かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

ヒトは亡くなってもヒトである

2011-11-27 09:12:16 | 如是我聞
ファイルノートをパラパラめくっていたら、

永六輔さんの書かれた記事に目がとまった。

1993年3月の某新聞の夕刊だ。

指を折ってみる。

「何年前だ?」


ちょうどそのころ、「脳死」とか「臓器移植」が、ちょっとした

社会問題になっていた時だ。


そんなとき、永六輔さんのお母さんが、脳死状態のまま、

呼吸が止まって亡くなられたのだ。

永六輔さんはそのとき、<臓器移植>のことが気になったと

書いておられる。


もし母が、ドナーカードにサインしていても、

僕は絶対に同意しない、と。


故人の意志を尊重するのも大切だろうが、

死は、故人よりも家族のものである。

ヒトがモノになって、部品を交換するがごとく、臓器が

取り出され、運ばれていく。

嬉しさを押し殺した医師たちが、記者会見に臨む。


ちょうどその頃は、バブルがはじけたころだったろうか。

それでも、経済優先の時代は続いた。

“国会議員も使い捨て!”

“勝ち組・負け組”

ヒトもモノと化した。


ヒトは亡くなってもヒトである。

これが、仏教の真髄であろう。
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