アトリエ 籠れ美

絵画制作、展覧会、美術書、趣味、その他日常の出来事について
平成27(2015)年5月4日より

続「M100号2枚」制作記 その17.5(令和2年3月25日)

2020-03-30 05:34:33 | 絵画制作記、スケッチ記、版画制作記
 前日に、リフォーム後に母が紛失したもの(新しくした勝手口のドアの鍵と、母の銀行カードなどを収めたカードファイル)を探し回ったため、だいぶくたびれました(どちらも無事に発見)。

 アルバイトを終えてから、あれこれ探し物をするのはきついですね。翌日は結局、だらだらと過ごしてしまい(自室で横になって半分居眠り状態)、結局描かず。

 下手に体調が悪いなら描かない方がいいかと。よって制作は一週間先送りの、明後日に。

 何だかんだいって、リフォームの後始末を手伝わされており、少々いらいらしております。母は腰を痛めているので、やむを得ないところではありますが。

 どうやらカードファイルはリフォーム中に行方不明になったらしく、よくそのまま過ごせていたもんです。父ものんびりしたもので、片づけしているうちに出てくるはず、みたいな。

 まあとにかく、どちらも見つかってよかった。明後日は必ず描きます。

お知らせ~第257週のカテゴリー

2020-03-29 10:24:20 | 随筆(日記、旅行)、お知らせ、こぼれ話
 来週の定期投稿(月、木、日)カテゴリーは「絵画制作記」「将棋」「付記、お知らせ」の予定です。

 こぼれ話をいくつか。

 今週、わがスマホが「アンドロイド9 Pie」から「アンドロイド10」にアップデート。細かい変更のようですが、電話をかけるときが大きく変わったかな。有機ELに対応すべく「ダークテーマ」が用意されたとか。これから詳しく調べようかと。


 やっぱりまだ早朝は寒いですねえ。出勤時に着込んでいくから、帰りは暑くて。Tシャツ1枚脱げばいいんですが、つい忘れてしまうのと、どのみちアルバイト中はかなりの運動量なので、そもそも体が熱くなっているもんで、無駄じゃないかと(そんなことはないか)。


 幸い、わが家はトイレットペーパーは普段からかなり買ってあるので、例の買い占め騒動の影響は全くありませんでした。2週間が過ぎ、落ち着いた頃に、出かけた際にスーパーやホームセンターでたまたま見かけると、1袋買うことを2、3回繰り返し、もう十分。


 母親が必要としていた買い物カート。先週、私が新宿の東急ハンズで買ってきたものが大好評。以前使っていたのは安物だったけど、今度のはちゃんとしたもの。とはいえ税込みで5000円程度ですが。何といっても使う本人が気に入るかどうかなので、私も嬉しいです。


 さて本日は大雪。東京都は都民に週末外出自粛要請。しかしながら、そういったこととは関係なく、私は自宅で母とキッチン上の戸棚の整理をするので外出せず。リフォーム後にざっと私が入れたんですが、もうね、タッパー類ばっかりでして、それも今はほとんど使っていないものばかり。大半が捨てることになると思います。


 これにてわが家のリフォーム後の私のお手伝いは終わるかと思いきや、今度はキッチンのダストボックスを買いに出かけないといけないという。スマホで調べたら、ニトリにちょうどいいものがあったのでこれで決まり。来週出かけます。


 結局、今月は将棋道場は1回しか行けず。自粛要請で新宿将棋センターが臨時休業したのと、毎週末母に頼まれた買い物で出かけたのが、主な要因ですね。来週は土曜が休みなので、この日にダストボックスを買いに行き、翌日曜は将棋道場へ行きたい。4月は最低4回は通いたいです。


 わがアルバイト先もマスク不足が深刻化。支給マスクに厚手のガーゼ(?)を入れることで、マスクを1週間持たせるという(ガーゼは1日1回の使い捨て)。もうこうなったらマスクを自作しようかなあと。ダブルガーゼとマスク用のゴム紐があればいいんでしょ? 今度試しに作ってみるか。

「デッサンこそ最高の学芸」 レオナルド・ダ・ヴィンチ

2020-03-26 05:30:06 | 画材、技法、芸術論、美術書全般、美術番組
 私自身、この有名な言葉を長らく知りませんでした。あまりに有名すぎると、誰も強調しないということなのかもしれません。

 写真の登場で画家が職を失っていく中、アングルは肖像デッサンで糊口を凌いだと聞きますし、モディリアーニの最高傑作は鉛筆デッサンだと言われています。

 レオナルド・ダ・ヴィンチ自身のデッサンは実に優美で、その線の美しさは特別なものです。

 良いデッサンは、それだけで売れます。売れっ子画家のデッサンは、マットつきの額に入れられて高い値段で販売されています。

 デッサンだけで生計を立てている、デッサン画家も欧米では珍しくありません。

 「デッサンこそ最高の学芸」、そう言い切ってしまうレオナルド・ダ・ヴィンチにはデッサンに対する確信があったのだと思います。

 蛇足)私自身のデッサンは人並みで、凄味もなければ、面白味もない、ごく普通のものです。もう少し何とかしたい気持ちはありますが、修練不足でどうにもなりません。

続「M100号2枚」制作記その17(令和2年3月18日)

2020-03-23 05:40:45 | 絵画制作記、スケッチ記、版画制作記
 主題となる人物の人肌にまだ厚みが不足していると判断したので、陰影・明暗づけは次回(明後日)となりました。

 しかしながら、次回でほぼ作品の良し悪しが決まるので、制作は山場を迎えています。

 心配していた画面の乾き具合ですが、別段問題なく、乾き過ぎということもなく、ちょうど良いくらいでした。

 来月中旬には、ほぼ完成の運びで、そこから微調整が始まると思います。

 付)それと今作とは別に、いよいよ本展用のM100号の制作を始めます(取りあえずは木枠の組み立てとカンバス張りからですが)。

 注)だいぶ暖かくなってきて、スケッチに出かける頃になってきました(強風が吹いていたりしますが)。

 蛇足)油絵小品の制作を始めないと。

お知らせ~第256週のカテゴリー

2020-03-22 10:03:23 | 随筆(日記、旅行)、お知らせ、こぼれ話
 来週の定期投稿(月、木、日)カテゴリーは「絵画制作記」「画材、技法、芸術論」「付記、お知らせ」の予定です。

 こぼれ話をいくつか。

 わが家のリフォーム中、ほぼ禁酒していたのですが、その反動が今週から出てきた模様。

 なぜかビールを飲みたくなり、キリンラガービールの6缶パック(350ml)を買ってきたり、ウイスキー(バランタイン)や焼酎(二階堂)を飲んだりと、晩酌が再開。

 ビールは一番搾りでもなければ、スーパードライでもないという。なぜかしらん。


 ここんところ毎週日曜は買い物に出かけておりますが、実は今日もでありまして、母の買い物カートを買いに新宿へ行ってきます。

 今どき買い物カートはあまり使われないらしく、自宅周辺のホームセンターやスーパーでは売っていないのでやむを得ず。

 今まで母がスーパーへの買い物に使っていたものは、重たいものを入れすぎて壊れて、いや壊してしまったという。

 母は腰を痛めて治療中なので、代わりに私が買いに行きますが、母の希望通りのものが売っていればよいのですが。


 最近、わが家では「なすひかり」というお米がお気に入りで、昨日も私が5kgをスーパーで買ってきました。

 なかなかこの味を説明しづらいんですね。何ていうか、あっさりしているんですが、もちもち感もあるという。

 いつもは「新潟県産こしひかり」を食べていたんですが、当分は「なすひかり」になりそうです。


 冬の間、寒いので自転車に乗っていなかったら、今頃になって足の裏にうおのめができて、痛い。ついでにふくらはぎも痛い。

 よって一昨日から自転車通勤を再開。2週間くらいで、だいぶ良くなるはずです。アルバイトで歩き回ってばかりいて、両足を酷使しているので、こればっかりはどうにもならず。

 週5日のアルバイトで1日はバス通勤しているんですが、これは行きだけで、帰りは歩いているので、あんまり効果なしか。

 そうそう、足湯カフェってのがあるんですね。いいなあと思って。都内にあるので一度行ってみたいです。


 駅前のモスバーガーで、毎月29日「肉の日」にしか販売しない、ちょっと値の張るハンバーガーに心惹かれる私。食べてみたいなあと。

 そういえば、最近は富士そばの「カレーかつ丼」にはまっています。何てことないんですが、とにかく腹は膨れます。

 案外と外食したいのかも。ファミレスには全然行かなくなりましたし。そばも食べたいが、肉も食べたい。そんな心境の私でした。

私が感銘を受けた画家の言葉(後編)

2020-03-19 05:36:42 | 画材、技法、芸術論、美術書全般、美術番組
*「私が感銘を受けた画家の言葉(前編)」(2020-03-12 の記事) の続きです。

 先週と今週の2回に分けて、私の心に響いた画家の言葉を紹介しています。今回は今回はその後編です。

 では早速。

「自分が住みたいところに住むことができない。行きたいところにも行けない。やりたいこともやれない。それに言いたいことさえ言えない。学校や画家たちから習ったことは、私に描きたいものさえ描かせまいとする。そしてついに私はこう決心したのです。少なくとも私は描きたい絵を描き、自分の言いたいことを言うべきだ。でなければ、私は大馬鹿者だと」 ジョージア・オキーフ


 先週のピエール・ボナール同様、私はジョージア・オキーフの絵は好きではないんですが、この言葉には、ぐっときました。心の中で涙を流さずにはいられませんでした。

 絵を描く誰もが同じ状況に立たされていると知ったからです(いいえ、絵には限らないでしょう)。

 何らかの創作活動をするとき、人には必ず個性というものがありますから、どうしても教えられた基本から逸脱することが発生しがちなのです(これは天邪鬼とは違います)。

 私が絵画制作をする心情は、まさに、このオキーフの言葉そのものでした。この言葉は私の心に深く分け入り、定着しました。私の心に染み入ったのです。

 ピエール・ボナールも、そしてジョージア・オキーフも共に近代の人。近代以降は、我々現代人と何ら変わらない精神性を持っていることがわかります。

 芸術活動を行うということは、どこかで「ルビコン川を渡る」、ないしは「狂なる精神」が必要なのです。そのことを端的に、そして切実に訴えたのがこのオキーフの言葉です。まさに心の叫びそのものです。

 共感された方も多かったと思います。20世紀の前半に、こんな素敵な言葉があったのです。

ジャズ、クラッシックを聞いてます(その11)

2020-03-18 08:41:31 | 昔のアニメ、ゲーム、実写、音楽、本、雑誌
 今月1日に買ってきました(ようやく写真にスマホや自分の手などが写り込まないように撮れました)。

 ジャズ、クラッシックともに楽しんで聞けております。ジャズはともかく、クラッシックは自分の好みがまだ掴めてない感じ。でもこれは先の楽しみということで。

 では早速、感想などを。まずはクラッシックから。


フェリックス・メンデルスゾーン:
 ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64
  ペーター・チャイコフスキー:
 ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35

ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)、インスブルック交響楽団、
指揮:ロベルト・ワーグナー
*写真左、2250円(税込)

シューマン:交響曲第1番「春」、第3番「ライン」、「マンフレッド序曲」
ジョージ・セル指揮、クリーヴランド管弦楽団
*写真右、1050円(税込)

 さて、メンデルスゾーンの方なんですが、ミシェル・オークレールのヴァイオリンは音が澄んでますね。

 クラッシックを聞いていて、何となくわかってきたんですが、名演奏家の演奏は皆、こういう感じですね。清澄で、雑味がなく、高音で、とてもよく響く。その楽器の持つ性能を最大限に引き出しているといったところでしょうか。

 シューマンも、非常に軽やかです。メリハリが効いていて、キビキビしております。演奏は良いんですが、シューマンはあんまり好みでないのかなと。

 お次はジャズ。


モブレイズ・メッセージ/ハンク・モブレイ
*写真左、550円(税込)

モダン・アート/アート・ペッパー
*写真右、650円(税込)

 「モブレイズ・メッセージ」ですが、「一生モノのジャズ名盤500」の紹介記事に「年季の入ったジャズファンがゴタク抜きで日常的に楽しんでいるのが、こういうアルバム」と書いてありますが、聞いてみて、その意味がわかりました。

 何て言うんですかね、こう、しつこくないとでも言えばいいのかな。京料理みたいなもんですかね(「薄味だけどしっかり味がついている」の意)。

 そして「モダン・アート」なんですが、こっちは完全にあっさり、さっぱり系ですな。爽やかというんでもないんですが、何て言うんですかねえ、うまいお茶漬けみたいな感じ(でもこのアルバムの凄味はわかっていないと思う、私)。

 以上、今月の4枚でした。

 こうしてジャズを聞いていて気づいたことがあって、ロックのアルバムは約46分であるのに対して、ジャズのアルバムは約38分と短い(もちろんそうでないのもありますが、大体は)。

 ジャズのアルバムは演奏を収めたという印象が強いのに対し、ロックのアルバムは曲を収めた印象で、アルバムとしての構成を意識している。

 これって、やっぱりビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の影響、つまりはコンセプト・アルバムの創出に端を発しているわけで、そう考えると、ロックというのは、クラッシック同様に、意外と形式的なんですね。型にはまっているところがある。

 ところがジャズは非常に即興的で、アルバムは演奏者の演奏を活写したとでも言うべきで、アルバムとしての形式をあまりどころかほとんど意識していないんじゃなかろうか。

 だから形式ばっていないし、演奏が生き生きとさえしていれば、そういう演奏が収録されていればそれで良し、みたいな。もっと言ってしまえば、ジャズのアルバムは、演奏の収録ではなく、演奏を通して演奏者を活写するのが目的であるという。

 ジャズのアルバムって、骨董みたいなものかも。何かが封じ込められており、鑑賞者はそれを愛でて楽しむ。慈しむ。非常に狭い、個人的な空間で楽しむ、私的な行為。

 そういえば、渋谷陽一が「ロックはジャズやクラッシックと違って名盤を決めにくいところがある」と言っていたが、確かにロックは基本的には若者の音楽であるため、時代の影響を受けやすく、そのアルバムの評価や価値は変動しやすい。

 片やクラッシックは歴史が古いだけに、今に伝わっている楽曲自体が貴重で、つまり歴史的価値があるため、評価の変動はない。もはや厳然とした存在で、あとは指揮者や演奏者の解釈を楽しむだけになっている。

 ジャズは今や拡散し、自由すぎて、人間というのは、何でも好きにやってみろと言われると案外、悩んでしまうもので、そこで指針となるのが、過去にどんな曲が、どんな演奏があったのかということで、影響を与えたアルバムが名盤として記憶される。

 そんなところじゃないのかしらん。つい、要らんことをあれこれ考えてしまった次第です。


 蛇足)ロックの名盤は発表当時、売れなかったものが実は多いのだそうです。昔はロック・ミュージシャンは自分の信念を曲げなかったので、容易に自分の音楽を変えなかった。皆頑固でその音楽は個性的。だから売れたときの喜びも多きかった。

 ところが今やロックは産業化し、売れるのが当たり前、売れてなんぼの世界。流行は追いかけるものではなく、自らで作るもの。こうなってしまってはロックもつまらない。

続「M100号2枚」制作記 その16.5(令和2年3月11日)

2020-03-16 05:30:35 | 絵画制作記、スケッチ記、版画制作記
 描く準備はしたものの、つまり作品を引っ張り出し、画材一式を用意したものの、アルバイトの疲れが溜まっているらしく、画面を見つめたまま着手できず。

 よって制作できませんでした。とはいえ画面を確認したところ、背景はこれで一応良しにしました。あとは主題となる人物をある程度仕上げてから、背景を明るくするのかどうかの最終判断をします。

 もうだいぶ乾いてしまっているので、この日描けなかったのは痛いんですが、今までもこんなことはよくあることで、珍しいことじゃない。そこで諦めました。

 明後日は描けると思いますので、しっかり制作したいと思います。


 付)予定では明後日は人物の陰影・明暗づけ、来週で人肌の色合わせ。よってここ2週が作品の出来を左右します。

 だから疲れて制作に支障が出るようなら、いっそ描かない方が良いわけなんですが。

 注)描きたいのに、描けないわけで、つらいことに変わりありません。

お知らせ~第255週のカテゴリー

2020-03-15 10:06:14 | 随筆(日記、旅行)、お知らせ、こぼれ話
 来週の定期投稿(月、木、日)カテゴリーは「絵画制作記」「画材、技法、芸術論」「付記、お知らせ」の予定です。

 こぼれ話をいくつか。

 手弁当が復活。リフォーム期間中は休止してましたが、無事再開。やっぱりお米をたくさん持っていけるのがいいですね。

 スーパーやコンビニの弁当もおいしくていいですが、どうしても米が少ない。カロリー的に十分であっても満腹感がない。

 何せ私の弁当箱は二段重なので、お米をがっちり詰めております(その代りおかずはカロリー控えめになってますが)。


 わがアルバイト先で、私の所属部署に入ってきた、待望の遅番、Fさん、何と! 元バーテンだったとのこと(でもそんな風には見えないのだけれど)。

 当然、ウイスキーもストレートで楽しむわけで、私も同様でして、ちょっと話し込んでしまった。その話の中で、アルバイト先付近の駅前に良いバーがあるとのこと。Fさんは、そこへよく行っているらしい。

 もちろん、おねーちゃんのいる、ぼったくりバーではなく、いわゆるオーセンティック・バーないしはそれに近いものでして、そういうバーへ行きたいとかねがね思っていた私は、ぜひ今度ご一緒したいと言うと、快諾してくれました。

 いろいろと話すことがあって楽しみですが、Fさんは東京へ出て来てまだ2年で、アルバイトも掛け持ちで何かと忙しそう。まだ互いにスマホの電話番号も交換してませんが、まあそう急ぐこともないですし、彼がわがアルバイト先の試用期間が過ぎた頃に、私の方から積極的に誘おうかなあと。

 これで念願の、飲み友達ができるかな、わたくし。


 さて、またアルバイトの話ですが、私の今の上司はSさんですが、その前はOさんでした。そのOさんが異動が決まったとき、異動先へ顔を出しに行きます、とか言っておきながら、全然行ってないので、先週の日曜に行ってきました(急遽、思い立ったが吉日というわけ)。

 私もOさんも、今の職場環境について話したいことが多々あるらしく(やっぱり)、私の方から誘うまでもなく、一度飲みに行くことになりました(とはいえOさんは忙しいので、いつになるかわかりませんが)。

 Oさん、元気そうで良かった。異動先でだいぶ苦労しているという話を聞いていただけに、ちょっと心配してましたが、杞憂でしたか(非常にタフな人なので、乗り切っているのでしょう)。

 たぶん話すことが多すぎて、二次会へ突入するんじゃないかと思ってますが。


 だいぶ暖かくなったとはいえ、そして早朝もかなり明るくなってきたとはいえ、まだ朝は上着とマフラーなしでは寒い。この間、寝坊して慌てて自転車に飛び乗って通勤したとき、暖かそうだから、上着はいいやと、マフラーだけで行ったら、寒かったですね。

 まだまだ上着を着用しないと駄目だなと思った矢先の昨日、東京は早朝こそ雨は降らなかったものの、午前9時頃から降雨が、それが昼頃からみぞれに、そしてついに午後2時頃から雪に。

 夕方から雪から雨に戻りましたが、ちょっと驚き。3月に降雪。かなり珍しかったんじゃないかと。あのまま降り続けたらかなり積もったでしょうね。


 本日も先週同様、リフォーム後のキッチンの備品を買いに出かけます。先週は立川へ行ったんですが、大した収穫がなく、今日は新宿へ行ってきます(もう今月だけは特例で、将棋道場通いは事実上の休止ですね)。

 立川では、シンク下の収納ラックが売り切れだったので、新宿にはあるんじゃないかと。それとプラスチック製の引き出しも探しており、また石鹸とスポンジ受けも買わないと。

 なるべく良いものをと、こだわり出すとなかなか見つかりませんね(といっても私が使うのではなく、母が使うんですが)。

 もともと先週一回切りでは見つからないだろうと踏んでいたので、想定内です。これから新宿へ出かけてじっくり探してこようと思います。


 付)「ジャズ、クラッシックを聞いています」の投稿が遅れていてスミマセン。もう買ったのを聞き込んでいる段階なので、いつでも書けるんですが、なかなか時間が取れなくて。

私が感銘を受けた画家の言葉(前編)

2020-03-12 05:29:32 | 画材、技法、芸術論、美術書全般、美術番組
 今週と来週の2回に分けて、私の心に響いた画家の言葉を紹介したいと思います。

 では早速。

「私を惹きつけたのは芸術それ自体よりも、芸術家の暮らしの方だった。自由に表現し、好きなように生きられるのが芸術家だと考えていたからだ」 ピエール・ボナール


 私はボナールの絵が好きではないんですが、この言葉には感じ入りました。その通りだったからです。確かにそうです。自分も同じように考えていました。

 この意味では、小説家よりも画家の方が自由であるように思います。画家と同じくらい自由なのは、あとは楽器弾きぐらいじゃないでしょうか。他にはちょっと思い浮かびません。

 良い言葉に説明は要りません。この言葉に出合ったとき、私はじーんとしました。皆さんはどうでしょうか。