goo blog サービス終了のお知らせ 

アブリル - どこにでもあり、どこにもない

岡崎平野を中心とする 植物 と カメラの対話

アツバキミガヨラン - ユッカの仲間

2020-12-18 10:06:16 | みんなの花図鑑

写真を撮っているときは キミガヨラン だと思ってたのだけど、「キミガヨラン」で検索すると「アツバキミガヨラン」というのがあり、どちらなのかよく分からない。葉は確かに厚くて葉の先はトゲのようにとがっていて触れると飛び上がるほど痛い。



でも、それがキミガヨランの葉なので、「アツバキミガヨラン」はもっと厚くもっと痛いのかもしれない。「アツバ」は相対的表現なのだ。



アツバキミガヨランだとすると、所属は ユリ目リュウゼツラン科ユッカ属。
ユッカ属なんだ・・・
でもwikiの「ユッカ」の項には 「ユッカ(学名:Yucca)は、リュウゼツラン科イトラン属(ユッカ属)の植物」とあるぞ??



どうして「君が代蘭」と名付けられたのでしょうか?
「もともとはアツバキミガヨラン学名Yucca gloriosaのグロリオサの栄光の有ると意味を君が代が栄えると言う解釈をして、小石川植物園に植栽されていたユッカを植物学者の牧野富太郎が名付けましたが、後にアツバキミガヨランではない事が分かりましたがそのままの名前が付いたままになったそうです。」(知恵袋の回答より)



信長の家来に 弥助 という黒人がいたことはご存じでしょうか?
「弥助は、戦国時代の日本に渡来した黒人で、宣教師所有の奴隷として、戦国大名・織田信長への献上品とされたが、信長に気に入られ、その家臣に召し抱えられた」
身長は182cmあり、「初めて黒人を見た信長は、肌に墨を塗っているのではないかとなかなか信用せず、着物を脱がせて体を洗わせたところ、彼の肌は白くなるどころかより一層黒く光ったという」
「本当に彼の肌が黒いことに納得した信長はこの黒人に大いに関心を示し、ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらい、「弥助」と名付けて正式な武士の身分に取り立て、身近に置くことにしたと、イエズス会日本年報にあり、信長は弥助を気に入って、ゆくゆくは殿(城主)にしようとしていたという」(以上、wiki「弥助」より)
こういう話を聞いて 嫌いな信長ですが、大いに見直しました (^^)/
本能寺の変の際には 弥助も本能寺に宿泊しており、明智光秀の襲撃に遭遇すると、二条新御所に行って異変を知らせ、織田信忠を守るため明智軍と戦った末に投降して捕縛されたとあります。
このあとどうなったかというと
「家臣にどう処分するか聞かれた光秀は「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」として処刑せず、「インドのパードレの聖堂に置け」と言ったので、南蛮寺に送られることになって、一命を取り留めた」(同上)とあり、
これまた光秀の配慮に感心することしきり(^^♪

ユッカがキミガヨランと呼ばれるようになったことから想像を膨らませてみました (^_-)-☆




コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。