お盆前になると、必ずと言っていいほど、
こんな電話がかかってくる。
「すみません。実は、私の娘が嫁いでいる先で、
お母さんが亡くなられて、今年が初盆なんですが、
こちらのお寺さんに、お参りしていただけますか」
「嫁ぎ先のお家の、お手次のお寺さんは、どちらなんですか」
「ハイ、真宗じゃなくて、●●宗とか言ってました。
でも、宗派に関係なく、早く、
遺骨にお経をあげていただきたいんです」
「ご仏壇はございますか。」
「いいえ。仏壇もお墓もまだありません」
「真宗では、遺骨を拝むことは、しないんですね。。
だから、ちょっと、難しいかと思います」
「では、そちらのお寺で、遺骨を預かっていただくことは
できませんか」
・・・・・・・・・・・・・
はたして、どっちがホンネなんだろうと、首をかしげたく
なりました。
亡くなった方の人生は、死んだ途端に、
遺骨という“邪魔もの”に化していくんですね。
おいそれと、
死ねない時代になりました。
きょうも来てくださって、ありがとうございます
こんな電話がかかってくる。
「すみません。実は、私の娘が嫁いでいる先で、
お母さんが亡くなられて、今年が初盆なんですが、
こちらのお寺さんに、お参りしていただけますか」
「嫁ぎ先のお家の、お手次のお寺さんは、どちらなんですか」
「ハイ、真宗じゃなくて、●●宗とか言ってました。
でも、宗派に関係なく、早く、
遺骨にお経をあげていただきたいんです」
「ご仏壇はございますか。」
「いいえ。仏壇もお墓もまだありません」
「真宗では、遺骨を拝むことは、しないんですね。。
だから、ちょっと、難しいかと思います」
「では、そちらのお寺で、遺骨を預かっていただくことは
できませんか」
・・・・・・・・・・・・・
はたして、どっちがホンネなんだろうと、首をかしげたく
なりました。
亡くなった方の人生は、死んだ途端に、
遺骨という“邪魔もの”に化していくんですね。
おいそれと、
死ねない時代になりました。
きょうも来てくださって、ありがとうございます