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お母さんピアノを弾いてください

優しい母が認知症、強制入院。介護で体を壊し退職。弟とのメールのやりとり、詩や短歌で介護の現実を紹介していきます。

讃美歌を聞き

2016-04-08 13:56:34 | Weblog
久々のブログ更新、一時全国で50番以内まで入ったことがありましたが。

母の介護をめぐり私と弟とのメールを紹介していたので、それが終わった後、やり終えた感があり、更新もままならなくなっていました。

少しでも介護をしている人の参考になればと思って始めたものですもの。


今母は癌です。大正11年生まれですから、癌宣告から3年も生きているのは不思議です。

母にスマホで讃美歌やショパンの曲を聞かせています。

あの年の女性で、ピアノを弾きこなし簡単な曲なら採譜してしまうのは珍しいでしょう。


スマホから流れるメロディーにかすかに指を動かし、口ずさむような母。

それしか親孝行できないもどかしさもあります。


血尿が出たというので心配で特養に行きました。

検査するだけで体に負担になり、死期を早めるというので、治療はしないと決めたのは3年前、

それでも心は動揺しないわけでもない、自分がひどく残酷で無責任のようにも思ったりします。


もはや母に子も妻も見せられる年ではないのですが、それでもその夢を果たしたい思いは消えません。




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昔の知人が母を訪ねた、

2014-01-27 22:05:09 | Weblog






母を訪ねた。
父と母を慕う、父のお弟子さん二人を特養に連れて行った。

ずっと昔、毎週のように家を訪ね、父のすすめていた国際交流のお手伝いをしていた。
母はもう認証が進んで誰が何のために来たことすら分からない。
でも何か親切にしてくれているんだろうということは理解する。

年賀状で母が癌であることを知らせた、それが今回の訪問になった。

「もっと早くお尋ねすればよかった。」

でもその言葉が嬉しかった。


私たち子どもは出来の悪い不肖の息子、両親には恥ずかしい存在。

それ故に両親を知っている数少ない人たち。

その方たちに訪問していただいたのは、母へのせめてもの孝行だ。

この気持ちは、誰にも理解されないだろう。

私たちのように

5か国語を話す父
特許を7つ持っていた父

3か国語を話す母
曲を聞くとすぐに採譜する母

年間200人の外国人が泊まって行った家庭

その家庭で育つも、学校にいけずに両親に恥をかかせ続けた自分

自分は誰なのか
何者なのか悩みに悩んだ自分


このブログは消えゆくものの足跡だ





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訪ねることの辛さ

2013-11-23 17:06:55 | Weblog
母のいる特養へ

正直告白すると、母のいるところへ行くのが辛くなっている。
夏の納涼祭での認知症の悪化に正直ショックなのだ。

ますます老化は進むので当たり前のことなんだけど、かつて母を尊敬していただけに
今の母を見るのが辛いのだ。

久しぶりに行くと母は最初誰が来たかのような顔をしていた。

辛すぎる。

母は子供の犬の本を与えられていたけど、コーヒーをこぼしてしまった。
体から排泄物のにおいもしていた。

母は雑巾を与えられるとひたすら拭きつづける、、。
まるで、仕事をしてるかのように。

疲れるとうつらうつらする。
頭が痛いと頭を押さえる。

正直泣きだしたくなる。

しばらくすると本を見始めた。
何を言っているのかわからない
ろれつが回らない。
鼻歌も歌っている。

やたら絵本を指でなぜている。


やがてその動きはピアノを弾いている指の動きになった。
鼻歌を歌いながら、ピアノを弾いている。
何の曲かはわからない、

はっとした。
音程がかすかについている
それは分散和音だった、、、。
ピアノはその動きにあっていた、、、。

母の鼻歌は、ピアノの分散和音の練習曲なのかもしれない。
あるいは何かの曲の伴奏譜なのかもしれない。

母の中の本来の母がまだ生きていたのだ。

母は91歳、癌である。
癌を体に入れながら、ピアノを頭の中で引きつづける母がいた。


「また来るよ」
そう言って僕は去った。


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癌告知から、母のいる特養での納涼祭

2013-07-30 13:30:54 | Weblog

7月28日(土)

母のいる特養で納涼祭。
その日は撮影会があったので、アルバイトの方にお留守番を頼んで弟と一緒に行く。

母は癌である。

弟も私も手術をさせない。
手術は母の命を縮めてしまうし、痛みも伴うから、、、、


最初は母は上機嫌であった。
しかし、1階に下りてお祭りを見ていたがうとうとし始め
焼きそばやお稲荷さんを購入して母の所へ持って行ったが、食事をほとんどしない。
その日はお祭りの食事が夕飯になるので、食べないでいる母が心配になった。

そのうちに、焼きそばを手づかみで食べ始めたり、お茶をお汁粉にかけたり
付近を食べものの上にかけたり、落ち着かなくなった。
車いすから無理に立ち上がろうとして、足を挟んでは痛がり、

弟とお祭りはあきらめさせることにして、母の居住スペース4階まで連れて行った。

介護士さんにはなすと
「天野さん用のおせんべいがあるから、おなかがすいたら食べさせます。」
「天野さん、後で一緒におせんべい食べようね」と言ってくれた。

ありがたかった、、、。

母を強制入院させたのが2012年7月30日、、、あれから11年、母は家族よりも施設の人の言うことを聞く。
母は家庭を離れて11年、施設が終の棲家、、、法律上もそうである。


親孝行できない自分を悲しくてやりきれない。
どんなに時がたとうと悔しいことは悔しい、悲しいことは悲しい。

職場も偉そうな評論家、評論家気取りの人は必ず
「誰でもそうなる」
「お前は大げさだ」
「何で面倒自分たちで見ないのか」

およそ人権など無視した発言をする人は、学校でも、教会にも、福祉のNPOやボランティアの連中の中にもいる。

福祉や人権などに関わってこず、大企業を退職してボランティアを始めた人たち
お金持ちの奥さん連中には、必ず上から目線で話す人がいる。

人助けと言いながら、それが本当は人助けになっていなかったりする、、、

厳しい言い方だけど、そういわざるを得ない場面はたくさんある。
箱物ものへの補助金、なんかの行事の補助金
それ目当ての団体、、、、。
活動することはいい、だけど、その活動をすることでうぬぼれてしまう
勘違いをしてしまう人もまたいる、、、。


お前は、おれの上司じゃない
お前たちは、今まで職場で部下に療休や介護休暇をちゃんととらせたか
いじめを見て見ぬふりをしてこなかったか

自分も人の子だから完全じゃないから人は責められない
だけど、いじめと同じく、介護にかかわったことがないものに軽々しく
指示的な発言をされる所以はない。


難しいけどそれが現実だったりする。
この十数年、本当の友はだれか、本当のやさしは何か
学ばされた月日だった。







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熱が下がり本を読んでいる母

2013-06-18 21:03:48 | Weblog
特養から電話、、、。
かなり緊張した自分がいました。

「熱は36度まで下がり、食事もよく食べ、昨晩は良く寝ていました。」

「ああ、安心しました。」

思わずその言葉が出た。

添え木をしているので、普通の上着ではきついので、作務衣か甚平が良いでしょうか、
でも甚平だと寒いですね。

と話したら、ユニクロのエアリングという下着のXLを勧められた。

ドンキで甚平二着と、ユニクロで下着二枚を買い、特養に行く。

母は写真集などを与えられ見ていた。

母の話す言葉はもう聞き取れない、くらい発音が不鮮明。

耳が悪くなっているので、母は自分が話す言葉が正しく発音されているのが聞き取れない。

それで話し言葉が分かりにくくなっているのだと思う。


でも今日は写真集を手にしているので

「秋篠宮」と発音しているのが聞き取れた。

まだ字は読めるのか、、。それはうれしい。

母は皇室が好きであったし、有職故実も好きだった。

若いころ母は民俗学も好きで、それは金田一京助に国語を習ったからだという。





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骨折したのに放置だと、、、冗談じゃない!

2013-06-17 14:36:02 | Weblog


母を手術すると言うので病院へ行ったが、あまりにもひどいドクターの対応に怒りが消えない。
twitteerでつぶやいたことをまとめました。


天野幸道 ‏@tetsuwanamano 4時間
これから母の骨折の首相、腫れは少しは引いてるかも


天野幸道 ‏@tetsuwanamano 2時間
母のことで病院に頭にきた。思わず待合室で声をあげた、最低の医者め

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 2時間
母を手術するから、付き添ってくれと言われ、施設の職員と病院に行った、。
手術するとしたらこうだああだと言い、からだの負担になる、と言われた。

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 2時間
癌の手術は兄弟とも望んでいないので、体に負担のあることは希望しないと話すと、骨折と癌日脚が別の話なで、とかそんなの分かってるら、それを踏まえて、骨折の治療について今、話してんだろうが、、、こいつ何聞いてんだろうとかちんときた。

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 1時間
手術をしない場合、どんな治療をするのかと聞いたところ、前の骨折の時も自然治癒させたから、今回もそれで、とか言われた。腕がパンパンに腫れているのにですよ

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 1時間
ともかく医者は早く追い出したいのか、そればかりだった。最後に名刺を出すと、ああそんなのもらってもしょうがないし、まあカルテに貼るだけだし、とか、、、待合室、私、ぶちきれました。なんだあのドクターは!

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 1時間
普通の保険なら、ちゃんと治療薬も出す、介護保険だと病院がわかま負担が多くなるからだろう!、とわめいておいた、受付が固まってた

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 33分
Kツイッターけの返信:とんでもない医者ですね
Kへの返信:区の協力医院ですよ、考えられませんよ。バリアフリーになっていない病院もあったりします。

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 22分
特養に帰ると、「手術はしなかったんだ」と職員が話していたから、洗いざらいぶちまけました。看護士さんが血中酸素濃度と脈拍を測定、検温もした。
「それは血中酸素濃度ですね。」と私が聞いたら「そうです。」と答えたので、「私は無呼吸があrうのでそれはよく使います、」と話した。

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 21分
血中酸素濃度は95が標準なので、低い、高齢者で腕が炎症してるから体内の酸素をより使っているのだろう、そう聞いたら「そうです。」と答えた。

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 18分
熱は38度、、、医者は検温しなかった。それで手術しないと判断した、怠慢としか言いようがない。単に手術を受けさせなくてもいいという言葉を聞き出すために呼び出したように思える。

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 15分
特養の相談員さんが来た。担当は6年ほど担当されている親切な人なので、こちらも落ち着いてきた。こちらがなぜ不満をもったかを話したところ「他の協力医院や近くの私立の特養を運営している病院もあります。

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 14分
「お母様のからだの負担もあるので、落ち着いたらセカンドオピニオンを得るためにも別の病院も受信してはどうでしょう」と話してくれました、私も「今夜様子を見て、弟と相談し、その方向も考えます。と話した。

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 10分
http://blog.goo.ne.jp/atom2008/d/20080402 …母のことはこのブログに書いてます。これを最初から読んでいただければ、いかに今の介護制度が問題だらけだとわかるでしょう。

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 7分
区の協力医院なら、なおさら言葉や問診にDr.は時間を割き、また納得のいく診療を心がけるべきである。
協力医院という肩書がほしいだけなのか、それにより収入を増やすためにだけ指定されているのか、本当は面倒くさいと思っているのか、他にも私のように不快な思いをした患者や家族もいるはずだ。

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 4分
あとではぐらかされないように、「ぼくはこのことを書きますから」と特養でも話した。普段は穏やかなつもりだけど、上から目線で偉そうに話す輩にはつい、昔の癖が出る。、、、つまりやり合ってしまうのだ、、、、普段は冗談もいい、あほなことしてる、だけど、こうした輩には抵抗する、大人げないなあ

天野幸道 ‏@tetsuwanamano 2分
特養の人たちが母の包帯をかえたりしてくれた。 pic.twitter.com/CR40rWKDoY



母に処方されたのはロキソニンという痛み止め、、、「これ私も整形外科で処方され飲んでます、筋肉の痛みを和らげる薬ですよね。このような大きな腫れにも有効なのでしょうか?」と聞いた。私は、厄介な人かもしれない、、、

憤りが抑えきれない日だった。


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母の骨折

2013-06-15 13:47:33 | Weblog
母が転倒して左、尺骨を骨折。
ことしに何度も転倒、、、気が気じゃないです。
母は若いころ、家に来る外国人のお客様の世話ばかりしてたから、何かをしてたいのか、しょっちゅう、カーテンを閉めたり、窓を開けようとしている。

祖母が年老いても矍鑠としていたので、妄想を抑える薬で自分は衰えていると、副作用の出る薬を飲まなかったり、
それでなおさら動くようにしていた。

母の本能に死を避けたいという思いもあるのだろう。


月曜日母の付き添いで病院に行く、そのまま手術入院だそうだ。

がんの手術はしないことにしたが、、、骨折の手術はする。

以前は、骨折しても体力を考えて自然治癒させるといって痛み止めも出さなかった。

病院のやることは分からない。







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母は癌

2013-06-13 16:31:22 | Weblog

母の介護保険証をコピーするため特養に行った。
職員の方が、
「今日お時間があれば、このあいだの検査結果について、
 こちらのドクターからお話をお伺いできますが、いかがですか?」
と言われた。

検査した病院で話を聞く前に、特養のドクターからもということでした。

話しは

「尿道に腫瘍があり、出血してました。エコーやCTスキャンをしましたが、
 ほとんど、がんと言ってもいいでしょう。
 完全な診断をするためには手術をする必要があります。高齢であるから本人の体にも負担がかかるでしょう。
 どうするか、ご家族で話し合ってください。」

ということだった。私は

「腫瘍とは聞いていたので、それを切除する手術に関しては、兄弟とも母に苦痛をあたえたくないので、受けさせたくないと話しています。
また母は元気な頃

『植物人間にはなりたくない、もしなったら延命治療しなくていいから』

と話してました。ですから、手術のような負担を与えたくないので私個人は手術は受けさせたくない。
私もボランティアでお年寄りにパソコンを教えていましたが、90過ぎて、手術された方は、1年以内にほとんどお亡くなりになります。
高齢者に手術が負担になることも知っております。

ただ、がんという言葉は今初めて聞いたので弟と相談します。しかし、彼も同じ判断だと思います。」

と答えました。

弟にCメールしました。
「自分も母に苦痛を与えたくないから、手術は受けさせたくない。」
とのことでした。

医者の話では、

「1,2年か、3,4年先かわからないけど今は出血もない。」

「放置したら母は苦痛を得ますか?」

との問いには

「痛みはないでしょう、尿道の癌により、やがて2つの腎臓のうち1つがだめになり、
片一方の腎臓がしばらく2個分の働きをするけれども、それは高齢者には負担になり、やがて肝臓も悪くなる。
血がきれいにならないので、やがては死亡する。」

とのことでした。

寿命です。

これかはらこのブログは、母の笑顔をたくさん載せていきたい。

亡くなるまでこのブログで書いていきます。

母には妻子を見せたいと祈ってきたが、それはかなわない夢だに終わるのだろう。

さすればそう覚悟するしかない、、、それだけ無念で親不孝と思う。










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母の症状

2013-05-20 21:04:40 | Weblog
母のいる特養から電話、弟が受ける。
母の尿道に腫瘍、手術するかどうか、母は高齢なのでは母にはきついことでしょうとも。
一度ドクターと家族とお話をということ、、。母は元気だけど、覚悟するときなのだろう、、、
ああ親不孝者、妻子もなく孫を見せることもない。


2002年7月30日、母を強制入院させた。
私は家庭裁判所で成人保護者となった。
利口で美しい母、小学校から英文科まで首席、音楽を聴くと採譜し、行ったことのない街のことを詳細に話し
外国人を驚かせた。

私は鬼っ子だ、、、。

戦争や震災で家族を亡くして何十年もたっても、忘れられない様に私もまた
家族の幸せだったころを忘れられない。

母のことを知ってもらいたくてこのブログを起こしたのだもの。
本当はこれを早くに本にしたかった、、。











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母のところ

2013-04-16 18:30:12 | Weblog
母のところに行った。
母は今日は大人しく座っていた。
母は何か聞いても耳がほとんど聞こえないし、
話しても、ろれつが回らず、何を言っているかよく聞き取れない。
母は自分が話してる声も聞こえにくいから、発音がどんどん落ちてきたのだろう。

世の中には声が小さいとか、聞こえないとか、小ばかにして話す人がいるけど
あれは、良くない。
ますます人を委縮させるだけだ。

それぞれに理由があるのだから、、、。

これからは行けるときにできるだけ行こうと思う。

弟に兄と教会に連絡しておいてくれと頼んだ。

兄からのCメールはどうも姪っ子が代わりに打ったようだという。

絵文字が使われているのだ。

兄貴とも仲たがい何十年、、、そろそろ和解しないと、、。
20年ほど、兄貴は血液感染症で、元気がない。

人の一生は真に分からないものだ、、。

母は途中で眠り始めた、、、高齢者特有だ。
最後は苦しまぬよう、過ごしてほしい。






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お母さんピアノを弾いてください

タイトルとなった「お母さんピアノをひいてください」は抒情文芸平成13年春季号に掲載されたものです。 オリジナルモジュールで設置したので、常に上に来てしまうのですが、詩の形が崩れてしまいます。 妄想の中に一日いて おびえ閉じこもる母よ 死ぬほど私は辛いのです 小学生から大学まで首席の母 数カ国語を話し、独学で弾くピアノ 簡単なメロディーはすぐに採譜してしまう母私には できすぎた母だった 高等文官の娘に生まれ 私にも明治流の武士の作法を教えた母 母よ、あなたは私には重かった 父が浮気症でなかったら あなたはもっと幸せでおおらかに私を育てたろうに 悲しみとやり場のない怒り 私はもう子供じゃない 母には私はまだ十五の子供に見えるらしい 二度目の童子となった母 母を悲しませまいと自分を殺して生きてきた少年時 代、青年時代 母よ時には恨みもあるのです 私は普通の人なのです、あなたの家族のようなエリ ートにはなれません それもあなたの悲しみの一つです 私は独りです、それもあなたには悲しみですか 両親の不仲が私を学習に集中させなくなったほとん ど上の空の授業、とうとう不安神経症になった私 荒れた少年時代、机も椅子もよく投げた 立ち直らせてくれたのはあなただった 母よそのあなたが目の前で狂ってく なぜ、なぜ、なぜと叫ばずにおられない 心優しき弟はけなげに母をいたわり料理を作る 他の親族は己の主義に走り、以来家には無関心 挙げ句の果てに「お前達でやれ」とはそれがあなた の主義が出した正義ですか 私だって弱いのだ、いや本当に私は弱いのだでも仕 事でも、家でも強い自分を演じてきたそうしなきゃ 誰があなたをはげませたでしょう 私の救いはどこにある 私を慰める人はどこにいる 二度目の童子となった母 もう一度ピアノを弾いてください 私は歌うから、、、、、、。