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お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

このまま死んでしまいたい

2009-02-03 23:08:23 | Weblog
「今母と同じベッドにいます。疲れて寝てしまいました。
このまま母と一緒に死んでしまいたいと思ったりします。」


 日曜日、弟からメールが来た。

 老健へ母を見まいに行くと、母は集団待機室?から自分のベッドのある部屋に必ず連れていく。

 そこで何をするわけでも、もともと騒がしい場所が好きでない人ですから。

 悲しいことに「俗な話」が母はできません。

 人と話を合わせることが苦手なのです。


思うけど、、それは罪ですか?
それは良くないことですか?
私は男だから付き合いもあるし、お酒にも誘われる

それでも本心はうんざりすることもある、、、、、おかしくなくても笑ったり、お追従を言わなければいけない、、、、。

 マージャン、カラオケ、酒、パチンコ、野球、ボーリング、、、母は皆できない。

 私も酒は付き合いでしか飲めない、カラオケは歌うのが好きだからやる、、それ以外は実はできない。

 超優秀な男ならそれで押し通せるけど、そうでない私には無理なこと。

 それでも生きていかなければいけないから、参加するけど、「ふり」だけだ。

 ときどき私自身が疲れ切ってしまう。

 母は暗黙に抵抗していたのだと思う。文句や不平を言えない母ですから、それを弟も分かったのでしょう。

 私も弟もこの頃から鬱薬やら安定剤、睡眠導入剤のお世話になり始めた。






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食べて寝る

2009-01-07 22:28:08 | Weblog
 世田谷の老健は本当に三か月で出された、、、、。通算すると、世田谷の老健には合計二回しか母は暮らしていない。
 なぜ他区である目黒に何年もいたのか疑問である。

 母のケースは金にならないとか、、諸々の要素があるのだろう、、、。それは間違ってないと思う。

 介護施設といえども「経営」であるから、、。

 老健での生活は、入浴は毎日ではない、リハビリも週に一回、、しかし個人ではない。集団である。

 老人向けの体操みたいなものである。

 母はこれにも参加しないことが多かった。疲れるとか、、、が理由であるけど、不安と不満があるのだと思う。

 食事、テレビの部屋、食事、テレビの部屋、、、、就寝、、、。

この繰り返しだ、、、、ある日たまらず、

「何だ食べさせてあとはテレビ見させているだけじゃないか!運動もしなし本だって読ませないじゃないか!」

 と怒ってしまった、、、。介護士たちには悪いことをしたと思うが、、それが現実だった。

 母の認知症がどうにもならない、現実を目の前にし、分かっていても施設が完全な個人対応した介護ができないことへの苛立ち、それを理解してない職場、、、、もろもろが爆発してしまった。


 同じ不満は介護必要としている家族は皆持っているだろう。
介護士たちも実は実にふがいない思いで仕事をしてるんじゃないかと思う。
 今の法律ではそれ以上のサービスはできないのだから。

 国が制度を大がかりに変えようとしない限り無理なことだ。





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高額請求

2009-01-06 20:15:05 | Weblog
 世田谷の老健に入所が決まった、、、、

一か月後、、、びっくりしてしまった、、、、。

請求書が、20万を超えていた、、、。
弟からの電話で気がついた。
すぐに施設に電話をすると、

「承知してるかと思いました。個室でよいのかと思い、、、。」

 かなり、カチンと来た、、、、。

「そんなの無理だ、払いきれない、、。」

「やはり無理ですか?、、」

 最初から金額を提示するのが、ビジネスの基本だと思うけど、、、。

 その月の金額を負けさせ、大部屋に入れるよう交渉した。

 思うに、老健が急増した時期、しかも敬語保健法が大きく変わり施設の負担が急増した時期でもある。

 議員や役人にはこうした事実は伝わらないだろう。だいたい、介護や福祉をビジネスにする人たちには、切羽詰まった人たちの生活なんて理解のしようがないだろう。

 職場では、めいっぱい仕事をした。
合唱コンクール、体育大会、みな入賞した、、、。


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風呂で寝てしまう

2009-01-05 22:47:15 | Weblog
2003年、4月

 1年の担任になった。この学年は小学校の時に学年崩壊を何度も繰り返している大変な学年だった。

 でも私はそれでも担任を希望した。かなりき合いもいれた。

 人によっては、私が学年主任だったのに、何で担任を希望したのかそれを恨んでいるかのように思う人もいたようだ。

 思いっきり睨まれたり、、、これは教員だけど、、、、最悪のスタート。

 部活は市内で三位になった。
 
 その後からもう一人の顧問が、部活に出始めた。
 部活保護者会の資料を見て唖然とした、、、

「顧問・・・・・,Y国大学大学院博士課程修了、著書などなど、何とか大会優勝、、、補助者・・・・・何とか大会での選手、、

 私の紹介は名前だけ、、、。」


 N大卒であるのに、教員で大学院に通わせ大学院卒と同乙の扱いをする処置で院卒になっただけだ、、。

 どこの世界に、部活の保護者会に自分の出身大学を書く馬鹿がいるのか、、。

 母を見舞う時間は日曜日にあるかないか、、だった、。

 校長などは、部活が入賞すればそれが自分の評価になるだけだ、、、部活至上主義の変な学校は異常だ。

 体に異変が起こるのもこの頃、、、その翌年に療休に入るのだ、、、。

 風呂で一晩寝てしまうことなど、、、今思うと異常な疲労感。

 三か月などあっという間に過ぎる、次の老健は世田谷区内の施設だった。

 


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元旦、祖父母を呼ぶ母

2009-01-02 17:27:16 | Weblog
元旦の朝、母を一時帰宅させた。
弟は上等のチラシ寿司を用意していた。

ホームを出るとき、職員が玄関で写真を撮ってくれた。

ピント外れだった、、。

でも3人で撮るのは久しぶりだから。


母は家に帰るとそこをどうやら、祖父母の家のように思ったらしい


「ここのご主人はどこにいるの?」

とか、、、

連れ出すとき

「おせち料理を食べに行くよ。」

と話したから、料亭か何かかと思えたのだろう。

それに部屋には祖父から形見にもらった、机や置物、花瓶がある。

食事前に

「お祈りしてから食べるよ。」

と言うと、なんと祈りを始めた

「天の父なる神様、どうかおじいちゃま、おばあちゃまをお守りください。
ここにいませんが、おにいちゃまをおまもりください。」

 ずいぶんはっきりと大きな声だった、、、。

正直びっくりした。

 認知症ってなんだろう、、、、、。長谷川式で10までさがっていたのが3年前、、。

 だのに、とつぜん英語を話したり、ドイツ語も読めたり、、、でも話しはつながらないことがほとんどなのに、でも物事は母の頭の中では一定の理屈でつながってるように思える。


 食事が終わると

「おじいちゃま、、、おばあちゃま、、、」

 とか、突然出てくる。

 いくつになっても人には親は親だ、子は子だ。それを実感した。

 母は懐かしんでるのか、思い出してるのか、、、。

 常に祖父母の体のことなど心配していたから、、、。



 母は5人兄弟の真ん中、姉と兄は早くなくなった。妹は病弱で湯いつの男子は叔父である弟。

 それゆえか、祖母は母をお手伝いさんとともに起こし、家のことを手伝わせることが多かったそうだ。
 
「どうして、眞佐子お譲さまには厚くないのかしら。」

 とお手伝いさんにも言われたそうだが、、、それを母は嫌だと思ってはいなかったようで、兄弟の中ではしょうがない、むしろそのおかげでいろんなことができるようになったと話していた。

 いずれ母は家を出るから、いろんな環境に適応できるよう祖母が教育したのだということだ。

 それが戦後通訳として働くときにも、また婦人会の会長をする時など役立ったのだろう。



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暮れと正月のあいさつにかえて

2008-12-31 17:33:47 | Weblog
 気持ちを抑えきれずに書きだしたこのブログ。

 物議をかもしだすかと思いきや、特に何もない。

 介護の妨害と無理解、人々の対応を知ってほしかった、、、それが母のことを書いた詩にあります。

 それまでの過程、その後、現状はどんどん膨らんできます。

いつか書籍にしたい、、、その思いが強いのです。


 おかげで、テレビで取材される材料にもなってしまいました。

 読んでいただいた方々ありがとうございます。

 明日元旦は、久しぶりに母を家に連れ帰ります。

 心配事もあります。最近はホームに帰りたがらず抵抗もしますから、

「あなたが代わりに帰ればいい。」

 と理解できない言葉で要求してきたりします。

 でも母の家です、正月くらい連れて帰りたいのです。



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裏ワザ

2008-12-23 21:55:14 | Weblog
老人保健施設は民間の施設、、、。
これを公立の施設と思う人が多い、また老人ホームと混同する人も多い。

職場で母を老健に入れたと話すと、

「じゃあもう安心だね。」

 とか言うから、月々これだけかかると話したら

「えっ、福祉って国がやるからみんなタダじゃないの?」

 その程度の認識しかないだろう。さすがにタダとは思った事はないけど当然ながら老健とホームが違うくらいは認識できても細かいことは、経験しないと分からない。

 一人部屋が良いか、大部屋が良いか聞かれた。一人部屋だと閉じこもってしまう、また料金が20万以上する、、、。

 それは厳しすぎる、、、大部屋で構わない。

 なんとか月10万以下にしてもらう。

 次の施設に移ったとき、いきなり19万も請求が来て驚いて抗議したことがある。
事前に金額の提示や説明をしてこないのだから、、、。

 ここは世田谷区なのに、結局2回しか入らなかった、、、どう考えても金の取れる客じゃないからだろう、、、。

 老健は三か月が限度、世田谷区の施設なら区民であれば三か月延長できる。

 後に謎なのだが、世田谷区の施設には三か月滞在が二回だけで、後は目黒区の施設に何年もいた、、。

「こちらでひっぱりますから、、。」

 居場所があるだけでもありがたいけど、府に落ちないが、裏技があるのだろう。  



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老健

2008-12-22 18:36:34 | Weblog
 12月21日はクリスマス礼拝、だけど今年は行かない。
 あれだけ牧師に暴言を吐かれたら行く気にならない。
 あの世代はアラフォーと同じく、人と人との間を苦労無く生きてきている。

 弟が風邪をひいた、母にうつしたくないから教会に母を連れて行ってくれないかと電話したきた。

 残念だが、それはできない。母のところへ一度も見まいに行かず、耳が気こえてないのに、話しかけて理解してると思い、「お元気そうですね。」とか、、、デリカシーに欠ける、、。
 母のことは個人的なことだから、みんなの前で言わないように、、とか、「大した事じゃないでしょ。」とか、そんなところへ連れて行きたくない。

 こちらが悪いわけじゃない、人を怒らせるような言動をされて「はいそうですか」と引きさがれはしない。

 ただ母が気の毒だ、、、教会に身を呈して尽くしたのに、認知症になればさっさと捨て去る。

「そういう話を聞くと、心が苦しいよ。」

 だから話しちゃいけないのか、牧師の私的感情で母の認知症をその介護で、慮休退職して、仕事がないことを話しちゃいけないのか。


・・・・・・・・・・・・・・・

 2003年3月、人事の発表。

「一年の担任」

「介護で休みが多いと主任にできないから。」

 この校長馬鹿じゃないか!

 介護で休みが多い?ふざけるな!学年主任の肩代わりで、リフレッシュ休暇も取れないようになったばかりじゃないか!

 そもそも転勤してきた時、母の介護で以前の学校で主任も放棄してきたと伝えた、今回の人事も自分で「担任」を第一希望で書いたのだ。
 アホじゃないか、こいつは。そいつが3年後、校長会長になってる。

 担任していた方が、仕事的には楽だ。それに32歳で転職したのだ、それが自分の生き方だ。

 だのに、それを自分のせいだと思いこんでいる、だから自分のことを恨んでいると思いこんでいる女性教員もいた。 

 正直言って、社会的にこういう世代というか、性格欠陥者というか、、、隣の迷惑人というか、、、増え過ぎだ。

 老人保健施設は、三か月ごとに移らなければいけない、書類を書いてる間にすぐ次の施設の診療情報提供書を書くことになる。

 とりあえず、目黒の老健だった。世田谷区はいっぱいなのだ。



 






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治療が一切ない

2008-12-18 23:28:56 | Weblog
2003,3月

最初の老人保健施設。


 この頃が一番、介護保険がやたら改正?され事業主、行政、が混乱していただろう。
 ましてや、かぞくは、、、だ。

・病気をした場合は、介護保健の制度上の問題で費用を老人保健施設が負担しなければならない。
 従って一旦、退所していただいて病院に行っていただきます。

・施設内に薬局があるので、そこで風邪や腹痛の薬は調合してお出ししますが、診療ではありません。

・定期的に健康診断で医師が来ますが、治療に来るのではありません。

・これまでの認知症の薬は今まで処方を参考にしてお出しします。

・区外の人ですので三か月しかいられません。


、、、、、、、

 結局ものすごく煩雑で、尋常では理解できない仕組みで、母を入所させることになる。
 
 以来、認知症の治療は一切ない、そのような投薬治療は行われていない、、、、。

 妄想を治す治療もされていない。

「家に帰るの?」

「お引っ越しだよ。」

 母をだますのは何度目だろう、、、もう慣れたが、、、、。

 学校で怒られたことも、買い食いも全部正直に話してきたのが、大うそつきになってしまった。


 

 

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お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。