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春日井市の絵画教室、あとりえPOPアートスクールの教室風景や内容を中心に、アートについて広く記事にします。

パブロの言葉

2014-10-15 19:53:50 | 日記
まず息を大きく吸って…

『パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシス・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリーア・デ・ロス・レメンディオス・シブリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・○○○』

と一息でまくし立てるように言い切ることができれば、あなたは○○○検定1級です。
もちろんこれを暗記して。

それだけで1級?
はいそうです。

だって本人が覚えられなくて、生涯「中抜き」して生きてきたのですから。

でも正しいですそれ。
寿限無じゃありませんが、その長ったらしい名前を言っているうちに、絵なんかどーでもよくなりますもんね。

で、そのパブロ。
もうおわかりですね。

そう。
「パブロ・ピカソ」です。
(写真載せてますから、はじめからわかりますねf^_^;)
そうです。皆様が一度は「自分の方があいつより上手い」と思った「あいつ」ことパブロ・長ったらしい部分・ピカソ。

本日はピカソの作品についてご紹介…
ではなく、ピカソの言葉について書きたいと思います。

……………………………………………………………………

私はピカソの絵については、特に好きとか嫌いとかはありません。
悲しいかな物心ついた頃には、既にキュビズムは完成されていましたし、抽象画が溢れていて、その偉大さを知らされる前にピカソは「変な絵を描く人」でしたから、好きにも嫌いにもなれなかったのです。

その後、女好き、長生き、金持ちなど、絵とは関係ない悪い噂(笑)が入ってきて、最後に「哲学者」としてのピカソの美学が、言葉として伝わりました。
ピカソが私の中で「感銘を与えてくれる偉人」になった瞬間です。
では以下、そのピカソの言葉をご紹介します。
ちょっと長くなりますが、我慢してお付き合いください。


◆「全ては奇跡だ。例えばお風呂に入った時、あなたがお湯に溶けてしまわないことも」

そんな日常の当たり前のことも奇跡だと言う例えに「あなたと風呂」を使うあたりがピカソらしいです。
絶対「あなた」は女性に違いない(笑)
でも本当にそうですよね。
「車に乗って無事帰宅できました」
これも奇跡で、「あなたが生きている」これなど奇跡以外の何ものでもない。
奇跡が軽いというなかれ。
「全てが奇跡」なんですから。


◆「あの絵は彼女に似てないな」
「心配ない。じきに彼女の方から似てくるさ」

なんたる自信家!
でもピカソには想像がついたのでしょう。
彼女のこれからの姿が。
キュビズムが受け入れられ、世の中の目が、ピカソの絵にあわせてくることが。 その自信を裏付ける言葉がもうひとつあります。次。


◆「想像できることは、全て現実なのだ」

まさにピカソ節。
上文の彼女のように、自分が想像できることは全て現実になる。
こう受け取れませんか?
しかし、これは「実現するかしないかは問題ではない。未来は想像することから始まる」
僕にはこう聞こえます。
想像できることは現実…まだまだ言葉の真意の幅は広そうですが、良い言葉です。


◆「人は誰しも絵を理解しようとする。なのになぜ小鳥の歌は理解しようとしないのか」

これは「絵を理解しようとすることは、小鳥の歌を理解しようとするくらいおかしなことだ。絵は理解するものではない。感じるものなのだ」ということでしょう。
私も絵を描いていて思います。
「感じてください」と。
何か答えを求めて絵を飾ったことはないのです。
あ…こんな文はどうでしょう。次。


◆「今はもう感動はない。だから感想が沸く。感動には叫びはあっても言葉はない」

僭越ですが、皆様は私ではありません。
ですから、私の気持ちを理解はできるわけがないのです。
しかし「どんな気持ちで描いたのか?」を知りたがる方は多い。
感動して叫んでほしくも泣いてほしくもありませんが、せめて「思ったように自由に」観てもらえたら嬉しいです。
その変わりに私ができることは、皆様の言葉が出ないほどの絵が描けるように努力することです。


◆「『あなたが軍人になればいつか将軍に、修道士になれば法王になるでしょう』と母は言ったが、結局私は画家となり、ピカソになった。

昔々、梶田先生は小学生の私を「大器晩成型」と言い、母はそれから「人の道をはずれなければ何になってもいい」と言いました。
結局私は画家となり、まだ何者にもなっていません…。
そうですね。
先生の目は今のところ正しく、いつか母に「この道は人の道を外れていないか?」と聞いてみたいと思います。


◆「どんな創造も、まず破壊からはじまる」

激しく同意します。
私にとって、画家になるために描いた最初の一枚の絵を生み出せたことが、ここまでの画家人生最大の仕事です。
そこからは守っては小さくなり、継続したつもりが外れ、気づいたら壊し、踏みつけた所から新しい芽が生まれました。
自分を疑うことで成長し、何にも似ていないものを作るために、犠牲にしたものはたくさんあります。
そしてこれからも、壊し続ける人生をいとわず、死ぬ日まで描いていこうと思います。


◆『「これを描いたのはあなたですか?」と問いただすナチスに「いや、あなたたちだ」とピカソは答えた。』

ゲルニカ時代の話でしょうか。
今は平和の象徴となったゲルニカは、内戦による空爆に対する怒りから生まれた大作の壁画。
その怒りの矛先であるナチスに対して「あなたたちが描いたも同然」という所でしょう。
このような強い時代背景も何もない、「今」の日本人画家である平和ボケした私ですが、私の絵はいつもあなたが描かせてくれています。
これには感謝しかありません。
いつか「この絵はあなたが描いたのですか?」と尋ねてください。
私はきっと「いや、あなたが描いたのです」と答えます。

何発ぶん殴られることやら…f^_^;


長くなりましたが最後にします。
◆「芸術とは…


あ、これは私が企画するグループ展「For beautiful human life Vol,2」のフライヤーの作家コメントで使ってしまいました。
申し訳ありませんが、続きを知りたい方は、是非とも会場でこのフライヤーを手に入れてください。


皆様。
長ったらしい名前のピカソの、長ったらしい記事にお付き合いくださり感謝します。
ひとつくらい心に残る言葉はありましたか?

え?長ったらしいから忘れた(・◇・)?

お詫びは短く「ごめん」でどうか?

switch on

2014-10-10 12:15:45 | 日記




本日10月10日は、元体育の日。
スポーツの秋。
の話は昨日の運動会でおしまいにして、本日は芸術の秋について少々。

まぁ秋じゃなくても芸術は巷に溢れているわけですが、どこからどこまでを芸術と言うのか?

あるミュージシャンはドブネズミを美しいと言い、ある数学者はオイラーの等式を「もはや芸術」と表現しました。
「美しい=芸術」ではもちろんありませんが、芸術の中には「美しい」がたくさんあります。
ならば美しいとは…
それを問う展覧会が私が企画する「For…」
の話ではありません本日は。


ピタゴラスイッチ。
数学は芸術。
ソクラテスイッチ。
哲学も芸術。
アマゾネスイッチ。
女性だって芸術。
ガラパゴスイッチ。
進化こそ芸術。
スキマスイッチ。
特に意味も興味もなし。
ドンタコスイッチ。
辛さだって…

言い始めたらきりがないスイッチ…ではなく芸術。

いわゆる「芸術」は便利な言葉で、物事を抽象的に格調を持たせる役割を果たします。

文化ホールで聴く。
美術館で観る。
ライブハウスで、ギャラリーで、その辺で…。
どこにでも芸術はあるのです。

よし。
ならば今日はなんでもないものに格調を持たせましょう!
と言うのがこの写真。
上から物置の屋根、ガードレールの側面反射シール、排水溝から植物、側溝の蓋、遊歩道の脇の草をぐるんっ!

トリミングの妙ですが、これらは今もそこに存在し、何気なく通り過ぎるものたちです。
でも、こう見たら面白くないですか?
まさに芸術「的」だと私は思っちゃいました(^_^)

本日は、よくある話でよくある小ネタ。
芸術の秋。
つまらないことにもスイッチがはいりませんか?



…入らない?

性格のフイッチと言うことで、本日はおしまい。

サイレン

2014-08-25 14:50:17 | 日記
頭の中に汗をかいているようです。

嫌な暑さです…。



世界中で地震が起きています。
ペルーでもカリフォルニアでも。
日本で起こった大きな地震より規模は小さくとも、被災者は大勢います。

エボラウィルスは、恐らく公式に発表されているより何倍ものキャリアがいるのでしょう。
その増殖と死は同じスピードを持っている。
さぁ西アフリカから世界へ。
新たに別のウィルスが中央アフリカで生まれ、猛威を振るい始めています。
さぁきっと中央アフリカから世界へ。
人類の誕生と拡散と同じ道をウィルスが辿ります。
皆様お待ちください。
そう遠くない未来に、あなたの町に届くでしょう。

イスラエル、パレスチナでの停戦は意味をなさず、国もテロリストもそれぞれの正義のために戦い、市民が、弱い人が、武器を持たない人が犠牲になっています。
シリアの内戦も、ウクライナの情勢も不透明なまま、制裁の応酬や裏取引が繰り返され、続く戦いの陰で、やはり弱いものの命が失われているのです。
日本の皆様には遠い話ですか?
心配いりません。
わが国でも、子どもたちを戦争に送る準備が整ってきています。
あの人たちは、景気回復との交換に、確かにレールを敷きました。
行き先は地獄。

異常気象はどこまで広がるのでしょう?
日本の夏は夏ではなくなり、雨は、雷は、風は容赦なく襲い来ます。
怒り狂ったように。
住むために脆弱になった土地は耐えられず崩れ、きっとまた明日人が死にます。
明後日死ぬ人が来週見つかります。
広島は、礼文は泣いています。
いや、泣くまでたどり着いていないかもしれない。
ならば福島は、岩手や宮城は泣き止みましたか?
泣き止めばよかったですか?
泣きやんだら原発は動き、人は町に戻り、垂れ流された汚染水をたっぷり含んだ海に住む魚は、美味しく食べられますか?
地獄行きの列車のレールを敷いた人間と、海に汚染水を垂れ流す決定を下す人間は同じ。
あの人たちは涙を流すのだろうか…。

裏で子が親を襲い、親が子を襲い、夫が妻を、妻が夫を襲う原因不明の狂った病が蔓延する中で、氷水を被りセレブは特定の難病に寄付をします。
良かったですね。
ALSの研究は1ヶ月で100億の資金を得て、飛躍的速さで研究が進みます。
でも、あの方の難病はどうだろう?
私にはバケツは回ってきません。
バケツの回し方もわからない。

皆様。
戦う理由はどこにでも、いくつでもあります。
声を上げれば何かに届きます。

芸術家の皆様。
アートが戦う環境は整いました。
ミュージシャンの皆様。
歌ってください愛について平和について。

宇宙市民は地球市民で、世界市民は日本人で、私はもっともっと小さな愛について昨晩考えて絵を描いていました。

皆がこれも運命と寛容に現実を受け入れ、おとなしくしているしかないのでしょうか?
内から外から人間を襲い、人間らしい環境と情緒を奪い、どこからでも壊れそうなこの慌ただしく夥しい異常な熱は、間違いなく全て我々人間が発熱源です。
地球は狂いはじめ、人はとうの昔に狂ってしまった。

隣にいる人を幸せにしよう。
今隣りにいる人を。
仕事で隣りにいる人を。
心で寄り添っている人を。
その人を刺すのはなぜ?
その人を撃つのはなぜですか?

宇宙市民である地球市民が、みんな隣りの人から幸せにしようと思ったら、ここまでこの星に怒られずに済んだと思いませんか?

きれいごとですが、神様が救ってくださるレベルを超えたと思われる地球人の罪は、奇跡を待つのではなく、もう一度立ち返り、足元の瓦礫を茶碗でかき出すしかないのです。
あなたを守る。
あなたに優しくする。
あなたの隣りは私で、私の隣りはあなたです。
あなただけは私が守るんです。

私はもう無意味でも祈りについての絵しか描かないことを誓います。自分に誓います。
それが何にもならないことを理解しながら、平和への祈りを絵にして、いつか自己満足で地球の怒りの下に、小さな肥やしとなって野垂れ死ぬつもりです。

皆様。
何かの覚悟が必要かもしれません。
警鐘は鳴り続けています。

嫌な暑さの中で…。

反省の記

2014-08-18 21:27:57 | 日記
POPLIFEをご覧くださっている文化センター及び教室関係の方へ…


私はブログ記事を授業中に作成することは誓ってありません。
授業中に投稿することも同じです。

しかし、誤解を招くような時間の投稿や、授業中の態度がございましたなら、この場で心よりお詫び申し上げます。

私は一人一人の個性を伸ばすことを心情に講座を作ってきました。
また、そのようにしたいと心から思っています。

しかし、私は欠陥の多い人間で、うまく出来ずに後悔ばかりしています。
ですから、皆様から見ても、きっと足りない所が多く、信頼に値しない部分も多々あるに違いありません。

それでも大好きな子どもたちや、一般の皆様とふれあいながら、アートの素晴らしさを伝えていきたいと思って止みません。

これからは、できるだけ皆様に不快な思いをさせないよう、お叱りや助言を真摯に受け止め、自分を律し戒めながら、最善の努力して参りますので、どうぞよろしくお願いします。

m(_ _)m

感謝のカタチ

2014-08-17 19:44:26 | 日記

本当は、オールラウンド絵画のスケッチ旅行も、無事に終わった同窓会もご報告しなければならないのですが、どうしても言葉がまとまりません。
そちらはまたの機会にさせて頂きます。
m(_ _)m



ブログを開設し、ブログを始めると記事にしておきながら約一年熟成させ、本格的に書き始めたのはその翌年、2011年10月27日。
そこから本日で多分827回目のアップになります。

教室のこと。アートのこと。日常のこと。つまらないこと…。
私にまつわる色んなことを、私の能力の範囲で薄く濃く、緩く鋭く書いてきたように思います。

これらの記事の歴史は、私そのものです。
この3年の私が手に取るようにわかります。
毎回読んでコメントをくださる方。離れていった方、亡くなられた方…
遡ってみると、そんな方たちの言葉がたくさん残されていて、中には今尚身に染み入るものもありました。
もちろん全部見返した訳ではありませんが、思いつくところをランダムに開いてみれば、優しい言葉、厳しい言葉が静かに埋もれていたのです。

それらの言葉は、私の財産です。
毎日に追われ、このブログの主である私は、気づいたら駒を進めることばかり考えてしまう愚か者ですが、立ち止まってふとそんなことを想いながら、頂いた言葉たちを読んでみたりすると、なんだか柔らかい痛みに似た感情が沸き起こります。

人間、思い出の中の住人になるべきではありませんが、確かなものを確かめてみるために、過去に遊びに行く旅人になるくらいは必要かもしれないと思うんです。
なぜならこうやって改めて柔らかい痛みに「感謝」することができるのですから。

そうなんです。
私は感謝しています。
このブログに関わって言葉をくれたすべての皆様に。
その感謝を形にする方法を、残念ながら今の私は思いつきもしませんが、本日は「感謝の形」にまつわる本をご紹介したいと思いつきましたので、どうぞお付き合いください。


皆様はショーン・タンの「エリック」をご存知ですか?
有名な本ですから、ご存知の方は多いと思いますが、私はこれ、何度読んでもほっこりします。
もう何遍も読み過ぎて、ボロボロになって買い直したくらい好きな本です。

内容としては、台所の棚の中で過ごす交換留学生エリックと、その我が家の息子の交流を描いています。
結局よかれと思ってしてあげたことに対して、最後まで何を思っていたのかわからず終いのうちに帰っていったエリックですが、そんなエリックは、頭を抱えた我が家のみんなに、こっそりある素敵な感謝の贈り物を残していたのでした…。

なんてそれだけの話なんですが、素敵なモノクロの絵に導かれていった先にひろがった最後の絵には、なんとも美しい色が施され、何回読んでも、その左右見開き2ページのパノラマを開いた時に震えるんです。
わかっているのに感動します。

そして「感謝のカタチは色々なんだな」と思うのです。
そこから必ず「絵描きである私の感謝のカタチは何だろう?」と考えさせてくれる。

毎回毎回飽きもせず必ずやってくる柔らかい感動と思考。
まったく単純で子どもな自分の頭をたまに「大丈夫ですか?」とコツコツやりたくなりますが、エリックをまだご存知ない方で、興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、是非とも買ってみてください。
そして、紙をめくっていってください。

「全然おもしろくないじゃん!」
なんてことになっても親書で千円の話ですし、絵を持つ感覚になれば、きっと後悔しないと思います。


最近、絵描きとしての行く末について、考えねばならない状況がたくさん私に降ってきます。
正直キツいときもありますが、そんな時は必ず「誰か一人にでも感動を与えられたらすごいことだ」と思うようにしています。

そのために続けていく価値…ありますよね?

必要があり、二年前の記事を探したのがきっかけで、私は改めて感謝を覚え、こんな記事になりました。
もし誰かがエリックを買って、同じように感動して頂けたなら、この記事には意味があったわけです。
そんな風に絵を描いて与えられたら素敵だな。
ってことで、本日はお終いにします。