俺LOG

今年も偉そうに物を書いていきます。

柔道について偉そうに語ってみる

2004年08月20日 | Weblog
柔道って競技はあんな競技だったのか?
柔道が「JUDO」として国際化していくのは仕方ないところだが、
根本的な思想までもJUDOになっている気がしてならない。

もっとも俺は柔道なんてのはオリンピックでしか見ないし、
もちろん体育の授業でしかやらなかった白帯だし、
技術的なことは何一つ知らない。
だが、今回の柔道は少しおかしい気がする。

基本的な外人の(あえて外国人とは言わない)作戦は、
腰を引き相手の技を受けないように適度に攻め、
相手の指導を待って逃げ切ろうという作戦。
あんなに腰を引くJUDOのどこが柔道と言えるのか。
腰を引いた時点で「指導」にしないと格好が悪すぎる。
あれではまったく俺ではないか!

中学の体育の授業でやった柔道。無差別級だった。
というか、出席番号とやらで対戦相手を決められたのだが、
でかい奴といつも当たった。
中学の体育のレベルなんて知れている。「でかい奴=強い」のだ。
技術の差がないから、体格の差で決まるのだ。
50kgの技術のない中学生が、70kgを倒せるわけが無い。
俺は小さいので、でかい奴に負けない為にどうしたか。
まさにあの外人の作戦だった。
腰を引き、足が飛んできたらジャンプ一番かわす。
投げられそうになったら、こっちもかけるフリでうつ伏せに倒れる。
勝てないが、負けない。
時間切れでほくそ笑む俺。

そんなもの柔道でもなんでもないが、
クラス対抗の団体戦なんていわれたら負けるわけにいかないのだ。

それが今オリンピックで実際に行われている柔道だ。
あんなに腰を引いて、「勝つ」ための柔道。
そこには「柔よく剛を制す」などという精神はない。
「要領よく競技を制す」だけだ。
そもそも外人選手の「相手の反則で勝とう」などという精神は、柔道ではないのだ。

昨日の試合。試合終了直前で有効をとった選手がいた。
3位決定戦かなんかの試合で、外人同士。
試合終了直前の有効から押さえ込み。
その選手は試合終了のブザーと同時に技を解いた。
解説の人(この人すら知らないが)が一言、
「日本の選手ならそのまま抑えて一本狙いますけどね」
俺も思った。
「こいつ、試合時間を稼ぐための押さえ込みじゃねーだろうな…」
と。

この精神こそがJUDOであって柔道ではない部分ではないか?
奴は「勝てば」いいのだ。「一本を取ろう」などという柔道の精神など持っていない。
つまり日本人はこういう「勝ちにくる」外人を相手に戦わなければならない。
つまり、「柔道」の技で「JUDO」に勝たなければならないのだ。
であるならば、あくまで「柔道」に固執してしまった井上康生が負けてしまったのもわかる気がする。

ただ今回、日本人のメダルが多いのは、俺が勝手に思うことだが、
「掛け逃げ」とか「指導」と言った、ズルい試合をする選手に対する罰則が厳しいように思う。
そこをうまくついている日本人が勝っている気もする。
攻める。相手は引く。指導がいく。相手は出てこないといけない。普通に柔道をする。勝つ。
このパターンが多くないだろうか。
それだけに、同点から勝ち急いでしまった井上康生が残念でならない。

最後にあえて言うが、俺は柔道などまったく知らない。
だから、「そうじゃねぇよ」と文句を言われても困る。
にわかファンのたわ言だと言っておく。
負けないJUDOの精神。実は俺は持っていたりして…。