アトリエ 籠れ美

絵画制作、展覧会、美術書、趣味、その他日常の出来事について
平成27(2015)年5月4日より

プリンス考 その3:プリンスはロック史上最強のミュージシャン(ライブのトリとして「パープル・レイン」に勝るものなし)

2019-10-31 05:26:45 | 昔のアニメ、ゲーム、実写、音楽、本、雑誌
 先週に引き続き、プリンス話を(写真は表題作「パープル・レイン」が収録されている、1984年発表のアルバム「パープル・レイン」のジャケ写)。

 さて、ライブの最高潮、トリに演奏される曲として「パープル・レイン」こそ相応しい曲はないんじゃなかろうか。

 レッド・ツェッペリンなら「天国への階段」、イーグルスなら「ホテル・カリフォルニア」になるが、これではしんみりしてしまう。

 かといってブルース・スプリングスティーンなら「ボーン・イン・ザ・USA」、マイケルジャクソンなら「ビリー・ジーン」になるが、これでは盛り上がりすぎて、もっと演奏しろ、となってしまう。

 ファンはいつまでもライブ会場にいたいし、ミュージシャン側もせっかく来てくれたファンのためにもっと演奏したい。でもそうはいかない。

 そんな互いに複雑な心境のとき、恋人との別れを歌った「パープルレイン」こそ、演奏されるのにぴったりだ。

 この「パープル・レイン」は悲しい曲ではあるものの、力強さもあり、そんなにしんみりすることもないし、かといって盛り上がりすぎることもない。ちょうどいい感じである。

 しかも曲が長めで(確か8分42秒だったはず)、トリに演奏するにはちょうどいい。もちろん名曲で、プリンスの代表曲である。

 えっ? 何? でもプリンス本人がライブのトリで演奏するのを止めちゃったって? そうなんですよ、ご本人さんが飽きちゃって演奏するのをやめちゃったの(あんまりにも、もったいない)。

 ほんと、必殺技だと思うんですよ、「パープル・レイン」って。こんな曲滅多にない。それほどライブのトリにぴったりこの上ない。

 本当にもったいない。まだ聞いたことない人がいたら、聞いてみて下さい。私の言っている意味がよくわかると思います。

 あー、それにしても、本当にもったいない。

2019年公募美術団体展 その5(第71回中美展)

2019-10-28 05:04:33 | 展覧会、美術館、公募展、貸画廊、貸ギャラリー
会期:2019年11月10日(日)~19日(土)
会場:東京都美術館(上野)
時間:午前9時30分から午後5時30分(入場は午後5時まで)

 会期2週間前なので告知を。私の所属する公募美術団体、中央美術協会が主催する中美展が上記の通り開催されます。

 私は現在会友で所属してから3年目、3回目の出品になります。それ以前の一般公募入選を含めますと6回目になります。

 今回はM100号1点、男性の歴史的人物の肖像画を出品しました。これは3部作の1作目で、来年が2作目、再来年が3作目で完結の予定です。

 結局、こうして大作を出すことになってしまうのね、公募展というものは。あんまり大作(50号以上)って好きじゃないんですけどね、何となくこういう流れになってしまった。

 もう父も母も高齢なので、今回から見に来ないことになりました。私としてもそれで一向に構いません。事前に母に完成作を見せたところ、好印象で割と気に入ってくれました。

 もう中美展に出して6年目になるのか。早いなあ、もう6回目か。問題は私の腕前で、もうそろそろ良い絵を描きたいですね。良い絵とは「本当に自分が納得できる絵」ということになります。

 来年はそういう作品を制作できそうなので、自分でも期待しているところです。

 今年の支部展もM100号でしたが、父の入院があって、会場でその大きさを確認できませんでした。MサイズですのでFサイズと違い、幅が狭い。そこのところを自分がどう受け止めるのか、ちょっと楽しみです。

 3部作の1作目ゆえ、3作揃わないと楽しめないところはありますが、もちろん単独でも十分に楽しめますので、会期中、上野へお出かけの方がいましたら、見に来てもらえたら幸いです。

お知らせ~第235週のカテゴリー

2019-10-27 10:04:36 | 随筆(日記、旅行)、お知らせ、こぼれ話
 来週の定期投稿(月、木、日)カテゴリーは「展覧会、美術館、公募展」「音楽」「付記、お知らせ」の予定です。

 こぼれ話をいくつか。

 将棋道場へ行きたがっている自分がいる。一年以上行ってないので当然と言えば当然ですが、何とか定期的に通える時間を捻出したいところ。今度こそ再開したら継続したいです。

 さて本日より電気ストーブ使用開始。しまってある天袋から取り出しました。朝もだいぶ寒くなってきました。マフラーを巻くことで、まだ半袖ワイシャツで済ませていますが、そろそろ上着も必要かと。

 毎週日曜は2階自室の掃除の日なんですが、ということは今日もこれから掃除するんですが、しばらく前から、ついでに1階の掃除機がけもするようになりました。
 というのも母もだいぶ歳ゆえ、家の掃除が大変になってきているので、援護射撃しております。別に大したことじゃありません、お安い御用です。

 台風、大雨続きで、誰も食欲の秋、読書の秋とは言わなくなった。これからも雨が続くようで、元気が出ない。休みの日は自宅にいるしかないのかなあと。外出するのは必要な買い物のときぐらいかと。

 今月はたまたま「千寿 久保田」の四合瓶を何本か安値で入手できたこともあり、かなり飲みすぎ。値段の高い酒は酔いにくいと実感。大事に飲んだつもりですが、減るの早かったなあ。

 何と!今月、わが財政は奇跡的に黒字に(といってもほんの僅かですが)。自転車買ったりしたので赤字覚悟でしたが、助かりました。とはいえかなりの出費でしたので、来月は緊縮財政で臨む所存です(もうお金使うの嫌になっちゃったもんで)。

プリンス考 その2:映画「パープルレイン」(1984年公開)

2019-10-24 05:24:01 | 昔のアニメ、ゲーム、実写、音楽、本、雑誌
 映画ファンなら見逃してはならない映画は数あれど、この「パープルレイン」もそうだというのは案外知られていない(写真はアルバムのジャケ写ですが、映画もほぼ同じなもんで代用)。

 理由は「ロックを扱った初のまともな映画」だから。

 つまりロックミュージシャンが主演した映画は過去にも作られてはいるものの、所詮は俳優でないので、ライブ映画だったり、ドキュメンタリー映画だったりと、ちゃんとした物語のあるものではなかった。

 でもこの「パープルレイン」は違う。上記の歴史的価値に加え、当時、黒人が主演した映画は、エディ・マーフィーの「ビバリーヒルズ・コップ」ぐらい。ハリウッド映画で黒人が主演するのは異例で、しかも俳優でないミュージシャンとなると、なおのこと。

 もちろん映画は面白くなくっちゃ、意味がない。この「パープルレイン」は、事実上インディペンデント映画だったらしいんですが、大ヒットし、1984年で最も稼いだ映画となった。

 理由は、まさに王道の物語、シナリオにあります。これぞ、まさに青春映画、青臭い、純な内容。何かと物議を醸し出ていたプリンスの自伝的内容という触れ込みと裏腹。

 だから「なあーんだ、せっかくプリンスのような奇矯なキャラクターを引っ張り出して映画にしたから期待したのに、見たらただの青春映画じゃないか」という声があったくらい。

 わかってないなあ、それじゃあ、ただのイロモノ、キワモノ映画じゃないですか。あくまでプリンスは映画で当てる、ヒットすることを狙っていたわけです。

 この「パープルレイン」は贅沢な映画です。劇中のライブ映像は、実際にライブを見ているかのような臨場感があり、コメディー映画としても上質。

 そして全くと言っていいほど語られていませんが、色彩がとても綺麗です。監督が偉かったのか、カメラマンが凄かったのか、よくわかりませんが、ただの偶然とはちょっと考えにくい。

 それとこれもあまり言われていないことですが、劇中でプリンスが演じるキッドが率いるバンド、ザ・レボリューションと、ライバルのモーリス・デイ率いるザ・タイムの曲の対照性の素晴らしさ。

 舞台となるライブハウス、ザ・ファースト・アベニューで先輩格のザ・タイム、人気急上昇のザ・レボリューション、それそれが演奏する曲がちゃんとそれを象徴し、表現されている。

 だからザ・タイムの曲は堂々とし、人を楽しませるものに仕上がっているし(「ジャングル・ラブ」「ザ・バード」)、それに対してザ・レボリューションは勢いのある、上り調子の曲が用意されている(「レッツ・ゴー・クレイジー」「ザ・ビューティフル・ワンズ」)。

 こうしたことは、なかなか狙ってもできることではなく、作詞作曲したプリンスの腕前に脱帽するだけだ。

 また同様に、恋人アポロニアとうまくいかなくなり、荒れたキッドが「コンピューター・ブルー」という微妙な曲と「ダーリング・ニッキ―」という最低の曲で、ザ・ファースト・アベニューで人気が落ちるというところも素晴らしい(確かに両曲におけるキッドのパフォーマンスはある意味、最低だ)。

 そういうわけで、この映画「パープルレイン」は奇跡的な作品なのです。やってることは王道、青春映画そのものなのですが、これをちゃんと仕上げて面白い作品にすることは至難の業です。しかもそれを音楽、ロックでやるのですから。

 全てがうまくでいているからこそ映える、劇中のライブ演奏なのです。しかも実際にやってるのは本職のミュージシャンたち。だから極めて贅沢です。今後こうした映画はもう出現しないと思います。

 非常に無茶をして短期間で撮った映画だそうなので、映画制作に興味のある方々にも参考になりそうな映画です。

 映画ファンを自認する方で未見の方はぜひ。

 付)劇中で、キッドとアポロニアがやらたとキスばかりしてますが、若い恋人同士なんて、実際にあんなもの。そこもリアルだと思いますが、どうでしょうか。

続「M100号2枚」制作記その1

2019-10-21 05:10:58 | 絵画制作記、スケッチ記、版画制作記
 来月中旬に始まる第71回中美展出品作のM100号は既に仕上げました。これにて今年の私の公募美術団体展出品作の制作は全て終わりました。後は搬入出を委託した業者の引取を待つばかり。

 さて次なるは来年へ向けての制作が待っております。本展、すなわち中美展が去年から10月ではなく11月開催と1ヶ月延びた結果、その分翌年の支部展の制作も遅れるわけで、ゆっくりしている暇がありません。

 事前に送られた資料によると、来年の支部展、すなわち第42回東京中美展は、上野の東京都美術館にて6月14日から21までの開催(ただし15日は休館)、搬入日は6月12日の予定。

 ということは、残り8ヶ月しかない。完成してからの指触乾燥を考慮すると、実質的に7ヶ月の制作期間しかない。

 本来、私の油絵制作には最低6ヶ月は必要なので、時間的余裕はあまりありません。既に下調べは始めているんですが、ちょっと誤算があって、本来使えるはずの資料が実は私の勘違いにより全面的には当てにできないことに。少々困った。

 ここで来年の支部展と本展の出品作について。どちらも今年の出品作の続きになります。支部展は歴史上の女性人物の肖像画三部作の二作目、本展は歴史上の男性人物画三部作の二作目。

 今年はこうしたコンセプトを固めるためにかなりの時間を割いたため、肝心の実作が遅れてしまいましたが、来年、再来年は何を描くかは決まっているわけで、画題で悩む必要は全くありません。

 というようなわけで、新たな絵画制作記、続「M100号2枚」制作記を始めることになりました。もうね、さすがに制作時間不足でドタバタするのはもう嫌。早めの制作で余裕をもって描き進めたいと切実に思ってます。

 予定としては、来月中にM100号の桐材木枠を2本購入、支部展出品作は年内にカンバスを張り終え、デッサンも終わらせたいところ。とにかく今は支部展出品作の下調べを進めているところです。

 付)「油彩人物連続模写(小品カンバス19枚)」は昨日描いたんですが、大した記事になりそうもないので、まとめて報告いたします。

お知らせ~第234週のカテゴリー

2019-10-20 09:38:36 | 随筆(日記、旅行)、お知らせ、こぼれ話
 来週の定期投稿(月、木、日)カテゴリーは「絵画制作記」「昔のアニメ、ゲーム、実写」「付記、お知らせ」の予定です。

 こぼれ話をいくつか。

 自転車通勤を始めて一週間ほど。早速洗礼を受けました。行きは晴れで、帰りは雨。よって帰りは雨で濡れて帰ること2回。昨日は雨が降りそうだから徒歩で行ったら、帰りは降らず。ぬう、やられた。なかなか都合よく行かないものです。

 そして早、新しい自転車が欲しくなる私。はっ? 買ったばかりなのに? もっと良いのが欲しいぜ、ってただのわがまま、調子こいてるだけです、ハイ。
 いえね、アルバイト先のTさんが、10万円もする自転車に乗っていて、それを見たら刺激されてしまった次第。でもね、あちらんさんはマラソンが趣味の本格派。話になりません。

 この間の台風、わが東村山市は大丈夫だと思っていたら、何と深夜2時に避難準備情報が出ていた地域あり。どこかと思ったら、どうやら「となりのトトロ」のモデルになった八国山緑地の方だったようです。武蔵村山市、東大和市方面になります。
 実は東村山市は空堀川という第一級河川を抱えています。昔はよく溢れていたという話を聞いたことがあります。わが家から遠いので直接の関係はないのですが、今回もだいぶ危なかった模様。

 今週の火曜、アルバイト先のSさんと予定通り飲む。かぶら屋さんへ行くことに。初めて入ったんですがなかなか良い店で、今度独りで来ようかなと。それはともかくSさんが全く飲めないとは知らなかった。誘ってマズかったかな。Sさんは飲み会は好きだけど、飲めないというタイプ。もし今度飲みに行くなら夢庵にしようかな。

 給与日が待ち遠しい私。もう金がない。出かけて買い物したくてもできない。来月も出費が重なるけれど、さほどでもないので、来月は貯金に励むことになりそう。自宅でやることたくさんあるんだから、やれよなあ、自分。ここんところ寒くなったせいか、早寝しちゃうし。ダメねえ~。

ジャズ、クラッシックを聞いてます(その5)

2019-10-18 05:57:42 | 昔のアニメ、ゲーム、実写、音楽、本、雑誌
新版 クラッシックCDの名盤
 宇野功労、中野雄、福島章恭 文春新書 1100円+税

 手に入れたクラッシックのバイヤーズガイドはこちら。これで、この本を頼りにクラッシックCDを買っていきます。

 有名な本だそうで、新版。とにかく助かった。クラッシック門外漢の私の良き水先案内人になってくれるでしょう。期待しております。

 それにしてもジャンルが違うとこんなにも苦労するのかと。よく今までロックの中古CD屋へ行って何も迷わず、なんかいいのないかなと漁っていたものだなと。今更ながら自分で自分に感心。

 毎月ジャズ1枚、クラッシック1枚のはずでしたが、今月はジャズ2枚、クラッシック1枚でした。中古屋で買っているということもあり、思いの外、安価に入手できるとわかった以上、買う枚数を少し増やそうかなと。

 来月は4枚買いたいなあと。もちろん買った以上、ちゃんと聞かないといけませんが。今のところ、ジャズにしろ、クラッシックにしろ、聞いていて退屈することもなく、普通に楽しんでおります。

 早くお気に入りの一枚を見つけたいですね。ジャズ、クラッシック共に、自分がどのジャンルを好きなのか、まだわからないので。

 毎月一度の新宿ディスクユニオン詣で、これからが本番、といったところでしょうか。

黒澤明監督作品の特質(黒澤明論)

2019-10-17 05:27:41 | 昔のアニメ、ゲーム、実写、音楽、本、雑誌
 「世界のクロサワ」という一語で片づけられてしまっているが、ただ単に良い映画をたくさん作っただけなら、こうは呼ばれまい。

 黒澤明は映画の革命児である。だからこそ「世界のクロサワ」なのである。それも芸術性と商業性を高い次元で融合し、格調高い画面を作り出した、いや編み出した。

 私は黒澤映画を見ていて、いつもこれは映画を見ているんじゃなくて、舞台や演劇を見ているんじゃないか、つまり眼前に映画の光景が広がっている感覚に襲われる。それほど生々しいのである。

 普通は、ああこれは映画なんだ、つまりはフィルムを見ているのだな、と思うのだが、なぜか黒澤映画はそうはならず、目の前で役者たちが演じているのを見ている気がするのだ。

 これを薄っぺらな言い方でなら、画面に迫力があるとか、見ていて圧倒される、とかいう表現になるのだろうが、それでは伝わらない。要するに、黒澤映画は生々しいのである。

 それは黒澤明が意識して目指したものだと思う。だからこそ実験的な試みを多数行っている。太陽にレンズを向けたり、望遠レンズで撮ったり、通常の3倍の照明を当てたりする。安易に特撮に頼らないのも、そうした理由だろう。

 芸術性と商業性が究極に絶妙のバランスで高まったのは、あの「用心棒」だろう。世界的に影響を与えた映画だが、日本人はこれに魅せられてしまった。言ってしまえば、日本人は「用心棒」の呪縛から未だに逃れられずにいる。

 だから黒澤映画と言えば時代劇であり、すなわち「用心棒」なのであって、もはや「羅生門」も「七人の侍」も「赤ひげ」も忘れてしまっているのではないかと思われるほどだ。

 だから「どですかでん」や「デルス・ウザーラ」といった作品の評価が全然上がらない(そもそも知名度がない)。

 黒澤映画はカラー以降は駄目だ、とか言う人が後を絶たないが、白黒最後の作品が「赤ひげ」でこのとき黒澤はすでに55歳なのである。この段階でもう世界の巨匠であり、双六でいうなら上がりである。すでに引退していてもおかしくない。

 ところが、ここから黒澤の映画の達人ぶりが発揮されていく。凄味が増していく。海外で撮ったのに国内で撮ったのと何ら変わらない仕上がりの「デルス・ウザーラ」、見たことのない色彩の美しさの「夢」、ただ駄弁って酒飲んでく飯食ってるだけなのに一向に見ていて退屈しない「まあだだよ」。どれもが驚異的である。

 さてここで黒澤明映画を見ていて気になっていることを一つ。黒澤映画では、黒澤監督が言いたかったこと、表現したかったことが終わると、映画そのものが終わってしまう。

 黒澤明は作中でやりたいことをやったら、後は物語なんかどうでもいい人なのである。つまりは物語が途中でも、自分の言いたいことが言えたら、映画は終了なのである。

 だから話が中途半端で終わってしまう作品が結構ある。「どん底」「天国と地獄」「八月の狂詩曲」なんかがそうである。「八月の狂詩曲」はともかく、「どん底」と「天国と地獄」なんて、ええっ、ここで終わってしまうの? と思ってしまった。

 「生きものの記録」もそうだ。あそこで終わってしまうものだから、壮絶な失敗作とか言われてしまう(そんなことないのにね)。

 黒澤明は「次回作が代表作」が口癖だったというだけあって、どの作品もその時点で全力投球しているので、必ず見どころがある。全30作を見て私が一番驚いたのはやっていないジャンルはないんじゃないかということである。

 確かに「用心棒」は素晴らしい映画だが、主人公の成長物語、つまりは若い主人公が強敵と出会い、一度は敗れ、そこから這い上がって、最後は勝つという、漫画「北斗の拳」に代表される、いわゆるジャンプ乗り、は撮ってないだろうと思っていたら、何と監督デビュー作の「姿三四郎」がまさにそうじゃないですか。

 じゃあ、スポ根、少女漫画みたいなものは撮ってないだろうと思っていると「一番美しく」がある。もちろん刑事ものや時代劇もある。「天国と地獄」なんて見ていて、今の刑事ドラマとやっていることが大して変わらないと、見ていて嫌になっちゃったくらい。

 黒澤明の息子、黒澤久雄が、インタビューで「日本映画界、ひいては日本政府にもっと理解があれば、黒澤監督はもっと多くの映画を撮れたのではないか」と聞かれた際、「でも、何だかんだ言って親父はやりたいことをやったし、やりきった。だから自分の映画人生には満足していると思いますよ」と答えていたが、その意味がよくわかった。

 日本は先行者利益が出ない国と言われるが(別に出ないわけじゃないんだけど利益少なすぎ)、黒澤明もその例に漏れず、海外進出がなっていたらと思わざるを得ないが、黒澤の映画の撮影方法自体が、時代と合わなくなっており、それも難しかったんじゃなかろうか。

 テレビ時代が始まっているのと相まって、さすがに映画の撮影期間が1年というのは厳しい。現実的にそれだけの拘束期間を取れる俳優となると限られてしまう。

 もう二度と撮れない映画の代名詞は、あの「風と共に去りぬ」であるが、黒澤映画も同じくそうである。

 この世に面白い映画はたくさんある。でもあれだけの格調の高い画面と、その画面から伝わる生々しさは、黒澤映画にしかない。黒澤明だからこそ成しえたものである。

 全30作を見て、個人的にはあともう2作か3作見てみたかった。遺作の「まあだだよ」があんなに面白いと思わなかったし、やはり「八月の狂詩曲」からは、今まで人間を描いてきた、描き切ったことで、今度は人間関係を描くことに興味が移っていることがはっきりしたわけで、そうなると、次はどんな風な作品になるのか、ぜひ見たかった。

 天気が気に入らなかったり、気乗りがしなかったりすると、その日の撮影が中止になったそうであるが、それもこれも良い映画を作るためであり、黒澤明は芸術家であった。

 映画は芸術と言われるが、芸術的な映画作りは許されないのだから、何と矛盾したことか。多額の資金がかかるからといって、工業製品のように扱われるのでは、良い映画など望むべくもない。

 黒澤明は海外では「美の奴隷」と評される。もはや映画を芸術作品として仕上げることのできる最後の映画監督、それが黒澤明である。

油彩人物連続模写(小品カンバス19枚)その9(令和元年10月2日、12日)

2019-10-14 05:38:24 | 絵画制作記、スケッチ記、版画制作記
 現在、2枚の模写を同時に描いているわけですが、うちラファエロの「一角獣を抱く女性」は概ね成功、残るシャセリオーの「エステルの化粧」は失敗が確定。

 これは主に下地の施し方が原因で、これによって私は多くのことを学びました。何がわかったのかというと、やっぱり従来の制作手順で問題はなかったのだと確信できたことでした。

 これぞまさに堂々巡りというもので、またかよということになるんですが、どうやら今回でその堂々巡りにも終止符です。

 今までの描き方でも十分に作品は仕上がりますし、それは自分で納得のいくものではあったんですが、どうも描いていて、途中経過で七転八倒するので、もう少し、いい意味でシステマティックに描けないものかと悩んでおりました。

 自分なりに自由にも描けてましたし、仕上がりに不満があるわけでもない。でももうちょっと何とかならないものか、手順よく描き進められないものか。

 ようやくどうすればいいかわかりました。まずは従来の制作手順のうち、下地作りにさらに手間をかけること、そしてそれに伴い、自作の調合溶き油の変更と追加、つまり今後は2種類の調合溶き油を使うということ、また描画段階での絵具層の重ね方の手順を逆にすることと、白の混入を増やすこと、以上になります。

 いずれも理論上のことでなく、実際に解決の見通しで、現に調合溶き油は新たに作製し、今回の2枚の模写で検証を始め、結論を得ています。また白の混入は、本展出品作のM100号でテスト済み、といった具合です。

 これらを総合して、一からの制作手順の確認となると、新たに一枚描くしかないんですが、それはこの「油彩人物連続模写(小品カンバス19枚)」で試す予定で、それを踏まえてから来年の支部展出品作に臨みたいんですが、時間の都合上、残念ながら同時進行になるでしょう。

 つまりはまた支部展は来年もぶっつけ本番になってしまうことになりますが、しかしもう私の頭の中では解決しているので、大丈夫です。

 要するに、今までの描き方にほんの少し変更を加えるだけなんですね。でもそのほんの少しが天と地、非常に大きな差を生むことになります。これが大幅な変更だと、やっぱり試してみないと、ということになるんですが、そうじゃない。

 でもって、自作の調合溶き油が2種類になったのに加え、ようやくパレット(色の選択)も確定。使う油絵具の色がはっきりと決まりました。

 こうした結果、来年以降の私の油絵は大きく変わることになると思う。見た目はあまり変わらないかもしれませんが、制作手順の確定により、おそらく力強さが画面から出るんじゃないかと。すでにその変化は今年の本展出品作のM100号に表れています。

 こうなってくると、もはやこの「油彩人物連続模写(小品カンバス19枚)」も続けても意味がいないんですが、というのも今回の一連の模写は、模写を借りての、自分なりの描き方の確認と新たなテストが目的だったわけで、すでにその目的は達成している。

 しかしせっかくなので、今回の2枚も仕上げますし、変更になった制作手順を確かなものとするため、模写を続けてみるのも悪くないですし、どのみち模写は勉強になりますので、継続いたします。

 話を今回描いている2枚の模写に戻すと、ラファエロの方は、下地色は大成功なんですが、厚みが足りないから、その意味では見事に失敗。これについては、今後は下地層を厚くすることで解決。

 またシャセリオーの方は、何といっても下地色が実は良くなかった。これは一度試したかった色ではあるんですが、またうまく行くんじゃないかと期待したんですが、期待に反して駄目だったという。

 どちらも中途半端で、特にシャセリオーの方はひどい。下地の失敗は、下地だけあって、いつまでも上層に影響を与えるという。

 もうね、とにかくどちらも最低限、見られる形に仕上げて終わりにします。模写としては非常に見っともない、出来の悪いものになりますが、構いません。

 もちろん仕上げたら、ちゃんと掲載いたします。約束ですから。

 こうしてみると、やっぱり模写は偉大ですね。今回は自分の技法のテスト台にしたわけですが、いろんな目的で使うことができるわけで、自主的に取り組めば威力は絶大です。

 とにかく、とっとと、この2枚をやっつけて、新たに取り組みたいですね。どちらも失敗気味とはいえ、せっかく取り組んでいるんですから、それなりに仕上げます。雑は良くないので。

「M100号2枚」制作記その47

2019-10-14 05:38:03 | 絵画制作記、スケッチ記、版画制作記
 昨日の「こぼれ話をいくつか」で書いた通り、先週の水曜は出勤になってしまったため、M100号は制作できませんでした。

 代休は金曜でしたが、もう委託搬入出業者の引取日まで2週間を切っている。指触乾燥を待つことを考えると、ここで最後の手入れをするのは危険。よって、もう仕上がりとすることに決めました。

 少々荒いところもありますが、意外とよくできているかなと。支部展出品作同様、時間のない中での制作でしたが、これ以上望むのは虫が良すぎるというもの。良しとしましょう。

 今回のM100号で表現したかったことは、一応できてますので、っていうかこれしか他に思いつかなかったもんで、あとは発表してみてどうかというところです(普通にやったんじゃあ、つまんないのでひねったつもりですが、どうなんでしょう)。

 とにもかくにも終わりました。あとは委託搬入出代の用意と出品規定書類の記入、そして仮縁へ作品を入れ、木枠に作品票を張ることですかね。

 付)微妙なところですが、支部展出品作より出来は良いかもしれません。