かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

思考停止状態

2012-10-25 16:47:19 | 坊主・ビー・アンビシャス
お坊さんになるということは、

家業の寺を継ぐということ。

世襲制なんて、社会人になるまでは、

まったく知りもしなかった。

親も、まわりの人たちも、みんな、私が寺を継ぐと

思っている。

お坊さんになったとしても、寺を継がなきゃいいんだ。

ずっと自分に言い聞かせてみた。

大学を出てから、教職の道を選んだ。

平日は学校にいて、日曜日にちょっとだけ、お坊さんをやる。

そんな生活が20年続いた。

生徒たちは、土曜日の日は、気持ちがワクワクする。

明日は、学校休みだもんな。

私はちがった。

生徒たちとは裏腹に、私は気分が重い。

明日は、ほとんど知らない檀家さんのうちへ、

法事に行かなければならない。

どんな法話をしたらいいんだ。

生徒たちは、逆に日曜の夜は嫌だったと思う。

明日からまた、学校に強制出頭させられ、朝から晩まで、

教室の中に軟禁される。(笑

しかし、私は日曜の夜は、なぜか気分が軽いのだ。

法事の呪縛から解き放たれ、明日から学校で、十分な

休養ができる。

学校を辞める2、3年前は、そんな毎日だった。

こんなんじゃ、いけない!

生徒たちと接することで、元気をもらった。

しかし、人間関係のしがらみで、やる気はどんどん失せていく。

50歳の年に、学校を辞めた。


大学を出て、すぐにお坊さんになった方がよかったのかも

しれない。

いや、教育現場で学んだことが、今の自分をしっかり

支えてくれているとも思っている。

どちらかといえば、後者の方を自分に言い聞かせないと、

負け犬になってしまう。


一般社会を経験せず、うごめく時代や「苦」が充満する
生きにくい世界に関心を示さず、寺を継いだ寺の子たち
の多くは、しかし檀家の期待に応える宿命を負わされて
いる。葬儀や法事の際、ふだん宗教とはあまり深くかか
わりをもたない檀信徒や親類縁者に向けて、ほとけの教
えを語らなければならないのである。自分自身が釈尊の
教えの理解や、修行という追体験も十分ではなく、そし
て社会にあふれる「苦」を見ることもなく、ただいくつ
かの経が誦めるというだけで、彼らは法事や葬式を執り
行なう。自分の能力や経験が仏教という巨大な思想を前
にして役に立たないことを自覚することもあまりなく、
それに近づこうとする努力もなく、寺の仕事(家業)とし
て檀家に赴くのである。まともな感性が少しでもあれば
そのジレンマに耐えられないはずだが、そこに行きつく
までに多くはその思考を停止する。

あるいは、その件はスッパリと割り切り「おがみや」に
徹する。そのほうが楽なのだ。そうしなければとことん
自分を突きつめ、追い込み、日常の「苦」と付き合い、
学びを深め、実践する膨大な努力とエネルギーが必要に
なるからだ。  (寺よ、変われ 高橋卓志)

お坊さんになってから、40年近くたつ。

一時は、将来のことが不安で、

スッパリと割り切り「おがみや」に徹しよう

とも思った。

そのほうが楽なのだ。


もしかしたら、今の自分は、

そのときから、思考停止状態のままなのかもしれない。



広島ブログ いつも、ありがとうございます

このブログの“タイトル”「君はまだ、抱いていたのか!!」の意味は、

 こちらから! 


ここ2、3日、頭痛がします。

そして、便秘ぎみです。

好きだったアイスクリームを控えました。

乳脂肪が、逆流性にはよくない食べ物だと思い出し、

最近控えています。

そのせいか、便通がよくありません。(笑
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2 コメント

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お寺 (こったん)
2012-10-25 21:36:05
住職さんも大変だと、この歳になってよく分かります。寺を維持(経営)するに、かっては地主という経済基盤でもって行われていた例もあったと聞いていますが、戦後その地位を奪われ厳しい荒波に放り出されることになった様ですね。家=檀家も不確かな現状、それでもいま寺を維持されていることはご住職の力量そのものではないでしょうか。
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伝統的なものと (kyotode)
2012-10-26 08:30:02
>こったんさん
コメント('-'*)アリガト♪ございます。
伝統的なものと現代的な今様が混在しているのが、お寺の今だと思っています。
伝統的なよさと、現代の制度的なものの不便さ。
お寺を家業と書きましたが、お寺は私の(家の)ものではありません。法人という制度のフィルターがかけられています。
そんな中で、世襲制は厳然と守られている。
本当に、難しいです。(笑
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