かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

息子と青ガエル

2014-04-21 19:46:19 | 日記


息子と青ガエル

もうじき7歳の誕生日を迎える息子が「ねえ、オンマ(コリア語でお母ちゃんの意)は

ボクより早く死ぬの?」「オンマはお墓に埋めてほしい?」

「ボクはそうしたらどうなるの?」と心配そうな顔で質問を投げかけてくる。

あどけない幼児から、時に少年らしさをかいま見せるようになった息子はこの頃、

得体のしれない「死」への恐怖感を募らせているようだ。

友達と楽しく遊んだ昼の喧騒がおわりを告げ、夜のとばりが静けさを連れてくると

それは頭をもたげてくるらしい。

人間は死んだらどうなるのかという漠然とした疑問が、自分の愛する肉親が死んだら

という想像へとふくらみ、もしそうなったら、いったい自分はどうしたらいいんだと

悲しみや混乱に支配されるようなのだ。

私が「燃やして灰を海にばらまいて」というと、向きになって

「イヤだ、お墓に埋めてお参りする」と言う息子がとても愛しくて、

つい「死んだらなんにものこんないのに」とベソをかかせるようなことを言ってしまう。

ストレートに愛してくれる気持ちがうれしい一方、彼の頭にいつの間にか刷り込まれた

観念にも驚かされる。

子どもに「青ガエルの話」という朝鮮の昔話を読んであげたことがあった。

親不孝の子ガエルが親ガエルが死んで初めて改心し、親の願い通りにお墓を川辺に作るが、

雨が降るたびに墓が流されそうになるので心配でケグル、ケグル(日本語で言えばゲロゲロか?)

泣くようになったという話だ。

実は親ガエルは山辺に埋めてほしかったのだが、へそ曲がりの子ガエルたちにそう頼んでも

きっと反対のことをすると思い、川辺へと頼んだというのに…。

彼にはこの本の印象が強烈だったのかもしれない。

いずれにしても息子よ、

この母にとってもあなたと同じように『死』は永遠の命題なのです。(朴裕子)


広島ブログ
 
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