だんだん母のことを書かなくなった。
親不孝と思う。
正直、同じ世田谷区でも母のる特養へは電車で1時間30分かかる
車なら30分。
面会時間も制限されているわけで、そう簡単に毎日行けるものではない。
また自分自身の心からして、べったりになることは精神状態に良くはない。
また母の体調を考えると、そうこう出入りさせることが必ずしも良いわけではない。
以前は一か月に一度連れ帰ると弟も話していたが、とても無理だった。
夜中に徘徊するので、マイナス効果だった。
お盆とクリスマス、正月に連れ帰り、母を教会に連れて行ってたが、
連れて行くたびに
「お元気そうですね。」
のことばに傷つけられる。
挙句の果てに牧師に
「いいか、お前のような奴は、若い人の言葉で何というか知ってるか、
ヒガモというのだ」
にブチ切れた。
耳が遠いのだから、何でもかんでもうなづく、それを理解していると勘違いしてる。
この10年間母を訪ねたものは何人いるというのか、、、。いやしない。
療休2年したこと、酸素ボンベを6年前まで引いていたこと、それが大げさに言っていることなのか。
だれでもあることなのか。
くるしいのみな同じですとまあ、よく言えたものだ。
どうも思い出すといつも興奮してくる、、、。
スタジオにしてるもの、両親が外国の人を無料で年間200人も何十年にわたり宿泊させた場所だから、
いつ何時母を連れ戻さなければいけないから、出て行ったときと同じ状態で使用するようにするには
この道しかなかったのだから。
それを楽でいいだろうとか、人に留守番させてどこかへ出かけられていいな、とか
起業じゃない、、、とか、大企業に勤めていた課長クラスの人ほどそういう言い方をする。
重役になると、見方が変わってきて、「おもしろい!」と言ってくれる。
面白いというのは、他には若い人や外国の人だ。
素でものを見るということは、大事だとあらためて思った。
・・・・・・・・・・・・
横道にそれた、、、
母を特養から連れ出すのに一苦労、
「出てはいけない」「行きたくない」
施設から出ることを日頃禁じているのでそれがもう反射神経で躊躇させるのだろう。
「ごちそうを食べに行くよ」、「汽車に乗るよ」
とだます。
車は家の前ぴたりと横付けし、門を開けてから、車のドアを開ける。
ご飯をてべてるときはし合わせそうで、鼻歌など歌う。
弟は1万円のおせちを買ってきた。けなげな弟で、母のために出費をいとわない。
母の好きなかりんとう、マシュマロ、麩菓子を用意した。
むかし母が宣教師の家で食べたマシュマロは当時としてはハイカラでおいしかったものなのでしょう。
私が英語で賛美歌を歌うと、母の指がピアノを弾くしぐさをする。
本当は本物のピアノを毎日聞かせたい、、、、。
返す時がまた大変だった。
「おかあちゃまはいかない」「あなた方が代わりにいけばいい」
今度はむかし妄想で家を乗っ取られるという考えがあったから、それが出てくる。
最後は抱きかかえて車に入れる。
それでも去年よりは、程度は軽いが、、、。
特養につくと、足から紙おむつが出ていた。
自分でトイレに行ったとき、うまくとめられなかったのだろう。
1枚400円で10枚セット、、。
貧しい人は施設も入れない、おむつも介護もない、、、、こういう政治にしたのはだれか?
それでも役人は動かない、、、。
企業は何億もする施設をつくるが、従業員の給料は微々たるものだ。
だから老々介護なるものや、外国人介護士を入れようとする。
介護士の給料を上げるが先決だ。箱モノはいらない。
特養に戻ると、ほとんど身内の人も来ておらずy、4階認知症の部屋は、老人たちがテレビの部屋で座っているだけ、、、。
これが現実だ、、、。
夫婦ならば、正月と言えどもそこに来れる体力がなかったり、
息子、娘たちは、それぞれの家庭がある、正月休みくらい自由に家族と過ごしたいと思うだろう
、、兄弟姉妹ならばなおのこと、高齢者だから無理だ。
この一日だけでいろんなことがわかる日だ。
お役人、政治家、どうか正月に特養を訪ねてください。
きれいごとだけ言う人どうか来てみてください。
応援クリック↓お願いします。
リンクタグ: 人気ブログランキングへ