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POP LIFEwww.wb.commufa.jp/atl-pop

春日井市の絵画教室、あとりえPOPアートスクールの教室風景や内容を中心に、アートについて広く記事にします。

ケンタッキーフライドチキン

2013-12-28 13:35:36 | 日記
幼稚園の頃からの幼なじみがいます。

当時は、顔をみればケンカばかりしていたものですが、それでも、とてもウマが合ったと言いますか…
夕暮れは「ぜっこーだ!」と別れても、せっかくあげた誕生日プレゼントを「もうかえせ!」と奪って帰っても、翌日はつい遊んでしまうという、そんななくてはならない友達で、いつも一緒に悪いことばかりしていたのを思い出します。

フィギュアの高橋大輔と、布袋寅泰を足して2で割った感じなんですが、目は菊池桃子みたいです。

そんな顔をしているからなんだ?
いや、特に何でもありませんが、現在関東在住の彼は、10年近く前までは、勤務の都合で名古屋に住んでいて、よく飲みあかしたものです。

その彼が、帰省ついでに(現在実家は岡山)名古屋に寄るという事で、東山の飲み助夫婦と忘年会をすることになりました(今は私より仲がいい飲み助夫婦^_^)。

だから何だ?
いや、これも特に何でもないのですが、それでちょっと思い出したことがあるんです―。

忘年会は、この一年にあったことを飲んで忘れて、新しい年を迎えよう!という決起集会みたいな感覚なんでしょうか? 私は、普段から「その日にあったことを忘れよう」と決起しながら飲んでいますので、忘年会に特別な感情で及んだことはありません。

でも、今年はいつになく、飲み会ではなく「忘年会」を仲間でやりたいな、とずっと思っていてたのですが実現せず、諦めていたところで今日の話になり、とても嬉しく思っています。

私にとって、今年は「ある出来事」以外に特筆することはありません。
喜怒哀楽。悲喜交々顔色を変え、浮き足立つような事は例年よりたくさんありましたが、この出来事に比べれば、その他沢山でくくれてしまうことばかり。

その特筆すべき「ある出来事」とは、友人との死別です。

このブログでも何度も書いてきた華丸先生こと、すずきせいや君。
仕事のパートナーであり親友の死でした。
博多華丸大吉の華丸と、彦磨呂を足して2で割った感じの顔を、屈託なく満面崩して笑う男でした。

そんな顔をしてるから何?
何でもありません。

その親友を亡くした出来事と、ある程度落とし前をつけてきた今、誰かと話をしたいなぁ。と思っていたのです。
それは私だけかもしれませんから、例えば共通の友人はいても、私から忘年会を企画して、誘うつもりなど全くありませんでした。

だから何?本日来る幼なじみど関係があるのか?
はい。あるんです―。

あれは、今から28年前の大学受験です。
私は、中学入学と同時に、転勤で東京に移り住んでいた幼なじみを頼って上京しました。
親戚もいたのですが、どうしても懐かしい友達に会いたくて、頼んだのでした。

そんな時、せいやも知人を頼って上京していたのです。
彼が身を寄せたのは青山一丁目駅目の前のツインタワービル、地下にある邸宅。

私は、幼なじみと受験の合間に古着屋を回る途中、せいやと待ち合わせをして、その邸宅にお邪魔したのです。

近未来でした。
地下へ行くエレベーターがフワッと開いたら、大理石の通路を渡り、突き当たりの扉の向こうがそこでした。

仕事で主がいないその邸宅で、カチカチになっていた私たちに、せいやがチキンを振る舞ってくれました。

そこへ帰ってきた主のマーク・○○○スキー。
今では大手証券会社副社長で、ハリソン・フォ○○と同じコンドミニアム、隣部屋に住んでいるマークが、開口一番「ケンタッキーフライドチキタ~ベタノ?」と親指を立てたのでした―。


だから何?
はい。
生まれて初めて「ガイジンが話す日本語」を生で聞いたのでした。
(・◇・)

たぶんそれからしばらく、その幼なじみとせいやと私「ケンタッキーフライドチキンタ~ベタノ?」が頭にこびりついていたような気がします。

幼なじみとせいやが会ったのはたった一度。
たったそれだけの関係で、今は覚えていないかもしれませんが、今日久しぶりに「ケンタッキーフライドチキンタ~ベタノ?」と、幼なじみに聞いてみようと思うのです。

それくらいがちょうどいいかもしれませんね。
それくらいで、今年はアイツを忘れようと思います―。

私は本日が仕事納めになります。
終わり次第お店に駆けつけるつもりですが、どうやら雪が降るようですね。
ホワイト忘年会。

どうなることやら(^_^)


※ミワシンへ。
この思い出の映像に、ミワシンが出てきます。
しかもすごく流暢に「ケンタッキーフライドチキンタ~ベタノ?」と話します。
なぜだ?

クリスマス・イヴ

2013-12-24 12:07:47 | 日記
一年前のクリスマス・イヴは、20時ちょうどに仕事を片付け、クリスマスな街の喧騒を縫うように、待ち合わせ場所に向かっていました。


ピザを運ぶサンタが横を走りすぎ、時に追われる背中に向かって「安全運転」を心で語りかけた時、まさか自分の車の横腹をぶつけられるなんて、これっぽっちも思っていませんでしたが、これは本当の話で、去年の今日は、そんなついてない夜でした。


今年のイヴは、仕事を18時半に片付けて、待ち合わせ場所に向かいます。

そこは勝川の美容室アグリー。
「アグリークリスマス展」の搬出です。

慌てないで行こう。
安全に行こう。
サンタには会わないようにしよう。f^_^;


終わったらコンビニでチキンでも買って食べようかな(^_^)


「アグリークリスマス!」
は、本日で終わります。
お時間が許す方は、観るだけでも構いません。
是非お越しくださいませ。


追)
私の作品を買ってくださったYさん。地図はもらいました。
明日サンタの格好をしてお届けします。
(^_^)


※写真は世界一大きなクリスマスツリー。
でも私はもっと大きなツリーを知っています。
誰にも教えませんがね(^_^)

君に伝えたいこと

2013-12-22 14:38:06 | 日記
君に語る言葉を聞いて欲しい。


名声や、地位を持って天国に行くことができないならば、大切なことは、この地上で「どのように生きるか」ではないだろうか。

楽しい。苦しい。
様々な感じ方こそあれ、自分に与えられたこと、自分が「それをやるべきために生まれてきた」と言えることをやり遂げる。
いや、それを探し続けることこそが価値であり、自分が生きた証しになるのではないだろうか。

これはなんとも偉そうで、軽薄に過ぎ、安っぽくつまらない「ただの文章」なのだが、例えば僕自身にあてはめると「絵を描くこと」を人生の軸に据えて、日々、日常の中で感じながら、精神の成長と共に作品を描き、肉体の衰えとともに作品を生む。
これが全てだと言いたいんだよ。

ここで言う「日常、精神の成長、肉体の衰え」は、人として繰り返される営みや、当たり前の理を指し、これらが「絵を描くこと」の糧となるはずだ。

表現することに身を置く決心をした人間の結果とは、小さなことの繰り返しの中でしか生まれず、発表を繰り返し、今をキチンと過去にしていかない者が、夢物語に翻弄されて、机上の空論を展開させることに力を注ぐことは、何の意味もないと思う。

早い遅いはない。
でも、人生が有限で、終わりに向かってのみ進む道である限り、確実に今が一番早く、明日は今日よりずっと遅い。

この年だからこそ思う。
ここまでやってきたからこそ思う。

「夢を語るな」とは言わないが「現実から目を逸らすな」とは言いたい。

「近道を探すな」とは言わないが「遠回りを拒むな」とは言いたい。

「要領よく生きようとするな」とは言わないが「地道な努力を笑うな」とは言いいたい。

「成功者を羨むな」とは言わないが「他人と自分を比べるな」とは言いたい。


「なぜ絵を描くのか?」と「なぜ絵を描かなくてはならないのか?」という2つの問いは、似て非なるもの。
描かなくてはならないとは、誰も言っていないのだから。

君が描くべき者であると、与えられた賜を信じるならば「描くことの本質」を生涯自問自答するしかないはず。
他人ではないはずだ。

なぜ「描く理由」ではなく「売れない理由」を考えて嘆くのか?
なぜ「描きたいもの」より「売れるもの」を一番に考えるのか?
なぜ「自分の評価」より「他人の評価」に重きを置くのか。
なぜ自分の作品を「自分ではなく、世に寄り添おう」とさせるのか?
迎合させるのか?
そのために必要なことをリサーチする時間があるならば、君はもっとやるべきことがあるんじゃないか?


《君が優先することは結果ではなく、プロセスではないか?。作品も生き方も。》

君にこの言葉が届くだろうか?
君にこの言葉は響くだろうか?
君次第だ。
これを読んでいる君と次に会う時に、僕たちはいったいどんな話をするのだろう?
それが今から楽しみでならないよ。

それから、今日は敢えて上からの口調であることを許してもらえたら嬉しい。
きっと今、君に強く言えるのは僕で、君はそれを、僕に求めているはずから。

あ、そうだ。
最後に。
僕が一番好きな絵は、僕の絵だよ。

君は君の絵が好きかい?

来年の君が、正しく元気に苦しみますように。

心から祈ります。

ではまた。

Hallelujah

2013-12-19 21:20:14 | 日記



ヘブライ語でハレル(ほめ讃えよ)ヤハウェ(ヤハ…神)
これが合わさり「ハレルヤハ→ハレルヤ(主をほめ讃えよ)」となります。
これは、キリスト教の祈りの最後につける言葉「アーメン(もちろんや、同意しますの意)」と同じように、ヘブライ語が残った祈りの言葉です。

その「ハレルヤ」
我々クリスチャンは、クリスマスに、ヘンデルのオラトリオ「メサイア」を歌いますが、これはクリスチャンではなくとも、誰もが知っている「ハレルヤコーラス」です。

本日ご紹介するハレルヤは、その神聖な聖譚曲ではなく、所謂ロック、ポップス曲の中にもあるハレルヤ。

それは、レナード・コーエンの数ある名曲の中にあります。

『ハレルヤ(主をほめ讃えよ)』

レナード・コーエンの、嗄れ声はあまり好きではありませんが、この曲は非常に素晴らしいと思います。

また、この人も好きにはなれませんが、かつてU2のボノが「世界で最も完璧な曲」と称し、カヴァーしていました。
はい。例え好きではない人の言葉でも、私も、それに激しく頭を振って同意したくなるほど、この曲が好きです。(確か以前も別の曲を紹介する際に、似たようなことを書いた気がしますが…f^_^;)

この曲を、沢山のアーティストがカヴァーしていますが、その中で特に心を揺さぶられるのが、ジョン・ケールのハレルヤ。
これは、映画「バスキア」のサントラで聴くことができます。

それから、ジェフ・バックリーのカヴァー。
デビューして数年で水難事故死した天才、天使の歌声によるハレルヤhは、アルバム「GRACE」に収録されています。


クリスマスが近くなると、あちらこちらでクリスマスソングが流れてきます。
賑やかで煌びやかですね。

クリスマスは、神様が我々人間に、ひとり子イエス・キリストを授けてくださった日。
イエス様が地上に降誕された日です。

今は待降節(アドベント)
イエス様の誕生の日を、祈りながら待ちわびる期間。
本来我々クリスチャンは、どちらかといえば静かに、粛々とこの日を祝います。
しかし、寒い季節に、キラキラ輝く街を歩き、音楽を聴いていると、いくつになっても宗教とは関係ないところで、心はウキウキするものです。

そんな冬、特にこの時期は「ハレルヤ」を聴いていると、気持ちが落ち着きます。
何度も何度も聴いていると、落ち着きすぎて落ち込みますが…。

それでも聴いている「ハレルヤ」コレクションに、新たなカヴァー曲が加わりました。

それは、こちらも僕が大好きなミュージシャン、大橋トリオの新譜「MAGIC」の中に収録されていたのですが、本当に静かな静かなピアノの弾き語りで、ウッドベースとの絡みが絶妙なアレンジが施されていて、体の内側に響いてきます。


「it's a cold and it's a bloken Hallelujah」
(それは冷たく壊れたハレルヤ)
耳に残り、胸に響き、頭を回るフレーズです。


もうすぐクリスマスです。
やれ忘年会だ、クリスマス会だと、大人も子どもも忙しい年末。

そんな浮き足立つ時だからこそ、静かに音楽に耳を傾け、平静を取り戻すことも大切な気がします。

本日は、私のクリスマスヒーリングアイテムをご紹介しました。

興味がある方。
よろしければ、お暇な時にでも聴いてみて下さい。

YouTubeでしたっけ?いい時代なようです。


※写真は上からレナード・コーエン、バスキア、ジェフ・バックリー、大橋トリオのアルバムジャケット。

スノーマン

2013-12-13 16:37:52 | 日記
「スノーマン」といえば、私が大好きな漫画「風が吹くとき」の原作者、レイモンド・ブリッグズのもう一つの代表作のキャラクターです。 どちらかといえば、こちらがメジャーでしょうか。

さて。
このスノーマン。
欧米諸国では、日本のように、玉を2つ重ねたものもあるようですが、実際3つのものが主流なのだとか。4つ5つなんてものもあるそうです。
2つ重ねに見なれた私は、どうにも多重は気持ち悪いのですが、皆さんはいかがですか?

太古より、世界中で骨や石を積んで、ひとがたを模した歴史があるように、雪が降る国では、雪を積んで人形を作る遊び、もしくは慣わしが各国各地に存在するのは納得いきます。
「雪男」の伝説が残る欧米諸国は、背を高く見せるために、いくつも玉を重ねたのかもしれませんし、日本の場合は「雪達磨」と名付けた時点で、2つ重ねに限定されてしまったのでしょうか。

彫りが深い国の「スノーマン」は鼻が赤い人参で、いかにも我々から見た「外人さん」ですが、まったり平らな我々のような国の「雪だるま」は、たまに鼻を忘れられてしまいます。

なんて考えていたら、面白い作品を思い出したので、ご紹介しましょう。(写真)
歌川広重の版画です。
とってもかわいらしくないですか?
(こども生徒は‘キモイ!’とひとこと)
これが「絵で見られる日本で最も古い雪達磨の絵だ」と昔習ったのを、思い出しました。

昨晩は一宮名鉄内にある文化センターの授業でした。
毎年この時期、名鉄一宮駅屋外コンコースには、巨大雪だるまイルミネーションが登場します。

昨日は写真を撮り忘れてしまいましたが、私の中では、毎年この雪だるまを見ることが、クリスマスまでのカウントダウンの始まりなんです。理由はありません。

一説では、この冬は寒さが厳しく、例年よりたくさん雪が降るのだとか。
もし、雪だるまを作る機会があれば、4つ5つ重ねて「森のおばけ」みたいな雪だるまを作ってみようか、なんて思っています。
(^_^)


※写真の広重作雪だるま。雪だるまにも雪景色にも「白」は使われていません。