『先の大戦で日本は他国の領土を侵した。戦後、連合国は「日本は戦争を‘してしまう’国。放っておけばまた繰り返す」と考え、不戦の誓いを憲法に明文化した。
もう殺すまいと誓った日本は憲法を主とし、蛮族の汚名を濯ぎ、復興を遂げた。
戦中と戦後、僕らは相反する先人を持つ。前者の兵たちは他人の国で他人を殺した。その子どもである後者は親の罪を罰した他人を友とし、不戦を貫き、懐の深い、成熟した国を作った。
この成熟を野蛮な未熟へと戻し、再び日本を愚かな「他人を殺す国」にして、「売られた喧嘩はいつでも買う。この銃口を見ろ」と誇示したがる悪党がいる。
この少数の馬鹿どものために不戦の誓いは踏みにじられ、投じた票を悪用されて、日本はまた安全装置のない銃を持つ国にされる。
ひとたび銃を握れば人は撃ってみたくなる。いかに強固な自制心があろうと、相手が不意に近傍を撃ってきたら思わず人は相手を撃つ。国の殺意の徴ともいえる銃を握る者が好戦的だったらどうなるか。これを撃ってみたい、もっと隣国が挑発してくれないか、そうすれば憲法解釈を変えて戦争がしやすくなるのに。思えば相手が先にしかけてきたという口実をヤラセで作ってでも戦争を起し、満州を侵略したのがかつての日本なのだ(柳条湖事件)。
先に撃ってこい、と互いに睨み合っていれば早晩血は流れる。流れたら流し返す。流し尽くした馬鹿の時代の後、再び焦土に立つ絶望と猛省と謝罪の時代が到来する。誰もがそれを学んでいるのに、あの無能どもは民意なしに何を決めようとしているのか。決議に反対しなかった馬鹿(永久名簿を作っておこう)が招いた戦争には、馬鹿自らに行かせよ。徴兵にも応じる必要はない。馬鹿が死に尽くした後、平和のため終戦する僕らがまた国を復興する。
血を好む悪党は武力武力と喧しい。そもそも「武」という字は「※ほこを止める」と書く(春秋左氏伝)。古来こうした儒学の真髄を己の道徳としてきた国の憐れな淪落の様を見よ。矛を止める盾として‘のみ’自衛隊は黙認された。隊を矛として隣人に向けるためではない。
庶民の税を上げ、企業の税は下げ、隣人に矛を向ける馬鹿の手から‘日本を取り戻せ’。いつも、殺せと言う者が生き残り、言わなかった者が死ぬ。同胞に殺させるな。日本は‘永久に殺さない国’だ。恥を知れ、政府の人殺しども。』
※文中のほこの字は、私の携帯では変換されないため平仮名にしました。
「ナカムラミオ、すげー文章を書くようになったな!」と思われた方はごめんなさい。
これは朝日新聞の木曜日、月一連載されている、作家諏訪哲史さんの「スワ氏文集(もんじゅう)」の百七十巻目の話「美しい国は戦争の国か」を、そのまま記したものです。この行為が「やってはならないこと」ならば、どなたか知りませんが申し訳ありません。
が、大した問題ではないでしょう。
諏訪氏は、名作「アサッテの人」で芥川賞を受賞されています(私は「りすん」が好き)
諏訪氏とは、数年前になりますが、短い時間隣席で飲み、話をしたことがあります。
本当に物腰柔らかく、穏やかに話を聞いて下さる素敵な紳士でした。(ツーショット写真は宝物です)
その諏訪氏が一度スワ氏になれば、言いたい放題書き放題、くだらないことからつまらないことまで、巧みに書き上げるその表現力にハマり、「スワ氏文集」が毎週から月一に、全国から愛知にスペースを縮小されても、私はずっと紙面を追いかけてきました。
今回の記事。
多少過激な表現があっても、一言一句正しい。
「スワ氏文集で検索して是非とも読んでみてください!」と記事に書いて、いったい何人の暇な方が検索して下さるかわかりませんから、暇な私が「携帯で全文書き起こす」というアナロジカルな荒業に打って出た次第です。
勿論これは私の価値観で、私が激しくかぶりをふって同意する、愚かで危うき馬鹿な悪党どもについてのこの文に、全く別の見方をされる方が大勢いらっしゃるからこそ、こういう世の中になっていることは理解しています。
そして、その方たちと私の間で「完全な価値観の違い」が浮き彫りになることがあっても、きっと今もこれからも、あなたと私の間に争いはおこりません。
POPLIFEは、極力政治的、宗教的内容に、個人的考えを盛り込んだ記事をアップしないようにしてきましたが、今回は「毎日子どもたちの笑顔とともに仕事をしている私」の未来を憂う側面が、この記事を書かせたのだとご理解くだされば嬉しいです。
子どもたちに戦争させたい大人がいるのか?
血を流させたい親がいるのか?
そんな単純なことが見失われ、ごまかされるほど、今は魅力的な世の中なのか?
私にはさっぱりわかりません。
※写真は宝物のツーショット写真の写真。
諏訪さん長身で顔ちっちゃい!
のに私の平らな大顔が手前。それはいかん…ってかヒゲないじゃん!
そかそか(^_^)
※諏訪さん。写真も記事も勝手に載せてすみません。
m(_ _)m
もう殺すまいと誓った日本は憲法を主とし、蛮族の汚名を濯ぎ、復興を遂げた。
戦中と戦後、僕らは相反する先人を持つ。前者の兵たちは他人の国で他人を殺した。その子どもである後者は親の罪を罰した他人を友とし、不戦を貫き、懐の深い、成熟した国を作った。
この成熟を野蛮な未熟へと戻し、再び日本を愚かな「他人を殺す国」にして、「売られた喧嘩はいつでも買う。この銃口を見ろ」と誇示したがる悪党がいる。
この少数の馬鹿どものために不戦の誓いは踏みにじられ、投じた票を悪用されて、日本はまた安全装置のない銃を持つ国にされる。
ひとたび銃を握れば人は撃ってみたくなる。いかに強固な自制心があろうと、相手が不意に近傍を撃ってきたら思わず人は相手を撃つ。国の殺意の徴ともいえる銃を握る者が好戦的だったらどうなるか。これを撃ってみたい、もっと隣国が挑発してくれないか、そうすれば憲法解釈を変えて戦争がしやすくなるのに。思えば相手が先にしかけてきたという口実をヤラセで作ってでも戦争を起し、満州を侵略したのがかつての日本なのだ(柳条湖事件)。
先に撃ってこい、と互いに睨み合っていれば早晩血は流れる。流れたら流し返す。流し尽くした馬鹿の時代の後、再び焦土に立つ絶望と猛省と謝罪の時代が到来する。誰もがそれを学んでいるのに、あの無能どもは民意なしに何を決めようとしているのか。決議に反対しなかった馬鹿(永久名簿を作っておこう)が招いた戦争には、馬鹿自らに行かせよ。徴兵にも応じる必要はない。馬鹿が死に尽くした後、平和のため終戦する僕らがまた国を復興する。
血を好む悪党は武力武力と喧しい。そもそも「武」という字は「※ほこを止める」と書く(春秋左氏伝)。古来こうした儒学の真髄を己の道徳としてきた国の憐れな淪落の様を見よ。矛を止める盾として‘のみ’自衛隊は黙認された。隊を矛として隣人に向けるためではない。
庶民の税を上げ、企業の税は下げ、隣人に矛を向ける馬鹿の手から‘日本を取り戻せ’。いつも、殺せと言う者が生き残り、言わなかった者が死ぬ。同胞に殺させるな。日本は‘永久に殺さない国’だ。恥を知れ、政府の人殺しども。』
※文中のほこの字は、私の携帯では変換されないため平仮名にしました。
「ナカムラミオ、すげー文章を書くようになったな!」と思われた方はごめんなさい。
これは朝日新聞の木曜日、月一連載されている、作家諏訪哲史さんの「スワ氏文集(もんじゅう)」の百七十巻目の話「美しい国は戦争の国か」を、そのまま記したものです。この行為が「やってはならないこと」ならば、どなたか知りませんが申し訳ありません。
が、大した問題ではないでしょう。
諏訪氏は、名作「アサッテの人」で芥川賞を受賞されています(私は「りすん」が好き)
諏訪氏とは、数年前になりますが、短い時間隣席で飲み、話をしたことがあります。
本当に物腰柔らかく、穏やかに話を聞いて下さる素敵な紳士でした。(ツーショット写真は宝物です)
その諏訪氏が一度スワ氏になれば、言いたい放題書き放題、くだらないことからつまらないことまで、巧みに書き上げるその表現力にハマり、「スワ氏文集」が毎週から月一に、全国から愛知にスペースを縮小されても、私はずっと紙面を追いかけてきました。
今回の記事。
多少過激な表現があっても、一言一句正しい。
「スワ氏文集で検索して是非とも読んでみてください!」と記事に書いて、いったい何人の暇な方が検索して下さるかわかりませんから、暇な私が「携帯で全文書き起こす」というアナロジカルな荒業に打って出た次第です。
勿論これは私の価値観で、私が激しくかぶりをふって同意する、愚かで危うき馬鹿な悪党どもについてのこの文に、全く別の見方をされる方が大勢いらっしゃるからこそ、こういう世の中になっていることは理解しています。
そして、その方たちと私の間で「完全な価値観の違い」が浮き彫りになることがあっても、きっと今もこれからも、あなたと私の間に争いはおこりません。
POPLIFEは、極力政治的、宗教的内容に、個人的考えを盛り込んだ記事をアップしないようにしてきましたが、今回は「毎日子どもたちの笑顔とともに仕事をしている私」の未来を憂う側面が、この記事を書かせたのだとご理解くだされば嬉しいです。
子どもたちに戦争させたい大人がいるのか?
血を流させたい親がいるのか?
そんな単純なことが見失われ、ごまかされるほど、今は魅力的な世の中なのか?
私にはさっぱりわかりません。
※写真は宝物のツーショット写真の写真。
諏訪さん長身で顔ちっちゃい!
のに私の平らな大顔が手前。それはいかん…ってかヒゲないじゃん!
そかそか(^_^)
※諏訪さん。写真も記事も勝手に載せてすみません。
m(_ _)m