるが、そのほかのものはほとんど知らなかったのでやや驚く。「走れメロス」と「ごんぎつね」くらいかな、確かに教科書にあったと記憶するのは。なにせ、学習指導要領がこまめに変わっているから、私の小学生時代の教科書なんて古典と化していることであろう。だって、歴史の教科書(社会科、のなかの歴史のパート)には、冒頭に『古事記』の「国引き伝説」が載っていたもんね。鎌倉時代の冒頭は「鉢の木」だった。さすがに「桜井の別れ」は載ってなかったが・・・。
 国語教科書について本を出したことのある身としては、高等学校の国語だけは東京の教科書センターに行ってかなりさかのぼって閲覧したが、小学校のはもっと変化が激しいのであろうと思う。私の頃の教科書は割合名作主義だったようで「こころ」も(ヤバイところは除いて)載っていたし、「舞姫」も中学校で習ったことを覚えている(豊太郎がひどいやつだ、と女子はみな憤慨していたな)。
 最近の教科書には、圧倒的に現在生存している人のものが多い。しかも、環境問題や国際社会など、何かしら社会的な話題とからんでいる場合があることは、石原千秋氏の指摘でもはっきりしている。
 ちなみに、国語教科書に書いたものが載るときは検閲が入ってまずいところは変えられるのが当たり前である。また、著者の写真は載るが肩書きは変わる可能性があるので、「考古学者」とか「英文学者」といったふうで載るのである。私のは大修館版の高校国語総合に載っているが(『鈴の音が聞こえる』から)、実に若い頃の写真とともに「国文学者」と書かれていた。あれ、今の顔じゃないからね。もっとふけております。
 たしか、些少の御礼をもらったと記憶する。

 さて、ほかの疑問に目を転ずると、「歴史の教科書に名前が載るにはどうすればいいですか?総理大臣以外でお願いします」という不可思議な質問もあった。答えには、「悪いことをした人」の具体的な名前が数名挙がっていたが、それはいくらなんでもね・・・。「ノーベル賞をとること」というのがいちばん具体的に叶いそうだったが、今の歴史教科書に川端康成の名前はあるのだろうか? 湯川秀樹は? 田中耕一さんは、なんだか若すぎて載らないような気がする。日本人の各部門の受賞者はけっこう多いのである。
 それから、「100年後に歴史の教科書に載る人は誰だと思いますか」というのがあった。
 ベスト・アンサーに選ばれたのは、

 「キム・ジョンイルとオサマ・ビンラディンは確実に載るでしょう」

というものだった。
 どんなふうに載るんでしょうね? 見てみたい。

 教科書は国状を映す鏡でもあり、否応なく国民の「基本的な教養」を作るものとなっている。これは、意識しておいたほうがいいのだが、まあ、テストや受験にはかえって不必要なことであろう。
 でも、大学に入ったら、教科書を疑ってみるくらいのことはやってね。


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