夏への扉、再びーー日々の泡

甲南大学文学部教授、日本中世文学専攻、田中貴子です。ブログ再開しました。

『悲しき北回帰線』?

2009年11月08日 | Weblog
 今月初め、レビストロース逝去の報に接したときは深く思いを致したが、もう一人、忘れられない人が亡くなっていた。『挽歌』で名をなした作家の原田康子さんである。中学校時代に角川文庫でたくさん出ていた作品を、単純な恋愛小説として読んだことを思い出す。映画化された『挽歌』(久我美子が主人公役)も、後にレンタルビデオ屋で見つけて見た。ただし、私はほかの作品の方が好きだったが。
 『海霧』や、『挽歌』の主人公の後の人生のようにも思える『聖母の鏡』のような作品を読んでゆくと、この作家にとって北海道という土地が切っても切り離せないものだったことが感じられる。これは私の「感じ」であるが、渡辺淳一がかつて描いた天才少女の一生『阿寒に果つ』や、藤堂志津子の小説などには、「北海道という新開地に生まれた女」という特殊な匂いがあるように思える。「新開地」というのは悪口ではない。安易な人生にあえて背くようなヒロインが北海道に多く生まれたのには何か意味があると思うのである。

 さて、堅苦しいことはこのくらいにして。
 私のあほうな「いいまづがい」を、レビストロースの悲報で思い出した。
 レビストロースの代表作の一つである『悲しき熱帯』は、川田順三氏の訳で中央公論社から刊行されており、この翻訳で読んだ人は多いだろう(私もそうだ)。だが、なぜだかわからないが、私には川田訳になじめないところがあり、なかなか読み進めることが出来なかったのである。それで、別の訳を探したところ、抄訳らしいのだが室淳介氏による『悲しき南回帰線』というのが講談社から出ていることを知り、それを注文しようと書店に行ったのである(まだネットなど影も形もなかった時で、もちろんネット書店で注文などは出来ようもなかった)。

 書店にて。
 「『悲しき北回帰線』を注文したいんですが。講談社です」と私。

 当時の書店では、本の正確な題名を調べるのに『出版総覧』のようなものしかなかったので、書店員さんは何も疑わず、注文用紙を渡してくれた。

 後日、「来た」と連絡があったので取りに行ったら・・・

 ヘンリー・ミラーの『北回帰線』を渡された・・・。

 「南」と「北」とを間違えた私が悪い。これぞ「南北問題」であるな。

 ほかにも、コロンビア大学の中世日本研究所で、たまたまいた外国人学生に「絵巻」を説明しようと、幼稚園児程度の英語で「scroll」と言ったつもりが、一所懸命「spring roll」と繰り返したこともある(日本語がわかる外国人研究者は、くすくす笑っていたようだ)。

 『俳優修業』のスタニスラフスキー・システム、と言おうと思い、

 「スタニスラム・レムスキー」

と言ったことも思い出した(SF映画の見過ぎである)。
 老後が心配な、気がします。
 

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