
私の父は、10歳のとき、父と死別しました。
だから、私は祖父の顔は知りません。
父は、4人兄弟の二男に生まれました。
長兄は大学在学中に病死しました。
そして、父は中学卒業後、出征しました。
「中国の真ん中へんに、長沙って町があるじゃろうが」
長沙で敗戦を迎えました。
父のすぐ下の三男は、海軍に志願し、フィリピンで戦死しました。
末弟の伯父は、終戦のときは、東京の大学に行っていました。
学徒動員で戦地に行く覚悟をしていたようです。
そんなお寺を、父の母(私の祖母)はひとりで護っていました。
1945年(昭和20年)8月6日、広島は焼け野原となりました。
ヤケドを負いながら、逃げ延びて斃れられた人たちを、
祖母は、川原に足を運んでは、お経をよみ、火葬の場にずっと
たち続けていました。
二人の子どもを戦地に送り、残された末弟の伯父に、自分の
後を託していたようです。
その年の12月、父は広島に帰還してきました。
「かあさん、元気じゃろうが。
その証拠に、ワシの体には、いっぱい虱(シラミ)が
住みついとる。」
祖母は、涙を流して喜んだそうです。
その祖母は、私が生まれて4歳のとき、1週間の患いで
亡くなりました。
だから、祖母の顔は、写真でしか知りません。
父が30歳のときです。
あれから、六十年経ちました。
父が80歳のとき、祖母の50回忌をお勤めしました。
「母の50回忌が済むまでは、ワシは死なれん」
父の口癖でした。
父が、中国で戦死していたなら、この私はいません。
私の父は、私のすべてでした。
いつも、私は自分の中の“父”と闘っていました。
「お前は、わしらの苦労なんか、全然わかっとらん」
「お寺に生まれたものはな、こうせんといけんのじゃ」
長い、長い、闘いでした。
きょう、安芸教区の親鸞聖人750回大遠忌の法要に
会わせていただきました。
750年という年月を超えて、今の私を、“お坊さん”に
してくださった、大きな力に出会いました。
どうやっても、このオレ様を、坊主にしたいんだな。
よ~~し、わかった。
お坊さんでいいんだろ。
先ほど、坊守が帰ってきました。
「あしたも、着物だって」
「抹茶の接待が本番なんで、みんなと明日も着物にするように
きめました。
明日は、小紋にしようかな」
「それに、記念撮影もあるし・・・・・」
早速、タクシーの予約を入れてました。
私も、きょうのところは、しっかり“お坊さん”をしときます。
でも、明日になったら、
どげえになっとるか、知りませんよ~~(笑
いつも、ありがとうございます
だから、私は祖父の顔は知りません。
父は、4人兄弟の二男に生まれました。
長兄は大学在学中に病死しました。
そして、父は中学卒業後、出征しました。
「中国の真ん中へんに、長沙って町があるじゃろうが」
長沙で敗戦を迎えました。
父のすぐ下の三男は、海軍に志願し、フィリピンで戦死しました。
末弟の伯父は、終戦のときは、東京の大学に行っていました。
学徒動員で戦地に行く覚悟をしていたようです。
そんなお寺を、父の母(私の祖母)はひとりで護っていました。
1945年(昭和20年)8月6日、広島は焼け野原となりました。
ヤケドを負いながら、逃げ延びて斃れられた人たちを、
祖母は、川原に足を運んでは、お経をよみ、火葬の場にずっと
たち続けていました。
二人の子どもを戦地に送り、残された末弟の伯父に、自分の
後を託していたようです。
その年の12月、父は広島に帰還してきました。
「かあさん、元気じゃろうが。
その証拠に、ワシの体には、いっぱい虱(シラミ)が
住みついとる。」
祖母は、涙を流して喜んだそうです。
その祖母は、私が生まれて4歳のとき、1週間の患いで
亡くなりました。
だから、祖母の顔は、写真でしか知りません。
父が30歳のときです。
あれから、六十年経ちました。
父が80歳のとき、祖母の50回忌をお勤めしました。
「母の50回忌が済むまでは、ワシは死なれん」
父の口癖でした。
父が、中国で戦死していたなら、この私はいません。
私の父は、私のすべてでした。
いつも、私は自分の中の“父”と闘っていました。
「お前は、わしらの苦労なんか、全然わかっとらん」
「お寺に生まれたものはな、こうせんといけんのじゃ」
長い、長い、闘いでした。
きょう、安芸教区の親鸞聖人750回大遠忌の法要に
会わせていただきました。
750年という年月を超えて、今の私を、“お坊さん”に
してくださった、大きな力に出会いました。
どうやっても、このオレ様を、坊主にしたいんだな。
よ~~し、わかった。
お坊さんでいいんだろ。
先ほど、坊守が帰ってきました。
「あしたも、着物だって」
「抹茶の接待が本番なんで、みんなと明日も着物にするように
きめました。
明日は、小紋にしようかな」
「それに、記念撮影もあるし・・・・・」
早速、タクシーの予約を入れてました。
私も、きょうのところは、しっかり“お坊さん”をしときます。
でも、明日になったら、
どげえになっとるか、知りませんよ~~(笑
