まず息を大きく吸って…
『パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシス・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメンディオス・シブリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・○○○』
と一息でまくし立てるように言い切ることができれば、あなたは○○○検定1級です。
もちろんこれを暗記して。
それだけで1級?
はいそうです。
だって本人が覚えられなくて、生涯「中抜き」して生きてきたのですから。
でも正しいですそれ。
寿限無じゃありませんが、その長ったらしい名前を言っているうちに、絵なんかどーでもよくなりますもんね。
で、そのパブロ。
もうおわかりですね。
そう。
「パブロ・ピカソ」です。
(写真載せてますから、はじめからわかりますねf^_^;)
そうです。皆様が一度は「自分の方があいつより上手い」と思った「あいつ」ことパブロ・長ったらしい部分・ピカソ。
本日はピカソの作品についてご紹介…
ではなく、ピカソの言葉について書きたいと思います。
……………………………………………………………………
私はピカソの絵については、特に好きとか嫌いとかはありません。
悲しいかな物心ついた頃には、既にキュビズムは完成されていましたし、抽象画が溢れていて、その偉大さを知らされる前にピカソは「変な絵を描く人」でしたから、好きにも嫌いにもなれなかったのです。
その後、女好き、長生き、金持ちなど、絵とは関係ない悪い噂(笑)が入ってきて、最後に「哲学者」としてのピカソの美学が、言葉として伝わりました。
ピカソが私の中で「感銘を与えてくれる偉人」になった瞬間です。
では以下、そのピカソの言葉をご紹介します。
ちょっと長くなりますが、我慢してお付き合いください。
◆「全ては奇跡だ。例えばお風呂に入った時、あなたがお湯に溶けてしまわないことも」
そんな日常の当たり前のことも奇跡だと言う例えに「あなたと風呂」を使うあたりがピカソらしいです。
絶対「あなた」は女性に違いない(笑)
でも本当にそうですよね。
「車に乗って無事帰宅できました」
これも奇跡で、「あなたが生きている」これなど奇跡以外の何ものでもない。
奇跡が軽いというなかれ。
「全てが奇跡」なんですから。
◆「あの絵は彼女に似てないな」
「心配ない。じきに彼女の方から似てくるさ」
なんたる自信家!
でもピカソには想像がついたのでしょう。
彼女のこれからの姿が。
キュビズムが受け入れられ、世の中の目が、ピカソの絵にあわせてくることが。 その自信を裏付ける言葉がもうひとつあります。次。
◆「想像できることは、全て現実なのだ」
まさにピカソ節。
上文の彼女のように、自分が想像できることは全て現実になる。
こう受け取れませんか?
しかし、これは「実現するかしないかは問題ではない。未来は想像することから始まる」
僕にはこう聞こえます。
想像できることは現実…まだまだ言葉の真意の幅は広そうですが、良い言葉です。
◆「人は誰しも絵を理解しようとする。なのになぜ小鳥の歌は理解しようとしないのか」
これは「絵を理解しようとすることは、小鳥の歌を理解しようとするくらいおかしなことだ。絵は理解するものではない。感じるものなのだ」ということでしょう。
私も絵を描いていて思います。
「感じてください」と。
何か答えを求めて絵を飾ったことはないのです。
あ…こんな文はどうでしょう。次。
◆「今はもう感動はない。だから感想が沸く。感動には叫びはあっても言葉はない」
僭越ですが、皆様は私ではありません。
ですから、私の気持ちを理解はできるわけがないのです。
しかし「どんな気持ちで描いたのか?」を知りたがる方は多い。
感動して叫んでほしくも泣いてほしくもありませんが、せめて「思ったように自由に」観てもらえたら嬉しいです。
その変わりに私ができることは、皆様の言葉が出ないほどの絵が描けるように努力することです。
◆「『あなたが軍人になればいつか将軍に、修道士になれば法王になるでしょう』と母は言ったが、結局私は画家となり、ピカソになった。
昔々、梶田先生は小学生の私を「大器晩成型」と言い、母はそれから「人の道をはずれなければ何になってもいい」と言いました。
結局私は画家となり、まだ何者にもなっていません…。
そうですね。
先生の目は今のところ正しく、いつか母に「この道は人の道を外れていないか?」と聞いてみたいと思います。
◆「どんな創造も、まず破壊からはじまる」
激しく同意します。
私にとって、画家になるために描いた最初の一枚の絵を生み出せたことが、ここまでの画家人生最大の仕事です。
そこからは守っては小さくなり、継続したつもりが外れ、気づいたら壊し、踏みつけた所から新しい芽が生まれました。
自分を疑うことで成長し、何にも似ていないものを作るために、犠牲にしたものはたくさんあります。
そしてこれからも、壊し続ける人生をいとわず、死ぬ日まで描いていこうと思います。
◆『「これを描いたのはあなたですか?」と問いただすナチスに「いや、あなたたちだ」とピカソは答えた。』
ゲルニカ時代の話でしょうか。
今は平和の象徴となったゲルニカは、内戦による空爆に対する怒りから生まれた大作の壁画。
その怒りの矛先であるナチスに対して「あなたたちが描いたも同然」という所でしょう。
このような強い時代背景も何もない、「今」の日本人画家である平和ボケした私ですが、私の絵はいつもあなたが描かせてくれています。
これには感謝しかありません。
いつか「この絵はあなたが描いたのですか?」と尋ねてください。
私はきっと「いや、あなたが描いたのです」と答えます。
何発ぶん殴られることやら…f^_^;
長くなりましたが最後にします。
◆「芸術とは…
あ、これは私が企画するグループ展「For beautiful human life Vol,2」のフライヤーの作家コメントで使ってしまいました。
申し訳ありませんが、続きを知りたい方は、是非とも会場でこのフライヤーを手に入れてください。
皆様。
長ったらしい名前のピカソの、長ったらしい記事にお付き合いくださり感謝します。
ひとつくらい心に残る言葉はありましたか?
え?長ったらしいから忘れた(・◇・)?
お詫びは短く「ごめん」でどうか?
『パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシス・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメンディオス・シブリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・○○○』
と一息でまくし立てるように言い切ることができれば、あなたは○○○検定1級です。
もちろんこれを暗記して。
それだけで1級?
はいそうです。
だって本人が覚えられなくて、生涯「中抜き」して生きてきたのですから。
でも正しいですそれ。
寿限無じゃありませんが、その長ったらしい名前を言っているうちに、絵なんかどーでもよくなりますもんね。
で、そのパブロ。
もうおわかりですね。
そう。
「パブロ・ピカソ」です。
(写真載せてますから、はじめからわかりますねf^_^;)
そうです。皆様が一度は「自分の方があいつより上手い」と思った「あいつ」ことパブロ・長ったらしい部分・ピカソ。
本日はピカソの作品についてご紹介…
ではなく、ピカソの言葉について書きたいと思います。
……………………………………………………………………
私はピカソの絵については、特に好きとか嫌いとかはありません。
悲しいかな物心ついた頃には、既にキュビズムは完成されていましたし、抽象画が溢れていて、その偉大さを知らされる前にピカソは「変な絵を描く人」でしたから、好きにも嫌いにもなれなかったのです。
その後、女好き、長生き、金持ちなど、絵とは関係ない悪い噂(笑)が入ってきて、最後に「哲学者」としてのピカソの美学が、言葉として伝わりました。
ピカソが私の中で「感銘を与えてくれる偉人」になった瞬間です。
では以下、そのピカソの言葉をご紹介します。
ちょっと長くなりますが、我慢してお付き合いください。
◆「全ては奇跡だ。例えばお風呂に入った時、あなたがお湯に溶けてしまわないことも」
そんな日常の当たり前のことも奇跡だと言う例えに「あなたと風呂」を使うあたりがピカソらしいです。
絶対「あなた」は女性に違いない(笑)
でも本当にそうですよね。
「車に乗って無事帰宅できました」
これも奇跡で、「あなたが生きている」これなど奇跡以外の何ものでもない。
奇跡が軽いというなかれ。
「全てが奇跡」なんですから。
◆「あの絵は彼女に似てないな」
「心配ない。じきに彼女の方から似てくるさ」
なんたる自信家!
でもピカソには想像がついたのでしょう。
彼女のこれからの姿が。
キュビズムが受け入れられ、世の中の目が、ピカソの絵にあわせてくることが。 その自信を裏付ける言葉がもうひとつあります。次。
◆「想像できることは、全て現実なのだ」
まさにピカソ節。
上文の彼女のように、自分が想像できることは全て現実になる。
こう受け取れませんか?
しかし、これは「実現するかしないかは問題ではない。未来は想像することから始まる」
僕にはこう聞こえます。
想像できることは現実…まだまだ言葉の真意の幅は広そうですが、良い言葉です。
◆「人は誰しも絵を理解しようとする。なのになぜ小鳥の歌は理解しようとしないのか」
これは「絵を理解しようとすることは、小鳥の歌を理解しようとするくらいおかしなことだ。絵は理解するものではない。感じるものなのだ」ということでしょう。
私も絵を描いていて思います。
「感じてください」と。
何か答えを求めて絵を飾ったことはないのです。
あ…こんな文はどうでしょう。次。
◆「今はもう感動はない。だから感想が沸く。感動には叫びはあっても言葉はない」
僭越ですが、皆様は私ではありません。
ですから、私の気持ちを理解はできるわけがないのです。
しかし「どんな気持ちで描いたのか?」を知りたがる方は多い。
感動して叫んでほしくも泣いてほしくもありませんが、せめて「思ったように自由に」観てもらえたら嬉しいです。
その変わりに私ができることは、皆様の言葉が出ないほどの絵が描けるように努力することです。
◆「『あなたが軍人になればいつか将軍に、修道士になれば法王になるでしょう』と母は言ったが、結局私は画家となり、ピカソになった。
昔々、梶田先生は小学生の私を「大器晩成型」と言い、母はそれから「人の道をはずれなければ何になってもいい」と言いました。
結局私は画家となり、まだ何者にもなっていません…。
そうですね。
先生の目は今のところ正しく、いつか母に「この道は人の道を外れていないか?」と聞いてみたいと思います。
◆「どんな創造も、まず破壊からはじまる」
激しく同意します。
私にとって、画家になるために描いた最初の一枚の絵を生み出せたことが、ここまでの画家人生最大の仕事です。
そこからは守っては小さくなり、継続したつもりが外れ、気づいたら壊し、踏みつけた所から新しい芽が生まれました。
自分を疑うことで成長し、何にも似ていないものを作るために、犠牲にしたものはたくさんあります。
そしてこれからも、壊し続ける人生をいとわず、死ぬ日まで描いていこうと思います。
◆『「これを描いたのはあなたですか?」と問いただすナチスに「いや、あなたたちだ」とピカソは答えた。』
ゲルニカ時代の話でしょうか。
今は平和の象徴となったゲルニカは、内戦による空爆に対する怒りから生まれた大作の壁画。
その怒りの矛先であるナチスに対して「あなたたちが描いたも同然」という所でしょう。
このような強い時代背景も何もない、「今」の日本人画家である平和ボケした私ですが、私の絵はいつもあなたが描かせてくれています。
これには感謝しかありません。
いつか「この絵はあなたが描いたのですか?」と尋ねてください。
私はきっと「いや、あなたが描いたのです」と答えます。
何発ぶん殴られることやら…f^_^;
長くなりましたが最後にします。
◆「芸術とは…
あ、これは私が企画するグループ展「For beautiful human life Vol,2」のフライヤーの作家コメントで使ってしまいました。
申し訳ありませんが、続きを知りたい方は、是非とも会場でこのフライヤーを手に入れてください。
皆様。
長ったらしい名前のピカソの、長ったらしい記事にお付き合いくださり感謝します。
ひとつくらい心に残る言葉はありましたか?
え?長ったらしいから忘れた(・◇・)?
お詫びは短く「ごめん」でどうか?