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かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

「死ぬのは今」

2013-07-11 19:19:20 | 日記
きょうは、午後から、崇徳教社主催の講演会に

出かけてきました。

演題は「落語の中の仏教」。

釈徹宗先生の講演と桂春之輔師匠の“生”の落語を

聴かせていただきました。


釈徹宗先生は、仏教学者であり、お寺の住職でもあり、

一方で、仏教とかかわりの深い芸能の研究でも、

有名な方で、たくさんの本も書いておられます。


仏教を山にたとえるなら、その、裾野にあって仏教を

ある意味、支えてきたのが、能とか狂言とか、落語とかの

芸能だったんですね。

先生のお話は、ここから始まりました。

山は高いほど、裾野も広い。

広い裾野の中で、どれだけ多くの芸能が、仏教とともに

現在まで歩んできたのでしょうか。


古来、神道は“踊る”とか“歌う”という裾野を持っていました。

では、仏教の裾野は。。。

“語り芸能”なんです。

節談説教とか唱導といわれるものがそれです。


そして、その中の一つが、「落語」なんですね。


はじめ、しんみり。

なかは、おもしろく。

おわりは、尊く。


その、「なかは、おもしろく。」を取り出してみせたのが、

落語だと、釈徹宗先生のお話でした。


仏教と芸能の共通点。

演じる側とそれを受ける側との不思議な、

う~~ん、先生は何とおっしゃったかな。

一つは、日常を揺さぶること。

二つは、演じ手のかもし出す、かすかな刺激が、

受け手におおきな増幅をもたらして、広がっていく。


なんか、すごい、感動しましたね。



宗教を笑うとか笑えるというのは、

かなり成熟した精神文化の土壌があるということ。

世界には、笑いでもしたら、とんでもない宗教が、

いっぱいあります。

そういう意味での、仏教をネタにした、

最後の、桂春之輔師匠の落語は、おもしろかったですね。

演目は「死ぬのは今」。


最後の“落ち”は、こうなんです。

三途の川の閻魔大王が、賄賂をもらった罪で、しょっ引かれて、

今、閻魔大王庁は誰もいません。ので・・・・・


「死ぬのは今だよ」


おあとが、よろしいようで。。。。




広島ブログ
 
きょうも来てくださって、ありがとうございます




   釈徹宗先生のサイン入り「おてらくご CD付」が
   抽選で10冊プレゼントされたんですが、
   私は、外れました。
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