goo blog サービス終了のお知らせ 

POP LIFEwww.wb.commufa.jp/atl-pop

春日井市の絵画教室、あとりえPOPアートスクールの教室風景や内容を中心に、アートについて広く記事にします。

夜と朝の間の空

2013-12-01 09:44:47 | 日記

6時10分~6時15分。

この数日、私が思う夜と朝の間はこの時間です。


早朝歩きはじめて7ヵ月。
様々な季節を眺めてきました。
蝉の声に耳を塞いだ夏。
朝陽にもえる真っ赤な秋。

今はすっかり葉も落ち、寒さも一層厳しくなってきましたが、私が歩くコースの中で、丁度折り返しを過ぎた一番好きな場所で、この時間を迎えることができます。

グラウンド周りの並木を影絵にする時間。
雨の翌日は、そのグラウンドの芝から靄が立つのです。
私は、地面が呼吸をするような幻想的な絵の前で、思わず足を止めてしまいました。

そんな風に、日々違う顔を見せてくれる夜と朝の間。
先までの夜を、遠くからやってくる朝が、少しずつ溶かしていくような、この時間がなんとも好きです。

暖かい季節は、歩き始めから朝でしたが、今は半分が夜。
静かな道すがら、吐く息の白さで、その朝の寒さがわかります。

夜と朝の間。
空を眺めながら、ゆっくりゆっくり歩く時間。

空から前に目を移し、歩みの速さを戻す時、懐中電灯の灯りを消します。
そこからが朝。
私が決めた自分だけの朝の定義。
今月最初の朝は、良い朝でした。

……………………………………………………

今年の冬至は22日のようです。
毎年かぼちゃを食べて、柚子湯に入る寒い寒い日の朝は、どこまでが夜でしょう?
その日を境に、少しずつ日が長くなるんですね。

些細なことを楽しみにする。そんな些細なことが、散歩を楽しむための些細なコツだと思います。

皆様の朝は、どんな朝ですか?


※写真1枚目は、今朝の6時10分。2枚目は、6時15分。

審査員

2013-11-30 11:24:32 | 日記
先日、名古屋の某建設会社から依頼があり、その会社が主催する「クリスマスカード&年賀状コンクール」の審査に行ってきました。

「審査員」などと言うと、非常に偉そうに聞こえるかもしれませんが、これが「まったく」そうではありません。


今年で記念すべき10回目になるこのコンクールは、主催会社が作った東海三県の、全マンションの住人の方を対象にしたもので、年齢制限はありません。
それでも今回で言えば、応募総数140作ほどと、本当にこじんまりとしていて、アットホームなものでした。

審査員は、私を含めて3人。
会議室作品前は、デザイナーさん、コピーライターさん、絵描きの図。
私以外のお二人は主催会社と仕事の関わりがあり、私は知人からの紹介で審査員になったのですが、コンクールの名目上、それっぽい肩書きが必要で選ばれたのでしょう。
私は「画家・アートスクール主宰」となっていました。

そんな謂われの審査員。私じゃなくても良かった審査員。でも、務めてきました審査員。
金輪際経験しないだろう記念で引き受けた審査員の審査の話を、以下に綴ってみます。

………………………………………………………………………

コンクールは「A・B・C(仮)」の3つの部門に分かれ、それぞれに「クリスマスカードか年賀状」という形でエントリーするというもの。
一人ですべての部門にエントリー可能なので、一家族で何枚も応募できてしまいます。
そして、3部門それぞれで「最優秀、優秀、佳作」が選ばれるのですが(応募総数の3分の1が受賞)上記の通り、今回は記念すべき10回目ということで、商品のグレードが、例年より随分アップしていました。
(ですから、かなり気合いが入っているご家族もちらほら)


さて。
この審査ですが、家族、本人の過去3年の受賞歴、別部門での今回の受賞も参考に選ばねばなりませんでした。

例えば3年前に本人が佳作、去年お母さんが優秀賞、今回別部門で妹が最優秀賞など、なるべくそのような偏りは避けたいという主催会社の意向です。

それでは本当に良い作品が選ばれないのでは?という疑問がわきますが、これは、受賞歴を考慮して振り分けることと、毎年賞が偏ることの、どちらが公平性を保つことになるのか?という問題で、内輪コンクールという特性を考えれば「長い目でみた賞の分散を図ることが、平和な方法だ」と考える主催会社に私も賛成です。

が、全員強制参加ではありませんから、こちらの想いとは裏腹に、エントリーしてくる人は「絵が好き、もしくは得意」で、毎年何枚もチャレンジする人か「適当に描いて、あわよくばの賞品狙い」という人に大きく別れ、作品レベルは否応なしに偏ってしまうのです。
上手い人は毎年上手く、毎年エントリーするのです。

「これだけの作品を除外してこの中から選ぶのか?」
「この作品が受賞してこの作品が落ちるとなると、落ちた人は納得いくまい」

これが審査員の胸の内の言葉。
これではコンクールそのものの意味さえ問われかねませんから、今年は新しいルールを加えてもらいました。

新ルール1:佳作は過去を問わない。
新ルール2:佳作なら同年家族受賞を認める。

たったこれだけの違いで、我々の気持ちと作業は楽になり、幾分、密室の透明感を、アピールする材料が増えたのでした。

それにしても難しかった。
私は画家として、また子ども絵画を見続けている者として、作品を選びましたが、如何せん一つの線を越えるか越えないかで、賞品は「某関東有名テーマパークリゾート券」か「少額図書カード」の違いがあるのです。
ですからつい、本当に迷った場合は、73才のおばあちゃんに「ごめんなさい」と心でわびながら、諦めてもらおうとするのです。
でもきっとお孫さんを連れて…
なんて空想し始めたらきりがない。
どんどん本質から逸れようとする自分を必死で抑え、できるだけクールに装い時間が過ぎていったのでした。


数時間に及んだ審査は、三人が全力で知恵を絞り、何度も何度も話し合い、納得する形に限りなく近づけて、終えることができました。
今頃は、この結果が皆さんの手元に届き、2週間後の表彰式に想いを馳せる家族もあるでしょう。

結局、選ばれるべき作品が選ばれたのだと思います。
我々は、選ばれるべき作品を、正式にそこに導く役目を担った誘導員で、それを「審査員」と呼んだのです。
要項にうたってはいませんが、何度も賞は与えられないですし、一家族に偏れないことは、恐らくどなたもわかっているはず。
その上、マンションを購入して何年経っても、このように結びつきを大切にされる会社が、毎年コンクールを開いてくれる。
皆さんその信頼関係の中で、年に一度の「遊び」を楽しんでおられるのでしょう。
「お、今年もきたな」という年末の風物詩。

我々は「一生懸命」が伝わる作品を選びました。
耳打ちもやらせもなく正当に選び、コメントもちゃんと悩んで考えました。
審査会場になった、暖房で乾燥した会議室を出る時に、うっすら汗ばんでいたのは、エアコンのせいではないでしょう。
頭に焼き付いてしまった、受賞作品と制作者の顔が一致するのは2週間後。
皆さん、表彰式でお会いしましょう。

最後に、今回の受に賞関係なく、私の中に残った一文をご紹介しましょうか。
ある園児の挿し絵付きコメントです。

『さんたさんだいすき!でもかぞくが1ばんすきです』

サンタに当てた手紙の言葉です。何気ないのですが、ほのぼのしませんか?
(^_^)
※あえて言わなくてもいいじゃん。とか園児に突っ込まない(笑)


明日から12月ですね。
益々寒くなって、益々煌びやかなクリスマス一色になります。
皆様。
お体ご自愛くださいませ。

親の祈り

2013-11-20 11:20:32 | 日記
ルイス・カンガス(原作)
渡辺和子(和訳)

『親の祈り』

「神様

もっとよい私にしてください。

子どものいうことをよく聞いてやり、子どもをよく理解する私にしてください。

理由もなく、子どもの心を傷つけることのないようにお助けください。

子どもの失敗を笑ったり怒ったりせず、子どもの小さい間違いには目を閉じて、良いところを見させてください。

良いところを心から褒めてやり、伸ばしてやることができますように。

大人の判断や習慣で、子どもをしばることのないように、子どもが自分で判断し、自分で正しく行動していけるよう、導く知恵をお与えください。

感情的に叱るのではなく、正しく注意してやれますように。

道理にかなった希望は、できる限るかなえてやり、彼らのためにならないことは、やめさせることができますように。

どうぞ意地悪な気持ちを取り去ってください。

不平をいわないよう助けてください。

こちらが間違ったときには、きちんとあやまる勇気を与えてください。

いつも穏やかな広い心をお与えください。

子どもと一緒に成長させてください。

子どもが心から私を尊敬し、慕うことができるよう、子どもの愛と信頼にふさわしい者としてください。

子どもも私も、神様によって生かされ、愛されていることを知り、他の人々の祝福となることができますように。」


以上です。

クリスチャンではなくとも、祈ることはあるはずです。

親が、このように子どもを思うことができれば、必ず虐待は減ります。
親ではなくとも、大人がこのように子どもを思うことができれば、不幸は必ず減ります。
指導者が、先生がこのように子どもを思うことができれば、必ずいじめや自殺は減ります。

しかし、このようにできる人はいません。
ですから「祈る」のでしょう。
「祈る」ことで心に止まり、実践できるように努める大人になれるのでしょう。

理想は掲げねば近づけません。

私はそう思います。

足りないものばかりの私ですが、少しでもこの祈りを心にとどめ、すべての子どもたちと接していきたいと思うのです。

雨ですが

2013-11-15 12:07:28 | 日記
「for beautiful human life」

全3クールの日程のうち、昨日2クール目が始まりました。


本日私はギャラリー当番です。
諸事情ありまして、終始ひとりでギャラリーにおります。

例えば「暇で仕方ない」なんて方は、是非ともハートフィールドギャラリーに遊びに来てください。

恰好の暇つぶしになること請け合いです。

雨ですが。

では後ほどギャラリーで。

乾杯

2013-10-22 09:37:17 | 日記




時を刻むことを止めた記憶の中の彼は、もうこれから、ずっと45才のままです。

毎日連絡を取り、週の半分は一緒に仕事をし、月に一度は二人で飲んだくれていましたっけ…。

よくケンカもしましたが、互いに仲直りの方法を知っていました。

「乾杯」

それで十分。


山ほどのくだらない話の中に、ほんの少しだけ大きな夢の欠片が埋もれていました。
それを掘り出してつまんで「乾杯」


思い出の数だけ乾杯があります。

吠えるような「乾杯」
チンとした小さな「乾杯」


10月22日。
数少ない「親友」と呼べる男が、この世にいたならば、今日が46才の誕生日のはず。


今、生きている自分は、今日も一生懸命適当に働いて、夜になったら乾杯しよう。

例えば叶わなかった夢に「乾杯」

叶えようとしたことに「乾杯」

「おめでとう」の代わりに「乾杯」

「合掌」の代わりに「乾杯」

でもやっぱり一人で乾杯は淋しいぞバカやろう…




※近々墓参りに行くつもりです。
そこにいようがいまいが、そこでしか乾杯は難しそうなんで。
誰か一緒に行きませんか?
誘いますから断らないでください。

※写真に登場した皆様。
無断ですみません。
携帯を向けた日が、昨日の出来事のように、脳裏に瞼裏に、鮮明に蘇ります。