ファイルノートをパラパラめくっていたら、
永六輔さんの書かれた記事に目がとまった。
1993年3月の某新聞の夕刊だ。
指を折ってみる。
「何年前だ?」
ちょうどそのころ、「脳死」とか「臓器移植」が、ちょっとした
社会問題になっていた時だ。
そんなとき、永六輔さんのお母さんが、脳死状態のまま、
呼吸が止まって亡くなられたのだ。
永六輔さんはそのとき、<臓器移植>のことが気になったと
書いておられる。
もし母が、ドナーカードにサインしていても、
僕は絶対に同意しない、と。
故人の意志を尊重するのも大切だろうが、
死は、故人よりも家族のものである。
ヒトがモノになって、部品を交換するがごとく、臓器が
取り出され、運ばれていく。
嬉しさを押し殺した医師たちが、記者会見に臨む。
ちょうどその頃は、バブルがはじけたころだったろうか。
それでも、経済優先の時代は続いた。
“国会議員も使い捨て!”
“勝ち組・負け組”
ヒトもモノと化した。
ヒトは亡くなってもヒトである。
これが、仏教の真髄であろう。
永六輔さんの書かれた記事に目がとまった。
1993年3月の某新聞の夕刊だ。
指を折ってみる。
「何年前だ?」
ちょうどそのころ、「脳死」とか「臓器移植」が、ちょっとした
社会問題になっていた時だ。
そんなとき、永六輔さんのお母さんが、脳死状態のまま、
呼吸が止まって亡くなられたのだ。
永六輔さんはそのとき、<臓器移植>のことが気になったと
書いておられる。
もし母が、ドナーカードにサインしていても、
僕は絶対に同意しない、と。
故人の意志を尊重するのも大切だろうが、
死は、故人よりも家族のものである。
ヒトがモノになって、部品を交換するがごとく、臓器が
取り出され、運ばれていく。
嬉しさを押し殺した医師たちが、記者会見に臨む。
ちょうどその頃は、バブルがはじけたころだったろうか。
それでも、経済優先の時代は続いた。
“国会議員も使い捨て!”
“勝ち組・負け組”
ヒトもモノと化した。
ヒトは亡くなってもヒトである。
これが、仏教の真髄であろう。