息子と青ガエル
もうじき7歳の誕生日を迎える息子が「ねえ、オンマ(コリア語でお母ちゃんの意)は
ボクより早く死ぬの?」「オンマはお墓に埋めてほしい?」
「ボクはそうしたらどうなるの?」と心配そうな顔で質問を投げかけてくる。
あどけない幼児から、時に少年らしさをかいま見せるようになった息子はこの頃、
得体のしれない「死」への恐怖感を募らせているようだ。
友達と楽しく遊んだ昼の喧騒がおわりを告げ、夜のとばりが静けさを連れてくると
それは頭をもたげてくるらしい。
人間は死んだらどうなるのかという漠然とした疑問が、自分の愛する肉親が死んだら
という想像へとふくらみ、もしそうなったら、いったい自分はどうしたらいいんだと
悲しみや混乱に支配されるようなのだ。
私が「燃やして灰を海にばらまいて」というと、向きになって
「イヤだ、お墓に埋めてお参りする」と言う息子がとても愛しくて、
つい「死んだらなんにものこんないのに」とベソをかかせるようなことを言ってしまう。
ストレートに愛してくれる気持ちがうれしい一方、彼の頭にいつの間にか刷り込まれた
観念にも驚かされる。
子どもに「青ガエルの話」という朝鮮の昔話を読んであげたことがあった。
親不孝の子ガエルが親ガエルが死んで初めて改心し、親の願い通りにお墓を川辺に作るが、
雨が降るたびに墓が流されそうになるので心配でケグル、ケグル(日本語で言えばゲロゲロか?)
泣くようになったという話だ。
実は親ガエルは山辺に埋めてほしかったのだが、へそ曲がりの子ガエルたちにそう頼んでも
きっと反対のことをすると思い、川辺へと頼んだというのに…。
彼にはこの本の印象が強烈だったのかもしれない。
いずれにしても息子よ、
この母にとってもあなたと同じように『死』は永遠の命題なのです。(朴裕子)
きょうも来てくださって、ありがとうございます