一月なんてあっという間に過ぎる、、、。
この頃から弟のメールがすこしづつ変化してくる。
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今母と一緒にホームのベッドで寝ている。いっそこのまま死んでしまいたい。
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女性よりも男性の方が母親との関係は切りにくいと私自身そう思う。
私自身がたとえまいっていてもそれを口にできず、それを少しでも言うと
「甘い」「誰でもいつかそうなる」
くらいしか返事がない。
だから余計に人に話したくなかった。
だいたい話しても、早く帰宅させることもなかったし、この翌年に私は療休を取る時に管理職は
「そうかあ、原因は前に我々が来る前にあったんだね。」
これから休みに入る者を前にして何と言う奴だ、心底人が憎いと思うようになっった。
三月、リフレッシュ休暇の期限がせまった。
作年、臨時の担任で取れなかったから、教頭が今年取っていいいと言っていたから、それはみんなに周知されていると思った。
学年で一人、リフレッシュで一週間中国に行く人がいる、
しかし、、、、、私が休もうとしたら、、、
「休む人がいるわよ、私たちも休もうかしら。」
例の遠距離通勤を主張する女性教員だ。
この時学年主任は市全体の進路の担当で、学校にいない、だから私が学校に残れと言う、、、、。
主任にも理由を話したけど、、モゴモゴ言っただけだ、、、。
教頭も校長も、同じく結論を言わない。
私は32で転職した、だから50過ぎて初めてリフレッシュ休暇を取れる、、、。
昨年は部活のも一人の顧問は
「私は権利を行使しますから。」
といい、一週間休んだ、、、その頃私は臨時の担任で母が最も症状の激しい時だった。
後に私の不満を主任は
「あの時は、療休で休んだ先生がいたから他に代理の先生がいなかったしなあ、、、。」
とすり替えて理解している、、、それをまた休んだ先生とか校長に言ったらしい、、、。
ちなみに、私のリフレッシュ休暇を妨害した教員は、二年後に介護休暇を5日間とって自宅の北海道に帰った。その学年の職員旅行が北海道でその後でだ。
嘘がばればれで、要するに3年生を受け持ったから、休んで当然だ、だから介護休暇にして休むということだ。
私の介護を妨害しておいてよくもまあそんなことができるものだ、また管理職がそれを受け入れる神経が分からない。
就職して28年たって一度もその恩恵を受けずにすぎてしまった、、、。母のことでリフレッシュ休暇を使いたいと思っていたのに、、、、、。
ただの一回でも「すみません」の一言を彼らが言わない、だから言うまで私は、その理由を追求する。
そして母の狂った部屋へ来て弟の前で謝罪させたい。
怒りで体中ぶるぶる震えていた、、、。
そのなか、目黒の老人保健施設から電話があった。
「以前お申し込みになりましたが、その後お母様はどこか施設にお入りになりましたか?」
申し込んで8か月後だった。
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